38話 頭領という男
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シトエンがようやく馬からおろされたのは、領主屋敷の敷地を出て、いくらか走ってからだった。
林の中に隠すように待機させていた馬車に強引に押し込まれたシトエンだったが、そこでイートンに再会した。
「イートン! 無事でしたか⁉」
小さくなって震えている彼女は、猿ぐつわをはめられた上に、手も後ろで縛られていた。
素早く隣に座り、猿ぐつわをはずしてやる。
「お、お嬢様……!」
ボロボロと涙を流すイートンを抱きしめる。
どれだけ心細かっただろうと、彼女の心境を想像し、シトエンも涙がこぼれた。
「すぐに外しますから」
ぎゅっと力強く抱きしめてから身を離す。イートンに背中をむけさせ、手を縛るロープをほどこうとするが爪がたたない。結び目が緩む気配もない。
「どら、ほどいてやろう」
乗り込んできたのは頭領だ。
ばたん、と馬車の扉を閉めると、無造作に取り出したナイフを持って近づいてくる。
一瞬イートンは息を呑み、シトエンも顔をこわばらせたが、頭領はあっさりと拘束するロープを断ち切ってくれた。
そのまま彼は向かいの席に座ると、コンコンと馬車を叩いて合図を送る。
ほどなく馬車は走り出した。
「お、お嬢様に手出しをさせませんよ!」
イートンがシトエンに抱き着き、音程の外れた声でそんなことを言いだした。
向かいの席に座っていた頭領は、ぽかんとした顔でイートンを見たが、すぐに腹を抱えて笑い始める。
「なにがおかしいのです、この悪党!」
イートンが真っ赤になって怒る。頭領は手をひらひらさせた。
「すまんすまん。いやあ、竜紋のお嬢さん、あんた、いろんな人に愛されてるんだなぁ」
頭領は目の端に浮かんだ涙を拭い、「ああ、おかしい」と言ってから足を組んだ。
がたり、と馬車が大きく傾ぐ。
イートンが「ひゃあ」と声を上げ、シトエンがなだめるようにその背を撫でた。
たぶん林道から街道へと馬車が出たのだ。
いままでとは比べ物にならないほどのスムーズさと速度で馬車が走り出す。
「おかしいなあ。本当はもっとたくさんの仲間と合流するはずなんだけど……。ま、いっか」
頭領はにこりと笑い、シトエンに告げた。
「このままちょっと移動するから。おとなしくしてて」
「わたしにご執心のようですが……なにが目的なのですか?」
イートンを抱き着かせたまま、シトエンは静かに尋ねた。頭領は愉快そうに小首をかしげて見せる。
「目的? んー、そうだなぁ」
「できれば率直にお願いいたします。すぐにサリュ王子が……夫がここに来ると思いますので」
「違いない! 君の夫ってあれなに? 驚異的な生命力っていうかさあ! 絶対殺したと思ったよ。それなのに生きてるし! あ、そうか。熊って皮下脂肪と筋肉がすごいんだってね。ナイフとか刺さらないって聞くし。そうかそうか。今度は頭を狙おう」
愉快そうに笑ったあと、頭領は足を組み、馬車の背もたれに上半身を預けた。
「でもざんねーん。君はもう自慢の夫にあえませーん。なぜなら、ずっとここにいるからでーす」
頭領は前かがみになり、シトエンに顔を近づけた。にこにこと笑う。
「ずっとずーっと一緒にいようね。冬熊くんのことなんてすぐに忘れさせてあげるからさ」
「お断りします」
きっぱりとシトエンが言い、頭領はまた笑い声をたてた。
「あのさ、これ見てどう思う?」
頭領は言うと、腰ベルトにつなげた布袋から翡翠のペンダントと黄金のバックルを取り出した。
「これは……モネさんとロゼちゃんが持っていたものですよね」
「さようですね」
シトエンだけでなく、イートンも思わずという風にうなずいた。
「これを見てどう思う?」
頭領は繰り返す。
だがシトエンは意図がわからない。困惑の色を瞳に浮かべて頭領を見た。
じっと。
虎目石の瞳は自分に向けられている。観察するように。嘘を言っていないかと確かめるように。
「あなたがなにを知りたいのかわかりません」
シトエンは慎重に答える。頭領は柔和に笑った。
「昔、この黄金のバックルを見て、『こんなものいくらだって作れるのよ』と言った女がいたんだ。君とおなじく不思議な記憶を持つ女だった」
どきり、とシトエンの心臓が跳ねた。
自分と同じ前世の知識を持つ者だろうか。竜紋を授けられた者だろうか。
それがこの男と知り合い、タニア王国の極秘事項でもあることを話した。
ありえない、とシトエンは強く思った。
竜紋を持つ者は厳しくタニア王国に管理されている。そして自らが「タニア王国」の根幹をなしているのだという気概と矜持を持って生きている。軽々しく口にするような真似はしない。
いったい誰がと目まぐるしく思いを巡らせていたら、ぬっと頭領が顔を近づけてきた。
「君もなにがしかの不思議な力があるんだろう? ねぇ、竜紋のお嬢さん。君さぁ、黄金が作れるんじゃない?」
「……錬金術ということですか?」
そういえば、診療所でも似たようなことを言っていたと思いだす。
たぶんだが、この頭領という男は断片的にしか情報を得ていない。「竜紋」「前世」「知識」「不思議な力」。それらをつなぎ合わせ、自分の都合がよいふうにしか考えていないのだ。
「錬金術は存在しません」
シトエンは頭領の目を見据えて言う。
「金とは、わたしがもといた国でいうところの、原子番号79の元素です」
「げんそ?」
「この世界はさまざまな元素や原子でできていると考えられています。原子同士がくっつきあって別のものが出来上がることはありますが、原子そのものを作り出すことはできません」
「つまり?」
「そして金は元素です。元素を作り上げることはできません」
「ふうん。……でも作れるって聞いたよ?」
挑発するように頭領が笑う。シトエンはゆっくりと首を横に振った。
「その方がなにをさしてそのようにおっしゃっているのかはわかりかねますが……。それは金メッキのことではないでしょうか」
「金メッキ?」
「方法はいろいろですが……ざっくりといえば、金素材にごく薄い金箔を溶かして貼り付ける方法のことです。例えば、そのバックル。すべてが黄金であればものすごく価値のあるものでしょうが、鉄でバックルの本体を作り、その上からほんの少量の金を溶かしてとても上手に貼り付ける加工術があるとすればどうでしょう? ものすごく低価格で金に似たものが作れるのです」
「待って待って待って」
頭領がシトエンの言葉を遮った。
「ということは、金を増やす術じゃないってこと?」
「金を増やすことはできません」
「君の話をまとめると、金属を加工して金を貼るってこと?」
「そういう……ことになります」
「でも見た目はまったくわからない?」
「わたしの生きていた世界では……。まあ、ええ。もちろん技術によって差はあります。それになにより値段を見ればわかることです。見た目は金のアクセサリーであっても、安ければ……」
「逆をかえせば、金だと思わせることができるわけだ。少量の金で」
頭領が邪気のない笑みを浮かべた。
「例えばさ。金と同じ重さの鉄の塊を……その金メッキ? したら、黄金の塊に見えるってことだろう? 売れるってこと?」
「それは詐欺じゃないですか!」
シトエンが声を張り上げる。頭領は、あはははと笑った。
「技術料って言ってよ。なるほどなるほど。じゃあ、そのやり方、知ってるの? 君は」
シトエンは首を横に振る。嫌な予感が胸をうずまいた。
「知りません。わたしの専門外です。しかも前提条件として電気がないと……」
「電気? ああ、そういえばそんなことを言ってたなぁ」
「電気分解が必要なはずです。それがなければ……」
「じゃあその電気を作ってよ」
「できません!」
シトエンはきっぱりと言い切る。
「わたしが生きていた世界とこの世界では前提条件がちがいすぎるのです。無理です!」
言ってから、シトエンは眉根を寄せた。
「わたしを狙っていたのは……あなたのいうところの錬金術のためですか?」
「そうだよ」
あっさりと答える頭領をシトエンはしばらく無言で見つめた。
最初は険のあった顔は、次第に悲しみに曇る。
「そんなもののために、たくさんの人が不幸に……。あなたはヒ素を混入させて幾人も人を殺したのですか……」
シトエンがじっと見つめるのは頭領ではなく、彼が手で弄んでいる金のバックルだった。
「こんなもの?」
頭領はつぶやくように繰り返した。
「そういえば、あの女も『こんなもの』って言ってたな。こんなもの……。こんなもの?」
頭領は笑いを爆発させた。
「あんたたちが生きてた世界ってのはそりゃあすごいんだろうね! こっちが喉から手が出るほど欲しい技術をこんなものと言い捨てるんだからさ!」
「それよりもっと大切なものがこの世にはたくさんあります! あなた……何人の人が亡くなったと思うのですか! 傷ついたと⁉」
「わかんないかなぁ」
きょとんとした顔で頭領は小首をかしげる。
「何人を犠牲にしても、それでも手に入れたい。それだけの価値があるってことじゃないか」
頭領が口端を釣り上げて笑った。
その顔を見て。
シトエンはようやくこの男とは全く話が通じないことに気づく。




