act11
だから、悪い予感は当たるんだって。
act11.爆弾は落とされた
篠田先輩から散々な扱いをされ、舞にありえない誤解をされた翌日。
朝練に来ていた舞は、あたしの顔を見ると実にわざとらしく顔を逸らしてくれた。
「あたしの気持ちを知っていたくせに裏切った嫌な女、視界に入れる価値もない」ってところか。
どんなに弁解しても聞いてくれないだろうし、もういいけど。いや、よくないけど。もう少し時間が必要みたいだ。
でもその日起こった「事件」のせいで、舞のことを考える余裕など吹き飛んでしまった。
途中まではわかっていたというか、予想していたけど。もう少しゆっくり考える時間も欲しかったな。
昼休み。お弁当を開こうとしたら案の定だ。
「葛西さん、いる?」
昼食時でにぎわっている一年三組の教室に現れたのは、あの時舞を苛めていた女の先輩だった。
うちの学校は進学校だから、特に校則が厳しくなくてもあんまり髪を明るい色に染めたり濃い化粧をしたりする人は少ない。まあ、学校指定以外のセーターやベストを着てる人ぐらいならいるれけど。
今あたしたちの前に現れたのは、髪の毛は明るいし、化粧は派手だし、制服もかなり着崩している女の人。雰囲気からすぐに先輩だとわかる。
「あたしですけど」
教室中の注目を浴びながら、あたしは渋々立ち上がった。
朝練もあったし、お腹減ってるんだけどなぁ。
「ちょっと来てちょうだい」
手招きされて、そのまま外に連れ出される。
彼女が立ち止まった場所は、見覚えのある校舎裏。この人ワンパターンだな。
あたしをここまで連れてきた先輩以外にも、そこには何人かの同じような女の先輩が待機していた。あーあぁ、本当にわかりやすい。
皆一様に腕を組んで、さもあたしが憎いですという顔をして、あたしを取り囲む。 「……なんのご用ですか」
「わかってる癖に知らばっくれるの? いい根性してるじゃない」
先輩たちが黙ってるから、口を聞いたらこれだ。
そんなにピリピリしてると美容にも悪いですよ。もっと牛乳を飲んでください。
「あんた、この間の子の友達でしょう? よくやるわね。親友を庇う振りをしておいて、本当は自分が篠田くんに近づくつもりだったなんて」
リーダーらしい人(あたしを連れてきた人だ)がハン、と馬鹿にしたように言う。
「あんなに偉そうに啖呵切ってたくせに、やっぱり篠田くんが好きなんじゃないの」
「自分は何でもないって周りに言って油断させて、その結果、友達を売るなんて最低ね」
「あの子も可哀想にねぇ」
クスクス笑う先輩たちの顔が……駄目だ。全員同じに見える。狐に囲まれているみたい。
そんなことを暢気に思ってる場合じゃないのに、子の人たちの行動も言動も、ことごとく予想通りだから。なんか拍子抜けしてしまう。
「篠田くんがあんたなんかを好きになるはずがないでしょう!」
いや、あんな人いりません。
「同じ部だからって調子に乗って。ちょっと話をしたぐらいで図に乗ってるんじゃないわよ」
全然調子に乗ってないし、図に乗ってませんよ。別に話したくて話したんじゃないし。
ギャアギャアとうるさくまくし立てる先輩たちの声は恐くもなんともない。それよりお腹減った。早く教室に帰してくれないかな。お弁当食べる時間がなくなっちゃう。
「ずっと黙り込んで、何か言ったらどうなの?」
「この間はあんなに威勢よかったのに、今更怖気づいたの?」
あなた方に呆れてるだけですが。
「お話が終わりなら、もう教室に帰ってもいいですか?」
いい加減、げんなりしてきた。同じような台詞も聞き飽きたし、もういいでしょう。この人たちも言いたいこと言って満足しただろうし。
「ふざけてんじゃないわよ!」
「全然反省してないなんて図太い神経してるわね」
「あんたが今後、篠田くんに手出しできないようにしてからじゃないと帰すわけにはいかないわ」
最初から手出しなんかしようとしてないじゃん!
あんなの熨斗つけてあなたたちにあげるから、好きなように近づいて手出しすればいいじゃん!
「わかってるでしょうね」
リーダーの人が歩み寄ってきて、元々壁を背にして立っていたあたしの胸倉を掴みあげる。
さすがに、怒りで目の釣りあがった顔を間近に見るのはちょっと恐いものだ。
きっとこの後、あたしは殴られるんだ。本当に行動の予測が付きやすい人だ。
そのときだった。
後ろのほうで固まって立っていた取り巻き(?)の人たちが皆同じ方向を見た。
つられてあたしもそっちの方向を見ると、篠田先輩がこちらに気づいて歩いてきているところだった。
「何してるんだ、こんな場所で?」
あたしの胸倉を掴んでいた先輩は慌てて手を離す。もうばっちり見られてるから遅いけど。
「この子とちょっとした話し合いをしてたの。一年生なのにちょっと生意気だったから」
さっきまであたしに向けていたのとはまるっきり逆の、女らしく微笑んで今にも篠田先輩にしなだれかかりそうな様子で、彼女は言う。
どんだけ裏表激しいのこの人。女って恐い。
「俺にはそうは見えなかったけどな。三年が寄ってたかって一年生を苛めてるようにしか」
「そんなことないわ! この子が……」
穏やかな物腰で微笑みすら浮かべて、この三年女子たちを相手にしてる篠田先輩も、恐い。女の先輩たちが狐なら篠田先輩は狸だ。本当はそんなに優しい人じゃないくせに。
「言っておくけど」
まだ言い訳を重ねようとしていた彼女を遮って、篠田先輩は声をあげる。
これまた嫌な予感がする。聞きたくない聞きたくない聞きたくない。
「俺、この子のこと好きだから」
思わず目をつぶって両手で耳をふさいでしまったけれど、彼の声ははっきりと聞こえてしまった。
今、何て言いました?
聞き間違いではなければ、今、あたしのことを好きだと言いました?
あまりのことに頭が真っ白になる。
女の先輩たちもみんなポカンとしていたから、あたしと同じ気持ちだったのかな。そうかもしれない。だってまさか篠田先輩がねぇ。
けれどさすがに彼女たちのほうが戻ってくるのが早かった。
「嘘でしょ、篠田くん!? こんな可愛くない生意気な子を!」
「嘘じゃないよ。俺は葛西さんのこと好きだ。外見で人を判断するようなお前らにはわかんないかも知れないけど」
ぜひここは外見で判断して欲しいところだった。
リーダーさんはぐりんとあたしに向き直ると、今度は値踏みするように頭からつま先までを眺め回す。どっちにしても気持ちいい視線じゃないことには変わりない。
「話はわかっただろ。ほら、もう行こう。昼まだだろう?」
篠田先輩はあたしに優しく微笑んで(あたしにとってその笑顔は鬼門だ)そっと手を取った。
思考が戻ってきたのは、篠田先輩と手を繋いだまま生徒会室に到着したときだった。
さすがに生徒会の人たちも昼休みまでここで過ごすわけではないらしくて、部屋の中には誰もいなかった。中央に置いてある机には色んなプリントが乱雑に散らばっている。
「どういうつもりですか? あたしのことを好きなんて」
ようやく手を離した先輩に詰め寄るしかないでしょう。わけがわからないもん。
「助かったよ。いい加減あの女たちを黙らせる材料が欲しかったところだったんだ」
「はあ?」
篠田先輩はしれっとしている。
さっきまであたしに向けていた気持ち悪い笑顔もない。ちょっと剣呑だけど、あたしにはこのほうがよっぽど落ち着く。
「この際だからこのまま彼氏彼女の振りでもしていようか」
更に何を言い出すんだ、この人。どうしてそうなるの?
絶対に嫌だ。だってあたし、篠田先輩のこと好きでもなんでもないし、むしろ苦手だし。今から好きになれと言われても無理だ。
彼は猫かぶりで、人当たりの良い振りをしているけれど実は極端に俺様人間だし。図書室で顔を合わせれば嫌なことしか言ってこないし。
そりゃ、ちょっとは顔がいいかもしれないよ。陸上部部長で、運動もできて、噂でしか知らないけど成績も優秀で、先生からも生徒からも人気があるし。
でも彼だけは嫌だ。
裏表が激しい人を相手にするのは、あたしは大の苦手だ。隠し事をされているような気分になるし、何を言われても本当なのか嘘なのかわからなくなるから。
「で、あの人たちを黙らせる材料が、どうしてあたしと付き合うことになるんですか? 先輩、あたしのこと好きでもなんでもないでしょう?」
「もちろん」
「あたしもです。ただの部活の先輩後輩じゃないですか。なのにどうして、あたしが、篠田先輩の彼女の振りをしなきゃいけないんですか?」
あーお腹減った。
今日は厄日だ。
「葛西さんの、そういうところが便利だから」
「そういうところってどういうところですか。どうせ彼女のふりをさせるなら、篠田先輩のことを好きな女の子なんて他にいっぱいいるじゃないですか」
篠田先輩は近くにあった椅子にかけると一つ伸びをした。肩が凝っていたのか、コキコキと音を立てる。部活の間は忘れそうになるけど、この人も受験生だもんね。
「それじゃ意味がない。俺が欲しいのは、俺の彼女の『振り』をしてくれる人間だ。誤解や思い込みで本気で付き合ってると思われたら困るだろ」
あたしが黙っていると、篠田先輩はそのまま続ける。
「それに、たいていの女子はあの女たちの存在をよく思ってない。俺に近づくことで、今日の葛西さんみたいな目に遭わされるのを避けるのが普通だ。皆が皆、強いわけじゃないから」
あたしだって特別強いわけじゃないけれど、まあ、確かに人よりも神経が図太いかもしれない。
「だから葛西さんは適任なんだ。あいつらにまた何かされたとしても負けないし、自力で跳ね返せるだろうから」
なんだか褒められてるような気がするけれど、この人に褒められてもなあ。
今、篠田先輩はあたしのことを利用しようとしてるわけだし、絶対にまた今日みたいな面倒ごとに巻き込まれるし、あたしにとって得になることが一つもないじゃないか。
「勝手なこと言ってますけど、あたしは絶対そんな役やりませんからね。百害あって一利なしだし」
こんなの断るしかないでしょう。
いくら振りって言っても、今まで以上に篠田先輩と一緒にいる(ように見せる)時間が増えるわけだし。
そんなの嫌だ。絶対に無理。こんなのと仲良くできる自信は一ミリもない。
「嫌われたもんだな」
そう言ったときの篠田先輩の顔は、あたしが初めて見るものだった。いつも自信満々に構えている先輩の表情に自嘲の色が浮かんでいた。