20話 目下、団長が気を付けないといけないのはアンナ夫人ですからね!
その日の晩。
領主館の厩舎で馬を預けながら、俺と各班の班長は改めて明日の警備体制について口頭で確認を行った。
「屋外ってところが不安ではあるが、各自ぬかりなく」
最後にそう伝えると、各々が返事をする。
「じゃあ、夜間警備の班は……」
「ミーレイ班です」
「それ以外は休憩や引継ぎを。明日もよろしく頼む、解散」
おう、だの、はい、だのの返事を聞きながら、やれやれと俺は息を吐いた。王太子から預かった近衛隊はシトエン張り付きをお願いしているから、いまや誰も俺に敬礼しねぇよ。近衛隊だけだよ、俺に敬礼するのは。
予定よりだいぶん押したせいで日はとっぷりと暮れ、いまや満天の星空だ。
だが時間を費やした甲斐があった。
シトエンが見るべき個所は絞り込めたし、なによりそれで警備が厚くなる。
「別館に戻られますか?」
ラウルが駆け寄ってきた。歩きながら振り返る。
「おう。お前も別館だろう?」
「ですが、まだ事務処理が。ここにサインをお願いします」
ラウルが差し出してくるクリップボードにサインを書きなぐり、「ちゃんと読んで!」と叱られた。……読めねぇよ、文字が。もう暗くて。
「明日は朝食後、1時間を目安に移動いたしましょう。シトエン妃にご連絡を」
「ああ」
クリップボードをラウルに返却し、俺は返事をする。
厩舎から領主館の別館まで石畳が続いているのだが、芝生が伸びすぎてところどころ石畳をおおってしまっている。植栽は趣味がいいなと思ったけど、こういうところ雑だな。だから歩くたびに、乗馬ブーツの下でさくさくと音が鳴った。
「あの川の状況、なんの問題もありませんでしたね」
ラウルがぼそりと言う。
「いたって普通……だったな」
そう。
住民が使用する川。
上流から中流、下流にかけても丹念に様子を見たのだが。
実に、この時期の川らしかった。なんの異変もない。
俺だって専門家じゃないが、腐るほど野営訓練をした。
見知らぬ訓練地で野営をするとき、口を酸っぱくして言われるのは、「きれいすぎる水は飲むな」ということだ。
濁りなく、よどみなく。
水温が低い水。
一見それはそそられるのだが、ようするに「生物も棲めない水」ということだ。
場所によっては地中からガスが噴き出し、水を飲んでいる最中に死ぬ場合もあるという。
だが。
さっき見て来た村にはそんな形跡はまるでない。
「排水が流れ込んでいるような跡もなかったですしねぇ」
ラウルがうなる。
「だけどシトエン曰く……なんだっけ、ミース線? それが患者にはあるんだろう? だったらなんか混じってるんだろうなぁ、川に」
わしわしと俺は頭を掻いた。
「これはシトエンよりも違う専門家を呼んだ方がいいかもしれんな。そのあたりを王都に報告して……あ。修道士の件は?」
「早馬を飛ばしたので、明日の昼頃には連絡が来るでしょう。あの診療所、看護人は確か5人でしたね」
「ああ。……派遣された修道士としては数が多いような気もするが」
「この領の規模でしたら普通では? 領の方々で洗礼だの葬式だのが出たら、バラバラに活動するのでしょうし……」
「それもそうか。……もう、なんでも怪しく見えるな」
「それぐらいがいいのかもしれませんよ。なにしろ相手は王城内にまで入り込んでくるんですから。あ! それよりも!」
「びっくりした! なんだよ」
「目下、団長が気を付けないといけないのはアンナ夫人ですからね!」
噛みつかんばかりに迫られた。
……そうだよ、あいつだよ……。
「まさか再会するとはなぁ」
「宮廷で見ないな、とは思っていましたが、結婚して王都を出ていたんですね。てっきりぼくは団長を避けているのか、と」
さらっとひどいことをラウルが言う。
「というより、なあぁんか、嫌な女に成長しましたね、アンナ嬢。じゃない、夫人」
そうして、ジロリとにらみつけてくる。
「当時から思っていましたが、どこが良かったんですか」
「う………」
俺は言葉に詰まる。
………仕官学校時代。助っ人としてよくクリケットの試合に呼ばれていて……。
そのクリケット部の部長の妹がアンナ嬢だったんだよな。
で、当時俺に気軽に話しかけてくれる女の子なんていなかったわけで……。
「どうせちょっと優しくされて、ちょっと笑いかけてくれたぐらいでひっかかったんでしょう」
「ぐ……」
「で、その気になった、と」
「………………」
「あの頃の団長はクマ化が進んでいましたからなんとかなりましたが……。いいですか、団長!」
「うわ、なんだよ!」
ぐわっとさらにラウルが近づいてくる。
「いまは昔と違うんです!」
「そ、そりゃそうだ。俺にはシトエンという素晴らしい妻が!」
「そうです! あと、その結果、団長は小ぎれいになりました!」
「こぎれいって……。昔がひどかったみたいじゃないか」
「ひどかったんです!」
「……はい」
「そのギャップに勘違いする女もいるんですから! 気を付けてくださいよ⁉」
「向こうだって既婚者だろ? そんな、お前」
「甘い! 激甘! 歯がとけるぐらい甘い! 自覚してください、あんた王子なんですからね⁉ 公爵だし! 地位と身分だけはすごいんですよ!」
「……ラウルが俺をいじめる……」
「それぐらい言わないと本気にしないからでしょう!」
ガツンと吠えたあと、ラウルは一呼吸おいてなんとかいつもの自分を取り戻した。
「あの夫婦、うまくいってないんでしょう? だから団長に近づこうとしてるように見えますね」
「まあ……領主はそんなこと言ってたな」
「領主の方もアンナ夫人もお互いに距離感ありありですしね。領主はともかく、アンナ夫人はなにを考えているのやら」
「……うーん……」
結婚して4年も経つとそんな感じになるのか?
俺なんて頭の中をのぞいたら、関心ごとの9割はシトエンだが……。
「まず団長が一番にすることは、シトエン妃の護衛! それから二番目にすることは誕生日プレゼントを決めること!」
「忘れてた!!!!」
「やっぱり……」
ラウルが片手で顔を覆った時、厩舎の方から「ラウルー」と団員が呼ぶ声が聞こえて来た。
「明日動かす騎馬の件でちょっと!」
「わかった!」
ラウルは片手をあげて応じると、くるりと俺に背を向ける。
「じゃあ、ぼくは一旦厩舎に。それから事務仕事を終えて別館に行きますので。団長はまっすぐシトエン妃のところに行くんですよ」
まるで子ども扱い。
俺は苦笑しながら「おう」と返事をし、別館の方へ足を進める。
石畳からちょっと外れると、足音はザックザックと深くなった。
庭園のそこかしこにはかがり火があり、その火の粉が時折、爆ぜた。夜が深まる中、その火の粉はしばらく残像を漂わせ、その色から柘榴石を連想させた。
そういえば、結婚式でシトエンがつけていた柘榴石のネックレス。あれはタニア王からの贈り物だったな。
ネックレスというか。ペンダントならいいかも。
医療に携わるときも邪魔にならないだろうし。
……でも俺、センスないからなぁ……。
センス皆無のダサいアクセサリーを買って、それをシトエンが身に着けて……。
シトエンがバカにされたりしたら最悪じゃないか⁉
いかんいかん! アクセサリーとかは、本人を同行させて「どれがいい?」ってやったほうがいい! そっちのほうが絶対いい!
となると……サプライズにはならない。
……ならやっぱりなにか違うものが……いいか。
誕生日だからな。失敗は許されん。
誕生日。
それすなわちシトエンがこの世に降臨した日だ! これほど神々しく素晴らしい日はない!
国民にも知らしめ、教会の鐘を鳴らしまくり、花吹雪を雨あられとまき散らしたいぐらいだ!
この日一日、シトエンにはずっと笑っていてほしい。
用意したプレゼントを見て喜んでほしいし。
そしたらあれなんだよ。
シトエンの好きなものって、お菓子とか花束しか思いつかないんだよなぁ。
……いっそのこと王都のあの菓子店、買い取るか。
で、王城のどっかに移転させるというのもありだな。そしたらシトエンがいつでも買い物に行けるし。
でもなぁ。そんなことしたらシトエン、逆に恐縮しそうだし。
『王都のみなさんが買いに来れなくなってしまいます』とか言いそうだし……。
うううううううむ。
腕を組み、唸りながら歩いていたら、ふと視線を感じた。
足を止め、反射的に顔をそっちに向ける。
ガゼボだ。
六角形の屋根を乗せた、壁のない休憩所。夜闇に沈んでおぼろげになっているが、そこに誰か座っている。
「……アンナか?」
「サリュ王子」
目を凝らして尋ねた。無意識に剣の柄を握っていたが、視線の主がアンナだとわかり、力を抜いた。
「どうした。なにかあったか?」
夜間警備でもないだろうに、と近づいて顔をしかめた。
酒臭いのだ。
ガゼボの中に設置されている簡易テーブルには酒瓶が2本横倒しになり、唯一自立している瓶もコルクが開いている。




