39話 だって、わたしの王子様ですから
「それにさ。宰相がなーんか面白いこと言ってたんだよね」
頭領はふたたび足を組み、その上で頬杖をついた。
虎目石の瞳を細めてシトエンを見つめる。
「君、前世を共有できるんだって?」
心臓が跳ねた。
(……ルミナスの宰相経由でなんらかの情報が洩れていたのかしら……)
動揺を気取られないようにシトエンは無表情を装う。
そういえばアリオス王太子とシトエンの縁組を強く望んでいたのはあの宰相だと聞く。
ルミナスで冷遇を受けていた時も、宰相と国王だけは細心の注意を払ってくれた。
それは。
シトエンの秘密を知っていたからではないのか。
「冬熊くんも君に感化されているみたいだし。ぼくも見てみたいな、君の前世」
微笑まれてゾッとした。
知らずに身体がこわばっていたのか。抱き着いたままのイートンが「大丈夫ですよ」とささやいてくれる。
「このイートンが指一本ふれさせませんっ」
彼女の顔は真っ青で。なにより彼女自身が小刻みに震えているというのに。
それでもイートンは頭領をにらみつけていた。
「ありがとう、イートン。でも大丈夫です。きっと、サリュ王子が助けに来てくれます。それまで頑張りましょうね」
シトエンが言うと、イートンは操り人形のようなぎこちなさで何度も首を縦に振った。
「冬熊くんかぁ。あ、そだ。彼の傷を治したのも君なんでしょう? そういった医療知識も教えてほしいなぁ」
頭領の言葉にシトエンは無言で返す。
しばらく黙ってみていた頭領だが、ふふふ、と笑って腰のナイフを引き抜いた。
ひ、とイートンが小さく声をあげたのは、シトエンの顔に切っ先を向けたからだ。
「ぼくが欲しいのは君の頭脳だけだから。顔とか足とか。あんまりいらないんだよねぇ。言うこときかないなら、斬り落としちゃうよ?」
顔はおだやかで、声も柔らかいのに。
虎目石の瞳だけが獰猛な光を宿している。
シトエンは震える唇をぎゅっと引き絞り、ごくりと息を呑む。
「大丈夫です、イートン」
できるだけ平常の声音でシトエンは繰り返す。
「サリュ王子が来てくれます。大丈夫」
「そ、そうですね」
イートンは震える声で言ったあと、タニア王国の聖典の一部を小さく詠唱し始めた。
シトエンはそんな彼女の腰に手を回し、「大丈夫大丈夫」と繰り返す。
「よっぽど信頼しているんだねぇ、あの冬熊くんのこと」
不思議そうな声に、シトエンは笑う。
「だって、わたしの王子さまですから」
そう。
ルミナス王国でのつらい日々から救い出してくれたように。
きっと今度も彼は来てくれる。
シトエンは目を閉じた。
よみがえるのは彼の姿。
大きくて、力強くて、いつも快活な声で笑い、照れた声音で自分の名前を呼ぶ声。
少しかさついた、でも温かい彼の手のひら。シトエンの頬を撫で、優しく包み込んでくれる彼。
きっと彼が来てくれる。
祈るような気持ちで「サリュ王子」とつぶやいたとき。
轟音と共に馬車の屋根が半分吹っ飛んだ。
イートンが悲鳴を上げ、しがみつく。頭上に木っ端が降ってきた。
ふたりして身をすくめたあと、おそるおそる目を開く。
驚いているのはシトエンだけではなかった。
向かいの席の頭領もあっけにとられて半分壊れた天井を見上げている。
骨組みがあらわになった馬車の天井は半壊しており、夕闇が迫る空が見えている。
(な……なにが……起こったの……?)
ドンっ、と。
今度は真横で重低音が鳴る。
窓の外を見た。
のろく跳ねながら岩のようなものが地面を転がっているのが見える。
「マジかよ、カタパルトか⁉」
頭領が乾いた笑い声を漏らした。
(カタパルト……。投石機?)
知識にはあるが見たことはない。だが、サリュの騎士団は移動する際、さまざまな機材や武器を持参している。使用したとしても不思議ではない。
(サリュ王子が来てくれている⁉)
馬車に張り付き、窓から後方を凝視する。
その間にもドンっと鈍い音がした。馬が警戒していななく。
それだけじゃない。後方から何度も飛んでくる岩に馭者はだんだん馬を制御できなくなっている。
細かく左右に揺れる馬車から後方を確認する。
「サリュ王子……!」
馬が見えた。
サリュの愛馬が鼻先を突き出すように疾走してきている。
その馬を駆り、自身も身を低くしているのはサリュだ。
「サリュ……きゃあ!」
馬車は左右に蛇行し、シトエンは悲鳴を上げた。
どん、と。
今度は左の車輪に岩が命中したようだ。
大きく馬車本体が揺れ、あわや転倒するかと思ったがなんとかそれは免れた。
だが横揺れのせいか、馬車の速度は大幅に落ち、かつ、扉の留め具が緩んでいることにシトエンは気づいた。
(いけるかも……)
ちらりとシトエンは向かいの頭領に視線を走らせる。
馭者台と馬車を遮る壁も一部破損し、頭領はそこから馭者に向かってなにか指示をしている。
「イートン!」
「お嬢様⁉」
シトエンはイートンの腰をつかんだまま、扉を開けた。
そこからイートンと抱き合ったまま、飛びおりる。
最初に感じたのは背中から肩にかけての衝撃だ。
肺の空気が漏れて「はうっ」と奇妙な声が出る。
イートンと抱き合ったまま、ゴロゴロと横転を繰り返した。イートンがきつく自分の頭を守ってくれていたから、痛みは腰と背中に集中した。
ようやく回転が止まる。
イートンが自分にのしかかるようにまだ抱きしめていた。
シトエンは痛みをこらえ、半身をよじるようにしてイートンを仰向けに横たえた。
「大丈夫ですか⁉」
「うう、お嬢様は……?」
どうやら街道からはずれた草むらに自分たちはいるらしい。
馬車の車輪がガラガラと拍子はずれの音をたてながら遠ざかっている。
イートンも身体を起こそうとしているが、うまくいかないらしい。慌てて彼女の目を覗き込む。瞳が左右にぶれていた。軽く震顫を起こしている。
「頭を打ちましたか⁉ 脳震盪かもしれません。動いてはいけません!」
手早くイートンの頭に指を這わせる。ぬるり、と指先が血で濡れた。右後頭部だ。そっと探るが裂傷は浅い。
急いでスカートの裾を破り、圧迫止血をする。
「お嬢様、私は大丈夫です」
「動かないで、イートン!」
鋭く命じると、遠くから足音が近づいてきた。
(あの男……⁉)
まだ追ってきたのだろうかと、シトエンは反射的に立ち上がる。
こぶしを握り締めた。
サリュから教えてもらった護身術。
それを思い返して、振り向いた。
ぼすり、と。
次の瞬間、目の前が真っ暗になる。
それだけじゃない。強く圧迫され、温かいを通り越してなんだか熱い。
「え……?」
なにがどうなったのか。
狼狽するシトエンの耳に、聞きなれた低い声が流れ込んできた。
「よかった……シトエン。ごめんな、遅くなった」
荒い息のまま、そう詫びられる。
サリュだ。
自分はいま、サリュに抱きしめられている。
そのことに気づいてシトエンは涙があふれた。
「サリュ王子……」
それだけをつぶやき、ぎゅっと彼の背中にしがみついた。




