4-11
誰もがこの状況を理解できていなかった。
ヒロミが慌てて窓を開けると、山肌に張り出した施設に吹き付ける谷風と、ヴォイアースの木琴のような割れんばかりの駆動音、そして屋外に鳴り響いている警報音が大音量で流れ込んだ。研究棟の玄関前にはだだっ広い発着場が設けてあるというのに、そして決められたルートを通らないと警報がやかましく鳴る、というのは、つい昨夜トワ自身が言ったばかりだというのに。状況的にユーフや敵対勢力の襲撃に関する警報音ではないのは明白だろう。トワが周りに目もくれず、ヒロミのいる6区に向けてヴォイアースで乗りつけたためだ。トワは操縦席から身を乗り出し、目を見開いてヒロミに対して手を差し伸べている。シーロトワミは空中に静止させた状態だ。広大な敷地内でなぜこの場所にヒロミがいると分かったのか、そして、何よりも……だ。ヒロミは周囲を見回した。
大勢の研究員らが皆、見上げ、覗き込み、窓から身を乗り出してこの様子を見守っている。ヒロミはここ最近の流れからなんとなくどういった事態になっているかは想像できる。だが、何よりも、ヒロミ以外の者にとってはこの状況がどういうことなのか、まるで想像がつかないのではないか。見かけない身なりの異星人が、自国で最も有力な操士に、なぜ呼び出しを、しかもヴォイアースから直接。驚きと疑念の視線が一身に注がれているのを、ヒロミは感じざるを得なかった。窓から飛び移れと?この状況で……。
「……!!」
ヒロミは困惑の表情でトワに向けて何か言おうとするが、言葉にはならず、そしておそらく聞こえそうもない。シーロトワミは徐々に建物に近づき、中肢にあたる腕のパーツを手のひらを上にした状態で窓へと寄せた。辿っていけば操縦席までは歩いて行けそうだ。だが、行けたとしても……。ヒロミは助けを求めるような表情でフェイミを見た。フェイミも同様だった。進めてきた段取りがこれでは意味をなさなくなってしまう。そして、誰にとっても、おそらくこのあと好ましくない事態が起こることになるのだろう……。フェイミは観念したようにため息をつき、静かに頷いた。ヒロミも覚悟を決めた。ここで状況を逐一説明しているのは賢明ではなかろう。
「キュイオさん、リュクリさん、皆さん、ごめんなさい!詳しくはまた明日!」
ヒロミは彼女らを見て言った。キュイオはぽかーんとしている。一方のリュクリは――、凄まじい気迫でトワを睨み続けていた。まるで殺気立った猫のように、バチバチと燃えるような色で弾け飛ぶスケイルヴェールを隠そうともしない。研究室の入り口付近には、いわゆる文官と思しき、上質そうな黒光りするローブをまとったネーリアたちが数人、おそらくは心韻で連絡を取り合いながら、バタバタと慌てて駆け込んできた。一人はヒロミの方を指差し何か言っている。
「ヒロミ様……!」
フェイミに言われるまでもなく、ヒロミも急ぎ身を乗り出し、シーロトワミの機体へとおそるおそる足を乗せた。この場はフェイミがなんとかしてくれるはずだ。
ふわりと体が浮かぶような感覚を覚え、ヒロミの身体はシーロトワミの手に包まれるように、そのまますぅっとヴォイアースの操縦席へと近づけられた。ヒロミは中腰のままのトワの後ろ、副操士用の後部座席へと転がり込んだ。機体はゆっくりと研究棟から離れた。トワは真剣な表情でキュイオたちのいる研究室を見つめていた。リュクリを見つめ返しているというのが正しいであろう。スケイルヴェールに変化が現れるほどではないが、穏やかとは言えない表情に見える。そしてヒロミも、トワの背後からその視線の先に目を向けた。見物する多くの研究員たち、おそらくはトワに向けて何らかの心韻を必死で送っているであろうローブの者ら、顔をこわばらせているフェイミ、そしてその隣に立つリュクリが、とうとう拳を窓枠に叩きつけ口を開いた。
「ふっ、そういうことか!トワ!!随分と手が早いな!」
その言葉は心韻ではなかった。周囲の者にも聞こえるようあえて発声したものだろう。
(貴様こそ……!!)
トワはわずかに口を動かしただけで何も言わなかったが、はっきりとそう返しているようにヒロミは想像した。心韻はそもそも特定の者との間でしかやり取りできない。心韻を返したかも定かではない。だが彼女の全身から、そうとしか読み取れない空気をヒロミは感じ取った。
トワはようやく操縦席に腰を下ろした。キャノピーが閉じ、シーロトワミはゆっくり旋回すると研究棟を背に飛び立った。
機体は、障害物を避けるためであろう、一旦高度を大きく上げた。加速は昨夜の自家用ヴォイアクーとは比べものにならないくらいスムーズで力強いが、それでもかなり抑えたスピードに感じられた。浮標として使われていた警報を発する数多くの小型ヴォイミが、警告ランプを点滅させながら随行しているせいもあるだろう。機体の前にも左右等間隔で先行しているヴォイミがあり、何らかの速度制限が設けられているのかもしれない。そして引き続き、ヒロミには分かる術はないが大量の警告の心韻が、トワには降り注がれているのだろう。トワは押し黙っているが、げんなりしているようにも見えた。
「トワさん……?」
模擬戦を見て想像した通り、操縦席内は計器や受容器でぎっしりと埋め尽くされ、窮屈で決して快適なものではなかった。騒音というほどでもないが駆動音もかなり大きく、会話はなくとも静まり返った感じはない。ヒロミにとっては期せずしてヴォイアースに乗りたいという夢は叶えられたことになるが、何の説明も受けていない状態では、素直にこの状況を喜べるわけはなかった。
「話しかけてもいいですか……?」
どこへ向かっているのかすらも、トワは言わなかった。おそらくはトワの自室なのだろう。
「少し……気がはやりすぎたか……」
トワが前を向いたまま口を開いた。
「ホ、ホントですよ……!」
やれやれといった感じでヒロミは答えた。
「植物の……ことですよね?」
ヒロミは応答を待たず続けることにした。
「おそらくは……、地球から持ち込んだ植物がこの星の生命に何らかの影響を与えていることは確かだと思います……、ただ、トワさんが私の部屋に来た後のことなんですが――」
「着いたぞ」
話の途中で、シーロトワミは広い発着場へと降下した。奇岩をくり抜いて作られた西洋の城のような、断崖から特徴的に飛び出た構造物が、どうやら丸ごとこの王城におけるトワの私室となっているようだ。城の中心部近くに位置してはいるが、構造体によって遮られ、ちょうど隠れ家のように周囲から目につきにくい区画になっている。そしてヒロミの居室にあるベランダ部分もヴォイアクーが発着できるかなり広めのスペースがあるという認識だったが、ここには更に広大な、ヴォイアースすらも余裕を持って停められる場が用意されていた。
2人は屋上にあたる発着場から室内へと下りていった。狭い階段から続く扉を開けると、中には広々としたやや殺風景な部屋があった。ソファーなどが置かれているが生活感は感じられない。待合室か何かのようにも思われた。トワはそのまま奥へ進むと、下を向いたまま背筋を伸ばし、どこかへ心韻のようなものを送ったように見えた。すると壁にもう一つ扉が現れた。トワは下を向いたまま、小さくため息をついて言った。
「ここへ人を入れることは滅多にないんだ……」
そしてヒロミの方を向き、入るよう促した。
ヒロミは緊張してトワの後に続いた。
「トワ様~!」
即座に一人の少女が、先に部屋へ入ったトワめがけて飛びついてきた。入った場所はメザニン構造の中二階部分にあたり、上と下にも階層が続く天井の高い部屋だった。正面には全面に窓が設けられており、王城の谷間とその先に広がる大地までも見渡せる、見事な景観が広がっている。そしてその窓には、おそらく下の階に置かれているであろう、昨夜渡した植物の蔓が何本か這い上がり伸び広がっていた。
「あ!……お客様、ですね……」
少女は急にヒロミの存在に気付き、トワの後ろに恥ずかしそうに隠れようとした。
「ふふ、ただいま」
そう言ってトワは彼女の頭を撫でると、ヒロミの方を向き続けた。
「この子はな……、昨日まではまったく目が見えなかったんだ」
確かにヒロミの存在に気付いており、目も開いてはいるが、はっきりとこちらを見ている感じではない。トワは中二階の手摺り部分まで進み下を見下ろすと、植物の方を指して言った。
「それがあれのおかげで、急に周りのものが見えると言い出した」
「この方が下さったんですね!?ありがとうございます!」
少女はヒロミにも満面のあどけない笑顔を見せ、近寄った。
「はじめまして!私、イムリです!」
「は、はじめまして、地球という星から来ました、ヒロミと言います」
「地球、知っています、第3惑星で衛星が一つ」
その声も同じくひどく幼い感じがしたが、イムリよりは落ち着いたトーンだった。
「この子はリチイ」
トワは上の階を見て紹介した。車椅子のような脚部に車輪をつけたヴォイミに、座っているか、もしくは部分的に一体化しているように見える少女がゆっくりと現れた。
「見ての通り、この子は生まれつき足が不自由なんだ、それが今日は歩けると言い出した」
リチイは少し立ち上がろうとして見せた。
「ちょ、ちょっと今は出来ませんが……」
「あぁ、無理しなくていい」
トワはそう言い、ヒロミも近くへ呼んだ。
「そしてもう一人」
階下にはベッドに横たわった少女が見えた。
「ただいま、アーネイ」
「お、おかえり……なさい……トワさま」
弱々しい声が返ってきた。
「あの子が喋ったのは、今日が初めてなんだ」
そしてヒロミを見つめ、続けた。
「分かるか?これがどんなことか……」
トワは震えているように見えた。
「この星、この国で障害を持って生まれるというのがどういうことか、おそらく貴公にももう想像はつくだろう。彼女らには何らかの優れた能力が備わっていることが多い。私は、守りたかった……。
一族の血が途絶えることは、どうしても避けねばならない。いくら長所があろうとも、通常の生活に少しでも支障があれば、その段階でその子らは二度と蛹室には還れない。この国、このシステムを続ける限りは、どうしても……そうした弊害は一定確率で発生する。そして間違いなく進行している。形としては近親交配に近いのだから、ある意味当然と言えるだろう。いずれ弱体化し崩壊する仕組みであろうことは、誰もが認識しているはずだ……」
イムリはリチイの方へ駆け上がって部屋の奥で何やら楽しそうに話を続けていた。上の階には通信機器のような機械が多く並んでいるのが見える。
「リチイは天体にも詳しいが、心韻の能力が特に優れている。通常心韻は受信者がどこにいるか正確に把握していなければ意思疎通できないが、彼女は、電波でいうところの盗聴のようなことができる。常にできるわけではないが……、その力に助けられることも多い。そしてイムリは機械いじりに関しては天才的なところがある」
トワは続けた。
「集団の維持という点では排除しなければいけない存在なのかもしれない。だが……、私も彼女らのおかげで生き残り、この地位を築いてこれた。同じ故郷の蛹室の出身者は、もうここにいる4人だけなのだ……。ここに同郷の者をかくまっていると知れたら即座に処刑される。だから、どうか、このことは秘密にしてほしい」
「もちろんです!」
「彼女らの存在は私が首席操士として働ける原動力にもなっている。だがもし、この世代交代の影響で、次の、そして未来の私が、万が一でも能力を引き継げないようなことがあったら――、そう考えるとどうしても恐怖に襲われてしまうのだ。おそらくはこの生活環を続けるネーリアの誰もが抱く、根源的な恐怖だろう……。
そこへ、この植物が現れた、ということだ」
「――はい」
「私もどう対応すべきか、正直分からない。可能性が大きすぎる。ともすれば国を覆す力にもなりかねないと、私は思っている……」
「トワさん、聞いてください」
ヒロミは決心したように続けた。
「トワさんが私の部屋に来られた後、たくさんの虫たちが、植物につられてやってきました。そして大量のスケイルヴェールを放出し、夜の間にほとんど息絶えていったんです……。
私は危険だと思います。どういった影響があるか、きちんと実験してからでないと。近づいたことによって増大するもの、思い出せるものがあるかもしれませんが、同時に奪われるもの、失ってしまうものもきっとあるように思うんです」
「分かっている、分かっている……、だが、はしゃぐイムリを、歩くリチイを、そして口を利いたアーネイを見て、私はとても冷静ではいられなかった……。もう何十世代も彼女らの自由は奪われたままだったんだ」
トワは泣き崩れるように座り込んだ。




