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ヒロミはトワという人物の新たな一面を、また知ることになった。
彼女の強さは、血筋を守るという意志、そして身内に向けた深い愛情や優しさに裏打ちされたものなのだ。目の前で座り込んだトワは、ヒロミがこれまで見たことないほどに弱々しく、首席操士としての緊張感や警戒心から解き放たれた、一人の女性の姿として映った。その背負う責任の重さをヒロミが完全に理解するのは難しい。だがこうして、理性的とは言えない行動をとり、プライベートな空間で素をさらけ出している様子を目にすれば、これまでの日頃の重圧がかなりのものであったことは想像に難くない。
そして同時に、どうやらヒロミが地球から持ち込んだ植物には、種としてのネーリアや国家の存亡にもかかわりかねないほどの、計り知れない潜在能力が秘められていることが分かってきた。その範囲は広大すぎて実感しにくい。トワだけでなくヒロミ個人としても、どう対処すべきか具体的には考えられずにいた。一個人で何かを決するにはすでに大きすぎる問題かもしれない。そしてトワに対してどう声をかければいいものかも、ヒロミにはまた答えが見出だせなかった。彼女はうつむいたまま階下を眺め、嗚咽しているようだ。落ち着くまでは黙ってそばにいるのがいいだろう、とヒロミは判断した。
リチイやイムリが上の階から下りてこないのも、彼女たちなりの気遣いなのかもしれない。やがてトワは一呼吸して立ち上がり、
「食事を……一緒にしていってくれ」
ヒロミの方を向いてそう言った。
「お食事!?」
「お昼!?」
すかさずリチイとイムリが上階より顔を出した。
「あの子らもきっと喜ぶ」
「え、でも……」
ヒロミは滅多に人を入れることすらないという完全な私室に、異星人の立場でいきなり立ち入り、食事まで同席してしまっていいものかと躊躇した。
「うん、うん!」
幼い(ように見える)彼女らも強く頷いて促した。
返事を待たずして、「お食事~!」と喜ぶリチイとイムリが下りてきた。キッチンはヒロミたちのいる中二階にある。リチイが座る車椅子状のヴォイミは、階段の段差も難なく滑り降り、ヒロミたちの前を通り過ぎると、流し台の前で座面を押し上げ、リチイが台所仕事できる高さへと変形した。イムリも若干目が不自由な印象はあるが、慣れた様子で食器や材料を運び手伝いを始めた。どこからともなく支援用と思われるヴォイミも現れ、複数のアームを巧みに操りながら調理も含め彼女らのサポートをしている。食事は彼女たち2人とこの1体の仕事なのだろう。
「ありがとうございます……」
下の階へと向かうトワに続いてヒロミは言った。
「ピナさんの言っていた侍女というのは……、彼女たちのことなのですね」
ピナの名前が出た瞬間にトワが急に鋭い視線を投げかけたが、やがて向き直って応えた。
「あぁ……、模擬戦のときか、見ていたんだったな……」
下のフロアには食卓や、奥には書斎、そしてアーネイのベッドも含む寝室があるようだ。食事になることを察してか、横になったままのアーネイのベッドの上半身部分が起き上がり、ベッド自体がゆっくりと食卓へと近づいてきた。このベッドにも、介護・支援用にヴォイミがカスタマイズされ組み込まれているように見受けられた。トワはヒロミに窓際の席に座るように促すと、自らもその隣の椅子に腰を下ろし外の景色を見ながら話を続けた。
「“侍女”というのは適切ではないな。出撃や訓練時にはその世話をするための専用の従者を雇うこともできる。そのまま私生活でも付き従わせる場合もあれば、そうした者を一切使わない操士もいる。操士規定で認められ、給金も割り当てられている。そうした制度を一切使わないというのもまた色々と面倒でな、港で連れていた者たちやヴォイミらはあくまでその範囲内で雇っているにすぎない。一方でこの子らは侍女として登録しているわけではない、同居人という立場だ。この部屋や子らの生活費はすべて自分がみている。そこを他人からとやかく言われる筋合はないということだ」
「そうだったんですね」
「まぁ、この子らはよほどのことがない限り他人には会わせぬからな、陰では何と言われてるのか……、従者をしこたま集めてハーレムのようなものでも築いてると思われているのかもしれん」
そう言ってトワはヒロミの方をちらりと見て苦笑した。
そうしている間にも、イムリと支援ヴォイミによって配膳は進められていた。ヒロミはやや言いにくそうにしつつもトワに尋ねた。
「今回のことで……、またよからぬ噂が広まったりはしないでしょうか……」
「はは、噂が広まる程度で済めばよいがな。私はすぐに憲兵に捕まって長老会の連中にこっぴどく叱られることになるだろう。シーロトワミを私用に使うなんて、前代未聞だろうからな」
トワは自嘲気味にそう言った後、厳しい顔つきになるとヒロミに告げた。
「だが、ヒロミの身に危険が及ぶようなことには絶対にしない。巻き込んでしまったのはすまないが、ヒロミは安心して研究に専念してくれ、私もできる限り協力する」
ヒロミは見つめ返し、応じた。
「いいえ、トワさん、私は巻き込まれただなんて思っていません。植物についてはきっと、皆にとってよい方向へその潜在能力を引き出すべく研究が進められるはずです。ここにいる子たちについても、変化があったらすぐに呼んでください。私の方こそ、もっと積極的に関わらせていただきたいです。だって、私はもうトワさんとも、この子たちとも出会ってしまったんです。これは星に認められて、出会わせてくれたってことでしょう?」
「……ヒロミ……」
そう言って2人は微笑みあった。
「さぁ、お食事にしましょ~!」
弾むような声のイムリを先頭に、リチイと支援用ヴォイミも皿を携えて下りてきた。食事の準備はすっかり整ったようだ。ヒロミも幾度かは目にしたことのある、大衆食堂的な場で見かけたものと同様と思われる品々が並んでいた。決して特別豪華な食事というようにも見えない。だが、おそらくは家族で囲む食卓というようなものがほぼないであろうネーリアにおいて、こうして和やかな空気の中、ともに同じものを食すことができる機会は、何にも増して貴重で、有り難いもののようにヒロミには思えた。
食事が始まる前に、うっすらと目を開いた状態でベッドから体を起こしていたアーネイが、一言二言、おそらくは心韻でトワに何か伝えていたのが目に入った。トワは一瞬沈んだ表情を見せたが、分かった、というように頷いて見せた。
食事は賑やかに、楽しく進んだ。リチイとイムリはヒロミのことがたいそう気に入ったようで、ひたすらに質問攻めにした。ヒロミは地球や地球人についての様々なこと、そして婚約者のことまで、話さざるをえなかった。
「お医者さん以外のお客さんなんて……!」
「そう、もう何年も会ってないわね」
そう言って朗らかな笑顔を見せた。アーネイはベッドから伸びるアームを用いてわずかな量の食物しか口に運ばなかったが、その光景を終始楽しそうな笑顔で見つめていた。飲み物を飲み終えると、アーネイは静かに目を閉じ、誰よりも早く食事を終え昼寝に入ったようだ。
リチイとイムリの2人は旺盛な食欲でそれぞれ皿に盛られた品々を平らげると、片付けのためにまた階段を上っていった。ヒロミは初めて挑戦する食材や飲み物に苦戦しつつも食べ終え、トワとの会話を続けていた。トワは、今後の行動については極力注意したほうがいい、いざというときはいつでも呼ぶように、と連絡先をヒロミのブレスレット型端末に登録させた。そして部屋の奥から、ちょうどフェイミや一般的なネーリアが着用しているものと同じような材質のローブと、振るとスケイルヴェールを放つかつらのセットをヒロミに手渡した。まずは自室に戻る際にも目立たない方がいい、ということで、入ってきたところとはまた別の、さらに下層へと通じる抜け道を教え、そこへタクシーとして使うヴォイアクーを待たせておくので、早速これを着て帰るように、と伝えた。
そうこうしているうちにとうとうトワのもとに、呼び出しの心韻が届いたようだ。操士団や軍を統括する長老と呼ばれる高官たちに、事情を説明に行かねばならない。罰金や謹慎処分は免れないだろう、シーロトワミに乗れなくなってもおかしくはない、とトワは肩を落とした。
「帰っちゃうの?ヒロミ!」
とリチイが抱きついてきた。あまり困らせないように、と引き離しながら、トワがヒロミに向け、最後に一つ、と告げた。
「アーネイの力については、何も言っていなかったな……、あの子には予知能力のようなものがある。頻度は高くないが、信用には値すると思う。……さっき聞いたことだ。ヒロミにとって、6区には大きな危険もあるが、希望もある、と。あの子自身何らかの意思があって言ってるわけではないんだ。何か予兆のようなものを心韻として感じ取って、それをそのまま伝えている、ということらしい。曖昧だが……、今後活動するにあたっては十分に注意してほしい。あまりに身の危険が迫ったら、あの同行者のように帰ったとしても責める者はいないからな。そのことは忘れずに、無理せずに、どうか、どうか……気を付けて」
「は、はい!分かりました」
トワは心底ヒロミのことを心配して言っているというふうに語りかけた。
ヒロミは書斎の奥にある隠し扉へと案内された。名残惜しそうなトワと同居人らに笑顔で手を振り、ヒロミはトワの私室をあとにした。




