act31
用があるときに限って捕まらない。
act31.二日目は隠れんぼ
文化祭一日目、あたしたちのクラスはそこそこの成功をおさめたようだった。大きなトラブルもなく(係の子が交代時間に少し遅れたとかそんな程度だ)また、お客さんの入りも悪くなかったらしい。二日目の今日は一般公開をするから外部からのお客さんもたくさん来る。文化祭ではあたしたち生徒と、外部のお客さんたちからアンケートを取って最優秀団体が決まることになっている。商品が何だったかは忘れてしまったけれど、二人のクラス委員たちがやたら息巻いていたのでたぶん悪いものではないんだろう。……たぶん。
そんなわけで改めて二クラスで集まって気合を入れなおしたのが今朝のことだ。
あたしは今日は一日フリーだ。
お化け屋敷は二クラス合同で運営しているので、人手だけは余るほどに足りている。人数が多いっていうのは良いことだ。
今日は同じ陸上部の同期たちと時間が合えば一緒に回ろうね、なんて話をしていたけれど、そういえば彼らの時間はいつ空いているのだろう。お互いに自分のクラスの準備に忙しくてろくに情報交換もしていなかった。それに、最悪の場合、あたしは彼らとは一日合流できないかもしれない。篠田先輩をとっ捕まえて言いたいことをいってやらないことにはスッキリできないのだから。
そう思って、あたしは先輩のいそうな場所を片っ端から覗いて回っている。
先輩のクラスである三年二組の教室(何かの展示をやっていた)から、生徒会室、図書室、もしかしてと思って校庭隅にある陸上部の部室まで見に行った。吹奏楽部や演劇部が公演をしている体育館でも人の入れ替わる時間に全体を見回してみたし、中庭の出店も一件一件チェックした。それなのに、篠田先輩の姿はどこにも見当たらない。あたしは隠れんぼの鬼か何かか。
途中、陸上部の元副部長や橘先輩たちに会ったので尋ねてみたら一様に「学校には来てるけど今どこにいるのかは知らない」と言われた。ならば校内のどこかにはいるはずなのに、どうしてこれだけ探しても見つからないのか。会いたくないときに限ってほいほい出てくるくせに。
「葛西さん。篠田先輩には会えた?」
一年二組陸上部の三人に行き会った。今日はこの三人にはまだ会ってなかったから、あたしが篠田先輩を探しているのは知らないはずなんだけど、これまでに声をかけた人の誰かから聞いたのだろうか。きっと同期で一緒に文化祭回ろうって約束してたからあたしを探してくれてたんだろうな。人の多い中をあちこち駆け回ってたのに行き会えたのは奇跡だ。
「ああ、早川くん岡崎くん植村くん。先輩まだ見つからない。どうでもいい時にはほいほい出てくるくせに、こういう時に限ってどこに隠れてるんだか。三人は見てない?」
「いや、今日はまだ見かけてない。けど葛西さんが篠田先輩を探してるって聞いたから、探すの手伝おうか?」
植村くんが優しさからありがたい提案をしてくれた。でも、探してる理由が理由だから、なんとなく無関係のしかも異性を巻き込むのは気が引ける。
「ううん、いいよ。もう少し一人で探してみる」
「そう?」
「大丈夫。もし舞に会って暇そうにしてたら四人で好きに見て回ってて」
三人に手を振り別れる。正直あたしも皆と一緒に見て回りたい。昨日も少しは見たけど、まだ行きたいのに行けてない場所もあるし、一緒に回るメンバーが違えば違う楽しみ方もできるのに。
さて、まだ見てない場所はどこだろう。一回見に行ってみた場所でも、少し時間のたった今ならいるかもしれないし、もう一周してみようか。いる可能性が高いのはやっぱり生徒会室かな。
渡り廊下に向かって歩きはじめたところで後ろからぽんぽんと肩を叩かれた。
「葛西さん」
「えっ? あ、橘先輩、さっきはどうも」
「篠田くん、まだ見つからない?」
「はい……」
その後告げられた場所に、あたしは一直線に向かった。
ギギ、と金属のきしむ音をたてて扉が開く。
本当ならダッシュでここまで来たいところだったけど、一般公開されてることもあって人が多かったから、早歩きぐらいにしかならなかった。階段を上って上ってたどり着いたのは屋上だ。どうしてここを思いつかなかったんだろう。昨日、橘先輩が「この時期だけは屋上の鍵が開けてあるけど、実行委員や生徒会関係者以外はほとんど知らない」って言ってたのに。篠田先輩は元生徒会長。思いっきり生徒会関係者じゃないか。
走ってはいないけれど一気に階段を上ってきたからそれなりに息も上がっている。
広くて何もない屋上は昨日と同じく少しだけ肌寒い風が吹いていて、運動して温まった体にはこの冷たさが心地よい。
篠田先輩はすぐに見つかった。
階段から少し離れたところにあるタンクのようなものに凭れて座っている。寒さ対策のためかジャケットを着て、腕を組んで胡坐をかいている。俯いているから、あたしが来たことに気付いているのか、そもそも起きているのかどうかもわからない。
あれだけ探していたのに、いざ本人の姿を前にすると近づきがたい。足がすくむ。
しばらくその場で固まっていると、先輩が顔を上げた。
「っ!」
「……!」
あたしの姿を認めたとたん、先輩の表情はみるみる変わっていく。うつろだった目つきが一瞬で驚いたように見開かれる。何か言いたそうに口を開いてそこにいろ、と言いたげにあたしを指さす。そして即座に立ち上がって当然のようにこっちに走ってくる。何十メートルも離れていなかった距離はみるみる縮まる、なにこれ怖い。逃げたい。逃げていいかな!
すくんだ足を励まして、あたしは体をひるがえす。
「動くな!」
とたんに飛んできた鋭い声に驚いて、あたしの体は素直に動きを止めた。こんなときに体育会系丸出しにしなくてもいいんだよ! あれだけ距離があったんだから逃げるチャンスなのに、一度止まったあたしの足は地面に張り付いたように動かない。そして怖くて振り向けない。
「どうして逃げようとしたの」
ふわりと肩の上に乗った先輩の手は、冷たかった。
シャツとベスト越しでもわかる冷たさに、こちらまで寒くなりそうだ。一体どれだけの時間、この人は屋上にいたんだろう。日差しはあるといってももう十一月だ。コンクリートに直に座り込んでじっとしていて、体が冷えないわけがない。
「あなた馬鹿ですか!?」
振り向けないままあたしは思いついたまま言葉を発する。
「こんな寒い場所に何時間座り込んでたんですか! 手が冷たいです、体冷え切ってるじゃないですか! こっちまで冷えたら迷惑ですから手を離してください」
「……ごめん」
つい厳しくなってしまう口調に、先輩はあたしの肩から手を離した。
本当はこんなことを言うためにここまで来たわけじゃないのに、どうしてこう、毎回毎回この人は、人の神経に触れることばっかりするんだろう。本当に、この人さえいなければ、あたしはもっと穏やかに楽しく過ごせるのに。
「橘先輩と話をしました」
「うん」
「この間、先輩たちが二人で歩いていたのは生徒会の関係で、それ以上でもそれ以下でもないって言われました」
「そうだね。橘さんの言うとおりだよ」
背中を向けているからどんな顔をしてるかわからない。あたしがどんな顔をしているかも、先輩に見られずに済む。きっとこの距離で顔を合わせたら、またあたしが暴言をぶつけて会話にならずに終わってしまうだろうから、これぐらいがちょうどいい。
「橘先輩から、篠田先輩の気持ちに向き合ってあげてと言われました」
「うん」
ぽつり、ぽつりと言葉を発するあたしに、篠田先輩はいちいち律儀に相槌を打つ。
正直なところ、彼を前にしても何を言えばいいのかわからない。橘先輩の言う、篠田先輩の気持ちに向き合うということがどういうことかもわからない。どうしたら向き合うことになるのか、向き合いたいと思っているのかも、わからない。頭の中がぐちゃぐちゃで考えがまとまらない。
「困らせて悪かった。焦らせるつもりはないし、俺のことを嫌いなのが本心なら、それも仕方ないと思ってる。葛西さんに嫌われて当然のことをしてきた自覚も、ある。それでも」
それでも。
続きをかみ殺すような、ぐっと言葉を詰まらせる気配を感じた。きっと今のあたしに聞かせたくない内容だったんだろう。
「……体育祭で、葛西さん、体育倉庫に閉じ込められただろう」
少しの沈黙の後、篠田先輩は突然話題を変えてきた。
体育倉庫に閉じ込められた事件は、あたしのなかでまだ苦々しいものとして残っている。あれからまだ何か月も経っていないのだ。一人きりで人気のない場所で身動きが取れなくなって、いつまでも誰にも見つけてもらえなかったらどうしよう、と思うと本気で怖かった。結局出るはずだったリレーには出られず、クラスの皆にも迷惑をかけてしまったのも申し訳ない。誰だったのか、知らない女の人が見つけてくれて、篠田先輩が鍵を開けてくれて、ことなきを得たけれど。
「あの時、葛西さんが体育倉庫にいるって、見つけてくれたのは橘さんだよ」
「えっ!?」
意外な名前にびっくりしすぎてつい篠田先輩を振り向いた。
絶対顔なんて見てやるものかと思っていたのに、悔しいな。先輩は一瞬だけ目を丸くした後「やっとこっちを向いた」となんだか嬉しそうに呟いた。あんたを喜ばせるために動いたんじゃないっての。
「橘さんも葛西さんを探すのを手伝ってくれてたんだよ」
「そう……だったんですか」
あの時の落ち着いた女の人の声は、橘先輩だったんだ。言われてみれば、あの時の声と昨日の橘先輩の声は同じ人のような気がしてくる。扉があいた時にいたのは篠田先輩だったから、てっきりあの女の人は本当に神様か仏様かと思っていたけれど、実在していたのか。しかも案外身近に。昨日までの間にそれを知ってればお礼の一つでも言えたのに!
「もし話をする機会でもあったらお礼、言っておきなよ」
「当たり前です! っていうかどうして今まで教えてくれなかったんですか、そんな大事なこと! 昨日初めて話をしましたけど、何も知らなかったからお礼できなかったじゃないですか!」
「聞かれなかったし、葛西さんは俺と会うのも話をするのも嫌がってただろ」
「そうだけど! それとこれとは別ですよね! 馬鹿!」
一気に言いたいことだけ言って、深呼吸する。
吹き抜ける風は強くないけれどひんやりしていて、温まっていたあたしの体も冷えてきた。昨日と同じくブラウスにベストしか着ていないから、この風はこたえる。無意識にあたしは自分の体を抱きしめるように腕を交差させていた。
「……寒いから、戻ります。先輩の気持ち、あたしなりに考えてみます」
「今はそれで十分だよ」
まだ校舎内に戻るつもりがないらしい篠田先輩を置いて、あたしはまた一人で屋上を後にした。
あんな奴、寒い風に当たり続けて風邪をひいてしまえばいいんだ。
階段を下りながら、今まで、特に最近は、冷静な気持ちで篠田先輩と話をしていなかったことに気が付いた。
先輩が何か言うたびにあたしが無条件に突っぱねて、嫌だ駄目だと抵抗して、きちんと話を聞こうとしていなかった。まあそれもこれも彼の言うことなすこと思考回路が別次元だからだけど。一緒にいて機嫌のいい顔なんて一度も見せたことがないし、あれだけ嫌いだ、顔を見せるなと言ってる相手をどうしたら好きになれるのか。あたしには理解できない。だから余計に顔を見て話をしているとイライラして腹が立って、感情的に暴言を投げつけてしまう。
篠田先輩の告白が本気なら、一度ぐらいは彼のことを考えて改めて答えを出したほうがいいのだろう。
面倒だけど。
「あ、依子だ」
人の多い廊下に出たとたん、舞に捕まった。
「篠田先輩には会えた?」
すっかり「篠田先輩を探してる人」で定着してしまったようだ。探していたのは本当だし、誰か知った顔に会うたびに篠田先輩のゆくえを聞いて回ってたから、仕方ないけど。
「会えたよ」
「本当? よかったー! じゃあ用事は済んだよね。一緒に回ろう」
するりとあたしの腕に腕をからめてくる舞にそのままついて行くことにした。年に一度の文化祭、楽しまないと損だ。面倒な考えごとなんて後でいくらでもできる。
「男子たちは? 一緒にいないの?」
「男子はそれぞれ食べ物の模擬店に並んでる。フランクフルトと、マフィンと、焼きそばだったかな。菅原さんはそこで待っててって言われたから待っててみた」
お姫様か。と突っ込みそうになるのをなんとか飲み込んだ。
おおかた、植村くんが言い出したのだろう。どうやら彼は舞のことが好きらしいから。本人は(たぶん)誰にも言っていないし誰にも知られていないと思っているみたいだけど、周りから見たらバレバレだ。気づくと舞のことばかり見ているし、その顔つきというか、視線が、とても幸せそうなのだ。見られている本人はまったくそれに気づいていないみたいだけれど。
舞のほうは、篠田先輩に対する気持ちがどこまで残っているのか、いないのか、判断ができずにいる。少なくともあたしと話をするときはなんともなさそうな顔をしているけれど、本当のところは本人しかわからない。けれど舞が篠田先輩を好きだったことはこれまた陸上部内では周知の事実だから、それもあって植村くんはもう一歩進むことができずにいるみたいだ。
「さっき四人で依子たちのクラスのお化け屋敷行ってきたよ。楽しかった!」
「ほんと? ありがとう、委員長たちが頑張ってたからそれ聞いたら喜ぶなぁ」
それからお互いのクラスの出し物や、四人が見て回った面白い出し物なんかの話をしていたらあまり待たないうちに男子三人が揃って戻ってきた。
「おかえり、あたしもここから合流するね」
「おう、やっと篠田先輩捕まったか!」
「朝からずっと校内走り回ってたもんね、葛西さん、お疲れ様」
そう言って早川くんが差し出してくれたのはマフィンだった。
「えっ、いいの!? ありがとう! これ買うの大変だったでしょ」
マフィンは透明な袋に包まれていて、綺麗にラッピングされている。色合いから察するに紅茶っぽい。昨日食べた人たちから「紅茶味がおいしいから絶対食べるべき」と口コミでかなり話題になっていたやつだ。あたしも気になっていたけれど、篠田先輩を探しがてら模擬店の前を通りがかったらマフィン待ちの行列ができていて、自分で買うのはひそかに諦めていたのだ。
だから、貰えるのならば嬉しいけれど。本当にいいのかな。
「ああ、こいつ朝一番でこれ買いに行って」
「おい、岡崎っ!」
面白そうに茶化す岡崎くんに、それを慌てて止めようとする早川くん。必死になって岡崎くんに何かあたしに聞かれたらまずいことでもあるんだろうか。
悪い悪いと笑いながら言う岡崎くんからフランクフルトも受け取り、それを食べながらあたしたちは文化祭見物を再開した。