32. 打開策
革靴が床を蹴る音が慌ただしく響く。まだ空が目覚めていない時刻、目の下に深い闇のように濃い隈を作った大人たちがぞろぞろと廊下を歩いていた。
「やはり極秘逮捕なぞ、成立していいものなのか……」
「仕方ありませんよ。都市に有力者が逮捕されたと知れ渡れば、機密事項まで一緒に流出しかねません」
「しかし、逮捕されてから12時間が経過しても、何一つ情報を話さないとは……」
「上から強く出すぎるな、と指示されている。こちらもそろそろ限界が近いのに……」
大人たちは次々に不安や焦り、苛立ちを口にした。彼らは全員規範と正義に板挟みにされ、心身ともにすり減っている様子だった。
「………この膠着状態を終わらせることは、私たちにはできません」
中でも比較的若い者が弱音を吐いた。その疲れ切った声色を年長者たちは叱ることができず、彼に呼応するようにため息を吐くばかりだった。
「そうだな」
先ほどより小さくなった靴音をかき消すように、厳格な声が響いた。大人たちは先頭を歩く者の背中に視線を向ける。
「我々ができることは限られていた。しかし、それが無駄だったわけではない。……彼女はそれを直接我々に伝えるような人格者だ。我々は被告人に敗北したが、組織としては負けていない。役目は果たしたと言えるだろう。全ては『我々』の勝利のために」
彼の言葉に、大人たちは背筋を伸ばした。やがて辿り着いた扉の前で、彼は自身の部下である者たちを振り返った。
「ここまでご苦労だった。しかし、我々の任務は完了していない。後は裏方に徹するとしよう。もうひと踏ん張りだ」
彼は扉を開けた。そこには白い髪をした少女がいた。彼女の髪が照明を反射してまばゆく輝いている。彼女は大人たちの来室に気が付くと、ソファから立ち上がって彼らと対峙した。
「………お疲れ様、だね」
少女は彼らに敬礼した。功労者に対する、最大限の労いだった。先頭に立つ者が彼女に頭を下げる。
「申し訳ない。本来、この場に執行官殿をお連れする予定ではなかった。我々が不甲斐ないばかりに、君たちの手を煩わせたこと、どうか許してほしい」
少女は彼の言葉を無言で受け止めた。顔を上げた彼が見たものは、悲しそうに顔を歪めた少女だった。
「………そんなこと言われたくなかった。ボクは、キミたちに呼ばれなくてもここに来るつもりだったんだよ」
少女は手を伸ばし、彼の胸の中心をつついた。彼とその後ろの者たちは彼女の行動に目を丸くする。
「キミの心臓がもう限界だと嘆いている。疲労による頻脈性不整脈だ。健康な身体無くして責任重大な任務は遂行できない」
少女は掌で彼の心臓を慈しんだ後、彼の後ろに立つ者たちに眩しい笑顔を見せた。
「ここまでよくやってくれた。後はボクたちが引き継ぐよ。必ず必要な情報を持ち帰ってくるから」
少女の笑顔に感嘆したような歓声が上がる。少女は先頭に立つものにウインクして、彼に耳打ちした。
「本当にありがとう。あの者を連れてきてくれて。ボクの部下にあれと因縁がある者がいてね。それこそ本当の意味で『縁』がある者なのだけれど。……だからこそ効果は抜群だ」
少女はそう言って「ねっ」と後ろを振り返った。彼女につられて大人たちも部屋の奥を見る。
「………」
そこには拳を握りしめながら感情を抑え込むかのように深い呼吸を繰り返す、枯れ枝のように細い線の少年がいた。
〇
「極秘逮捕?」
時刻が午後四時になりかけていたころ、僕が休憩時間を終えて自室から共有スペースに下りるとホムラが緊張したような面持ちでダイニングに座っていた。ホムラはテーブルに置いてあるパソコンを、僕が画面が見えるように向きを変えてくれた。
「ああ。昨夜、鷹崎グループの裏切りが判明したと話しただろう。そしてその裏切りの首謀者であった代表取締役社長が先ほど逮捕された。公には明かさない極秘逮捕という形でだ」
僕は「極秘逮捕」という言葉に引っかかっていた。
「どうして極秘なんかで……」
「鷹崎グループはセレスチャルを支える大企業だ。それに、セントラルエリアに関する機密が共有されている。都市にこの情報が流れたら、マスコミが押し寄せて大騒ぎになるだろう。今の八咫烏には外部の人間の対応ができるほど余裕はない。追い詰められて機密が漏れだすことだって考えられる」
「そう、だね……」
僕はホムラの冷静な意見に納得せざるを得なかった。憎き叔父が逮捕され、世間にその悪行が広まることを期待している自分がいたが、ホムラの言う通り鷹崎グループは秘密を抱えすぎている。僕が世間に被害者として受け止められることよりも、都市の機密を守ることの方を八咫烏は優先すべきだろう。
「昨日逮捕された社員は鷹崎グループの腹の中を完全には知らなかった。事務所を襲撃した燦然世代の司教の行方を追うためには、君の叔父とその周りの人間からさらに情報を引き出す必要があるだろう。昨日の打ち合わせの通り、俺とトバリはこれから本庁に向かい九命猫の本部から指令を受け取ってくる。おそらく裏切者たちと接触することになるだろう。シグレはここで引き続き二人と共に作業を継続してくれ」
ホムラはそう言いながらパソコンを閉じて、出発の準備を始めた。僕は彼の指示に頷いたが、トバリの姿が見えないことが気になった。
「あれ、トバリは今どこにいるの?」
「彼女の自室だ。君がこの階に下りてくる前に『電話をしてくる』と言って階段を上って行った。おそらく俺たちが急遽本庁に向かうことになって、パトロール要員が欠けてしまったため支援を要請しているのだろう」
ホムラが教えてくれている間に、部屋の扉が開いて携帯を片手にしたトバリが現れた。
「おや、少年もいたのか。ちゃんと休めたかい?」
トバリは僕を見ると、いつものように明るく話しかけてくれた。
「うん。これから戻るところ…二人はこれから本庁に行くんでしょ?気をつけてね」
僕が見送りの言葉を贈ると、トバリとホムラはそれぞれ頷いた。
「ありがとう!少年。行ってくるよ」
「心得た」
二人に手を振って、今度は僕が部屋の扉を開けた。
「人員確保はできたのか」
「うん…三班が活動範囲をボクたちが担当する予定だった区域まで広げてくれるらしい」
「後で感謝しておかないとだな」
階段に繋がる廊下を歩くうちに二人の会話は聞こえなくなった。階段を下りると一階の作業場で資料の整理を行っているカスミとコハルが、人の気配に顔を上げた。
「おっ、シグレおかえり!」
カスミは僕に声をかけてくれた。コハルは作業に集中しているようで、僕の顔を見た後すぐに手をつけている資料に視線を落とした。カスミは事務作業に飽き始めているようで、僕が休憩前に行っていた作業を再開しようとすると、椅子のキャスターを鳴らしながら近づいてきた。
「聞いたか?八咫烏が鷹崎グループのメンツをまた逮捕したって」
僕はここに来る前にホムラから概要を聞いた旨を伝えた。
「うん。極秘逮捕だって言ってたね。これで司教の足取りが掴めるといいけど……」
僕がそう言うと、コハルが資料のページをめくる音が止まった。彼女は大きくため息をついて、椅子の背もたれに全身を預ける。
「……これで向こうが簡単に情報を吐いてくれたらいいけど、そううまくいかないだろうな」
コハルは天井を眺めながら、気怠そうに椅子を回転させた。僕はなぜ彼女がそう予想しているのか分からなかった。
「どうして?昨日逮捕された人からはすぐに情報を引き出せたわけだし、今回も八咫烏ならすぐに終わるんじゃ……」
僕の疑問にコハルは少し間をおいてから、僕の方を見た。
「確かに八咫烏はプロ集団だよ。尋問を得意とする部門だってもちろんいる……でも、今回は八咫烏だから難航する気がするの」
コハルが危惧していることがうまく理解できなくて、僕はカスミと一緒に首を傾げた。
「それってどういう……」
僕がコハルに尋ねようとすると、トバリとホムラが玄関に下りて来た。
「コハルが危惧していることは正しいと言えるね。今回逮捕された者のうちの一人、鷹崎グループの現代表……もとい少年の叔父はなかなかに食えない人物だ。ボクは本庁で何回か会ったことがあるけれど、随分と分厚い仮面を被っていたね。初対面のときは心底ボクに興味がなさそうな表情をしていたのに、ボクが『対最優先事項部』の一班に所属が変わってからは『人当たりがいい顔』を向けてくるようになった。そんな印象を抱いていたからか、まさか私生活で虐待監禁を行っていたなんて思いもしなかったよ」
僕はあの家で見た叔父の顔を思い出してしまった。怒りも憎しみも感じられないあの無表情な男は、僕を殴るときでさえその顔を崩さなかった。作業をこなしているかのように淡々と、僕に恐怖を植え付けていくのだ。
(あいつ、表情筋使ったりするんだな)
あいつは僕にとっては化け物でも、他の人間から見たら優秀な企業のトップだ。父さんが死んだことによって代表になったとはいえ、あいつの能力は低いわけじゃない。本当に厄介で憎らしい男だ。
「……何より八咫烏は鷹崎グループに先手を打たれている。今回逮捕された者たちが鷹崎グループの重役ばかりであることが本当に痛手だな…」
トバリは面倒だと言わんばかりに肩を落とした。しかし、すぐに頭を振って雑念を振りはらう。
「いや、心配事ばかり口にしていてはきりがない。とにかくボクたちは本部に行ってマサヨシ人事部長と合流してくるよ。一班の今後の方針は尋問がうまくいくかどうかで変わる。……キミたちも無理せず頑張ってね!」
トバリとホムラは拠点を出発した。扉が閉まると少しの間沈黙が空間を支配する。
「……そんなにやべー奴なのか。シグレの叔父」
カスミは僕の方を向いて呟いた。彼はトバリのようにあいつに会ったことはないらしい。
「そう、だね。あいつはきっと人間じゃない。心があるように思えなかったから……。他の人にも、あいつが悪人だって知れ渡ればいいのに」
思わず本音が飛び出してしまう。カスミは眉間にしわを寄せて、悲しそうに言った。
「そうか……家族が一番怖い人間になっちまうのは、しんどいな……俺には想像できねえくらいに」
カスミはそう言うとじっと自分の掌を見つめた。何かを握るような動作を繰り返したあと大きくため息をついた。
(あ、僕が空気重くしちゃったかも……)
辛気臭い話をしてしまったせいで、部屋がより一層重い沈黙に包まれた。僕が助けを求めるような視線をコハルに送ると、「やれやれ」といった顔で彼女は椅子から立ち上がった。
「カスミ。もう事務作業飽きちゃってるでしょ?まだ手伝ってほしいことがあるから、ここで一回お茶でもしてリフレッシュしない?そしたらまた集中できるよね」
コハルの提案にカスミの表情が一気に明るくなった。
「おお!いいのか?いや~実は結構眠気がきててさ。そうしてくれるとすげー助かるぜ!」
カスミは席を立ち、軽い足取りで階段に向かう。途中何かを思い出したように僕たちを振り返った。
「そうだ。前に作ろうと思って、材料だけ買ってそのままのホットケーキミックスが残ってるはずだ。さくっと作れるし、それでお茶にしようぜ!」
カスミはにかっと歯を見せて笑った。久しぶりにその笑い方が見れて、僕も思わず口角が上がる。
「やった…!楽しみ!」
「おう!そんじゃ、さっさと作ってやるぜ!」
僕はカスミに続いて階段を駆け上った。後方から「もう元気になってる」と笑いを含んだコハルの声が聞こえて来た。
〇
待ちゆく人の顔に疲れが現れるころ、八咫烏本庁内に設置された九命猫本部に二人の来客があった。一人は能面のように感情が読み取れない少年、もう一人は自身に満ち溢れた立ち姿の少女だった。二人は慣れた手つきで関係者専用の入り口を開くと、まっすぐに「九命猫人事部」と記されたオフィスへ歩いて行った。
「来たよ!マサヨシ人事部長!」
ある人物を名指しで呼びながら入室した少女に、オフィス内の者が注目する。ざわつく周囲を気にすることなく少女はずかずかとオフィスの奥に侵入していった。少女の連れである少年はオフィス内の者たちに会釈をして彼女の後ろをついていこうとする。しかし、一人に声をかけられ彼は動きを止めた。
「……来てくれてありがとうございます」
いつもと全く異なるその態度に、少年はわずかに目を見開いた。少年に声をかけた者は奥にあるガラス張りの部屋を指しながら言った。そこには少年の見知った男の姿がない。
「人事部長は今外出しています。私はお二人が来たら自分が遅れる旨を伝えるよう、部長から頼まれていました。その……尋問の最中にとある問題が発覚したとのことでして、上から呼び出しを受けたのです」
「……問題?」
少年が眉をひそめる。男性は小さく、しかし確かに頷いた。
「私も詳しいことは分からないのですが、上は部長にお二人とのお約束があることを知ったうえで呼び出したと思います。ですからお二人にも影響があるお話なのではないかと」
いつのまにか少年と男性の会話を聞いていた少女が、顎に手を当てて考える素振りを見せた。
「そうか……ありがとう。ではここでマサヨシ人事部長を待っていてもいいかな?」
彼女が尋ねると男性は了承した。
「はい。部長から部長室にお二人を案内するよう申し付けられています。どうぞこちらへ」
少女と少年は男性の後に続き、無人のガラス張りの部屋へ足を踏み入れた。
向かい合わせに置かれたソファに座りながら、二人は発生した問題について考察していた。今回の尋問が難航することは周知の事実であったが、上がわざわざ本庁と九命猫のパイプ役を呼び出したのだ。尋問自体の困難であればその必要はないはずである。
「わざわざマサヨシさんを呼び出すなんて、どんな問題が起こったんだろうね」
少女は髪の毛先をいじりながら、ぼんやりと呟いた。少年はくつろぎすぎとも言える少女を半目で見ながら、ソファの背もたれに背中を預けた。
「君は不安じゃないのか?上が行動を起こすなんてよっぽどのことだと思うが……九命猫に情報収集といった手伝いを申し出るなら、尋問を担当する部署の者を寄こせばいいだろう」
少年は現状に不安を抱いているようだった。少なくとも、今回の上からの呼び出しは彼にとって予想外だったのだろう。
「不安、とは違うかな。だけど確かな胸騒ぎがするね。なにかものすごく面倒なことが起こっている気がする」
少女が手から髪の束を放すと、扉が開く音がした。二人がその方向に視線を向けると、酷く疲れた顔をした中年の男が立っていた。
「…………待たせて悪かったな」
男はふらふらと自分の机に向かい、脱力しきった様子で椅子に座り込んだ。客人である少女たちがいるのに、彼らのことを気にかける余裕は無いように見える。少女と少年はソファから立ち上がって、男に何があったのかを尋ねた。
「やあ、お邪魔しているよ。マサヨシ人事部長。さっそくだけど、一体何があったのかボクたちにも教えてくれ」
少女は自らがマサヨシと呼んだ男に顔を近づけた。少女の目には、彼のこけた頬と濃い隅がはっきりと映っていた。
「……面倒なことになったぞ」
マサヨシはため息交じりにそう言った。少女と少年は彼に視線を送って、話の続きを促す。マサヨシは関節を鳴らしながら伸びをして、脱力したときの猫背のまま話始めた。
「……何が起こったのか説明する。鷹崎グループたちの逮捕が極秘で行われた理由は、お前たち分かるだろう?」
マサヨシの問いかけに二人は頷いた。
「鷹崎グループは機密に深く関わっている。故に今は市民に内情が漏れることがないように極秘逮捕とした。……八咫烏も向こうさん方も混乱状態だ。俺たちの内争で市民まで混乱させるわけにはいかない」
マサヨシは鷹崎グループに所属する「裏切りに関わっていない」社員たちを気にかけているようだった。少女は好ましいと感じているマサヨシの性格が垣間見える彼の言葉に、思わず目を細めた。
「まあ、それも大きな理由だが、その前に八咫烏は鷹崎グループと『厄介な契約』をしちまっている。問題を起こしたのはあっちだ。俺たちは有利な立場にいるが、尋問という名の取引をしなけりゃならないだろ。その様子をメディアに感づかれるわけにはいかないからな」
マサヨシは「やっぱり美味しい話すぎたよなあ……」と過去の「契約」を憂いているようだった。
「確かに怪しいほど美味しい話だったが、ボクたちには選択肢がなかっただろう。対象は侵入者とはいえ、ボクたちが守るべき市民に変わりはない。鷹崎グループの技術力無くして、市民の精神安定も国家機密も守れなかった」
少女は現実的な意見を述べた。しかし、その目には裏切者たちに対する憎悪が込められていた。
「……ボクたちが『提案』を飲むことをわかっていたんだろう。やはりあのときから鷹崎グループの裏切りは始まっていたんだ」
少女の言葉に彼らがまとう空気が鋭くなった。
「……話を戻すが、俺たちが目下達成すべきは『鷹崎グループが所有する脳構造改造手術の使用権を維持すること』だ。そうでないと九命猫…特にお前らの任務に支障が出る。燦然世代の情報を手に入れるより先に話にけりをつけたかったんだが……」
マサヨシは机を爪で何度も叩いて苛立ちを顕わにした。少女と少年はそれ以上は口ごもって言わないでいるマサヨシを不思議そうに見つめる。
「今の状況では、八咫烏が鷹崎グループに技術提供を強制することは容易いのでは。まあ、今回の尋問で面倒なことといえばそこですが。市政もさすがに今回のことは看過できないでしょう。……本来ならば裏切者たちだけでなく、企業全体に罰則が与えられてもおかしくない案件です。それを引き合いにすれば残された者たちは話に頷くと俺は思いますが」
少年がきわめて合理的な意見を述べた。少女は少年の言葉に滲んだ本心に、思わず悲しそうな顔をした。少年の意見をマサヨシは首を振って否定する。
「ああ、そうだ。八咫烏が鷹崎グループに命令する立場であることは変わりない……が、今の鷹崎グループに『脳構造改造手術』の所有権を引き継げる人間がいないんだよ」
マサヨシはとうとう貧乏ゆすりをし始めた。二人は彼がなぜそこまで焦っているのか分からず、お互いに顔を合わせた。
「……マサヨシ人事部長。キミが恐れていることが何なのか、いまいち伝わってこないよ。だいたい、手術を施す者たちは技術の所有権を持った者ではなく、その資格を持った者だったではないか。つまり優秀なお医者様だ。鷹崎グループお抱えの医者は今回の裏切りに関わる暇もなかっただろう」
マサヨシの額に汗が滲んだ。彼は上が自分に何を求めていたのか、わかりきっていた。しかし、それを彼自身も認めたくなかったし、それを伝えられた目の前の二人が何を思うのかも、彼にはわかりきっていた。
「マサヨシ人事部長。ボクたちはとっくに覚悟ができているよ。一体ボクたちが何回困難を乗り越えたと思っているんだい?キミの不安を、ボクたちにも共有してくれないか」
少女がマサヨシをその大きな瞳で見つめた。彼女の瞳には何もかもを受け止めてくれるような安心感と同時に、世界の全てすらも見届けて来たかのような気迫も感じられた。マサヨシは少女の瞳に根負けして、一度がっくりと項垂れた。
「………そうだよな。お前らが狼狽えるのを心配する必要なんて、ないよな」
マサヨシは顔を上げて、はっきりとした口調で言った。
「鷹崎グループが開発した『脳構造改造手術』は手術を行う前に、所有権を持つ者の許可を得る必要がある。まあ特許だからな。法律上必要な手続きだ。そしてその所有権を引き継げる者は鷹崎の血が流れている者だけだ」
「!」
少女と少年は同時に目を見開いた。その様子を見たマサヨシは、静かに尋ねる。
「俺が上に呼び出された理由、もう分かるな?」
部屋に沈黙の時間が流れる。しばらくして口を開いたのは少女の方だった。
「………市政に打診することはできないのかい?今回ばかりはその手続きを無視してくれないか、と」
少女の提案にマサヨシは首を横に振った。
「もう、断られた後だ。『前例がない』とさ。セレスチャルの特性上、企業に関係する法律は強固なものにしたいんだろうよ。……それに今は市政に楯突くような真似はしたくない。ただでさえ目の敵にされてる節があるからな」
少女はこの説明で納得がいったようで、それ以上何かを言うことはなかった。しかし、彼女の隣に立つ少年は続けざまにマサヨシに尋ねた。彼の無表情に怒りが込められていることがはっきりとわかる。
「なぜ上はマサヨシさんを呼び出す必要があったんですか。上にはすでに該当する人物がいるでしょう」
少年は半ば吐き捨てるかのように言った。少年の心情を察した少女は、苦しそうに彼を見つめた。
「ホムラ……」
少年の言い分を理解したマサヨシは、彼の納得を得るよりも事実を伝えることを優先した。
「そうだな。そっちの方が安全かつ確実だと、不敬にも訴えてみたよ。だがな断られちまった。……やっぱり自分の子どもが大事なんだよ」
その事実を知ったホムラという名の少年は、わずかに声を荒げてマサヨシに詰め寄った。
「守ってくれる者がいる人間が、そうでない者に危険を背負わせると言うのですか!あちらの方がより説得力を持つというのに、私情で彼を巻き込むなんて……」
ホムラの反論を、少女はやんわりと制止した。
「それをマサヨシさんに言っても解決しないと、キミも分かっているだろう。それに彼だって、上の言い分に不満を持っているんだ。だけど、彼らにも受け入れてほしい感情がある。こっちの意見をただぶつけたところで、喧嘩になってしまうだけだ」
ホムラは落ち着いた様子の少女に、言い返そうとした。
「だが……!」
少女はホムラの唇に人差し指を押し当てた。そしてゆっくりとマサヨシを見る。
「………ボクから話してみるよ。そして彼が承諾してくれたら、また連絡する」
「トバリ!」
ホムラは少女に反発した。しかし、トバリという名の少女の揺るぎない瞳に、何も言えなくなった。
「ホムラ、ボクたちはきっと少年の覚悟を見くびっている。保護対象として彼を見るのはもう終わりにするべきだ。……それに、彼を守るのはボクたちの仕事だろう。彼はもう一人ではない」
「……………君の、言うとおりだ」
ホムラはあらゆる感情を飲み込んだように、それ以上は黙って事が進むのを見届けていた。トバリはマサヨシに一つだけ約束を取り付けた。
「マサヨシ人事部長、もし少年がこの話を断ったら、彼の意思を尊重してほしい。ボクは……仲間を無理矢理犠牲にはしたくないから…………前と言ってることが違うって言われても仕方ないと思う。でも、お願いだ」
トバリが切実に頼み込むと、マサヨシはわずかに微笑んだ。
「わかってるよ。お前がそういうやつだって、改めてわかってよかった。鷹崎クンの意思を第一に考えて行動してくれ」
マサヨシの言葉に安堵のため息をついた少女は、彼に敬礼をした。
「感謝するよ、マサヨシ人事部長。これからすぐに拠点に戻り、少年と話をしてくる。進展したらすぐに伝えるから、キミも何か鷹崎グループから新たな情報が出たらすぐに伝えてくれ」
二人は足早に退室していった。相変わらず行動が早い彼らに、マサヨシは思わず笑いをこぼした。そして緩慢に机の上に肘をつき、拳に額を預けた。早鐘を打つ心臓を抑え込むように、深く呼吸をする。
「……頼むぞ。もうこれ以上の打開策は見つからないんだ………頼む、了承してくれ鷹崎クン……」
マサヨシはきつく拳を握りしめながら、二人からの連絡を待つことになった。
〇
「………というわけなんだ」
僕は思ったよりも早くに帰ってきたトバリとホムラから、驚くような話を聞かされた。本庁に行った二人が持ち帰った話は、僕に「鷹崎グループを打ち負かすための手段になってほしい」というものだった。驚いて何も言えないままの僕に、トバリは真剣な表情で言う。
「少年。もちろんキミを無理に連れていくことはしない。これからキミはキミの叔父のすぐ近くにまで迫ることになる。キミを条件に当てはまる者として連れていく以上、キミが八咫烏に身を置いていることがばれてしまう。八咫烏は鷹崎グループの代表を無力化する前に、脳構造改造手術の所有権を信頼できる者に移さなければならないんだ。だからキミの叔父が牙を向いてくることだって、十分にあり得る……」
トバリは自身の胸に手を置いて、じっと僕を見つめた。
「だけど、そうなったとしてもボクたちがキミを守ると誓うよ。もうこれ以上、鷹崎グループがキミを苦しませることは許さない。キミはボクたちの大切な仲間だ。でも今はキミの力に頼る以外の方法が見つからない。情けないけれど、もし了承してくれるならこの手を取ってほしい」
トバリは僕に手を伸ばした。この光景に、僕は彼女と初めて出会った時のことを思い出した。あの時は僕は地面に座り込んで彼女を見上げていたけれど、今はもう違う。僕は彼女と同じ地を踏みしめて、同じ組織の仲間としてここに立っている。僕が心の底から憧れて、人生を捧げたいと思った彼女の願いを、僕は叶えたいと思った。
「………僕で役に立てるなら、連れてってほしい……!」
僕はトバリの手をしっかりと握った。僕の命を救ってくれた八咫烏に、仲間たちに……そして彼女に恩を返すことができるなら、僕は再び地獄に対面することだって乗り越えて見せる。僕がトバリの手を握った瞬間、彼女は安心したように目をつぶった後、不敵な笑みを浮かべた。
「ボクたちで、裏切者たちに一泡吹かせてやろうではないか!」
それは僕が一等美しいと思っている表情だった。




