25話 ジル修道士
診療所に到着するや否や、あいさつもそこそこに、シトエンは診察室にいるマーロウ医師に尋ねた。
「ダレンという方はいらっしゃいますか?」
「ダレン?」
マーロウは目をまたたかせたあと、大きく首を縦に振った。以前なら、顎の下の肉がぷるんと揺れたろうに、いまは揺れる肉もない。……激務。激務だったな……。お疲れ。
「確か初期の記録に彼の名前が……。えーっと……カルテはグランデ医師が整理してくれているので……確か、このあたりに」
マーロウは俺達に背を向けてラックに向き合った。そのままごそごそとフォルダを探している。
「今日、グランデはどうした?」
「非番です。というか、非番にしました。彼は睡眠不足で死にそうですから」
俺の質問に即答。
……だよな。宮廷医師はもっと現地に来るべきだ。長兄に連絡しなければ。
「あった。これだ」
マーロウはひとつの書類フォルダを引き抜くと、そこに挟まれた用紙を取り出した。
テーブルの上に広げるから、俺とシトエンが上から覗き込む。
「……日付からするに、本当に初期の患者だな」
俺が言うと、シトエンがうなずいた。
「しかも入院して次の日に亡くなっています。かなりの急性期だったようですね。嘔吐、腹痛、幻視……そのあとの多臓器不全」
シトエンはマーロウを見る。
「この方の家族は?」
「このカルテですね。ああ……やはり、初期に亡くなっている」
マーロウが指さしたのは、机に広げた別の用紙。そこには、数名の名前が一緒に書かれ、そして「死亡」と短く記されていた。
「わたしたちが昨日診療所を出てからいままで、新規の患者さんというのは?」
「いません。平和です。入院患者も安定しましたし」
マーロウは心底ほっとしたように笑った。
「シトエン妃はまるで天使のようだ。ここに来たら病まで止まるのだから」
「そんな」
シトエンがぎこちなく笑う。
俺も……。
なにかひっかかりを覚えた。
マーロウ医師が、というのではない。
その発言内容。
シトエンが来たら、『病まで止まる』。
「あの……患者さんを診て回ってもいいですか?」
「もちろんです。というか、あれですか⁉ ひょっとしてシトエン妃……! 収束の兆しに気づいたとか⁉」
マーロウが目をまんまるにして言う。
「今後、発生しないという点では、収束といえるのかもしれませんが……。ですが、なぜここまでこんなことを……」
シトエンが眉根を寄せて苦しそうな表情をする。
俺の視線に気づいたのか、シトエンはすぐにぎこちない笑みを浮かべた。
「大丈夫ですよ? あの、サリュ王子」
「なんだ」
「一緒に……その、来てくださいますか?」
「そりゃもちろん」
シトエンの側を離れるつもりなんてみじんもないからな。
「すみません、メモ用紙となにか書くものを……」
「ではこのクリップボードとペンと……インク壺を。携帯用ですから、ここを押すと、蓋がぽんっと」
マーロウが一式差し出してくれて、シトエンは礼を言ってそれを受け取った。
「あとでシトエン妃の見立てを教えてください。それを王都に報告しますので」
「わかりました」
俺たちは一旦、診察室を出た。
シトエンはそのまま2階へ移動し、一室ずつ訪問する。
……いや、この場合、診察だろうか。
状態を聞き、脈を計り、のどのあたりに触れて顔色を確認。
それから「川の足場に木桶は置きっぱなしだったかどうか」を尋ね、名前を照合。
さっきマーロウ医師が言った通り、今日は重篤な患者はいないようだ。
素人の俺が見ても、いますぐどうにかなりそうな状態の者はいない。気だるそうな者もいるにはいるが、それでもシトエンの質問にちゃんと考えて答えている様子がわかった。
「わかりました。ではお大事に」
2階から一階に移動し、最後の患者の聞き取りを終えてシトエンとともに廊下に出る。
「木桶に書かれた名前と患者が一致しているな……」
つい独り言ちる。
入院患者、あるいは以前入院し、そして死亡した患者と。
水汲み場に置きっぱなしにしている木桶の名前。
それが一致している。
じっとクリップボードを見ていたシトエンは、小さな吐息をこぼした。
「そうですね……。家族も一致します」
「ヒ素だろうか」
「ほぼ、確定でしょう。ですが、ここには科学的な機器がなにもありませんし」
呟くように言う。
科学的機器。
なんだろうと思ったが、すぐに思い至る。
前世だ。
シトエンには前世がある。
彼女の記憶の一端に触れたことがあるのだが……。
見たこともないほど巨大な建造物が並び、病棟と思しきところで働く人々は、未知の機会を使用して患者を治療していた。
「確かにあそこの世界はすごかったよな」
つい漏らすと、シトエンがはっとしたような顔になった。
クリップボードを抱きしめ、心配そうに俺を見る。
「あれ以降、まだ何か夢を見ているのですか?」
問われて首を横に振る。しまった、余計なことを言った。
以前、シトエンが前世で亡くなる直前の映像を夢で見て……。動揺して飛び起きたことが幾度が続いたのだ。
「大丈夫、見てないよ」
「本当ですか? 隠してない?」
必死に詰め寄るから、俺は苦笑した。
「だって、あれ以降、俺が怪我したり忙しかったりで……。竜紋にふれる機会もないし」
言った途端、気づく。
2回目の余計なこと……。
俺がシトエンの前世に触れるには条件がいる。
それは、彼女の竜紋にキスすること。
……で。
竜紋がどこにあるかというと……。
彼女の右胸のふくらみの際にあるわけで……。
「ご、ごめんなさい……っ。そうでしたね」
シトエンがクリップボードで顔を隠して小さくなってしまった……! わずかに見えている耳なんて真っ赤っかじゃないか! 頭から湯気まで出そうだ!
「いやあのその! 見たら見たって言う!」
「そ、そうですね。はい、そのときはまた……」
勢いで口走ると、シトエンもクリップボードを額に押し当てたまま、こくこくとうなずいてくれた。
っていうか。
顔が全然見えていないこの状況でも。
嫁が可愛い……。
どうなってんだこれ。
もう容姿とかそんなんじゃない。
シトエンだから可愛い。それだ。真理だ。これが世界をかたち作っているんだ……。
「おや、シトエン様。ごきげんよう」
しみじみとそんなことを考えていたら、背後から声をかけられた。
脊髄反射でシトエンを抱きしめ、飛びのく。腕の中でシトエンが「きゃっ」と小さく声を上げた。
「おっと、これは驚かせてしまった。すみません」
そこにいたのは、洗い籠を両手に持った男だ。
感染予防のためだろう。頭と口を布で覆い、見えているのは目だけ。身体はというと黒一色の修道士服だ。
「ジル修道士、お疲れ様です」
腕の中でシトエンがねぎらいの言葉をかける。修道士は目を緩めて会釈をした。
それを俺は見る。まばたきすらできないぐらいの緊張感で。
心臓は拍動しっぱなしだ。
理性では「これは修道士のジルで、診療所の手伝いをしてくれている」とわかっている。
わかっているのだが……。
こいつ、俺の真後ろにいたのに気づかなかった。
いまは診療所を手伝ってくれてはいるが、放浪の聖者。
無一文で各地を回る。まぁ、護身術ぐらいなら身に着けている可能性もあるが……。
それでも……格が違う。……かなりの手練れだ。




