1-2
もっとも、博士の主張もある程度のことはヒロミにも理解できるものだった。研究活動においても、サンプルの採取や研究場所の確保すらもゼロから手配し交渉する必要があるケースは多く、研究者とはいえ研究だけやっているわけにはいかない、話術やコネも十分重要になる稼業だということは承知していた。
加えて今回の彼の場合は、同行者として複数名の男性のみでのチームを予定していたことがネーリ側に正確に伝わっていなかったことから、一時は渡航計画自体が中止になるかもしれないというレベルにまで話がもつれ、直前になって最終的に博士単独での入国と滞在が許可されたという経緯があった。同様のトラブルは他の地球からの参加メンバー、他の星々の研究者との間でも起こっていたようで、当初聞かされていた十数名規模での訪問団の予定はキャンセルとなり、ヒロミの共同研究の計画も縮小すべく変更を余儀なくされていた。博士の場合はマネージャーや助手、秘書のような存在が帯同してもおかしくない立場であるだけに、こうした待遇への不満もたまっているのであろう。まして同席しているのが全く名も知らない一介の研究員とあっては、氏が発言内容に気を遣う必要などない。
そしてヒロミ自身、この状況には不安や不満を覚えないわけではなかった。星間航行を終え乗り換え場所であるネーリ軌道上の宇宙港に到着した際、常駐しているはずだった地球人含む他の星系の渡航管理局職員は誰一人いなかった。事情を教えられることもなく、荷物の積み込みと並行して、軍服を思わせる服装のネーリアにいそいそと促され、この輸送機なのか降下艇なのかよく分からない、大きさで言えばジャンボ旅客機並の巨大な乗り物に乗せられた。さほどものものしい雰囲気というわけでもなかったこと、そしてヒロミがある程度この星の言語を学習していたことから、特に敵意を向けられているわけではないことが伝わったのは救いだった。
「この虫は大丈夫なのか、揺れがひどくなってるぞ!そもそもこれ、客を乗せるものじゃないんじゃないか?」
愚痴はまだ続いていた。
この乗り物、見かけは平べったいゲンゴロウのようだ。ある程度の予習をしてきたヒロミにも機体の名称までは分からなかったが、このように他者が乗って操縦するタイプの機械が「ヴォイアクー」と呼ばれていることは知っている。
――そう、このネーリという星を取り巻く環境と、そこに住む生命体については、理解しておかねばならないことがある。
この星は地球人にとっては「昆虫の惑星」という俗称でもっともよく知られている。厳密に地球環境上に生息する昆虫と同系統の生命体がいるわけではない。だが、生態系の大半を占めているとされるのは、節足動物、もしくはそれに由来すると思われる、近い構造をもった生物種である。
今彼らが乗せられているヴォイアクーというのも、昆虫型生物と機械とのハイブリッドで生まれた、半自律型の移動機械だ。最も高度な知性を持つ、地球での人類にあたる支配的な種が、「ネーリア」と呼ばれる者たちである。外見的特徴としては地球人と比べ若干体格が小さいくらいで似ている点も多いが、その成長の仕方や意思伝達手段など、いくつかの点で「昆虫的」と称される特徴を有している。
ネーリア独自の生活環を築くことになったもっとも大きな要因の一つは、第一衛星「ユス」の生命体「ユーフ」との数万年以上の長きにわたる戦いに拠るところが大きい。恒常的に戦争状態にあることで、ネーリアらは短い寿命ながらある程度知識や記憶を受け継いだ状態で次の世代を生む、という極めて稀有な特質を獲得し、社会を形成、維持している。
もう一つのネーリアの大きな特徴は、その意思伝達手段だ。言語によるコミニュケーションも用いるが、同時に彼らは「発音器」と呼ばれる器官から発せられる”鳴き声”を意思疎通や通信に用いている。主な通信に電波を用いないことから、彼らとの情報のやり取りはどうしても困難がつきまとってしまう。そのことが自らの安全性、危険性にもかかわることから、彼らは高度な文明は持ちつつも、戦争状態にある中で、積極的な他の星や生命体との交流・接触は避けるようになっていった。
出発前からのオースティン氏のもめごとも、宇宙港で人影もなく慌ただしい対応になっていたのも、こうした通信の不便さが影響したゆえのことのように思える。少なくともヒロミは、ユーフとの戦闘はここ数ヶ月は小康状態にあると聞いていた。情報伝達がうまくいっていないとはいえ、いきなり戦いに巻き込まれるようなことはないだろう、ヒロミはそう思いたかった。しかし断続的な機体の揺れと悪天候による視界の悪さは、初めて訪れる者を不安にさせるには十分すぎた。
「君、言葉分かるならちょっと操縦室まで行ってどうなってるのか聞いてきてくれんかね!」
「い、いやですよ……!もうすぐ着くでしょうし、このままここにいた方が安全ですって!」
「これがもし、あのユーフとかいう虫どもの戦闘に巻き込まれてる結果だとしたらどうするね!護衛でもつけさせられんのか、あの、なんとかいう虫兵器みたいな」
そしてこの同行者だ、ヒロミの我慢も限界を迎えた。
「教授!あのですね」
「君を教えてはおらんよ!名前で呼びたまえ!」
ヒロミの勢いを制するように指をさして咎めてきた。
「……オースティン博士……。
虫、虫、って、彼らも地球人の言う『虫』って言葉がどんな意味を持つかくらいは理解できますよ。適切な言葉を使ってください」
それに席が狭いのはあなたの肥満のせいです、そこまで言おうとしてヒロミは思いとどまった。
「はは!君」
怒りを露わにするヒロミに対して博士は軽く笑い飛ばし、続けた。
「まさか真に受けてるのかね、ネーリアの話を。そんなね、極端な母系社会なんて私の知る限りこの宇宙には存在せんのだよ。いわゆるイメージ戦略ってやつだ。大げさな方がウケがいい。
けれどね、実際に世の中を動かしているのはどの世界でも男だよ、オスだ、だろう?そいつを確かめるのが私の目的なんだよ」
「あ……!」
呆れた!!そう言いたくて言葉にならなかった。
「アレだろ?君が心配してるのは。ほら、彼らのスローガンみたいになってる『野生のオスは――』っていう……」
博士がそこまで話した瞬間、耳を強烈に圧迫するような高音が空間を覆い、何も聞こえなくなったかと思うと、木琴のような高らかな且つ割れんばかりの爆音が通り過ぎた。刹那、凄まじい衝撃が機体を襲った。
「キャァッッ!!」
「な……!!な!」
悲鳴にもならないほどの勢いで、二人はシートから放り出されないように体を支えるのがやっとだった。床に何度も叩きつけられるような振動がしばらく続き、ようやく機体の揺れが落ち着きかけると、ヒロミはかろうじて顔を上げ窓の外の様子を確認することができた。
「――シーロトワミ……!」
そこにいたのは、七色に輝く粉末を羽に纏い、後方へと撒き散らしながら、悠然と飛行する蝶の姿に似た巨大な虫型の機械であった。