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番外編 煉獄の記憶

ハルセの過去話。短いです。

 煌々とした赤き炎はとぐろを巻き、王宮を包んでいた。木造建築のそれは、激しい音を立てて燃え盛る。

 ハルセは我が身も顧みず、王宮へと飛び込もうと駆け出す。

「よせ」

 しわがれ、干乾びた声がそれを止めた。

 ハルセはゆっくりと振り向く。重臣に支えられて立つ父王の姿に歯軋りした。

「何故、止めるのですか。宮内にはまだ、母上が……っ」

「あやつが火を放ったのだぞ」

 低く、重苦しい言葉はハルセの鼓膜をじりじりと揺さぶる。

「ハルセ様、貴方様まで天に召されてしまったら、わたしどもはどうして生きることができましょう」

 女官が着物の袖に顔を埋めて静かに泣く。傍に控える兵達も一様に俯いていた。

 ハルセは瞳に映り込む王宮に、全てを怨む醜悪な母親の姿を見た。

 最後に会った時、彼女は笑ってハルセに言い放ったのだ。

『わたくしには、高天原たかまのはら国から逃げおおせることもできない。キョウカさえ守れず、国王の心も繋ぎ止められない。ただの女。ならば――』

 狂気を孕んだ母親の眼が細められる。

『国王の願いくらい、わたくしが叶えて差し上げましょう』

 赤紅を引いた唇が弧を描く。次の瞬間、彼女は掲げていた油を流した床に、松明の炎を落としたのだ。その様を目の前で見ていたハルセがよくもまあ、こうして脱出できたものだ。

「……まだ助かるかもしれません。救援を」

「駄目だ」

「何故です。仮にもあの人は黄昏たそがれ国の王妃でございましょう」

「――――姫巫より、伝達が来た。宮を明け渡して投降しろ。もしそれができないのならば、王妃を差し出せ、と」

 ハルセは淡々と言葉を紡ぐ父王に、驚愕の表情を向けた。

「まさか……父上……」

 煉獄の炎は、とどまることを知らず火の粉を吹く。

 父王の瞼に翳が落ちる。

「赦せ」

 その言葉にハルセは目の前が白くなる。

 彼は言ったのだ。キョウカを失い、絶望する自分の正妃に向かって、非情とも言える願いを口にしたのだ。

 高天原国の掌中に落ちるくらいなら、自害を選んでほしい、と。

 指先に震えが走る。


『黄昏国のため、必要な犠牲だったんだ』


『兄上』


 脳裏にこびりついて消えない、癒えない記憶。


 ――一体何度、失えばいいのか。


 ハルセは下唇を噛みしめ、拳を握った。


「王子」

「ハルセ様」

「王太子」


 数多の声が、ハルセの肩にのし掛かって来る。


「…………あなたは、どこまで愚かになったのですか」

「何?」

 父王は眉間に深く皺を刻んだ。

 ハルセは威厳ある父の様子に臆することなく嘲笑を洩らした。

「必ず高天原国を殲滅する。そう言って俺を連れ、戦地を巡ったあなたはどこへ行ったというのですか」

 至極、穏やかな物言い。

 王宮から死に物狂いで逃げ出した官や兵たちは黙している。

「この国の主は、いつからそんなさもしい者となり下がった!」

 ハルセの激昂が飛んだ。

 父王は険しい顔をしたまま、瞳を潤ませた。彼は声もなく、何筋もの涙を流す。諦めを知った者が見せるその涙にハルセは顔を引き締めた。

 王宮へと一歩、また一歩と進み出る。それを咎める兵たちの悲鳴が上がったが、ハルセは気にも留めなかった。

「あなたがこの国を守らないというならば、俺が守ります」

 そう言い、両腕を水平に薙ぐ。

「散れ」

 腹の底から、彼はとぐろを巻く炎に向かって言った。それでもなお、収まる気配のないそれに、ハルセは再び「散れ」と言霊を紡ぐ。目の奥に力をこめる。

 瞬間、頭上に暗雲が立ち込め、雷が鳴った。

 遠くから近くから雷鳴は轟き、どこからともなく雨音がし出した。とても細かった雨はやがて土砂降りとなり、炎に沈んだ王宮を鎮静させる。

 辺りから聞こえるのは人の啜り泣く声と雨音ばかり。

 ハルセは見事な朽葉色の御髪を拭うでもなく、その場に佇んでいた。

「おお」

 ようやく我に返ったのだろう。父王はハルセに縋りついてきた。そこにいたのは高天原国を倒すために尽力していた王ではなく、ただの老人の姿があった。

「やはりお前……“神の腕”」

 畏怖が篭もった、しかし、期待の滲んだ父王の言葉にハルセは視線を逸らす。そして、場にいる大勢の人々を前に、決意を新たにする。

 これまで、救いの王子と呼ばれながらもハルセは大切なものを一つとして守れなかった。

 王子であるという前提がハルセの行動に足枷を嵌める。

 ならば――――。

「これより、我が名はカガミ。国を復古する一兵に、王族の名は要らない」

 カガミ。それは遥か昔、黄昏国を王が建国する際に最も貢献したと云われる異境の兵の名。彼は黄昏国が建国したのを見届け、静かに姿を隠したらしい。

 ――自分もその兵の如く、黄昏国の礎となれたなら、本望だ。

 そう思い、ハルセは灰色の空を仰ぐ。大粒の雨が顔を叩きつけ、頬を伝った。



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