↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
1/9

観光客なら車を見れば分かる

■1


「あーあ。とうとう止まった」


サリア・ハーパーは、開いたボンネットを前に腰へ両手を当てた。


見渡す限り、赤い大地が続いている。


乾いた草原。


低い岩山。


空には雲ひとつない。


そして道路には、サリアの古いピックアップ以外、一台の車も走っていなかった。


「今日じゃなくてもいいでしょうに」


サリアは車体を平手で叩いた。


ばしん、と乾いた音が響く。


「いったーい!」


叩いた手を押さえ、その場で二度跳ねる。


当然、ピックアップは何の反応も返さない。


「そっちが悪いんでしょうが」


サリアは運転席へ戻った。


キーを差し込み、もう一度回す。


エンジンが苦しそうな音を立てる。


だが、始動しない。


「お願い。今日だけでいいから」


もう一度。


結果は同じだった。


サリアはハンドルへ額をつけた。


今朝から、牧場のトラクターまで動かなくなっている。


飼料を運ばなければならない。


壊れた柵も直さなければならない。


夕方までには、牛を別の放牧地へ移す予定だった。


そのうえ、町へ部品を買いに出たピックアップまで止まった。


スマートフォンを取り出す。


画面には、無情な表示が出ていた。


圏外。


「最高の一日ね」


■2


サリアは車を降りた。


エンジンのことは分からない。


けれど、ボンネットを開けておけば、少なくとも故障して困っていることは伝わる。


誰かが通ればの話だが。


遠くから、低いエンジン音が聞こえた。


サリアは顔を上げた。


赤土を巻き上げながら、一台の四輪駆動車が近づいてくる。


巨大なブルバー。


車体の横まで伸びたシュノーケル。


屋根にはルーフラック。


後部には予備タイヤが二本。


燃料タンクに工具箱。


使う予定があるのか分からない装備が、車体のあちこちについていた。


サリアは目を細める。


オーストラリア観光の広告を、そのまま車にしたような一台だった。


四輪駆動車は、サリアの前を通り過ぎる。


少し先でブレーキランプが点灯した。


車はゆっくり後退し、ピックアップの横へ止まる。


運転席から、アジア人の男が降りてきた。


年齢は四十歳前後。


短い黒髪。


半袖のシャツ。


足元には、まだ赤土のついていない新しいブーツ。


男はサリアと、開いたボンネットを交互に見た。


「カー……トラブル?」


たどたどしい英語だった。


サリアの口元が勝手に緩む。


「あんた、観光客でしょ」


男は目を丸くした。


「えっ?」


通じなかったらしい。


サリアは笑いをこらえながら、ゆっくり言い直した。


「ツーリスト?」


「イエス」


「でしょうね」


■3


男は不思議そうに首を傾げた。


「ホワイ?」


サリアはついに耐えきれず、彼の車を指差した。


「その車を見れば分かるわよ」


しばらく自分の車を眺めたあと、男は真顔で答えた。


「オーストラリアなので」


サリアは吹き出した。


「そういうところが、もう観光客なのよ!」


男は笑われた理由が分からないらしく、困ったような顔をしている。


その表情が妙に真面目で、サリアはますますおかしくなった。


「こんなど田舎に、何しに来たの?」


男は言葉を探した。


「ドライブ」


「ドライブ?」


「イエス。ビッグロード。レッドランド」


男は、まっすぐ伸びる道路を手で示した。


「行き先は?」


「ノー……プラン」


「何も決めてないの?」


男は少し考える。


「ジョブ、フィニッシュ」


両手を軽く広げた。


「ソー……ドライブ」


サリアはなんとなく事情を理解した。


「仕事を辞めて、もうどうにでもなれって来たのね」


男は眉を寄せた。


「ドウニデモ?」


「あとで教えるわ」


サリアはピックアップへ親指を向けた。


■4


「それより、こっち。動かないの」


男は開いたボンネットへ近づき、エンジンルームをのぞき込んだ。


「エンジン、スタート?」


「しない」


男は運転席を指差した。


「キー。プリーズ」


サリアは運転席へ戻り、キーを回した。


エンジンが弱々しい音を立てる。


男はボンネットの前で、じっと耳を澄ませていた。


「アゲイン」


「もう一回?」


「イエス」


サリアが再びキーを回す。


男は少し位置を変え、車体の下へ耳を近づけた。


「分かるの?」


男は質問を理解できなかったらしい。


サリアはエンジンを指差す。


「ユー、ノウ?」


男はうなずいた。


「メイビー。フューエルポンプ」


「燃料ポンプ?」


今度は男が驚いた。


「英語、分かります?」


「そのくらいはね」


「よかった」


男は少しだけ笑った。


「車の英語だけは、分かります」


「工具、あります?」


「たぶん後ろに」


「たぶんって……」


サリアは腕を組む。


「あなた、名前は?」


■5


男は工具を選びながら答えた。


「久世慎吾です」


「シンゴ?」


「はい」


「長いわね。シンでいい?」


男は一瞬、手を止めた。


「……好きに呼んでください」


「じゃあ、シン」


サリアはしゃがみ込み、男の手元をのぞいた。


「直せそう?」


慎吾は配線を確認しながら首を振った。


「直す、ではないです」


「違うの?」


「テンポラリー。町まで走るだけです」


慎吾は車体の下へ手を伸ばした。


「町で、ちゃんと修理してください」


「町まで走れるなら、直ったのと同じでしょ?」


サリアは反対側からのぞき込む。


「それ、何してるの?」


「コネクター。ルーズ」


「緩んでる?」


「イエス」


サリアは、さっき車体を叩いた自分の手を見る。


「……叩けば直る?」


慎吾が顔を上げた。


「叩いたんですか?」


「少しだけ」


「車は叩いても直りません」


「知ってるわよ。手が痛くなっただけ」


慎吾は何か言いかけたが、やめた。


■6


数分後。


慎吾は工具を置いた。


「キー、プリーズ」


サリアは運転席へ乗り込む。


半信半疑でキーを回した。


エンジンが始動する。


いつもの低い音が、赤い大地へ響いた。


「動いた!」


サリアは窓から顔を出した。


「本当に動いた!」


慎吾はボンネットの前で、音を聞いている。


サリアは車を降り、慎吾の両肩をつかんだ。


「シン、あなた天才ね!」


サリアは目を輝かせる。


慎吾はボンネットを閉めながら言った。


「ただし、町までです。町で必ず修理してください」


「はいはい」


「はいは、一回でいいです」


「はい」


「本当に分かってます?」


「分かってるわよ。ちゃんと直す」


サリアはそう答えながら、別のことを考えていた。


今朝から動かなくなっているトラクター。


部品を買いに町へ出たのも、そのためだった。


■7


「シン」


「はい」


「うちの牧場、ここから十五分なの」


「そうですか」


「トラクターも壊れてるのよ」


慎吾はボンネットへ手を置いたまま、動きを止めた。


「……はい?」


「見るだけでいいから!」


「いや、俺は旅行中で――」


「見るだけ!」


「今、車を一台見たばかりですよね?」


「だから信用できるの!」


「理屈がおかしくないですか?」


サリアは運転席へ飛び乗った。


「あっ、そういえば、まだ私の名前を言ってなかったわね」


窓から顔を出し、満面の笑みを浮かべる。


「サリア。サリア・ハーパーよ」


「久世慎吾です」


「それはさっき聞いたわ。ついてきて、シン!」


「ちょっと待ってください」


ピックアップが走り出す。


慎吾は赤土の道に取り残された。


しばらく遠ざかる車を見つめる。


「えええっ……」


そう言いながら、慎吾はすでに車載工具を片づけていた。


四輪駆動車の運転席へ乗り込み、エンジンをかける。


赤土を巻き上げながら走るピックアップの後ろを、観光客丸出しの四輪駆動車が追いかけていった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。