第59章:避暑地の学都と頑固親方たちの大襲来
第59章:避暑地の学都と頑固親方たちの大襲来
ルーセンを襲った異常熱波を「魔導インバーターエアコン」の量産配備によって鮮やかにねじ伏せ、街中が涼やかで快適な近代都市へと変貌を遂げてから一週間。
その頃、ルーセンから北東へ馬車で数日を要する山岳地帯――ドワーフの総本山たる鉱山都市ガロニアは、まさに阿鼻叫喚の灼熱地獄と化していた。
標高が高く、普段であれば夏場でも冷涼なはずの岩山一帯に、大陸南方の砂漠地帯から押し寄せた熱波が滞留。さらに悪いことに、ガロニアの中心産業である製鉄炉、キュポラ溶解炉、無数の鍛冶工房から吐き出される膨大な廃熱が、すり鉢状のカルデラ盆地の底に熱気だまりとなって閉じ込められていたのである。
「あ、あぢぃ……! 息をするだけで喉が焼けただれそうだわい……!」
「炉の前に五分と立っていられん! 槌を振るう前に全身の水分が抜けて干からびちまうぞ!」
屈強なドワーフの職人たちが、上半身裸になって冷たい湧き水を頭から被り、泡を吹いて倒れかけていた。
地下の深い坑道に逃げ込もうにも、地上の熱気が通気坑を通じて逆流し、採掘現場すら蒸し風呂状態。鍛冶ギルドの生産能率は普段の二割以下まで激減し、誇り高き職人たちの気力は限界に達していた。
そんなガロニアの鍛冶ギルド総本部の大広間で、巨大な氷嚢を頭に乗せたバログ大親方が、机に突っ伏して唸っていた。
「ぐぬぬ……ガイル! ルーセンとの定期便の馬車はまだ戻らんのか!? あの美味い冷えたワインとエールが届かんと、ガロニア中のドワーフが全員熱中症で全滅してしまうわい!」
「親方、今ちょうど定期便の輸送隊が戻ってきたところだ!」
扉を開けて駆け込んできたのは、カロンの父ガイルであった。
手には、冷たい結露をビッシリと纏ったルーセン特製ワインの木樽と、一枚の分厚い羊皮紙の報告書が握りしめられていた。
「おおっ! 酒か! 待ちかねたぞ!」
バログ大親方が樽の栓を力任せに引き抜き、木のジョッキに並々と注いで一気に喉へ流し込んだ。
「ぷはぁぁぁっ! う、美味い……! 五臓六腑に染み渡る冷たさだ! ……ん? おいガイル、なんだこの冷たさは? ガロニアまでの道中、数日間も真夏の熱波に晒されていたはずだぞ。氷室の氷など半日で溶けるはずだが、どうして樽がこんなにキンキンに冷えておるのだ?」
ガイルは興奮で髭を震わせながら、手元の報告書を広げた。
「親方、これを見てくだされ! 輸送隊の隊長が持ち帰ってきた、息子カロンからの手紙と、ルーセンの最新情報だ!」
ガイルが読み上げる文面に、バログ大親方だけでなく、広間に倒れ込んでいた長老たちや熟練鍛冶師たちが一斉に耳をそばだてた。
『親愛なる大親方へ。ガロニアの皆様もこの猛暑でお困りのこととお察しいたします。ルーセンでは先週、人造蓄電魔石の技術を応用し、氷と火の魔石を電気的に熱交換させる「魔導インバーターエアコン」という冷房機械を開発・配備いたしました。現在、大学の全講義室、学食、そして三十階建てメガタワーのレジデンス棟に至るまで、室内は常に「秋の高原のような二十四度」に自動制御されております。なお、輸送用馬車にも試験的に小型クーラーボックスを搭載したため、ワインは完璧な保冷状態で届いたはずです――カロン』
静まり返る鍛冶ギルドの大広間。
バログ大親方はポカンと口を開け、続いて手元の冷えたワイン樽を見つめ、最後にガイルの顔を凝視した。
「……おい、ガイル」
「な、なんでしょう、大親方」
「カロンの奴……今、なんと言った? 部屋の中が……常に『秋の高原のような二十四度』じゃと……?」
「は、はい。手紙にはそう書かれております。外がどれほど灼熱地獄であろうと、四角い箱から冷たい風が吹き出し続け、部屋の中では汗一つかかずに過ごせるのだと……」
次の瞬間。
ドガァァァァンッッ!!!
バログ大親方が拳で頑丈な鉄の机を真っ二つに叩き割り、仁王立ちして咆哮を上げた。
「野郎どもォォォッ!! 道具箱と私物をまとめろォォォッ!! ガロニアの全炉の火を落とせッ!!」
「「「うおおおおおおおおっ!?」」」
長老たちが腰を抜かす中、大親方は目を血走らせて叫んだ。
「こんな茹でダコ製造所のような山に一日たりとも居られるか! カロンの建てたその三十階の塔とやらに、我らガロニア鍛冶ギルド総出で『避暑』に行くぞォォォッ!! 涼しい部屋でキンキンに冷えたエールを浴びるように飲みながら、カロンの技術を直に見学してやるわいッ!!」
「「「うおおおおおおおおおおおっっっ!!!!」」」
死に体だった百人以上の屈強なドワーフ職人たちが、地鳴りのような歓声を上げて飛び起きた。
こうして、鉱山都市ガロニアの歴史上かつてない、前代未聞の「職人大移動」の幕が切って落とされたのである。
それから四日後の正午。
酷暑が続くルーセンの街は、エアコンの普及によって極めて平穏で快適な日常を享受していた。
商店街の店舗からはドアが開くたびに涼やかな風が吹き抜け、路面電車も窓を閉め切って冷房を利かせながら快調にレールの上を滑っている。
そんな平和な昼下がり、ルーセン工科大学の二十階建て校舎タワー、学長室。
カロンは第二期生向けの「金属材料学・高張力鋼の結晶構造」の講義スライドを製図ペンで清書していた。室温は完璧な二十四度に保たれ、卓上扇風機の柔らかな微風が書類の端を揺らしている。
ジリリリリリリッ!
壁に設置された魔導有線電話が、けたたましいベルの音を鳴り響かせた。
受話器を取ると、東門警備詰所のガース隊長から、裏返った切迫した絶叫が耳をつんざいた。
『が、学長ぉぉぉッ!! 大変です! 至急、東門へお越しください! いや、今すぐ門前まで逃げて……じゃなくて迎えに来てくださいッ!!』
「ガース隊長? 落ち着いてください。また帝都から使節団でも来たのですか?」
『違います! 魔物のスタンピードでも帝国の軍勢でもありません! 街道の彼方から、砂煙を巻き上げて五十台以上の大型幌馬車と、武装した数百人のドワーフの集団が突進してきているのです! 先頭の馬車の上で、巨大な戦槌を振り回した白髭の老人が「カロンを出せェェェ! 涼しい部屋へ案内しろォォォ!」と叫び散らしておりますッ!!』
カロンは持っていたペンを取り落とした。
(……ま、まさか……)
カロンは慌てて白衣を脱ぎ捨て、作業用の上着を羽織ると、学長室を飛び出して一階のガレージへ駆け下りた。
銀色の電気自動車(EV)に飛び乗り、東門へと急行する。
東門の跳ね橋の前は、完全に大混乱に陥っていた。
街道を埋め尽くしていたのは、頑丈な荷馬車数十台と、革袋や金床、私物の樽を背負った総勢二百人を超えるドワーフの男たちであった。全員が暑さと長旅で真っ赤な顔をし、目を血走らせている。
「開けろォォッ! ルーセンの門を開けろォォッ!」
「早くあの涼しい四角い箱の前に連れて行けェェッ!」
跳ね橋の上で槍を構えたガース隊長と東門警備隊が、怒涛のドワーフ軍団の圧力に押されて今にも決壊しかけていた。
そこへ、キィィィン……!と甲高いモーター音を響かせてカロンの銀色の車が滑り込んできた。
「皆さん、止まってください! 門前で騒いではいけません!」
カロンが車から降りて叫ぶと、先頭の大型馬車の御者台から、見上げるような巨躯の筋骨隆々な老ドワーフが飛び降りてきた。
白銀の長い髭を三つ編みに結び、手には身の丈ほどもあるミスリル製の鍛冶槌を握りしめた男――ガロニア鍛冶ギルドの最高権力者、バログ大親方であった。
その背後には、苦笑いを浮かべた父ガイルの姿もある。
「おおおっ! カロン! 会いたかったぞ、我がガロニアの誇る至宝の小僧めが!」
ドスドスと地響きを立てて突進してきたバログ大親方は、カロンの小柄な身体を丸ごと抱き抱え、背骨が折れそうなほどの怪力で万力のように締め上げた。
「バ、バログ大親方……! ぐ、苦しい……肺が潰れます……!」
「カロンよ! 話はガイルからすべて聞いたぞ! なんでもこの町には、真夏でも吹雪のような冷たい風を出し続ける神の箱があるそうだな!? ガロニアの工房は暑さで全滅寸前じゃ! 職人どもを連れて、ひと夏まるごと避暑に来てやったぞ!」
「ひ、ひと夏まるごと……!? この人数全員ですか!?」
カロンが目を丸くして街道を見渡すと、屈強なドワーフの親方たちや職人たちが、手押し車に鍛冶道具を満載して手ぐすねを引いていた。
二百人以上の頑固一徹なドワーフ職人が、都市規模で大挙して押しかけてきたのである。
「と、とりあえず門を通してください! ガース隊長、入国審査の手続きを簡略化して全員通してあげてください!」
カロンの指示で跳ね橋が下ろされ、歓声を上げるドワーフの大軍団が、ルーセンの街中へと雪崩れ込んでいった。
カロンが二百人を超えるドワーフたちを先導して連れて向かったのは、大学キャンパスの隣にそびえ立つ、三十階建ての先端研究棟兼レジデンスメガタワーであった。
二十階から三十階にかけて設けられたレジデンスフロアは、本来、将来的に国内外から招聘する予定の研究者や技術者、あるいは長期滞在の要人を想定して建設された高級居住区区画であった。鉄筋コンクリート造の完全遮音・耐火構造で、各部屋には最新型の「カロン・クール」エアコンが完備されていたが、完成して日が浅いため、部屋の大半が空室のまま保たれていたのである。
エレベーターが満員御礼で何十往復もピストン輸送を行い、ドワーフたちが次々と高層階の客室へと案内されていった。
バログ大親方とガイル、そして長老格の親方五名が通されたのは、最上階三十階のロイヤルスイートルームであった。
ガチャリと重厚なオークのドアが開いた瞬間。
サァァァァァッ……。
静まり返ったリビングを満たしていたのは、設定温度二十二度、湿度四十パーセントに完璧に整えられた、極上の冷涼な空気であった。
大きな二重ガラス窓の向こうには、照りつける真夏の太陽の下で陽炎が揺らぐ地平線が広がっているというのに、室内はまるで深山幽谷の鍾乳洞の奥深くにいるかのように涼しく、清らかであった。
「……ん? ……おお……?」
バログ大親方が部屋に足を踏み入れた瞬間、その足がピタリと止まった。
分厚い胸板を覆っていた汗がサッと引き、開いた毛穴から冷気が染み込んでいく。
大親方はおもむろに壁の上部を見上げた。
そこには、白いカバーに覆われた長方形の箱が静かに鎮座し、電動ルーバーを優雅に上下させながら、澄み切った冷風を部屋全体へと送り届けていた。
「こ……これが……『エアコン』……!」
バログ大親方はフラフラとエアコンの直下へと歩み寄り、両手を天へと掲げた。
「ひ、冷たい……! 本当に、冷たい風が湧き水のように溢れ出ておる……! 氷の塊が置いてあるわけでもないのに、部屋の端から端まで、どこへ行っても極楽の涼しさじゃ……!」
背後では、他の部屋に入ったドワーフ職人たちからも、壁を突き破らんばかりの大絶叫が上がっていた。
「うおおおおおおっ! 涼しいぃぃぃっ!!」
「床に寝転がっても背中が汗ばまねえ! シーツがサラサラだ!」
「生き返る! ドワーフの神様、トーラ様、カロン様、万歳ィィィッ!!」
頑固で誇り高き職人たちが、絨毯の上に大の字になって転がり、涙を流して天井のエアコンを拝み倒していた。
バログ大親方はソファーに深く沈み込み、震える手で髭を撫で回した。
「カロン……お前という奴は……。まさか鉄とセメントの塔を建てただけでなく、気候そのものを手玉に取る魔導具まで創り出してしまうとはな……。儂は今、生まれて初めて『ドワーフに生まれて良かった』と心底から思っておるぞ……」
「喜んでいただけて何よりです、大親方。部屋は十分空いていますから、この熱波が収まるまで、皆さんでゆっくりと過ごしてください」
カロンが微笑むと、大親方はパチンと指を鳴らし、ギラリと猛獣のような目を輝かせた。
「よし! 生き返ったところで……次は『胃袋の冷却』じゃ!! ガイル、カロン、一階の酒場へ行くぞォォォッ!!」
その日の夕方。
大学タワーの二階にある、数百席を誇る巨大な学食は、かつてない熱気――いや、冷房の冷気とドワーフたちの狂乱の歓声に包まれていた。
二階フロアに設置された六台の大型インバーターエアコンがフル稼働し、室温は二十三度をキープ。
その極上の涼しさの中で、二百名を超えるガロニアのドワーフ職人たちが、長テーブルを埋め尽くして大宴会を開いていたのである。
テーブルの上には、女将さんと厨房スタッフが総出で焼き上げた、ミノタウロス肉の極厚ハンバーグ、香ばしい豚バラ肉の網焼き、ニンニクの効いた鳥唐揚げ、中州直送の冷やしトマトと野菜サラダ、そして――カロンが開発した「瞬間ビール冷却サーバー」から注がれる、泡まで凍りついた黄金の冷製生エールが、樽ごと何十個も並べられていた。
「「「かんぱーーーーいっっっ!!!!」」」
ドガガガアンッ!と木製ジョッキ同士が激突し、白い泡が宙を舞う。
「くはぁぁぁっ! 冷たい! 喉が鳴るぜ!」
「肉が美味い! このニンニクのタレはどうなってやがるんだ!」
「涼しい部屋で飲む冷えた酒が、これほどまでに美味いとは……! もうガロニアのクソ暑い工房には帰りたくねえぞ!」
ドワーフたちが肉を喰らい、ジョッキを空にしていく中、一段高い特等席のテーブルで、ひときわ異様な光景が繰り広げられていた。
「大親方ぁ〜! まだまだ飲み足りないんじゃないの〜!? ほら、もっとグイッと行きなさいよ〜!」
金髪の長い髪をポニーテールにまとめ、大食堂のエプロンを着けた絶世の美女――駄女神メリスが、両手に巨大な木樽を軽々と抱え、バログ大親方のジョッキへとドバドバと琥珀色の酒を注ぎ込んでいた。
「ガハハハハッ! 威勢のいい小娘だ! カロンの知り合いらしいが、見かけによらず酒の味が分かっておるわい! よし、受けて立つぞ! ガロニアの荒くれども、この別嬪さんに負けるなァッ!」
バログ大親方がジョッキを一息に干すと、メリスは「よっ、男前!」と手を叩いて大喜びし、自分も特大ジョッキを喉を鳴らして一気に飲み干した。
「ぷはぁ〜〜っ! やっぱり美味しいご飯と冷えたお酒は最高ね! ねえカロン、このおじさんたち、すっごく気前が良くて大好きよ! ガロニアの特産品の燻製干し肉を山ほどくれたの!」
「メリス様……あなた、一応は天界の至高の主神なのですから、ドワーフの荒くれ者たちと一緒になって下品な一気飲みをするのはやめてください……」
カロンが額を押さえて深いため息をつく。
しかし、相手は酒豪揃いのドワーフたちである。神聖な女神であろうと何であろうと、「酒が強くて話が面白い美女」は最高の仲間であった。
その時、隣に座っていた父ガイルが、ジョッキを置き、カロンの耳元へ口を寄せてボソリと囁いた。
「……おい、カロン。大親方には……まだ『あのこと』を言ってないんだな?」
「あのこと、ですか?」
「決まってるだろ! お前の隣で豪快に樽酒を煽ってるその金髪の姉ちゃんが、本物の『女神メリス様』で……我が種族の祖神トール様の本名が『大地の神トーラ様』で、しかもお前がそのトーラ様直々に『メリスの眷属』と公認されたって事実だよ!」
ガイルは冷や汗を拭いながら、上機嫌で歌い始めたバログ大親方を恐る恐る見つめた。
「もし今ここで大親方に『その飲み仲間は本物の神様で、トール様はトーラ様でした』なんて言ってみろ。大親方の心臓が止まるか、それとも信仰のショックで学食を叩き壊して大暴れするかの二択だぞ……!」
「……そうですね。せっかく避暑に来て機嫌が良いのです。藪を突いて蛇を出す必要はありません。この件は、ひとまず墓場まで持っていきましょう」
カロンとガイルは固い握手を交わし、哀愁に満ちた目でジョッキを合わせたのであった。
宴会が果て、冷房の効いた快適な部屋でぐっすりと熟睡したドワーフたち。
翌朝、二日酔いどころか、数週間ぶりに完璧な睡眠を取ったことで完全に活力を取り戻したバログ大親方と親方衆は、カロンを捕まえて大学の工房フロアへと押し寄せてきた。
「カロン! ただ酒を飲んで寝転がっているだけでは、ガロニアの鍛冶職人の名が廃るわい! お前がこの大学で造っているという『最先端の機械』とやらを、儂らに見せてみろ!」
大親方の言葉に、カロンは快く頷いた。
「分かりました。ちょうど、皆さんの熟練の腕をお借りしたいプロジェクトがあったのです」
カロンが親方たちを案内したのは、校舎タワーの地下に広がる、広大な「先端金属工学・実験試作工房」であった。
工房の重厚な防音扉が開いた瞬間、ドワーフの親方たちの息が止まった。
そこは、ガロニアの薄暗く煤煙にまみれた旧来の鍛冶場とは完全に次元の異なる、白く磨かれた床と壁、眩い魔導蛍光灯、そして天井から吊り下げられた大型集塵ダクトが整然と並ぶ、完全近代化されたクリーンファクトリーであった。
室内はもちろんエアコンによって二十四度に保たれ、汗一滴落ちない環境が整っている。
そして、部屋の中央に鎮座していたのは――
「な……なんじゃ、この鉄の塊は……!?」
バログ大親方が目を丸くして立ち尽くした。
そこに並んでいたのは、カロンが水力発電所の電力と人造バッテリーで駆動するように設計・製作した、最新鋭の工作機械群であった。
三軸制御・魔導NCフライス盤:ダイヤモンドバイトを高回転させ、鋼材の表面をミクロン単位の精度で鏡面加工する切削機械。
五百トン油圧大型プレス機:高圧油圧ポンプの力で、分厚い鋼板を一撃で複雑な三次曲面へと成形する深絞り成形機。
高周波誘導加熱(IH)電気炉:石炭や木炭を一切使わず、電磁誘導によって鋼材の内部から均一に数千度まで急速加熱するクリーン加熱炉。
「おいおい……火も熾さずに、鉄が真っ赤に焼けていくぞ!?」
「あの細い刃物……目にも留まらぬ速さで回転して、硬い焼き入れ鋼をまるで豆腐のように削り取っていきやがる……!」
ガロニアで何百年もの間、重い金槌を振るい、手作業のヤスリがけで鉄を削ってきた熟練親方たちにとって、それは常識を根底から覆す衝撃の光景であった。
バログ大親方は、武骨な指先で恐る恐るNCフライス盤が削り出したばかりの鋼材の表面を撫でた。
指先が吸い付くような、寸分の狂いもない完璧な平面。
「……信じられん。職人が十日かけて研磨しても出せない精度が、この箱のボタンを幾つか押しただけで、わずか数分で仕上がってしまうというのか……」
大親方は愕然と肩を落とし、拳を震わせた。
「儂らが何十年もかけて磨いてきた『職人の勘と腕』は……この機械の前では、もう無用の長物だというのか……?」
ショックを受ける大親方に対し、カロンは静かに首を横に振った。
「いいえ、大親方。それはまったくの逆です」
「……何?」
カロンは製図台から、一枚の分厚い青焼き図面を広げて見せた。
「機械は、指定された数値を寸分の狂いもなく再現することしかできません。しかし――金属が熱によってどのように膨張し、どのような槌の打撃で内部の結晶がどう緻密化するか。どの鉱石をどの比率で混ぜ合わせれば、粘りと硬度を両立できるか。その『金属の魂を読み解く真の知恵』は、何十年も炉と鉄に向き合ってきた皆さんの中にしか存在しないのです」
カロンは大親方の目を見つめ、熱く語りかけた。
「私は今、電気自動車のモーター用シャフトや、次世代の超高圧蒸気タービン、そして装甲車両に使うための、かつてない強度を持つ『新世代の超強靭耐熱合金』の開発を進めています。機械の計算と、皆さんの熟練の感覚が融合して初めて、世界最高の鉄が生まれるのです。……どうか、力を貸していただけませんか?」
カロンの言葉を聞いた瞬間、バログ大親方の目に、かつてない熱い鍛冶師の炎が再点火された。
大親方はニヤリと口角を吊り上げ、太い腕を捲り上げた。
「……ガハハハッ! 言うようになったではないか、小僧が! よかろう! 機械に使われるのではなく、機械を儂らの槌の代わりに使いこなしてやろうではないか! ガロニアの親方衆の底力、このルーセンのタワーに見せつけてやるぞォッ!!」
「「「オオオオオッッ!!」」」
親方たちの怒号のような返答が、地下工房に響き渡った。
そこからの三日間、地下工房では奇跡のような共同作業が繰り広げられた。
冷房の効いた快適な環境の中、疲労を感じる暇もなく、ガロニアの親方衆とカロン、そして工科大学のドワーフ留学生たちが一体となって実験に没頭した。
バログ大親方が「この鉄は炭素が少し抜けすぎておる! もっと粘りを出せ!」と叫べば、カロンが即座に分光分析器で炭素含有量を測定し、電磁誘導炉の不活性ガスシールドの流量をデジタル制御で微調整する。
熟練の親方が「冷やすタイミングがコンマ数秒早い!」と手元の感覚で指摘すれば、カロンが温度センサーの冷却水バルブの応答速度を書き換えて追従させる。
経験則という名の「アナログの極致」と、科学工学という名の「デジタルの極致」。
二つの知恵が完璧に噛み合った時、電磁誘導炉の坩堝から、青白い神秘的な光を放つ溶湯が流れ出した。
「注湯開始! 遠心鋳造機、回せ!」
超高速で回転する鋳型に流し込まれ、大型油圧プレス機で数千トンの圧力をかけながら均一に鍛造されたその金属プレート。
水冷を経て研磨機から取り出されたのは、従来の鋼鉄の三倍の引張強度を持ち、千度の高熱に晒されてもビクともせず、しかも重量は従来の二割も軽いという、前代未聞の奇跡の超合金――
『ルーセン・ガロニア複合超強靭耐熱鋼(通称:カロン・スチール)』であった。
キンッ……!
バログ大親方が自慢のミスリル槌でその鋼板を全力で叩きつけた。
槌の方が甲高い火花を散らして弾き飛ばされたが、鋼板の表面には傷一つ、凹み一つついていなかった。
「……できた……! 儂の生涯で、これほど強靭で美しい鉄を見たことがない……!」
大親方は鋼板を抱きしめ、大粒の涙をボロボロとこぼした。
「素晴らしい……! これなら、次世代の高圧タービンブレードも、大容量バッテリーの耐圧ケースも、完璧な安全マージンで作ることができます!」
カロンも満面の笑顔で大親方と固い握手を交わした。
大学の学生たちにとっても、伝統の技と最新工学が融合する瞬間を目の当たりにしたこの三日間は、いかなる教科書よりも雄弁な最高の生きた講義となったのである。
一週間に及んだドワーフたちのルーセン滞在も、やがて終わりを告げる時が来た。
南方からの異常熱波は北の山脈を越えて東の荒野へと去り、ルーセンにもガロニアにも、本来の心地よい初秋の涼風が戻ってきたのである。
出発の朝。三十階建てメガタワーの正面玄関前には、荷物をまとめた二百名以上のドワーフ職人たちと、見送りに集まったカロン、大学の教員、そして留学生たちが並んでいた。
ドワーフたちは誰もが肌の血色を良くし、たっぷり肥え太り、手にはお土産として買い込んだルーセンの特製ワイン樽や焼き菓子の箱を抱えていた。
そして何より、彼らの荷馬車には――カロンが特別にガロニアの鍛冶ギルド本部用として寄贈した、大型魔導エアコン三台と、専用の人造蓄電バッテリーパックがガッチリと積み込まれていたのである。
バログ大親方が、カロンの前に歩み寄ってきた。
その顔には、先日の横柄さは微塵もなく、一人の偉大な技術者に対する深い敬意と友情の光が湛えられていた。
「カロン。世話になったな。……いや、礼を言うのは儂らの方だ。命を救われただけでなく、鉄の未来の扉を開けてもらった」
「いいえ、大親方。皆さんの長年の経験と技術がなければ、あの『カロン・スチール』は絶対に完成しませんでした。感謝しているのは私の方です」
バログ大親方はニヤリと笑い、太い腕をカロンの肩に回した。
「ガロニアに戻ったら、直ちにギルドの総会を開く。今後、ガロニアの製鉄所はすべてカロンの設計する規格鋼板の生産ラインへと順次改修するぞ! そして――来年の夏も、また全員でこのタワーに避暑に来てやるからな! 部屋を空けて待っておけよ!」
「ははは、いつでも歓迎いたしますよ」
大親方は豪快に笑い、馬車の御者台へと飛び乗った。
「野郎ども、ガロニアへ戻るぞ! 新しい鉄を打ちまくるぞォォォッ!!」
「「「オオオオオッッ!!」」」
地鳴りのような歓声と蹄の音とともに、ドワーフたちの大車列は、青空の下を誇らしげに北東の山並みへと出発していった。
車列が見えなくなるまで手を振っていたカロンの隣で、父ガイルが深々と息を吐いた。
「ふう……どうなることかと思ったが、結果的にはガロニアとルーセンの絆がこれ以上ないほど強固になったな」
「ええ、父さん。これで大学の研究設備と、ガロニアの生産能力が完全に直結しました。帝都にも他国にも真似できない、圧倒的な工業基盤の完成です」
カロンが力強く頷くと、背後からあくびをしながら歩み寄ってきた者がいた。
両手に焼きたてのメロンパンを持った、金髪の駄女神メリスであった。
「ふわぁ〜あ……。あのおじさんたち、もう帰っちゃったの? すっごく賑やかで楽しかったのに、ちょっと寂しくなるわね〜」
ガイルがビクッと肩を震わせ、カロンと顔を見合わせた。
「……父さん。大親方が最後までこの人の正体に気づかなくて、本当に良かったですね」
「……ああ。もし気づいていたら、今頃ガロニアの街ごとひっくり返る大騒動になっていたところだ。お前の胃袋が爆発しなくて本当に良かったよ……」
二人は心底からの安堵の苦笑いを漏らし合った。
秋の澄み切った風が、三十階建てのメガタワーを吹き抜けていく。
新工房区からは、今日も規則正しい機械の作動音と、職人たちの活気ある声が天へと響き渡っていた。
技術革新がもたらした快適さと、伝統の技との幸福な融合。
学園都市ルーセンは、また一つ確固たる力をその身に宿し、次なる時代の波へと向けて堂々たる歩みを進めていくのであった。




