第68章:森の珍味と異世界の生パスタ
第68章:森の珍味と異世界の生パスタ
春小麦の収穫を契機に、カロンとマルクスが手掛けたバイオ醸造プラントから誕生した極上の小麦白ビール「ルーセン・プレミアム・ヴァイツェン」。
その完成を祝うドワーフ親方衆と神々の大宴会から数日が過ぎ、街には再び穏やかな春の陽光が戻っていた。醸造プラントから回収された高栄養のビール酵母粕は、マルクスの研究室で抗生物質の培養基床や新工房区の豚の配合飼料として早くも有効活用され、カロンの提唱する循環型バイオ工学は順風満帆な滑り出しを見せていた。
そんなある日の午前中。
地上二十階建てのルーセン工科大学、二階にある学長室。
カロンがデスクで、第二期生向けの「機械力学・振動解析演習」の教材プリントに赤ペンを走らせていると、控えめなノックの音が響いた。
「どうぞ、入ってください」
カロンが顔を上げると、ドアを開けて入ってきた顔ぶれに、思わず目を丸くした。
「失礼するわよ、カロン」
銀髪を揺らし、軽装の革鎧をまとったエルフのBランク冒険者、リアリス。
その隣には、リアリスの手をギュッと握りしめ、薄緑色のワンピースを着た小さな少女――風の主神シルフが、エルフ特有の尖った耳をピコピコと揺らしながらぺこりとお辞儀をしている。
そして、その二人の背後から、天井の梁に頭をぶつけそうになりながらのっそりと入ってきたのは、巨大な体躯に歴戦の傷跡を刻んだルーセン冒険者ギルドのギルドマスター、ギルバートであった。
「おや、珍しい組み合わせですね」
カロンはペンを置き、立ち上がってソファを勧めた。
「リアリスさんとシルフ様がご一緒なのは分かりますが……ギルドマスターまで直々にお越しとは。またダンジョン絡みで厄介な高ランク魔獣でも出没しましたか?」
ギルバートは巨体を窮屈そうに革張りソファに沈め、太い髭を撫でながら照れくさそうに頭を掻いた。
「いやあ、カロンの旦那。物騒な討伐依頼じゃねえんだよ。今日はな……ギルドマスターとしてってよりは、一人の冒険者として、旦那に『美味い話』を持ってきましてね」
「美味い話、ですか?」
リアリスが引き継ぐように、碧眼を輝かせて身を乗り出してきた。
「そうなのよ、カロン! 春のこの短い期間――雪解け水が引いて新緑が芽吹くほんの二週間ほどの間だけ、ルーセンの北西にある『迷い森の深部』に群れを成して発生する、幻のキノコ型モンスターがいるのよ」
「キノコのモンスター……ですか」
「ええ。名前を『ポルチー茸』というの。普段は地中に深く根を張っているんだけれど、秋の陽気に誘われて一斉に地上へ這い出し、ピコピコと動き回るのよ。このポルチー茸、モンスターではあるんだけれど、討伐して適切に処理すると……信じられないくらい濃厚な芳香と、肉厚でジューシーな旨味を持つ、大陸屈指の超高級食材になるのよ!」
シルフも翡翠の瞳をパチクリと輝かせ、小さな両手を広げてみせた。
「あのね、カロンさん! ギルバートさんが教えてくれたんですけど、お山が芽吹くときの、すっごくいい匂いがするキノコさんなんですって! バターで焼くと、ほっぺたが落っこちちゃうくらい美味しいって……!」
「なるほど……」
カロンは前世の中山教授時代の記憶を刺激された。
ポルチー茸。その名前と特徴から察するに、前世のヨーロッパで「キノコの王様」と称えられた香気高き高級食材、ポルチーニ茸に極めて近い魔導生物なのだろう。
「森の旬の恵みというわけですね。しかし、なぜ私を誘いに?」
ギルバートがニヤリと笑った。
「そりゃあ旦那、ポルチー茸の狩り場までは森の奥深く、歩けば往復で丸一日かかる。だが、旦那のあの『銀色の鉄の馬(電気自動車)』で林道をぶっ飛ばせば、あっという間に着くじゃねえか。それに……旦那の料理の腕と知識がありゃ、ただ焼いて食う以上のとんでもねえ美味いもんが食えるんじゃねえかと睨んでな!」
「ふふ、下心が丸見えですよ、ギルバートさん」
カロンが苦笑した、その時であった。
バターンッ!!
もはやルーセン工科大学の風物詩となった、一切の遠慮容赦のないドアの開け放たれる轟音。
「なになになにーっ!? なんか美味しいものの話をしてるでしょアンタたち!!」
廊下から突風のように飛び込んできたのは、黄金の髪をなびかせ、口元に大食堂のパイ生地のカスをつけた駄女神メリスであった。
部屋の隅々まで鼻をクンクンと犬のように鳴らしながら、一直線にカロンのデスクへと詰め寄ってくる。
「め、メリス様……! あなた、どうしていつも食べ物の話題になった瞬間にピンポイントで現れるのですか?」
カロンが呆れ果てて尋ねると、メリスは腰に手を当てて胸を張った。
「ふふん! 私を誰だと思ってるのよ! 豊穣を司る偉大なる主神よ? 美味しい食材が地上のどこにあるかなんて、神の第六感がビビッと教えてくれるに決まってるじゃない! ……で、何よ『ポルチー茸』って! お肉みたいにジューシーで、信じられないくらいいい匂いがするキノコなんでしょ!? 私を置いていくなんて絶対に許さないわよ! 行くわよ、キノコ狩り狩り大作戦よーっ!!」
「誰がキノコ狩り狩り大作戦ですか……」
頭を抱えるカロン。
しかし、ここでメリスを無理に置いていけば、留守中に大学タワーのどこかを吹き飛ばしかねない。
リアリスが苦笑いを浮かべ、シルフが「メリス様もいっしょですね……」とおずおずと手を振る。
「……分かりました。ちょうど午前中の講義資料の作成も一段落しましたし、たまにはフィールドワークと息抜きを兼ねて、皆で行くことにしましょう」
「やったー! カロン、話が早いわね! 大きな収穫カゴを持っていくわよ!」
こうして、カロン、リアリス、シルフ、ギルバート、そして駄女神メリスの五人は、銀色の電気自動車(EV)試作一号車に乗り込み、秋の「ポルチー茸狩り」へと出発したのである。
カロンの運転するEVは、舗装された西通りを抜け、新緑が眩しい未舗装の森林管理道路へと滑り込んだ。
四輪独立モーターの力強いトルクと、カロンが改良を重ねたエアサスペンションが段差をしなやかに吸収し、徒歩なら半日を要する深い原生林の入り口まで、わずか一時間足らずで到達した。
車を木陰に停め、カロンたちは木漏れ日が差し込む湿潤な原生林の奥へと足を踏み入れた。
足元には柔らかな苔が敷き詰められ、秋で葉が色づいた巨木が立ち並んでいる。
「この辺りよ、みんな足音を潜めて」
リアリスが愛用の弓を構え、歩調を緩めた。
シルフも小さな手で風の精霊たちと対話し、周囲の気配を探っている。
「……あそこです、カロンさん! 倒木の後ろに、いっぱいいます……!」
シルフが指差した先。
樹齢数百年はあろうかという巨大なナラやブナの倒木の周囲。
湿り気を含んだ黒土の上で、三十センチメートルほどのずんぐりとしたキノコたちが、傘をぷるぷると震わせながら、二本の短い根っこのような脚でピコピコと元気に歩き回っていた。
カサの部分は艶やかな赤褐色で、まるで焼きたてのパンのようにふっくらと丸みを帯びている。柄の部分は白く太く、どっしりとした存在感を放ち、その全身からは、森の腐葉土とナッツ、そして高貴なハーブを煮詰めたような、目も眩むほど芳醇な香気が漂っていた。
「あれが……ポルチー茸か」
カロンが息を呑む。まさに動く巨大ポルチーニ茸であった。
ギルバートが腰の鉈を抜き、小声で注意を促した。
「旦那、あいつらは魔力で動く魔獣の一種だが、狩るには細心の注意が必要だ。ポルチー茸は極めて繊細な魔導器官で肉質を保っていやがる。力任せに叩き潰したり、手荒に引きちぎったりして傷をつけると、その瞬間に傷口から魔力と旨味がガスになって抜けちまい、あっという間に黒く変色してただの生ゴミみてえに不味くなっちまうんだ。根元の接合部を一撃で切り離し、無傷のままカゴに収めなきゃならん」
「なるほど、急速な自己融解酵素の活性化と魔力揮発ですね。仕留め方が味を左右するわけだ」
工学者カロンが科学的に納得する。
「行くわよ、シルフ様、ギルバート!」
「はいっ、リアリスさん!」
リアリスが弓を引き絞り、無音の魔力矢を放った。
風を切り裂いた矢は、歩き回るポルチー茸の根元、土と茎の極小の接合点を寸分の狂いもなく正確に切断。倒れたキノコは傷一つなく、ポトリと苔の上へ転がった。
続いてシルフが小さな両手をふわりとかざす。
「風さん、そーっと……運んでください……」
シルフの優しい神聖魔力に導かれたそよ風が、逃げようとする二体のポルチー茸の足を優しくすくい上げ、空中でコテンと麻痺させてカゴの中へとそっと着地させた。
ギルバートも巨体に似合わぬ神業のような素早さで間合いを詰め、刃先を滑らせて次々と根元を刈り取っていく。
熟練の冒険者と風の神による、完璧で無駄のない、芸術的な収穫作業であった。
カロンもまた、自作の高精度ワイヤーカッターを魔法で操作し、傷をつけずに数体のポルチー茸を確保していた。
カゴの中には、艶やかな無傷のポルチー茸が何十本も積み上がり、あたり一帯は至高の芳香で満たされていた。
……しかし、この平和な収穫劇を、ただ黙って見ているだけの女ではなかった。
「なによみんな! チマチマチマチマと一本ずつ刈り取っちゃって、効率が悪すぎるわよ! あんなの、まとめて一網打尽にすればいいじゃない!」
腕を捲り上げた駄女神メリスが、群れの中心へ向けてズケズケと歩み出た。
「ちょっ……メリス!? やめなさい、傷つけたら台無しになるって言ったでしょうが!!」
リアリスの悲鳴のような制止も、食欲に目が眩んだ駄女神の耳には届かない。
「だ〜いじょうぶよ! 加減くらいできるわよ! ちょっと気絶させるだけだから! ――『神聖衝撃波』!!」
バチィィィィッッ!!!
メリスの掌から放たれたのは、「ちょっと」どころではない、小型の隕石落下の直撃に匹敵する、桁外れの純白の衝撃波であった。
ズガガガガアンッッ!!!
爆風が吹き荒れ、巨木が軋み、倒木が粉々に吹き飛ぶ。
そして、その爆心地にいた数十体の愛らしいポルチー茸たちは――
グチャァッ……!!
衝撃波の直撃を受け、ミンチどころか細胞壁を分子レベルで粉砕され、黒ずんだドロドロの液体と繊維クズになって四方八方へと飛び散った。
一瞬前まで漂っていた芳醇なナッツの香りは瞬時に消え失せ、焦げたゴムのようなツンとした異臭が漂い始める。
「「「……………………」」」
森の中に、完全なる静寂が落ちた。
地面にぽっかりと開いたクレーターの縁で、メリスは自らの掌を見つめ、テヘッと舌を出した。
「あ、あれぇ〜? ちょっと力を入れすぎちゃったかしら……? なんか真っ黒いベチャベチャになっちゃったわね☆」
ピキリ……。
リアリスの額に、青筋が三本浮き上がった。
ギルバートが絶望に天を仰ぎ、シルフが「ふぇぇ……キノコさんたちが粉々ですぅ……」と涙目になる。
「メ……メリス貴様ァァァァァッッ!!!!」
リアリスの怒号が森を揺るがし、弦の張られていない弓でメリスの頭に強烈な打撃が叩き込まれた。
ゴガッ!!
「痛あぁぁぁぁいっ!? な、何するのよリアリス、不可抗力じゃないのよーっ!」
「不可抗力なわけあるかァッ! 貴重な極上のポルチー茸を数十本も一瞬で生ゴミにしおってからに!!」
大乱闘を繰り広げる二人を横目に、カロンは深く、深いため息をついた。
「……まあ、幸いにも私たちが事前に確保したカゴの中の三十本ほどは無事です。これだけあれば、全員が腹一杯食べるには十分すぎる量ですよ。……帰りましょう」
カロンの冷静な仲裁により、一行は無傷のポルチー茸を満載して、ルーセンへの帰途に就いたのであった。
午後、ルーセンへ帰還した一行が向かったのは、大聖堂裏手のアパート一階にある大食堂の厨房であった。
アイドルタイムで客席に人のいない厨房を借り切り、調理台の上に水洗いされた美しいポルチー茸が並べられた。
傷一つないカサはベルベットのような手触りで、包丁を入れると、サクッという心地よい音とともに、純白で緻密な断面が顔を出した。森の芳香が厨房いっぱいに満ち満ちていく。
「さて、カロンの旦那。これをどう料理するんだ? 普通なら厚切りにして牛脂でソテーし、塩を振って食うのが冒険者の定番だが……」
ギルバートが喉を鳴らしながら尋ねる。
カロンは不敵に微笑み、調理台の脇に用意した木樽の蓋を開けた。
「もちろん、ソテーも絶品でしょう。しかし――先日収穫したばかりの、あの最高品質の春小麦が手元にあるのです。このポルチー茸の濃厚な旨味と香りを余すところなく受け止めるには、あれを合わせるしかありません」
カロンが取り出したのは、マルクスとトーラが育て上げた春小麦を、水車製粉機で極限まで細かく挽いた、最高純度の「特選小麦粉(デュラムセモリナに近い強力粉)」であった。
「カロン、それって……パンを焼くの?」
リアリスが首を傾げる。
「いいえ。粉を練って、細長い紐状に切り分け、茹で上げる料理――前世の私の故郷の言葉で、『パスタ』と呼ばれる麺料理を作ります」
「「「ぱすた……?」」」
全員が目をパチクリとさせた。
この世界において、小麦の調理法といえば「パンを焼く」か「スープに入れて煮込み粥にする」の二択であり、小麦粉を練って麺にして食べるという文化は、このゲスハルト帝国周辺には一切存在していなかったのである。
カロンの手際が冴え渡った。
「パスタの基本は、小麦粉と卵、微量のオリーブ油と塩だ。……だが、今回は春小麦のグルテンの強さを最大限に引き出すため、手打ちの『生パスタ(フェットチーネ)』を打つ!」
大きなボウルに山盛りの小麦粉をあけ、中央に窪みを作って新鮮な有精卵を落とす。
フォークで徐々に崩しながら混ぜ合わせ、黄色い生地をまとめると、カロンは分厚いドワーフの腕力をフル稼働させて、力強く捏ね始めた。
グッ、グッ、グッ……!
体重を乗せて何度も折りたたみ、捏ね上げること十分。
生地は赤ちゃんの肌のように滑らかで、驚異的な弾力を持つ黄金色の塊へと仕上がった。
濡れ布巾をかけて三十分ほど寝かせ、グルテンの網目構造を均一に緩和させる。
続いて、カロンは木製の大きなのし板を取り出し、カロン・スチールで精密に削り出した金属製の重い麺棒を構えた。
トントン、サッ、サッ……!
リズミカルな音とともに、黄金色の生地が四方八方へと均一に薄く延ばされていく。
透き通るような厚さ二ミリの美しいシート状に広がった生地に打ち粉を振り、幾重にも折りたたんで、出刃包丁のような幅広の包丁で、幅六ミリほどの平打ち麺へとリズミカルに切り分けていった。
トントントントントン……ッ!
切り分けた麺をファサリと解くと、黄金色のしなやかな麺の束が、まるで工芸品のようにテーブルの上に広がった。
「わぁぁ……! 長くて黄色いリボンみたいです……!」
シルフが目を輝かせて拍手をする。
「すごいわね……パンの生地をこんな風に細長く切るなんて、見たこともないわ」
リアリスも食い入るように見つめていた。
「ここからが本番だ。火力を最大に!」
カロンは大鍋に並々と湯を沸かし、海塩を一握り投入。
同時に、隣の大型フライパンに火を入れた。
フライパンにたっぷりの純良なバターと、刻んだニンニクを投入。弱火でじっくりと香りを引き出し、パチパチと心地よい音が立ち始めたところで、手際よくスライスした無傷のポルチー茸を投入した。
ジュワァァァァァァッッ!!!!
フライパンから立ち上る蒸気とともに、爆発的なキノコの芳香が厨房を突き破り、大食堂フロア全体へと吹き荒れた。
ニンニクの香ばしさと、焦がしバターの甘いコク、そしてポルチー茸が熱によって解き放った濃厚な森のアロマが混ざり合い、暴力的なまでの食欲を刺激する匂いの暴力となって鼻腔を殴りつける。
「ぐおおおおっ……! 匂いだけで意識が飛びそうだ……!」
ギルバートが胃袋を押さえて唸る。
メリスに至っては、厨房の仕切りカウンターから身を乗り出し、涎をダラダラと垂らして待機していた。
カロンはフライパンを軽快に煽り、ポルチー茸の表面に黄金色の焼き色をつけて旨味を閉じ込める。
そこへ、白ワインを一気に注ぎ入れてデグラッセ。アルコールをフランベで飛ばし、凝縮したキノコのエキスを乳化させる。
さらに、近郊の牧場から届いたばかりの濃厚な生クリームと、すりおろした長期熟成チーズを惜しげもなく投入した。
トロリとした乳白色のソースが、ポルチー茸の琥珀色のエキスと溶け合い、艶やかなクリームソースへと仕上がっていく。
「麺を投入!」
沸騰する大鍋に、打ちたての生パスタをパラパラと投入。
乾燥パスタと異なり、打ちたての生パスタの茹で時間はわずか二分半。
絶妙なアルデンテの状態でトングで引き上げられ、そのままクリームソースの待つフライパンへとダイブした。
ザッ、ザッ、ザッ!
カロンがフライパンを素早く煽ると、幅広のフェットチーネの一本一本に、濃厚なポルチーニ・クリームソースが絡みつき、一体化していく。仕上げに挽きたての黒胡椒と、乾燥パセリを散らす。
「完成だ! ――『採れたてポルチー茸の手打ち生パスタ・濃厚クリームフェットチーネ』!」
大皿に高く盛り付けられた熱々のパスタが、湯気を立ててテーブルへと運ばれた。
大食堂の長テーブルに、五人分の皿が並べられた。
立ち上る湯気と香気は、もはや神話の果実をも凌駕していた。
「いただきます!」
待ちきれないメリスが、フォークを突き刺し、大盛りのパスタを巻き取って口いっぱいに頬張った。
チュルルッ……!
「んんんんんっっっ!!!!」
メリスは両目をカッと見開き、頬を押さえて椅子から飛び上がった。
「な……なによこれぇぇぇぇっっ!! 麺が……麺がモチモチしてて、噛むたびに小麦の甘い香りが広がるのに……そこに絡みつくキノコのソースが、とんでもなく濃厚でクリーミーで……! キノコの身を噛んだら、お肉よりもジュワッと旨味が溢れてくるじゃないの!! 美味しいぃぃぃぃっ!!」
駄女神の絶叫を聞いたギルバートも、フォークで山盛りの麺をすくい上げ、豪快に口へと運んだ。
モグモグ、ゴクリ……ッ!
「う……うめえええええええっっ!! なんだこの『パスタ』って麺は!? ただのパンとはまるで違う、この歯を押し返してくるようなコシと喉越し! そしてこのポルチー茸の出汁……生クリームとチーズの脂を吸い込んで、凶悪なまでの美味さになってやがる! 酒だ! ヴァイツェンビールを持ってこいッ!!」
ギルバートがジョッキの白ビールを煽りながら、猛烈な勢いで皿を空にしていく。
リアリスも上品にフォークに巻きつけ、口元へ運んだ。
目を細め、至福のため息を漏らす。
「……本当に、信じられないわ。私たちが森で仕留めたポルチー茸が、カロンの魔法のような手にかかると、こんなにも高貴で奥深い一皿になるなんて……。このモチモチした麺とソースの絡み具合、故郷でも食べたことがないわ」
そして、シルフは小さなフォークを両手で一生懸命に使い、フーフーと冷ましながら一口食べた。
「……ふぇぇ……っ! あつあつで、クリーミーで……お口の中が、秋の森の匂いでいっぱいです……! カロンさん、とっても、とっても美味しいですぅ……!」
シルフは顔中を白いソースだらけにしながら、へにゃりと天使のような満面の笑顔を咲かせた。
全員が夢中になってフォークを動かし、大皿のパスタはあっという間にソースの一滴も残さず、綺麗さっぱりと胃袋へと消え去ったのであった。
しかし――この奇跡の美食劇は、大食堂の中だけで完結するはずがなかった。
厨房から屋外へと漏れ出していた、ニンニクと焦がしバター、そしてポルチー茸のあまりにも強烈で魅力的な芳香。
その匂いに引き寄せられ、アパートの前には、いつの間にか新工房区のドワーフ職人たち、工科大学の学生たち、そして近所の住民たちが、鼻をクンクンさせながら長蛇の列を作っていたのである。
「おい女将! さっきから漂ってるこの美味そうな匂いは何なんだ!?」
「腹が減って仕事にならん! その料理を俺たちにも食わせてくれ!」
厨房を覗き込んできた大食堂の女将さんが、目を丸くしてカロンを振り返った。
「大家さん……! 表のお客さんたちが、あの黄色い紐の料理を食わせろって暴動寸前だよ!」
カロンは苦笑いしながら立ち上がった。
「ちょうど、残りの春小麦の粉もポルチー茸も、まだ厨房にあります。女将さん、生地の配合と麺の打ち方、ソースのレシピを今すぐ伝授します。今日のディナーの目玉メニューにしましょう!」
「あいよっ! 腕が鳴るねえ!」
その日の夕方――
大食堂の黒板に、急遽チョークで書き殴られた新メニュー。
『秋の限定特製・ポルチー茸の手打ち生パスタ』
扉が開かれた瞬間、客席は瞬く間に満席となり、厨房からは麺を茹でる白い湯気と、キノコを炒める香ばしい煙がひっきりなしに立ち上った。
「美味い! なんだこのツルツルモチモチした食感は!」
「パンよりも手軽で、いくらでも腹に入るぞ!」
「この『パスタ』ってやつ、毎日でも食いたい!」
評判は口コミの風に乗って、瞬く間にルーセン中を駆け巡った。
翌日にはゲオル商会のマリアベルが「学長殿! あの生パスタを製麺機で量産して、全土へ乾麺として輸出いたしましょう!」と目を金貨にして飛び込んできて、新工房区には急遽「ルーセン製麺工廠」が建設されることとなった。
小麦をただ焼くだけだった異世界の大陸に、工学者カロンの手によって「パスタ文化」という名の巨大な食革命の火蓋が、華々しく切って落とされたのである。
夜。
大繁盛の余波で麺棒を振りすぎて少し肩を揉みながら、カロンはアパートの自室へと戻ってきた。
窓を開けると、エレン見晴らしの丘の風車が、シルフの優しい風を受けて心地よい音を立てて回っている。
階下からは、満腹になって上機嫌のドワーフたちの歌声と、大食堂で「パスタもう一皿おかわりー!」と叫んでいる駄女神の元気な声が響いていた。
「……ふう。キノコ狩りから、まさかパスタの量産工場立ち上げにまで発展するとはな」
カロンは小さく苦笑し、デスクの上に置いた温かいハーブティーを一口飲んだ。
自然の恵みをいただき、科学と知恵で人々の暮らしをより豊かに、より美味しく彩っていく。
工学者としての本懐を胸に抱きながら、カロンは心地よい満腹感と疲労感に包まれて、穏やかな春の眠りへと落ちていったのであった。




