26話 シトエンが来たら、病まで止まる
「おやおや、サリュ王子。そんなに警戒なさらなくっても。このように両手がふさがっている状態ですのに」
ジル修道士が笑い声をたてた。俺も愛想笑いを浮かべながら、シトエンを抱く手を緩める。緩めるが、あいつの側に近づける気はない。シトエンを背後に移動させた。
「いや、すまんな。妻のことになると気が立って」
「寵愛なさっているとか。いやあ、放浪しているこの私でも耳に入るほどです」
ジルは笑うと、よいしょ、と洗濯籠を一旦床に置いた。こりをほぐすように肩を回す。
「シトエン様は診察を?」
「ええ。今日はみなさん、状態が良いようで」
俺の斜め後ろに控えたまま、シトエンは応じる。
こういうとき、自分勝手にシトエンは動かない。本当に助かる。
……ひょっとして、シトエンもなにか危機を感じ取っているんだろうか。さっき俺に同行を求めたのも、「なにかあるかもしれない」と予測したからだろうか。
シトエンが来たら、『病まで止まる』。
ついさっきの違和感が頭をよぎる。
俺はこれの何にひっかかりを覚えたのだ?
「シトエン様はお美しいだけではなく、賢明でらっしゃる。ミース線でしたか。かような知識は私たちにはありませんでしたよ」
ジルが右肩をもみほぐしながら言う。そして右にわずかに首を傾げた。
「やはりタニア王国ご出身だからでしょうか。あの国は鉱物資源大国でもありますし。きっと鉱毒に対する知識もおありなのでしょうね」
「そうですね、ええ」
シトエンは慎重にそつなく答えた。
「シトエン様はどのような見立てで? 感染症ではないと考えておられる?」
「はい。やはり人体に悪影響を及ぼすなにかを大量に摂取したためにこのような状態に陥ったと思われます」
「どのような経由で?」
「それはまだいえません」
「人体に悪影響とおっしゃっていましたが、それはなんなのでしょう」
「わかりません」
「大量摂取とおっしゃっていたが、では生き残っているのは摂取が少量だったから?」
「そのように考えています」
矢継ぎ早の質問に、シトエンはよどみなく答える。
「治療法もご存じなのですか?」
「……悔しいですが、対症療法しかありません。身体に入った毒物を、身体が本来持つ力で排出させるしか……。せめて点滴でもあれば輸液できたりするのですが」
「点滴って、あれだろう? あの管の先に針をつけて……」
つい口を挟んでしまったが、シトエンは気を悪くするでもない。ちょっとだけ眉根を下げた。
「ええ。現在試行錯誤していますが」
「あー……。そういえば、試作品が運ばれてたな……。あれかぁ……。俺が見たのと違うな……」
つい顔をしかめる。
シトエンの前世にふれて見た点滴というのは、細いゴムチューブとほっそい針を使って体内に液体を入れる装置だ。
宮廷医師団と技師が協力して作成したものを先日、王宮内でチラ見した。
針の穴がでかいのなんの……。え、これ刺すの? って感じ。
「チューブももう少しあれ、細くなんないのか?」
「努力してくださっているのですが、なかなか」
シトエンももどかしそうだ。
「へぇ」
ジルの声に我に返る。
「シトエン様だけでなく、サリュ王子も医療にあかるいんだね」
ジルの目が爛々としている。好奇心。……好奇心、なのか、これは。
「妻のことならなんでも知っておきたいからな」
「素晴らしい。なにか医療に特化した機械を考案中、とか?」
「まあ、そうだ。だが、これ以上は機密事項だ」
「ああ、立ち入ったことを聞きました」
ジルはあっさりと引き下がり、マスクを直す。だが世間話は続けるようだ。
「そうそう、タニアの鉱物資源といえば、ルミナス王国とのわだかまりは解消されたようですね。あの国にも修行のために行ったことがあるので、友人もいるのです。このまま黄金が入って来なかったらどうしようか、と一時期悩んでいましたよ」
「黄金?」
シトエンが目をまたたかせる。
なんとなく、だが。
俺も不思議だった。
タニア王国から鉱物資源を停止されて一番困るもの。それは石炭ではなかったか。
「ああ、友人は装具職人なので。黄金を細工していろんなものを作るのですよ」
「そうなのですね」
「なるほどな」
シトエンと声が重なる。だったら納得だ。
「黄金の埋蔵量はかなりのものなのでしょう? タニア王国というのは」
「そう聞いていますが……。すみません、専門外なので」
シトエンが言葉をすぼませる。
「いやあ、その友人と言っていたのですよ。タニアはほら、技術大国でもあるじゃないですか。いろんな不可思議な……灌漑設備とか暦とかをお持ちだ」
「……そう、ですね」
シトエンはさらに慎重になる。その分、まるで間合いをつめるようにジルは語尾を食った。
「黄金も地中に埋まっているのではなく、作るすべをご存じなのでは?」
「黄金を……作る」
俺はジル修道士の言葉をなぞる。
そんなことが可能なのか? それはまるで魔法だ。
魔法。
……確かに。あの夢の世界は。
シトエンが以前生きていた世界は、まるで魔法の国のようだった。
遠方の人物と話せる四角く黒い板。あれはそれだけではなく、触れるだけでいろんな数字や写真が現れるという。
おまけに、あの建造物。
何度もおもうのだが、あんな巨大なものがどうして自立するんだ? 建物の上部にあった、黒い鉄板上のもの。最初武器かと思ったら、あとでシトエンが「それは太陽光パネルといって発電ができるんです」と教えてくれた。
発電の意味もわからないし、太陽から巨大なエネルギーを得ることなどできるのか?
俺にとってそれは「技術」ではなく「魔法」でしかない。
だとしたら、黄金を作るなどという途方もないことも……。
「ありえません」
静かなシトエンの声。
俺は引き寄せられるように、彼女を見る。
シトエンの瞳はまっすぐにジル修道士に向けられていた。
柔らかさや穏やかさはなく、ただ、相手をはねつけるような視線。
シトエンがこんな顔をするなんて……。
ふ、と。
視線を感じてはじかれたように顔を向ける。
ジル修道士だ。
彼は。
じっとシトエンを見ていた。
うかがっていた、というべきか。
いや、観察しているというのが正しいのか。
シトエンの言葉に嘘はないか、秘密はないか。
探るような視線は蔦のように忍び寄り、からめとろうと様子をうかがっている。
「黄金は、作れません」
きっぱりとシトエンはもう一度言う。
ジル修道士は黙している。
俺のなかで、さっきから警戒サイレンが鳴りっぱなしだ。
セゾン派の修道士は各地を放浪する。
だからいろんな情報に接する。
それはわかる。それはわかるが……。
こいつ、知りすぎではないか?
ティドロス国内のことならまだしも、ルミナス王国やタニア王国のことについてもやけに詳しい。
それに。
シトエンが医療に特化した知識を持っていると思うのは……まあ、百歩譲って認めよう。シーン伯爵領の脚気騒動は、国内に知れ渡っている。
だが。
他にもなにかシトエンが知っていそうだ、と。
どうしてこの修道士は探ろうとしているのだろう。
まるで、シトエンにはなんらかの知識が……そう、前世の知識があることを知っているかのように。
「そうなんですか、へぇ」
俺の視線に気づいたのか。不意に雰囲気を変えて笑った。
「いやあ、これはいいことを聞きました。友人にも、その旨を伝えておきましょう。……さて、そろそろ仕事に戻らねば。サリュ王子、このような愚にもつかない話にお付き合いくださり、誠にありがとうございました」
ジルは洗濯籠を持ち上げ、深々と頭を下げた。それから顔を上げ、シトエンを見て目を細める。
「まだ明日もご予定ですよね? ぜひお会いしましょう、シトエン様」
「ええ。失礼いたします、ジル修道士」
シトエンが言い、ジルは洗濯籠を持って廊下を玄関の方に歩いていく。
俺はやつが見えなくなるまで気を抜かず警戒していた。
「あの、サリュ王子」
袖をちょっと引かれて首をねじると、シトエンが俺を見上げていた。
「お話したいことがあるのです。別館のほうに戻りませんか?」
もちろん否などない。
俺はシトエンをエスコートしながら、ラウルたちが待つところへと歩き出した。




