表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/123

3-6

 蛹室の壁沿いに設けられた通路は、幾度かの踊り場を経て、再びヒロミたちが最初に入室したときのような簡素な手すりが設けられただけのバルコニー状の場まで行き着いた。通路全体が透明な膜のようなもので遮蔽されているとはいえ、高度が上がるにつれ臭気はより強烈に感じられ、特に上空から漂ってきた精液のような鼻をつく香りは歩みを進めるたびに充満していくように感じられた。


 2人はバルコニーの端まで進み、ヒロミは目を凝らした。蛹室内は最低限の照明しかなく、天頂付近はさらに暗い。女王の母体は上部には蛹が備え付けられていないため、蛹たちが放っていたスケイルヴェールの輝きは見られない。頂上付近をわずかに照らしているのは、お椀を伏せた形状の母体自らが内部から放っているスケイルヴェールのほのかな光のみだ。しかし最も盛り上がった中心付近に、明らかに周囲とは異質な部位が突き出していることを視認できた。それは地球で言えば花の雌しべの柱頭から花柱辺りの部分を抜き出し、巨大化させたような格好だ。根元部分には噴水の基部のような受け皿状の部位が見られる。そしてそれ自体は光を放ってはいるが、何かが全体を覆い尽くしその輝きを遮っているということも分かってきた。


 「あの柱のような突起部分が丸ごと女王の生殖器となります」

「ま、丸ごと……」

フェイミの言葉をすぐには飲み込めず、ヒロミは反復しながらもさらに凝視した。対象までは距離があるせいでなかなか詳細まではつかめないが、よく見るとその生殖器と呼ばれる部位の光を遮っているのはそれぞれが小さい大量の個体であり、それらがびっしりと覆い尽くしていることによるものだと分かった。個体は各々が小刻みな動きを繰り返しているように見える。

「お気付きかとは思いますが……、あの周りに取り付いているのが女王の影響で変成したネーリアのオスです」


 大きさまでは正確に分からないまでも、女王の生殖器の突起自体は十数メートルの高さはあろう。表面を取り囲むオスと呼ばれる個体は、それに比してかなり小さい生物ということは一目で分る。ヒロミやフェイミの身の丈と比べても半分となさそうな大きさだ。全体がぬめっとした粘液に包まれているように見えた。


 それらオスの中でずるりと柱部分から滑り落ちる個体があると、すぐさまその空いたスペースを目がけて他の個体が柱頭部分から這うように下りてきて取り付き、小刻みな動きを開始した。その容姿はもはやどこが頭部であるかすらもよく分からず、かろうじて手足のような突起物と、ことさらに大きな男性器と思われる部分で構成されている。色も白く、ちょうど昆虫の幼虫のようだとヒロミは感じた。この女王の生殖器におけるサイクルと、そして受け皿のような構造物が何のためにあるのかを、ヒロミはなんとなく理解した。


 「ここでのオスの寿命は数日から長くても1週間というところです」

フェイミからはほぼ予想通りの説明がなされた。蛹室におけるネーリアのオスの生活環は、メスのそれと比べさらに短い周期でこの生殖器の周りのみで完結しているのだ。女王に誘引されたネーリアのオスはこの隆起した生殖器にしがみついて自らの性器を挿入し、その生命が尽きるまでひたすら女王の体内へ精子の提供を続ける。力尽きたオスは根元に設けられた受け皿状の部分に落下し、再生のメカニズムと同様にそこに貯められた液体の中でドロドロの状態になり、今度は柱頭の先端部分から、あらかじめ生殖に最適なように変成した状態で新たな個体として生まれる。蛹室内での誕生、再生のサイクルに用いられる全ての必要な要素は、巨大な一体のメスとこれらオスによってまかなわれているということになる。眼前で絶え間なく繰り返されるそのプロセスは、まるでオートメーション化されたネーリアの”生産工場”のようにも見える。それでいてオスたちの様子に特に悲壮感といったものは見られず、我先にと生殖器に密着しようとし、そしてどこか満足げに命を落としていくようにすら見えた。彼らの場合には、その様子を見て悲しむ同胞や親しい者などの姿もない。


 昨日模擬戦を見ながらネーリアの寿命や死生観について聞いた際には「使い捨て」という言葉を連想せずにはいられなかったヒロミであったが、この場におけるオスたちにはそうした価値観や感情の入り込む余地すらないであろう。その光景は多少心構えのあったヒロミにとっても快く受け容れられるものではなかった。まして為政者との面会のつもりでやって来た博士が初めて目にしたとあれば、その衝撃の大きさは想像に難くない。


 「オスの……ここ以外での男性の姿というのはどんなふうなんでしょうか……」

散発的に発せられるヒロミの質問にもフェイミは淡々と答え続けていた。

「変成前のオスは容姿や体格も私たちとさほど変わりません」

「そうなんですか……、ではネーリアのオスが見られるのはここのみ、ですか」


 「”焼き殺せ”というのはネーリアを象徴するようなフレーズになってはいますが、全てのネーリアに浸透しているわけでもありません。少数で暮らす者たちの中には伝統的に雌雄間での生殖行為を続けているものもあると聞きます。大抵は周辺国家からの討伐の対象になっていますが。


 またそうした体制への反発という意図から野生への回帰を唱える動きも世界各地で起こってはいます、がそれらが支配的になることはないというのが現状です。繁華街などでは極秘に潜入し商売をしているオスがいるというウワサなど常にありますし、この蛹からもごくまれにオスの性質をもって生まれる個体もあります」

「そうした個体はやはり……」

「発見次第処分されます」


 その後も多くない会話が交わされはしたが、フェイミの言葉には時折見せていたような冗談めかしたトーンが一切なかったことが印象的だった。


 聖蛹を後にし自室へ戻る途上で、ヒロミはぼんやりと今日見聞きしたことを思い返していた。蛹室を訪れる前に抱いていた疑問が解決したかといえば、まるでそんなことはない、むしろ謎が増えた感すらあった。極端に言えば悪意をもって攻撃を加えれば破壊することなど容易な施設のように見える。序列による制限があるとはいえ、他者が訪問、観覧することにやはり抵抗などないものなのか、ましてそこで生殖行為が行われているとあれば――、分からない。何より鼻にこびりついた強烈な臭いが、思考を妨げるようにある種のけだるさを誘発していた。


 日も暮れかけ薄暗い廊下を歩きながらヒロミは、ふと小さい虫の羽音のような、歌声のような音が聞こえてくるのに気付いた。どの部屋からか、あるいは外か、その音はややもの悲しげに響いている。歩みを進めるにつれそのボリュームは大きくなった。節と抑揚があることからそれは歌と呼んでいいだろう、その歌の発信源はどうやらヒロミの自室のようだ。扉の前まで行き、ヒロミはしばし立ち尽くした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ