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Please!!  作者: 友紀
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30/31

act30

 声をかけてきたのは大人っぽい落ち着いた雰囲気を纏った綺麗な人。

 すぐにわかった。この人はあのとき篠田先輩と一緒に歩いていた人だって。




   act30.一日目は女同士で(後)




 お化け屋敷に一人で入ってみる人って、あんまりいない。

 だからこの人がまっすぐこちらに歩いてきたのは少しだけ、回りの人たちから浮いて見えた。

「葛西依子さん?」

 外見の印象どおり高くも低くもない落ち着いた声で、無表情にあたしの名前が呼ばれた時、背筋がぞっとした。決して友好的ではない、けれど敵意も感じられない、ただそこにいるから名前を呼んでみただけのような、そんな声だった。

「あたしに何か用ですか?」

 こんな時どう振舞えばいいんだろう。

「ええ、そろそろ係の時間が終わる頃だって聞いたから、よければこの後少し時間をくれると嬉しいんだけど。大丈夫?」

「…………」

 どうして今日に限って色んな人があたしのところに来るんだ。普通に文化祭を楽しませて欲しいよ。

 篠田先輩のときは見知った仲だしどうしたって一緒に過ごす気にもなれなくて、強めに誘いを突っぱねた。でもこの人は顔見知りですらない、三年生だ。無表情にあたしを見つめる目元は涼やかで、きゅっと結ばれた口元は穏やかな曲線を描いているけれど、全体的に有無を言わせない雰囲気が漂っている。間違っても「この後友達と一緒に他のクラスを見て回るんです」なんて言い分で断ることができなそうな。

「ちょっと早いけど当番替わるよ。葛西さんお疲れ様、ゆっくり話しておいでよ」

「あ、ありがと」

 近くで待機していた同級生の申し出をありがたく受け取って、あたしは受付の椅子を彼女に譲った。

 知らない間に悠美と大西くんたちの姿も消えている。当番の時間はあたしたちと同じだったから、彼らもそれぞれ持ち場を離れたのだろう。悠美たちはその辺で待っててくれると信じている。黙って二人で消えてしまうような薄情者ではないはずだ。

「お話って何ですか? すぐ終わりますか?」

「そうね……この場所だとちょっと。篠田くんの話なんだけど」

 思案するように手を口元に当て、言いにくそうに言葉を選んでいるのがわかった。なるほど、やっぱり篠田先輩に関する話か。あたしとこの人の繋がりなんて、この間の一瞬のできごとしか思い浮かばない。もしかしてこの人も篠田先輩のことを密かに狙っていて「これ以上篠田くんに近づかないで頂戴」なんて言うつもりなんだろうか。何それ怖い。いかにも自己主張の激しそうな格好の人から感情的にまくしたてられるよりも、こういう冷静な人に理路整然と静かに敵意を持たれるほうが怖いに決まっている。

 もはやあたしに「ノー」というだけの気持ちは残っていなかった。


 あまり短時間で済む話ではなさそうだったので、悠美たちに断って、できれば後で合流することにして、あたしたちは人の少ないところへ場所を移した。歩きながら彼女は「橘 絢子」と名乗った。綺麗な名前に名前負けしない人っているんだなぁ。はぁ。容姿から雰囲気から何を取っても勝てる気がしない人から、わざわざ移動までして、一体何を言われることやら。

 その橘先輩に連れて来られたのは屋上だった。

「文化祭の時期だけは、垂れ幕を下ろす関係もあって、屋上の鍵も開けてあるの。実行委員や生徒会以外にはほとんど知られてないことだけど」

「へえ……」

 十一月初頭の風は、晴れていてもひんやりし始めていて、ブラウスに薄手のカーディガンを羽織っただけの格好では少し肌寒い。でもついさっきまで熱気の中にいたから、知らず火照っていた頬が冷やされて心地よくもある。

「あんまり長く外にいると寒いから、できるだけ手短にいきましょう」

 くるりと振り向いた橘先輩は、このとき初めて微かに口の端を持ち上げ微笑を浮かべた。

「は、はい。あれ? 橘……先輩?」

「何?」

 どうしてここで笑いかけてくるの? もしかして微笑みじゃなくて嘲笑? にしてはあまりにも目の前の人は穏やかだし。新手の嫌がらせだとしたらこの人は既に成功している。でも表情どおり受け取っていいとしたら、一体この後どんな話に発展するのか、さっぱりわからない。

 腹の中に何かを抱えながら遠まわしな会話を楽しめるだけのスキルはあたしにはない。だから、持てる限りの警戒態勢で、恐る恐る、尋ねた。

「橘先輩は、篠田先輩のことが、好き……なんですよね?」

「えっ!? まさか!」

 驚きを顔に浮かべたのは一瞬、橘先輩はさも可笑しそうに肩を震わせ始めた。

「ご、ごめんね、だからそんなにガチガチに警戒されてたのね私」

 笑い混じりに違うの、そうじゃないの、私はあなたに喧嘩を売りに来たんじゃないのよと、そんな意味合いのことを途切れ途切れに告げられた。

 ……違うの?

「違うの。私は、葛西さん、あなたにある種の弁解をするためにここに来てもらったの」

「弁解」

「この間、篠田くんと私が並んで歩いているところに会ったでしょう?」

 思っていたよりもずばりと話を切り込んできた。そのことはあたしも覚えていたし、むしろ理由がわからないままずっと心に引っかかっていたことだったので、素直に頷く。

 吹き抜ける風に、何か温かい飲み物でも買ってくれば良かったわね、と呟いて両手で肩を抱きしめ、橘先輩は続けた。

「私は、篠田くんと一緒に去年の生徒会役員をしていたの。生徒会の活動ってわりと幅広くて、生徒総会の運営もそうだけど、体育祭や文化祭のための準備や調整も仕事のうちなのよね。もちろんそれぞれの実行委員会が主体ではあるけれど、だからこそ私たちの仕事は雑用ばっかりで、イベント前はそれこそ猫の手も借りたい忙しさなの」

 生徒会に所属していたことのないあたしでも、その辺の想像はできる。特に大きなイベントのときは実行委員会だけじゃ全然手が足りなくて、きっと中心で動いている人たちはてんやわんやなのだろう。

「文化祭は特に、クラスや部活ごとの出し物のバランスを取ったり、体育館のステージのタイムテーブルを作ったり、そのための予算配分をしたり、パンフレットの構成に編集をしたり……考えることもやることも作るものも本当にたくさんあってね。生徒会は先代の役員たちから段取りを教わったり、その他にも雑用の手を借りるといったことがほとんど慣例になっていて」

「大変ですね」

「そうね、その分やりがいもひとしおだったけれど」

 橘先輩の笑顔は台詞を裏付けるだけの説得力に満ちていた。忙しいことに生きがいを覚える人種なのかもしれない。

 この地域有数の進学校だけれど、こういったイベントにも力を抜かないところが青華高校の魅力の一つで、あたしがこの学校に入りたいと思った理由の一つだった。入学したからにはそれなりに勉強したいと思うし(結果がついてきているかは別だ)遊ぶときは徹底的に遊びたいし、もちろん部活にも打ち込みたい。そんな学校生活は、生徒会をはじめとした彼女たちのような人たちに支えられているのだ。

「まあ、そんなわけで、あの日も篠田くんと私は後輩たちの手伝いで、校舎を歩きながら提出されたレイアウトのチェックをしていただけなの。廊下に飾り付けをしすぎて不必要に歩けなくなってしまう場所はないかって、そんな話をしていたら、ちょうどあなたが階段を登ってきたところに行き会ったのね」

「えっ」

 なんだ。そうだったんだ。ただ後輩の手伝いをして仕事の話をしながら歩いていただけ。

「安心した?」

「あん、しん、って!」

 そんな!

 さっきまでの充実感たっぷりの笑顔はどこへ行ったのだろう。今も笑顔を浮かべているけれど、橘先輩は絵に描いたようなニヤニヤした顔をしてあたしを見ている。意地悪だ!

 この人にはあたしが何を感じてどうしてモヤモヤしているのか、あたし以上によくわかっているんじゃないだろうか。だって、あたし、すごくほっとした。橘先輩と篠田先輩が単なる元生徒会繋がりって知って、あの日もたまたま仕事で一緒にいただけだったって知って、安心した。

 つまりあたしが篠田先輩と橘先輩の二人に対して抱いていた感情は完全に的外れなもので、勝手に勘違いして勝手にモヤモヤしてただけっていうことだ。一気に顔に熱が集まるのがわかる。屋上はちょっと肌寒いぐらいだと思っていたのに、今は暑い。恥ずかしい。恥ずかしすぎる。熱の引かない頬を押さえて数歩後退する。いっそのことなりふり構わずその場にうずくまってしまいたい。できることなら穴を掘って潜りこんでしまいたい。なんであたしスカート穿いてるんだろう。

「どっ、どうして、橘先輩があたしにそんな話っ」

 そこだけ気になった。

 あたしと橘先輩はほとんど面識らしいものもなかったのに、どうしてわざわざ教室まで来て、寒い屋上まで連れ出してまでこんな話をしたのか。

「篠田くんが落ち込んでたのが面白かったから、かな」

「……はあ?」

 ニヤニヤ笑いを一瞬で引っ込めた橘先輩は、口元に手を当てて何かを思い出しているようだった。

 口元に手を当てるの、考え事をするときの癖なのかな。

「葛西さんにあの日の弁解をしたいのに聞く耳持ってくれない、ついでに文化祭デートに誘ったのにきっぱりはっきり断られた、って言って。あんなにしょんぼりしてる篠田くんは滅多に見られないし、その原因の一端はきっと私だと思ったら申し訳なくなっちゃって」

「それは、」

「葛西さんの顔を見てると、きっとそれだけが原因じゃなさそうだけど。篠田くんはこれまであんまり挫折を知らない人種なのよね。だから、普段は自信たっぷりでも、少し突かれただけですぐ落ち込んじゃう」

 橘先輩はまるで篠田先輩のことを仲のよい弟のように語る。

 きっとそれがこの二人の真実なのだろうと思う。生徒会の役員時代は、それはもう息ぴったりの二人だったに違いない。あたしでは到底この人と同じ土俵に上がるには力が足りなすぎる。

「ああ、本当に安心してね。葛西さんのリアクションが可愛くて笑っちゃったけど、私と篠田くんは本当に何でもないの。少し仲の良い同級生っていうだけだし、それに、私にはちゃんと別に好きな人がいるし」

 そう言った橘先輩が最後に浮かべた笑顔は、この短時間で見た色んな笑顔のどれよりも綺麗だった。

 これだけ綺麗な人が好きになる人なんだから、きっと篠田先輩なんて目じゃないぐらいに素敵な人に違いない。


 さすがに寒くなってきたし、そろそろ校舎に戻りましょうか。

 橘先輩が気を取り直したように言って、あたしたちは両手をこすり合わせながら屋上の扉を抜け、ゆっくり階段を下りた。生徒の熱気で温められた空気の温度にほっとする。

「ともかく、篠田くんのことが嫌いじゃないなら私のことは抜きにして彼の気持ちと向き合ってあげて」

 最後にそんな言葉を残して、橘先輩は颯爽と歩いていった。

 篠田先輩といい、橘先輩といい、自分に自信を持っている人の背中はまっすぐに伸びていてかっこいい。


 その後、悠美と大西くんと合流して他の学年やクラスの出し物を順番に見て回った。

 いざあたしが抜けて二人きりになってみたら、悠美は緊張した様子なんて全然なくて、ごく自然に大西くんと並んで歩いていた。きっと大西くんが悠美の人見知りと緊張を解くためにあらゆる手を尽くしたのだろう。それはいいけれど、これじゃあたしがまるっきりお邪魔虫だ。二人が楽しそうだから、いいけど。

「何か悪い話だったの?」

 橘先輩との会話を反芻しながらぼんやり歩いていたあたしの顔を、悠美が心配げに覗き込んできた。

「ううん、全然悪い話はなかったよ。それにすごくいい人だったし」

「そっか。最近の依子ちゃん、身辺が静かになって楽だって言いながら、なんだか様子がおかしかったから。あたしに話さないだけで何かあったのかなと思って心配だったんだ」

「そんなに変だった?」

「ぼんやりしてるっていうか、考え事してるのかな? っていうことが増えたなって」

 いたって普通にしていたつもりだったのに。

 確かに一時期に比べたら篠田先輩と顔を合わせる頻度も減ったし、そのおかげでペースを崩されることもなくてのびのびできたと思っていたけど、周りからしたらそれは様子がおかしいことになるんだろうか。

 ……もちろん、先輩から好きだと言われたことや、その後で橘先輩と並んで歩いている姿を見てわけもわからず苛立ったりしたこともあったけど。あまり考えないようにしていたけれど、もしかしたら表情に出てしまっていたのかもしれない。

「うん、少し前にね、ちょっとあって」

 悠美は物静かな分、人を観察する目が鋭いんだと思う。それでも簡単に見抜かれて心配をかけてしまっていたなんて、あたしもまだまだ修行が足りない。


 明日、少しの時間なら篠田先輩と話をしてやってもいいかもしれない。あまり進んで会いたい相手じゃないけど、あの人と会って話をすることで心の中にわだかまってるモヤモヤが晴れるなら、悪くはないと思う。このままずっと正体のわからない気持ちを引きずり続けるより、どこかで自分の中で納得できるように整理をつけなければいけないのだ。


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