遺したいもの
廣明は終戦後、軍務から離れた。しばらくして外務省勤めも辞し、一介の民俗学・言語学研究者として大学図書館に勤め、人生を終えた。その分野ではそれなりに名が売れていたため、テレビやラジオでの語学講座などでは講師を務めた事もあった。
しかし元々研究に没頭する傾向があったものが、戦後はより強くなり、家庭を顧みなくなってしまった。そのためにシズ子とは離縁することになってしまったのだが、それでもなお研究に向かう姿には鬼気迫るものがあり、息子の晴夫は「背中しか見たことがない」と言うほどだった。
程なくして晴夫もそのような父の姿に反発して家を飛び出し、親子の交流が復活したのは結婚式の時だったという。孫ができてからは少しずつ交流が戻ってきていたのだが、学者らしくプレゼントが「図鑑全巻詰め合わせ」だったりするところが、また学者気質が見られるところだった。
そんな廣明は、病室で亡くなる寸前まで精力的に何やら調べたり書いたりするような毎日を過ごしていたようだ。各地の講演会や研究会にも連絡を取り合っていたようで、葬儀にはそういった関係者が数多く弔問に訪れていた。
晴夫は遺品を整理している時に、とある古ぼけたメモを見つけた。いかにもな几帳面さのある文字で書かれており、廣明のものであるとすぐにわかった。
その紙の質は非常に悪く、ところどころ擦り切れてはいるが、これだけは上等な風呂敷に包んであった。一体何が書かれているのかと思って開いてみると、あらゆる言語で書いてあって判別できるところが少ない。
「一体何を親父は書いていたんだ?論文ならもう少しましな紙に書いていたはずだが……?」
晴夫はそのまま読むのを止めようと思ったが、このボロ紙が大事に包まれていた意図を知りたくて、紙をめくり続けた。
そして、ノートの後半部分に差し掛かった時に、あの忌まわしい被爆時の様子と、寛明の心の内が書かれていた事を見つけたのだった。




