第九話 ゴブリン駆除
日が傾いてきた。
夕焼けで、あたりが炎のように真っ赤で眩しい。
視界が一番怪しい時間帯。守るのは難しく、攻めるのは容易い。
森の中にぽっかりと開いた空間、元々は炭焼き小屋だったのだろう。しかし、今はゴブリンたちの城となっている。
『あれがゴブリンかえ?』
興味津々といった具合でアーニャが耳元で訊いてくる。
吐息はなくても妙にこそばゆい。ほんとこの幻覚の距離感がバグっているの、どうにかならないかしら。
「そ。小鬼の魔物でコボルトより少し強いくらい。たぶん旅の途中で何回も見ることになると思う」
背丈は人の子どもより少し大きいくらい。顔が犬だったコボルトは違い、醜悪な外見が特徴的である。
まあ、コボルトにせよゴブリンにせよ、やってることは畑を荒らしたり家畜を盗んだりと害獣と何ら変わらない。
訓練さえ受ければ村人でも槍で追い払えるくらいの悲しき雑魚魔物だ。
邪悪なんで容赦なく全員ぶっ殺すけど。
『ふふふ。醜い外見じゃのう。わっちらの眷属のほうがスマートじゃ』
「いや、あんたらは別のベクトルでヤバい外見してるのよ」
ゴブリンに張りあう幻覚はさておき、見える範囲で六体ほどいる。ただ、小屋の中に何匹いるかはわからない。
さて、どうしようか。
茂みの中に身を隠しながら私は考え込む。
うーん。不確定要素を無くすため、とりあえずあの炭焼き小屋は焼いちゃおうか。
「いやいやいやそれは止めてくれッ!」
後ろで控えているビクトルが焦ったように上ずった声で静止してくる。
なによ、私のステキな案にケチをつけるって言うの?
「当たり前だ!小屋一件燃やすほどの火なんか使ったら山火事になるかもしれないだろ!そうなるとヨンパの村はお終いだ!」
「大丈夫。巨悪を倒すためなら村の一つや二つ」
「だから俺の村をコラテラルダメージにしないでくれ!」
村一番の力自慢とか自称する割には比較的筋の通ったことを言う。たしかに山火事になったら寝覚めが悪いっちゃあ悪いか。ダッシュで逃げるけど。
「レティさんも報酬を受け取れなくなるぞ」
ぐぬぬ……ああ言えばこう言う。これでは作戦の立てようがないじゃない。
でもたしかに泊る所が全焼というのもいただけない。
「じゃあ。正面から殴りに行くしかないじゃん……」
変な策は立てずに正面から強襲。
やっぱりこれがベストだろう。とくにビクトルなんてお荷物がいるのだから。作戦は単純なものに限る。
「じゃあ私が突貫するから。ビクトルは援護よろしく」
「任せろ!」
……とても不安だ。
私はメイスと盾を構えると、勢いに任せて茂みから飛び出した。
ゴブリンたちは異常に気付いたようだが――遅い。
一気に距離を詰めると、私は一番手前にいたゴブリンをメイスで殴った。
メイスの打撃力もさることながら、平衡感覚を失ったゴブリンは足元から崩れ落ちる。
とどめは後でいい。
ギィギィ喚くゴブリンたちは突然の襲撃に浮足立っている。
もう少し混乱しておいてほしいんだけど――
立て続けに数匹ぶん殴ったところで、ようやくゴブリンたちが私に向かってくる。なお武器も何も持っていないステゴロだけれども。
基本的にはコボルトを倒した時と一緒の戦い方である。
盾で攻撃を受け、メイスでぶん殴る。それの繰り返しだ。
ゴブリンの一匹が私に向かって飛び掛かって来た。組み付いて身動きを封じようとでも思ったらしい。その前に得物を取りに戻ればいいものを。
私はゴブリンをメイスで殴りつけ、地面へと叩き落す。そして、その顔面を思いっきり蹴飛ばした。
私のブーツの先には鉄板が仕込まれてる。硬いものが砕ける音と共に、黒っぽい血飛沫が跳ねた。
『気を付けよ。大きいのがおるぞ』
周囲のゴブリンを始末し終えた頃、アーニャの忠告が上から降ってきた。
炭焼き小屋の扉が軋みながら開いた。中から出てきたのはゴブリン――に似た、しかしゴブリンよりもよっぽど大きな魔物。成人男性と変わらないほどの体躯だ。
久しぶりに見る、ホブゴブリンだ。太い木の枝にボロ皮を巻いたこん棒を持っている。十中八九群れのボスだろう。
こいつがいるとなると村人だけではどうにもならない相手だ。駆除をするには訓練を受けた戦士か魔法使いが必要である。
私は息を整えると武器を構え直す。
ダンジョンの下層でもっと凶悪なデーモンと戦っていたこの私が、ホブゴブなんかの相手をすることになるとは。世界は非情である。
ホブゴブリンが咆え、私に向かって一直線に突っ込んでくる。
こん棒の一撃は脅威だろうが所詮はゴブリン。怖い相手ではない。
力任せに振り下ろされるこん棒、それを盾でなんとか受け流す。
この動作一つが鈍く、歯がゆくて仕方がない。レベルドレインを受ける前なら容易く受け流し、返す一撃で仕留められたものを。
受け流したのち、ホブゴブリンの胴をメイスで強かに打ち付ける。
肉が潰れ、骨が軋む音が耳に届く。
しかし、ゴブリンたちと同じようにホブゴブリンはすっ転んだりはしない。怒りの咆哮を上げてこん棒を振り回す。
むう。いくら平衡感覚を奪うスキルとはいえ、ホブゴブ相手には通用しないようだ。しかし、神殿騎士に後退の二文字はない。
私はこん棒を盾で捌き、一歩も下がることなくホブゴブリンにメイスを振るう。
一回、二回と、殴りつけるたびにウェイトが赤く染まっていき、吹き出す血飛沫の量は増し、悲鳴が大きくなる。
口の端から血の泡を吹き、ホブゴブリンは膝を付いた。だらりと垂れ下がった手からこん棒が落ちる。
私はメイスを高らかに振り上げると、頭部目掛けて打ち付けた。
鈍い音がした。
『やったのかえ?』
顔をしかめながらアーニャが尋ねる。
「さすがに頭が破裂したら死ぬでしょ」
私はそれだけ言うと炭焼き小屋へとつま先を向けた。メイスの先端から血を垂らしながらゆっくりとした足取りで向かう。
物音が聞こえる。
何かがいるのは間違いない。そしてそれは――
私は扉を蹴破った。
火で燃やすほうが精神的に良かったのに。
盾を構え、再びメイスを振り上げる。
小さな悲鳴と打撃音が響いた。
返り血を拭き取り、私はようやく息をついた。
村を荒らすゴブリンは文字通り一匹残らず駆除した。これが神殿騎士流のやり方である。
神殿騎士は邪悪な存在を認めない。魔物は皆等しく邪悪な存在である。
異教徒や邪教徒、邪悪な魔物に一切の容赦はない。
――これが嫌で宗教騎士団から離れたというのに。
血臭があたりに立ち込める。
死骸の後始末をするのは仕事に含まれない。これはヨンパの村人たちにお願いするとしよう。
「終わった……のか?」
木の陰から強張った顔を出し、ビクトルは額に浮かんだ大粒の汗を拭った。
私は振り返ると同時に、ビクトル目掛けてメイスを投げつける。
「ぎゃああああああ!ああああああ危ねえ!何するんだ⁉」
メイスは彼の後ろの木にぶつかり、樹皮を大きく抉って地面に転がった。
顔を真っ青にし、尻餅をつくビクトルに向かって私は大股で近づいていく。
「何するんだ、ぢゃない!むしろあんた何もしてないでしょうが!」
――そう。
この男、私がゴブリンと戦っている間、ずっと木の陰に隠れてプルプルと震えていたのだ。
村のこと全部を余所者に任せられないとか大口を叩いた割に、なんと情けないことか。
私の言い方にビクトルはさすがにムッとしたように、
「いやだって怖いじゃん」
「だからってずっと隠れるんぢゃない!男が女の影に隠れて震えるって信じらんない……」
ほんといったいどこがヨンパの村で一番の力自慢なのか。せめて力自慢かどうかを見せるくらいの働きはしなさいよ。
ビクトルの情けなさに、アーニャもさすがに口元を引きつらせている。
「うーん、怖いものは怖いし。痛いのはもう嫌だし」
「あのねえ。せめて礫をなげるとか、手伝いくらいしなさいよ……」
「それはちょっと……諸事情で」
ビクトルは後ろ頭を掻いて誤魔化そうとする。何が諸事情なのだ。寝言は寝てから言ってもらいたい。
あー……さいあく。
さっきからため息しか出てこない。
まあ元から戦力としては考えていなかったし、責めるのはこれくらいにしておこうか。あとはダグラスさんに言いつけて、叱ってもらうなりなんなりしてもらえばいいや。
ビクトルは立ち上がると腕を組んでうんうんと頷く。
「いやーでもほんと強い。ゴブリンどころかホブゴブリンまでも圧倒するなんてさすが冒険者だ!ガハハ」
今さら褒めても地に落ちたあんたの印象は変わらないんですけど。
「いやいや別にそんなことは気にしてないぞ。そういうつもりもない。いやでも、うん。村一番の力持ちなんて本当に井の中の蛙だったんだな」
地面に落ちたメイスを見て、ビクトルは乾いた笑い声をあげる。
ん?
「まあでも結局は隠れてただけだけど、他の人と違って、ここまでは来れたんだし。及第点じゃない?」
違和感というには大層な、ひっかかりを心中に感じた。
しかし、深く考えず、私は投げたメイスを拾いに行く。
「そうだな。でも、悪いがあんまり他の村人のことを悪く言わないでくれ。あいつらも元は陽気で楽しいやつらなんだ」
うーん、全然想像できない。
「まあ村の危機だったしね。あ。じゃあ危機は去ったし、これで多少はマシになるのかな?」
私は笑みすら浮かべてメイスに手を伸ばし――
「いや、去っていない。まだ村の危機は去っていないんです」
ん?
突然の抑揚のない声音に眉を顰める。
去っていないってどういう――
「お願いいたします神殿騎士様。どうか村をお救いください」
メイスを拾い上げ、振り返る。
しかし、そこには誰もいない。
ビクトルの姿は影も形もなくなっていた。気配すらない。
ただ、はっきりと彼の言葉だけは耳に残っていた。
「どういうことよ……?」
胸のざわめきがどんどん大きくなってくる。額に汗がふつふつと湧いてくるのがわかる。
彼はいったいどこに行ったのだ?
村を救ってくれ、だって?
今、村を脅かしていたゴブリンを倒したじゃない。
「……アーニャ」
『なんじゃ』
暴れる鼓動を必死に抑え、私の頭の中の隣人に尋ねる。
「彼はどこにいったの?」
アーニャはおかしそうにくすくすと笑う。
『おかしなことを聞くのう。はじめから、わっちとおぬしだけしかおらんというのに』
背筋を、冷たいものが這いずり回る。
「じゃあ彼は――」
それから先は言葉にならなかった。
とてつもなく嫌な予感、いや。予感なんてものじゃない。
これは、
確信だ。
私はメイスをベルトに戻すと、ヨンパの村へと向かって駆け出す。
雲の隙間から、眩しい月が顔を覗かせていた。