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夜を明かすために  作者: 深鈴東
第二章
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33. 面会室

 誰かの呼吸音すら聞こえてきそうなほど静かな早朝、僕はトバリとホムラと共に八咫烏本庁へ向かっていた。マサヨシも迎えを用意する暇がないということで、なるべく人目につかない時間帯に移動することになった。トバリは夜通しマサヨシからの連絡を待っていたけれど、彼から新たな情報は得られず、依然として膠着状態にあるようだった。

「……少年、緊張してる?」

 隣を歩いていたはずのトバリが、いつのまにか僕の顔のすぐ近くにまで寄ってきていた。僕はびっくりして思わず仰け反ってしまう。

「きっ、緊張してないっ……は嘘かも……」

 トバリはにっこり笑って、僕の背中を軽く叩いた。

「正直でよろしい。緊張して当たり前だ。今も恐怖に感じている相手との対面なんて、逃げ出してもおかしくない」

 トバリは「でも……」と再び僕の顔を見た。

「キミは立ち向かおうとしている。こうしてボクたちについてきていることが、キミの勇気の証明だ。きっとこれから起こることを乗り越えたキミは、想像よりずっといい方向に変化していると思うよ」

 そう言うとトバリは鼻歌を歌い始めた。「早朝の散歩は気持ちいいね」なんて、呑気なものだった。車が走っていない道川が、さらさらと音を立てて流れていく。普段あんなにも人で溢れている都市が、こんなに静かだなんて、まるで別世界に来たみたいだった。僕はトバリの鼻歌と、この時間しか聞くことができないであろう環境音に耳を澄ませながら、ざわつく心を鎮めようとした。

(今向かっている場所にあいつがいるんだ……あいつに僕が生きているって知られてしまう……)

 ざわざわと頭に嫌な音が入り込んでくる。風が顔を撫でる音に混じって、誰かの笑い声が聞こえてくる気がする。あの家の、殴られている僕を見て笑っていた住人達の笑い声が頭の中で響いている。少しでも叔父との生活のことを思い出すと、すぐにこうなってしまう。こんな不安定な状態で叔父と対面するなんて、正気でいられるだろうか。

「………」

「少年!」

 トバリの声にはっとして顔を上げると、彼女は前を歩いていたホムラとともに、僕を手招きしていた。二人の側に駆け寄ると、トバリが指さす先に何匹かの猫が見えた。猫たちは朝のまだ穏やかな日差しを浴びて気持ちよさそうに眠っている。トバリはその猫を愛おしそうに見つめていた。

「ふふ……かわいいねえ。ボクも混ざりたくなっちゃうな」

「猫を前にすると、君はいつもだらしない顔になるな」

「仕方ないだろう。人間は愛らしいものを前にすると警戒心が薄れてしまうんだよ。人間でも本能に抗えないときがあるのさ」

 猫を前にした二人の会話に、僕は思わず顔が緩んでしまった。確かにとても癒される光景だ。のんびりと眠りにつく猫たちを見て、僕からわずかに不安が解消された気がした。

「見て少年、黒猫がいるよ。ボクはもし猫に生まれ変われるのなら、黒猫になってみたいな」

 トバリはうっとりと黒猫を見つめた。

「トバリは黒猫が好きなの?」

 僕が尋ねるとトバリは楽しそうに答えた。

「猫はみんな好きさ。でも、黒猫は闇夜に溶け込みやすい。生存率が高そうだから羨ましいね」

「そ、そうなんだ」

 僕は彼女が黒猫を選んだ理由に少し困惑してしまった。もっとこう、「一番かわいいから」とか言われると思った。

「その暗殺者気質、来世でも引き継ぐ気なのか?」

 ホムラが少し面白そうに尋ねると、トバリはむっとした。

「ボクが物騒な人間だって言いたいのかい?……来世では安寧を望むよ」

 トバリは穏やかにそう言った。しかし、その瞳には少しだけ悲しみが浮かんでいる気がした。

(……ん?黒猫………?)

「………あ!!」

 僕が突然大声を上げたことで、眠っていた猫たちが驚いて目を覚まし、散り散りに逃げて行った。

「ああ~!」

 トバリが落胆したように声を出した。そしてちょっと恨めしそうに僕を振り返った。ホムラも何があったのか知りたそうに、僕の顔を覗き込んでいる。

「……ごめん。ちょっと忘れてたことを思い出して………つい」

 僕が掌で口を塞ぎながら言うと、トバリとホムラは揃って首を傾げた。

(黒猫で思い出した……。前に黒い猫に案内された、人目につかないバーで何か手がかりが掴めそうだったじゃないか…!ここ数日で色々なことがあってすっかり忘れてた!)

 僕はかつて探偵事務所で依頼された猫探し中に見つけた、不思議な男性が営むバーのことを思い出した。あの猫探しは敵が僕たちに接近するために仕組んだ罠だったけれど、その最中に僕は「トバリの過去に関する手がかり」を見つけた気がしたのだった。

「……何か忘れ物かい?少年」

 僕が立ち尽くしたまま色々考えていると、トバリが尋ねてきた。僕は慌てて否定する。

「いやっ、こっちの話……!」

 僕の様子に二人は顔を合わせたが、それ以上何かを追求してくることはなかった。

「じゃあ、早くこの用事を終わらせて、キミが忘れていたことを解決しないとね。行こうか、二人とも」

 トバリは華麗なウインクをして再び歩き出した。

「『行こうか』はこちらのセリフだ。さっきから君の寄り道に付き合わされてばかりだからな」

「時間には間に合うから、問題ないだろう?」

 トバリとホムラは並んで前を歩いている。僕も置いていかれないように止めていた足を動かした。

(バーに行ってあの男の人に話を聞く前に、まずは今のことを考えないと)

 僕は深呼吸をして、すぐそこまで迫っている試練に向けて覚悟を決めた。






 ○





「こちらが貴方がお連れした、この状況を打破する重要人物なのですか?」

 男の問いかけに、白い髪の少女はにっこりと頷いた。重要人物として紹介された痩せぎすの少年は、そんな彼女に対して腹痛を我慢しているかのような表情で男を見つめていた。

「彼はシグレ少年。キミも知っての通りつい最近ボクたちの班に新しく入った者で、あの鷹崎家のご令息だ」

 少女がシグレという名の少年の側に寄ると、彼は胃のあたりを手で押さえつけながら立ち上がった。

「……はじめまして。鷹崎時雨です」

 控えめに自己紹介をしたシグレは、その顔に不安の文字を浮かべていた。男はシグレの出自を聞き、驚きの表情を浮かべる。

「八咫烏に鷹崎家の者が入隊したと聞いていたが、君がそうなのか……この度はご助力感謝します。貴方がいなくては、八咫烏は存続の危機に陥ったと言っても過言ではないですから」

 男の感謝を聞くとシグレはもともとの猫背をさらに丸くした。ただでさえ落ち着きがなかった瞳をさらに揺らがせている。少女はシグレを一瞥した後真面目な顔つきになって男に尋ねた。

「これであの者を追い詰めるための布陣は整った。今すぐにでもボクから接触しに行っていいかい?」

 少女の問いかけに男は敬礼した。

「はい。もう手筈は完了しております。ご案内いたしますので、どうぞこちらへ」

 男は部下たちにこの場に残るように指示を出して、一人で少女たちを案内した。少女の後に続いてシグレともう一人、シグレの側に立ち彼の様子を見守っていた寡黙そうな少年が退室した。シグレは隣を歩く彼をちらちらと見上げながら廊下を進む。

「……やはり、不安か?シグレ」

 視線に気が付いた少年はシグレを気にかける様な発言をした。シグレは少年が無言の訴えに気づいてくれたことに安堵する。

「…!う、うん……正直に言うとね……」

 シグレは乾いた笑いをこぼしながら言った。シグレは時折自分の手首を擦っている。気を紛らわすために試行錯誤しているようだが、彼の額には汗がにじんでいた。ホムラは通常時に見せる仏頂面を変えずに、静かに言った。

「君の出番はまだ少し先だ。まずはトバリが鷹崎グループの現代表と接触する……彼女から合図があったら君は叔父の前に立つことになるが、側には俺がつく。だから、あまり気負うな」

 ホムラはシグレの頭に優しく手を乗せた。相変わらず彼は人に触れるときにとても慎重な手つきをするな、とシグレは心の中で思った。

「………ありがとう。僕が行くって言ったんだ。もう戻れないってわかって来たんだから……」

 シグレは覚悟したような言葉を呟いてはいるが、依然として猫背のままだった。ホムラはそんな彼を心配するかのように息を吐いた。





「……しばらくここには来ていなかったな」

 トバリは大きな金属製の扉を見上げて、わずかに眉をひそめた。シグレはまるでこの扉が大きな冷蔵庫であるかのように感じた。扉の隙間から漏れ出している冷たい空気が、シグレにあまりよくない体の震えをもたらす。シグレは咄嗟に頭を振った。

「っ……、ねえ、トバリ。『しばらく』ってことは、前にもここに来たことがあったんだよね?いつ来たの?」

 トバリはシグレを振り返った。

「そうだな……たしか二年前だったかな。まあ、直接誰かと面会することはなかったんだけど、付き添いでね」

「そうだったんだ……」

 シグレは扉を見上げた。扉の上に「面会室」と表示があるのが見える。

「……あれ、ここって尋問室とかじゃないんだ」

 シグレの疑問に彼の隣に佇んでいたホムラが答えた。

「俺たちは八咫烏だが、一般的な犯罪に関しては専門外だ。セントラルエリアでの仕(・)事(・)に尋問は必要ない。よって今回は裏切りの筆頭者に『面会希望者がいる』と伝えてここに身柄を移動させた。俺たちはこれから面(・)会(・)希(・)望(・)者(・)として入室する」

 シグレは彼の説明に半分納得し、半分腑に落ちなかった。

「……単なる面会者として入室するのに、尋問みたいな真似してもいいのかな」

 シグレの呟きに、トバリが笑い出した。

「少年、これから会うのはキミに言葉で言い尽くせないほど酷いことをした人物だよ?だのにそんな心配をして……いいかい?少年」

 トバリは互いの睫毛の数が数えられそうなほどに、シグレに近づいた。

「ボクたちは幸運だ。この先で待つ者がいくら燦然世代に関する重要な情報を知っているかもしれないからといって、本来担当するはずではなかった領域にまで着手することはあり得ない。だけど、こうしてチャンスが到来したんだ。直(・)接(・)裏(・)切(・)者(・)に(・)制(・)裁(・)を(・)与(・)え(・)る(・)チャンスが」

 トバリの気迫に、シグレは生唾を飲み込んだ。

「キミももう少し喜劇的に考えてみて?キミはこれから暴力でキミを抑圧していた人間を、正義の立場から追い詰めるんだ。きっとキミの心にまとわりついた鎖を解く鍵となるはずさ」

 トバリが不敵な笑みを浮かべながらシグレの胸を小突き、シグレは一瞬目を見開いたあと口角を上げた。

「うん……怖いけど、ずっとこの日を待ち望んでいた気がするよ」

 シグレの返答にトバリは満足そうに笑った。

「さあ!ここに直接来ることが叶わなかった者たちの思いを背負って、決着をつけに行こうじゃないか!」

 トバリは意気揚々と重たい扉を開いた。





 八咫烏本庁の面会室は、いかにも面会室といった内装をしている。おおよそ部屋の中央に透明な素材でできた仕切り板が埋め込まれた壁が設置されており、互いの声が聞こえやすいようにか小さい穴がいくつか開けられた箇所がある。そして仕切り板によって区切られたスペースの一つに、手錠をかけられた状態で椅子に座っている男がいた。その背後にその男を見張るかのように二人の警察官が立っている。男は自分の靴をじっと見ているようで、その首から頭が落ちてしまいそうなほどに深く項垂れていた。しかし、男はまるで余裕があるかのように薄気味悪い笑みを浮かべている。

「……私に用がある人なぞ、あなた方警察以外いらっしゃらないのでは?私がここに拘束されていることは、八咫烏の方しかご存じないでしょうに」

 男は俯きながら背後に立つ警察官に話しかけた。

「私語を許可した覚えはないぞ」

 警察官は厳格に言い放つが、両手を封じられた一人の男を恐れるような目で見ていた。

「これまた手厳しい。身体的苦痛を与えるだけでなく、おしゃべりが好きな私の心の安らぎすらも奪うというのですか」

 男は声をあげて笑った。警察官はこの男が一体何を考えているのか、全くわからなかった。

「しかし、わざわざ面会室までご用意してくださって……身内すら私が拘束されていることを知らないのでしょう?なぜ別室に移る必要があったのですか?」

 男は警察の注意を聞き入れることなく、笑顔で彼らを振り返った。この状況にふさわしくない人当たりがよさそうなその顔に、警察官は揃って不快感に襲われた。

「質問に答えてくださらないのですね。いやはや、今の私は通常ここに送られてくる犯罪者よりも不当な扱いを受けている気がします。ここまでろくな説明もなく連行されてきたのですから……」

 男が意味ありげに目を細めると、扉が開く音がした。男はその音に振り返ると、さらにその目を細めた。

「………おや、これはお久しぶりです」

 男は来室した人物に挨拶をした。しかし、来訪者は友好的ではなかった。

「なんてドラマチックな再会なんだろうね」

 一人部屋の中に入ったトバリはそう吐き捨てて、男の正面に座った。

「久しいな、裏切者」

 トバリは語気を強めて男を凄んだ。一人の少女が出せる気迫ではなかった。しかし、男は動揺することなく落ち着いた態度で彼女と相対する。

「これはこれは、随分と高圧的な……。貴方が私との面会を希望したのですね。茅野執行官」

 少女は男を敵意むき出しの顔で見つめたまま、男を追い詰めるために口火を切った。

「面会……ボクがキミと個人的に話したいことでもあると思っているのかい?もっと身構えるなどしたらどうかな。これからボクがキミに何をするか、とっくに分かっているくせに」

 男はトバリの攻撃的な姿勢に、無言で笑みを浮かべた。その様子にトバリは額に青筋を浮かべた。

「……鷹崎夕陽(たかさきゆうひ)、キミが所持する脳構造改造手術(ホーク・オルター)の所有権を八咫烏に移行させることを命じる。これは交渉の余地があるものなどではない。都市を危険に晒すような愚行に対する罰則として、キミの科学力(地位)を没収することを国家統率保安機関(我々)は決定した」

 トバリは仕切り板に鼻先が触れるほどに顔を近づけて、ユウヒという名の男に詰め寄った。

「さあ、もうこの攻防を終わらせることにしよう。もうキミの計画に加担する鷹崎グループ社員は全員逮捕された。キミの傘下に就いたせいで長らく尋問室に拘束される羽目になった彼らを、早く解放してあげたらどうだ」

 ユウヒはトバリの言葉に何も言い返さず、しばらく真顔になってトバリを見ていた。そして、まるで映像の巻き戻しをしたかのように、先ほどと全く同じ笑みを浮かべながら、乾いた笑いを披露した。

「はは。あなた方、情報の共有がうまくできていないようですね。茅野執行官、私は他の警察官に事情をお話いたしましたよ。『鷹崎家に縁がない者は一族が開発した技術を受け継げない』と……。そしてこうも私にこの掟を打破するように命じるということは、あなた方が抱えている血(・)縁(・)者(・)は一族の責務から逃れることを選んだのですね。いやはや、良い選択だと思いますよ。こうした血に縛られるのはいい気分ではないですから。さすがに私も血縁者を連れてくださったのなら、快く命令に従いますよ」

 饒舌に語るユウヒにトバリは冷たいまなざしを向けた。

「………自分の息子のことを、『血縁者』としか見ていないんだね。キミは」

 冷ややかな声色のトバリに、ユウヒはかすかに首を傾げるような仕草をした。トバリはそれを見て、ますます神経を逆撫でされたかのような思いをする。

「ふうん。『血に縛られる』か。キミもそう感じているのかい?ボクはキミがその血によって、美味しい思いをしているようにしか思えないのだけれど」

 その言葉を聞くと、ユウヒの笑みが一瞬崩れた。

「おや……それはどういう意味でしょうか」

 トバリはユウヒの声色に苛立ちが滲んでいることを見逃さなかった。

「前社長が大規模テロで亡くなり、その後釜にふさわしいのは彼のご子息か兄弟であるキミかの二択だったはずだ。ボクは前社長の長男は当時まだ幼かったため、しばらく代理としてキミが代表になったと報道されていたのを覚えている。……その、血(・)に(・)縛(・)ら(・)れ(・)る(・)ことに嫌悪感を抱いているのなら、キミが今でも代表の席に座っているのはなぜだい?大規模テロから五年が経ち、ご長男はもう社長として認められる年齢になったはずだ。だけど、当の本人が表に出てくる様子はないね。彼は今、社長になるための教育を受けている真っ最中なのかな?」

 トバリはユウヒを欺くために、鷹(・)崎(・)グ(・)ル(・)ー(・)プ(・)の(・)第(・)一(・)継(・)承(・)者(・)の所在を全く知らないふりをした。

「そうだとしても、正式な継承者を立てることが、本来のキミの仕事ではないのかい?少なくとも、鷹崎グループの掟の中では。……だからボクはその血(・)の(・)せ(・)い(・)ではなく、その血(・)の(・)お(・)か(・)げ(・)で、キミが代表をしているようにしか思えない」

 トバリが包み隠さず挑発をすると、ユウヒの下瞼が一瞬痙攣した。ユウヒは先ほどまでの笑みを消して、トバリに冷ややかな視線を向けていた。

「………貴方は随分、我が組織のことを誤解しているようだ。貴方は知らないだろうが、セレスチャルに存在する多くの巨大組織は私のように一人の人間の犠牲によって成り立っている。鷹崎グループもその内の一つだ。……貴方が我が組織を清廉潔白な企業だと想像しているのなら大間違いですよ。そして私が好んでこの組織に身を置いていると考えていることも大間違いだ」

 ユウヒは段々とその社交的な態度を維持することが難しくなっているようだった。トバリはユウヒの化けの皮を剥がそうと、さらなる追撃を試みた。

「ならば、なぜキミは依然として鷹崎グループの代表の座についているんだ?まさか、自分の企業の正式な継承方法を分かっていて無視しているわけではないよね。キミを縛り付けている血に背きたいという願いは、現代表のキミなら行動次第でその呪縛を解き放つことができるだろう?」

 トバリが疑問をぶつけると、ユウヒは「待っていた」と言わんばかりに再び笑顔の仮面を張り付けた。

「そう、そうなのです。私が今もこの忌々しい立場に縛り付けられているのは、私の後釜である兄の長男が行(・)方(・)不(・)明(・)であるからです。数年前から私は長男が入所している臨時被災者施設の存在を把握していました。そしていざ彼を迎えに行こうとした日、職員が青ざめた表情でこう告げたのです。『甥っ子さんがどこにも見当たらないのです』……と」

 ユウヒは饒舌に真っ赤な嘘をつき続けた。面会室の外で密かにトバリが繋いでいた通信からその会話を聞いていたシグレは、拳を握りしめて湧き出る怒りと声を抑え込んでいた。

(…ふざけたことばかり言いやがって……!)

「だからキミは企業代表を辞めたくても、やめられないと」

「ええ。貴方の質問には適切に答えられたでしょうか」

 トバリは少し思案して、机の下でつま先を丸めた。

(嘘は盾になるが、同時にその盾のひび割れにもなる)

「そうだね。事情はよく分かったよ。さっきは傍目から見ても失礼な態度だったね。すまなかった」

 トバリが謝意を示すと、ユウヒは眉尻を下げて首を横に振った。

「いえいえ。ご理解いただけて良かったです」

 トバリは自身が身につけているイヤモニを指で二回叩いた。外で待機している二人に「長期戦になる」ことを伝える合図だ。

「ところで、ボクが知る限り今の話を尋問で答えたという記録はないのだけど、よほど尋問担当者のことが気に入らなかったのかい?」

「そんなことはありません。先ほどのような質問は尋問では聞かれませんでしたから」

 ユウヒはあっけらかんとして答えた。トバリはさすがに痺れを切らしたようで、思わず貧乏ゆすりをしてしまう。

「聞かれたことにはちゃんと答えるのなら、尋問で全くと言っていいほど情報を開示しなかったのは……何か理由があるのかい?すでに他の裏切った社員によって明らかになった情報に対して、頷くことも首を振ることもしなかったそうじゃないか」

 トバリがユウヒを睨みつけると、ユウヒは肩をすくめた。

「それは……私にとって都合が悪い質問ばかりでしたので」

「………」

 トバリが軽くため息をつくと、ユウヒは「やれやれ」と首を横に振った。

「もう、やめにしませんか?いくらお願いされても、適合者が現れない限り私はホーク・オルターの所有権をお譲りすることはできないのですよ。この状況を変えたいのならば、適合者をこの場に連れてくるか、都市の制度を変えてくるかしてほしいものです。……私はどれほど長い間拘束されてもかまいませんが、鷹崎グループの代表の姿が見えない時間が続けば続くほど、市民は何があったのか不安になると思いますよ」

 トバリは困ったように笑うユウヒを前に、密かに深呼吸をした。

(……大丈夫だ。勝機はこちらにある)

「ではボクの仲間が打開策を講じている間に、少しお話しようじゃないか。鷹崎夕陽」

 トバリの鋭い目つきに、ユウヒは嘲るかのように口角を上げた。





 〇





 僕が叔父が拘束されている面会室の前で待機し始めてから、すでに一時間が経過した。今なおトバリから入室の指示は出ず、ただ通信越しに聞こえてくる会話に耳を傾けるだけだった。僕はその会話を聞いていると頭が痛くなっていくのを感じた。叔父がどこまでも僕のことを蔑ろにしていることが分かって、怒りやら悔しさやらが抑えられそうになかったからだ。それに叔父の話を聞けば聞くほど、なぜ僕が不当な扱いを受けなければならなかったのかわからなくなっていった。

(あいつはどうして、あのとき僕を連れて行ったんだ?それに、なぜ八咫烏を裏切るまねをしたのかも、よくわからない……)

『……では、キミは社員への尋問で判明したことに関してはすべて事実であると認めるんだね?』

『そう受け取ってもらって構いません。燦然世代と接触したというわが社の社員が、私の名前を出したのなら、彼の動機に何かしらの形で私が関わっているということですから』

『……今まで受けていた長い尋問の間、ずっとこんな調子だったとはね。尋問担当者に同情するよ』

 僕の隣で同じように会話を聞いていたホムラも、時々ため息をついていた。僕の叔父はのらりくらりとした返答しか寄こしてこなかった。

『……キミに事実確認をするのはやめよう。ここからは九命猫の人間として質問させてもらう』

 通信越しに展開が変わったことを把握した。さっきまで辟易としていた僕たちは再び会話に意識を集中させる。

『キミが九命猫に早急に対応するように指示を出したあ(・)の(・)件(・)について覚えてる?』

 トバリが詳細を語らずとも、叔父は何の話か理解しているようだった。

『ええ。もちろんです。貴方がたにしては珍しく、捜索が難航しているようでしたから』

 叔父は肯定すると、少しトバリを責めるような口調になった。

『不法侵入者に対して手術を施すことは、それなりの手続きが必要になるのですよ。日程調整や医師の確保など、必要事項が多数ございますから。……セントラルエリアに関する事件はあなた方の専門分野ですよね?正直、ここまで長い間手術の計画が立てられないと、必要な費用がかさんでしまうのです。吝嗇(りんしょく)だと思われても仕方がないかもしれませんが、こちらもあなた方の能力を評価して技術提供を行っているのですから、応えてもらわなければ困るのですよ』

 僕は二人が何について話しているのかいまいちわからなかった。隣にいるホムラに目線で助けを求めると、彼は小声で説明してくれた。

「トバリは直近の保護対象者、つまり君(シグレ)のことについて鷹崎夕陽に尋ねている。以前鷹崎グループから、君を一刻も早く保護するようにと催促されたことがある。鷹崎夕陽はホーク・オルターを施すうえで支障が生じるからと言ってはいるが、本心は家出した君の行方を追うために俺たちに指示をだしたのだろう」

 僕はおもわずぞっとした。そうだ。トバリが僕を守るために、鷹崎グループに存在を悟られないよう、僕を行方不明者として世間に公表する決定をしてくれたんだった。僕が寒気に襲われていると、叔父の深いため息が聞こえて来た。そしてまるで脅しのような言葉をトバリにぶつけてきたのだ。

『………それに所有権移転が叶わない以上、手術の実行を命じることは私にしかできません。聡明な貴方ならこれが何を意味するのか分かるでしょう?あなた方はここまで私に随分な対応をしてきましたが、それがご自身の運営に支障をきたすことを理解していないとは言いませんよね?あまり私に、失礼な態度を取らない方が身のためですよ。私の一声で手術を取りやめることはおろか、対象者にこれまでの記憶を取り戻させることだってできますから。万が一不備が発覚したときのために手術対象者の記憶はすべてバックアップし、厳重に保管されています……あなた方が出すぎた真似をしたせいで、記憶を奪われた市民たちに危険が及ばないとも、限りませんよね?』

僕は思わず喉から間抜けな呼吸音を漏らしてしまった。ああ、本当にこの男は簡単に誰かを貶めることが出来てしまうんだ。それを自分の保身のために選択することに、全く抵抗がないんだと再認識して眩暈がした。ホムラもいつもの無表情に、少しだけ怒りを滲ませていた。しかし、僕たちの心の揺らぎに対して、聞こえて来た声は大胆かつ明朗だった。

『捜索が難航していることについては申し訳ない。そんな理由で催促していたとは。だけど、ボクたちを脅していい理由にはならないよ。保安組織の前で市民を脅かすような発言をするのもどうかと思うな。……忠告するよ。そういうところがキミ自身を破滅に導くんだ』

『……どういうことですか』

 僕は今の叔父の一言で、事態が大きく動いたことが分かった。ホムラが僕の肩を軽く叩いて、「突入の準備を」とでも言いたげな視線を寄こしてきた。通信越しでもトバリが不敵な笑みを浮かべていることが分かった。

『ボクたちも不思議なんだ。キミたちが九命猫に任務の達成について苦情を入れて来たときの口ぶりが、どうしてボクたちの任務が完(・)了(・)し(・)て(・)い(・)な(・)い(・)前提だったのか』

『……!?』

『あは、本当にボクたちが行方不明者を見つけられていないと思っていたんだ?やっぱりキミは、どこかボクたちのことを見下している節があるよね。事件発生から今回の裏切りが発覚した速度も、八咫烏が高い実力を持っていることの証明になったはずだ。それなのにキミはずっと余裕をかました態度を取っていた。その驕りと簡単に誰かを蔑ろにできてしまうキミの性分が、キミを破滅に導いていたことにも気づかないで……』

 僕はトバリが大きく息を吸った音が聞こえた。ここからは、僕たちがあいつを追い詰める時間だ。

『わざわざキミが捜索願いを出していた、あのセントラルエリアに侵入した少年……彼こそが前社長のご長男だね?キミが数年前に彼を迎えに行ったときに、行方不明だったというのは嘘だ。本当はずっと前から、ご長男の身柄を拘束して世間の目から隠していたんだろう?……自分が鷹崎グループの代表の座に就き続けるために』

『な、にを仰るのか。勝手な推測が過ぎるのではないですか?セントラルエリアの行方不明者が我が組織の後継者であるなんて、話が飛躍しすぎですよ。それに私が私欲のために後継者に不当な扱いを受けさせていたなんて、侮辱が過ぎますよ』

 あいつの声色は明らかに動揺を含んでいた。トバリが僕を守るために講じた策が功を奏したようだ。

『どうして?これは確かな情報からの考察だよ。……だって、本(・)人(・)がそう教えてくれたのだから』

『………まさか』

 あいつの震えた声の直後に、通信から合図があった。僕は頬を両手で挟むように叩いた後、勢いよく面会室の扉を開けた。そこには真剣だけれど、頼もしい表情をして僕を振り返ったトバリと、仕切り板越しに呆然とした顔で僕を見ている忌々しい叔父の姿があった。僕は大きく息を吸って、堂々とした態度を意識しながらあいつに向けて言い放つ。

「お前が、お前が僕にした仕打ちはすべてこの人たちに伝えた!僕のことをずっと見下していたお前は、このまま咎められることなくのうのうと生きていられると本気で思っていたんだろうが、それも今日で終わりだ!都市の安全を脅かしたこと、大勢の人に犯罪を強要させたこと、そして……僕ら家族を蔑ろにしたことの報いを受けてもらう!!」

 必ず、この男に正義の裁きを受けさせてやる。僕はそう決意して、かつて恐怖の対象であった叔父の姿を双眸の奥に焼き付けた。









2026年8月23日 内容を一部修正しました

2026年9月10日 表記ミスを修正しました

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