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第56章:霊峰の火口と神々の帳尻合わせ

第56章:霊峰の火口と神々の帳尻合わせ


大聖堂のような巨躯を誇る大聖樹に集中豪雨を降らせ、ひとまずの枯死を食い止めた翌朝。

カロン、リアリス、そして「山登りなら美味しい果物があるはずよ!」と早起きした駄女神メリスの三人は、干上がったエレノア川の白い河床を右手に臨みながら、北東にそびえ立つ霊峰エレン山へと向かっていた。


山麓に近づくにつれ、かつてはエルフたちの散策路であったはずの緩やかな小道は、地割れと隆起によって見る影もなく荒れ果てていた。

尖った玄武岩が露出し、倒木が斜面を塞ぐ過酷な悪路。しかし、カロンが運転する銀色の電気自動車(EV)は、ダブルウィッシュボーンサスペンションのストロークを限界まで使い、四輪の独立モーターが驚異的なトルクを刻みながら、段差をしなやかに乗り越えて登っていく。


「道がひどいわね……。いくらこの鉄の馬でも、これ以上は無理じゃないかしら?」

助手席でグリップを握りしめるリアリスが、揺れる車窓の外を見つめて不安げに眉をひそめた。


「大丈夫です。時速二十キロ以下に抑え、路面の凹凸を魔力スキャナーで読み取ってトルク配分を自動制御していますからね。足回りにかかる応力も安全マージンの範囲内です」

人間の青年の姿に変身したカロンは、片手で滑らかにハンドルを切りながら、至極平然と答えた。


標高が千メートルを超え、山の中腹に差し掛かった頃、周囲の大気が異様な乾燥と熱気を帯び始めた。

青々としていたはずの高山植物は根こそぎ炭化して燃え尽き、岩肌の裂け目からは陽炎がゆらゆらと立ち上っている。


その焦土の闇から、突如として赤黒い炎の塊が立ち上がった。

人型の輪郭を象り、燃え盛る両腕を振り回す怪異――『ファイアエレメンタル(火の精霊)』が三体。さらに上空からは、全身に紅蓮の炎をまとった猛禽――『ブレイズバード』の群れが、けたたましい鳴き声を上げて車体へ急降下してきた。


「敵よ! 私が上空を――」

リアリスが矢筒に手を伸ばした瞬間。


シュルル……と、運転席の窓がわずかに三分の一ほど下りた。


カロンは前方の悪路から視線を一切逸らさず、左手でハンドルを保ったまま、右手の人差し指を窓の外の空間へ軽く向けた。


「運転中の急制動は危険です。流体工学的に鎮火します――『ウォータースプレー・レベル6』」


バババババッ!!


散水車数百台分に相当する超高圧の水流が、細い水線となって指先から機関銃のように連射された。

水線は空中を切り裂き、滑空してきたブレイズバードたちを寸分の狂いもなく直撃。ジュウッ!と凄まじい水蒸気が上がった瞬間、火炎を消し去られた鳥たちはただの濡れネズミとなってバタバタと地面へ墜落した。

さらに地上のファイアエレメンタルたちに対しても、消火栓直撃のごとき大量放水が一瞬で浴びせられ、シューという哀れな音とともに黒い炭の塊へと還元されて転がった。


「よし、資材確保」

カロンが指先を軽く振ると、空間収納の不可視のゲートが開き、倒れた炎の魔物たちの残骸や核魔石が、掃除機に吸い込まれるように綺麗さっぱり回収された。

窓がウィーンと静かに閉まる。


「……………………」

リアリスは弓を握りしめたまま、引きつった笑みを浮かべて硬直していた。

「……ハンドルを握ったまま、ノールックで火の精霊を水鉄砲みたいに消し炭にして、そのまま荷物袋に片付ける……。ねえ、私、なんのために弓を持ってここに座ってるのかしら?」


「何をおっしゃいます。リアリスさんの索敵があるからこそ、安心してハンドルに集中できるのですよ」

カロンが温和に笑うと、後部座席で丸ごとかじっていた干し肉をもぐもぐさせていたメリスが、呑気に口を挟んだ。

「そうよリアリス〜。カロンは細かいことばかり気にする堅物だけど、暴れることに関しては天界の闘神よりタチが悪いんだから、諦めて景色を楽しめばいいのよ〜」


「神様に言われたくないわよ!」


標高二千メートルを越えると、もはや道と呼べるものは完全に消失し、赤茶けた火山灰と溶岩の巨岩が転がる荒野となった。


その時――


ズズズズ……ッ!


車体が下から突き上げられるように激しく横揺れを起こした。

独立懸架サスペンションが軋み、前方の岩壁からガラガラと落石が崩れ落ちる。


「きゃあっ!? な、何よこれ!?」

リアリスが座席にしがみつく。


カロンは即座にブレーキを踏んで車輪をロックさせ、インパネに設置した自作の振動計(感震計)の数値を冷静に確認した。

針が大きく右へ振れ、小刻みな周期的な微動を刻んでいる。


「地震ですね。車に乗っていても明確に感知できるレベルです。周期が極めて短く、震源はほぼ直下……深さ二キロメートル以内といったところでしょうか」


「じ、地震!? エレン山はエルフの国でも有数の霊峰なのよ!? ここ何千年も山が揺れたことなんて一度もないわ!」


カロンはフロントガラス越しに、赤く染まる山頂の稜線を見上げた。大気中に微細な火山灰が舞い、硫黄のツンとした臭気が換気ダクトを通じて車内に侵入してきている。


「山が揺れ、水源が枯れ、火の魔物が集まり、地熱が異常上昇している……。リアリスさん、こういう状態の山のことを、工学や地球科学では『活火山』と呼ぶのですよ。おそらく、地下のマグマ溜まりが限界まで膨張しています。近いうちに、大規模な破局的噴火を起こす前兆でしょう」


「ふ、噴火ぁぁっ!? 山が火を噴くの!?」

リアリスが青ざめて叫ぶ。


「ええ。もしこの規模の山が噴火すれば、山体崩壊とともに火砕流が麓へ時速百キロで押し寄せます。エレノアの町どころか、里全体が一瞬で消滅しますよ」


「そ、そんな……! 大聖樹を潤すどころの話じゃないじゃないの!」


パニックに陥りかけるリアリスを宥めながら、カロンは静かにアクセルを踏み込んだ。

「何が起きているのか、火口を見ればすべてが判明します。急ぎましょう」


山頂直下の急斜面を登りきると、視界が一気に開けた。

標高三千メートルの頂上カルデラ。


しかし、そこに広がる光景を目にした瞬間、前方に立ちはだかる巨大な影が紅蓮の業火を噴き上げた。


「グオオオオオオオォォォッッ!!!」


カルデラの外輪山から翼を広げて舞い上がったのは、体長二十メートルを超える紅蓮の巨獣――『ファイヤードラゴン(火炎竜)』であった。

マグマをそのまま凝固させたような分厚い赤褐色の鱗に覆われ、その口腔からは数千度の超高熱火炎が漏れ出している。


火炎竜は侵入者である銀色の鉄の箱を捉えるなり、空気を切り裂いて一直線に突進してきた。その巨大な顎が、車ごとカロンたちを丸呑みにせんと大きく開かれる。


「ドラゴンよッ!! 逃げて、カロン!!」

リアリスが絶叫する。


だが、カロンは逃げるどころか、サイドブレーキを引いて車をピタリと横向きに停車させると、静かに両手をダッシュボードの上から突き出した。


「火属性の極大熱源体。……ならば、比熱と潜熱の極限利用による強制熱交換を行います」


カロンの左右の手から、真紅と白銀の魔導光が渦を巻いて同時に励起された。


「『ウォータースプレー・レベル6』! 並行起動――『アイスボール・レベル6』――臨界冷却・相転移バーストッ!!」


ドォォォォォンッッ!!!


カロンの手から放たれたのは、大聖堂を丸ごと飲み込むほどの超高圧の激流と、絶対零度近くまで過冷却された巨大な氷塊の嵐であった。


突進してきたファイヤードラゴンは、火炎ブレスを吐き出す直前に、この規格外の氷水塊の直撃を正面からまともに食らった。


ジュバァァァァァァッッ!!!!


凄まじい水蒸気爆発の白煙が山頂全体を覆い尽くす。

ドラゴンの纏っていた超高熱の炎の障壁は一瞬で剥ぎ取られ、急激な熱収縮によって赤褐色の鱗がピキピキと音を立てて砕け散る。

そして間髪を入れず、零下の冷水がドラゴンの全身にまとわりつき――


カチィィィン……!


数千度の熱量を誇っていたはずの火炎竜は、翼を広げ、口を大きく開けた突撃姿勢のまま、頭の先から尻尾の先まで、透き通るような分厚い氷の塊の中に完全密封され、巨大な「ドラゴンの氷漬け彫像」と化して地面へドスンと落下した。


戦闘時間、わずか三秒。


山頂に吹き抜ける寒風の中、巨大な氷塊の前で、リアリスは膝から崩れ落ちそうになりながら頭を抱えた。


「……あの炎の塊みたいな純血のファイヤードラゴンを一撃で凍りつかせるって……どういうことよ……? 魔法の法則って、一体どこへ行っちゃったの……?」


後部座席からひょっこり顔を出したメリスが、誇らしげに腕を組んで言った。

「だから言ったじゃない! カロンはね、この世界で一番理不尽で最強のドワーフなのよ! ね、カロン?」


「工学的な熱力学計算に基づいた適切な冷却処置を行ったまでです」

カロンは何食わぬ顔で氷漬けのドラゴンを空間収納へ放り込み、車を降りた。


リアリスは深く、深いため息をついた。

「……そうね。もういいわ。何が起きても受け入れるわよ……」


氷結ドラゴンを片付けた三人は、カルデラの縁へと歩み寄り、火口の底を見下ろした。

その光景を見た瞬間、リアリスは息を呑んで絶句した。


「……うそ……でしょ……? 湖は……? 私たちのエレン湖はどこへ行っちゃったの……!?」


リアリスの記憶にあったはずの、年中清らかな雪解け水をたたえ、エレノア川の水源となっていた広大な火口湖――『エレン湖』の姿は、どこにも存在しなかった。


直径五百メートルにおよぶ巨大な火口の底を満たしていたのは、ドロドロと真っ赤に煮えたぎり、時折ボコボコと数十メートルの火柱を噴き上げる『超高熱のマグマの海』であった。

かつての湖水は、地下から上昇してきたマグマの熱によってすべて瞬時に蒸発させられ、川へ流れるはずの取水口も完全に溶岩によって埋め尽くされていたのである。


「こんな光景、見たことも聞いたこともないわ……! 湖が消えて、火口全体が溶岩で満ちてるなんて……!」


カロンは火口壁の傾斜とマグマの液面を観察し、厳しい表情を浮かべた。

「マグマの粘性が低く、ガス圧が極限まで高まっています。液面が火口縁まであと数十メートルに迫っている。……これは、明日明後日にも大噴火を起こすレベルですね」


「そんな……! じゃあ、里のみんなは……大聖樹は本当に終わりなの!?」


リアリスが絶望に暮れかけた、その時であった。


「ん〜? ちょっと待っててね。イグニに聞いてくるから」


隣にいたメリスが、何でもない調子で呟いたかと思うと――


シュンッ。


空気の揺らぎとともに、その姿がカルデラの縁から一瞬で掻き消えた。


「えっ!? メリス!? どこ行ったの!?」

リアリスが目を白黒させる。


カロンが「天界へ直接文句を言いに行ったようですね」と苦笑いしていると、わずか十秒後――


フッ……。


何事もなかったかのように、メリスがカルデラの縁へと戻ってきた。手にはどこから持ってきたのか、神々しい金色の果実を齧っている。


「ただいま〜!」


「お、おかえりなさい……って、どこへ行っていたのよ!?」


メリスは果実を飲み込み、指を一本立てて朗らかに説明を始めた。


「あのね! 天界の火と溶岩を司る神様、イグニのところへ行って事情を聞いてきたわ! そしたらね、やっぱりこのエレン山、『明日のお昼に大噴火する予定』だったんだって!」


「やっぱりそうか……!」カロンが頷く。


「さっきのファイヤードラゴンもね、噴火の直前に吹き上がってくる超濃厚なマグマのエネルギーを全身に浴びて脱皮するために、わざわざ遠くの火山から飛んできて待機してたらしいわよ。あのドラゴンの習性なんだって!」


「ドラゴンの生態はどうでもいいわよ! 明日噴火するって、どうするのよカロン!?」

リアリスが血相を変えてカロンの服を引っ張った。


カロンは即座に決断を下した。

「事態は一刻を争います。直ちに車でエレノアへ戻り、里の住民全員に強制避難勧告を出しましょう。全速力で車を走らせれば一時間で麓に着きます。大聖樹を移動させることは叶いませんが、人命を最優先に――」


「あ、カロン、待って待って! 避難しなくていいわよ!」


メリスが両手を広げてカロンの前に立ちふさがった。


「……はい? 避難しなくていいとは、どういうことですか?」


メリスは腰に手を当て、ドヤ顔で胸を張った。


「だってね、私、イグニに文句言ってお願いしてきたもん! 『私のカロンが困ってるから、エレン山の噴火は絶対に中止しなさい!』って!」


「「はあぁぁぁっ!?」」


カロンとリアリスの叫びがハモった。自然の地殻変動を、私情でストップさせたというのか。


「でもね」

メリスは人差し指をチッチッと左右に振った。


「大地のエネルギーの帳尻ってものがあるらしくてね。イグニが『どうしても地下のマグマ圧をどこかで解放しないと、星のバランスが崩れて大爆発しちゃう』って困ってたのよ。だからね、『じゃあ別の場所を噴火させなさいよ』って提案して、代わりの山を決めてきたわ!」


カロンの背筋に、冷たいものがスッと走った。

嫌な予感が脳裏を激しく警報のように鳴らし始める。


「……メリス様。確認ですが、その『代わりの山』とは、一体どこにある山なのですか?」


メリスは満面の笑みを浮かべ、事も無げに言い放った。


「ゲスハルト帝国の帝都グランツのすぐ近くにある、『ローゼン山』よ! あそこを代わりに大噴火させることで、イグニと合意してきたわ!」


「「……………………」」


カルデラの山頂に、完全なる静寂が訪れた。


カロンの思考回路が、一瞬にしてショートしかけた。

「ぐ……グランツ……!? え、あの……ゲスハルト帝国の首都の、帝都グランツですか……!?」


「そうよ! だってあいつら、大司教バルデスとか帝国大学総長マンハイムとか、こないだルーセンに乗り込んできてカロンの研究を奪おうとしたり、私を道具扱いしようとしたりして、すっごくムカつくじゃない! だから天罰よ、天・罰☆」


「「………………………………」」


二人は完全に無言になった。


カロンは深々と天を仰ぎ、こめかみを強く押さえた。

(……め、女神とは思えない言葉だ。私怨と八つ当たりで帝国の首都近郊の火山を身代わり噴火させるとは……。この駄女神、悪魔より邪悪なことを平然と笑顔でやってのけるぞ……)


カロンは冷や汗を拭いながら、必死に被害状況の工学的試算を試みた。


「あ、あの……メリス様。帝都グランツの人口は数十万人におよびます。ローゼン山が噴火した場合、壊滅的な人的被害が出るのでは……?」


「あ、そこはちゃんと考えたわよ!」

メリスは自慢げに頷いた。


「ローゼン山から帝都グランツまでは、およそ七十キロメートル離れてるわ。だから溶岩流や火砕流が直接都市を直撃することはないわよ。……まあ、風向きによっては、帝都の街中に目も開けられないくらいの大量の火山灰がドッサリ降り積もって、大混乱になるらしいけどね! 大司教や総長の屋敷の屋根も灰の重みでペッチャンコよ! 人は死なないからセーフセーフ!」


「人は死なないからセーフって……」

リアリスが引きつった顔でカロンを見つめた。


カロンは諦めの境地に達し、深く息を吐き出した。

すでに神々の間で契約が締結されてしまった以上、地上の人間やドワーフに覆す術はない。何より、大司教や総長はすでに領主邸の地下で石像になっているため、屋根が潰れても本人は痛くも痒くもないはずであった。


「……ああ、分かりました。帝都の皆さんには同情しますが……こちらのエルフの里が助かるのなら、よしとしましょう」


工学者カロンの、現実主義的な割り切りであった。


メリスが天界と合意を取り交わした直後、火口の底で劇的な変化が起きた。


ゴゴゴゴゴ……ッ!


地鳴りのような重低音とともに、カルデラを満たしていた煮えたぎるマグマの海が、まるで巨大な風呂の栓を抜いたかのように、地下深奥のマグマ溜まりへと急速に引き戻されていったのである。

溶岩が完全に引き切った後には、冷え固まった巨大な玄武岩のクレーターがぽっかりと口を開けて残された。


「よし……マグマは完全に撤退しましたね。地殻の温度も急降下しています」

カロンはカルデラの縁に立ち、両手を広げた。


「では、失われた水源を元の姿へと復元します!」


カロンは体内の魔力を最大出力で解放した。

これまでの数千回にわたる魔法行使によって、カロンの魔力容量と水属性魔法の出力は、もはや一国の天候を左右する域に達していた。


「水よ、大地の窪みを満たし、悠久の生命の源泉となれ――『ウォータースプレー・最大出力連続放射』!!」


ドバババババババッッ!!!!


カロンの両手から、巨大なダムの放水を何本も束ねたような、途方もない激流の奔流が火口の底へと向けて注ぎ込まれた。

玄武岩のクレーターが冷やされ、数分、数十分と注ぎ込み続けるうちに、巨大なすり鉢状のカルデラは、みるみるうちに透き通るような清涼な水で満たされていった。


作業開始から約一時間。

そこには、陽光を浴びてエメラルドグリーンに輝く、以前と寸分違わぬ美しい火口湖――『新生エレン湖』が完全に復活を遂げていた。


湖から溢れ出た清らかな水は、かつてのエレノア川の取水口へと吸い込まれ、白い滝となって干上がっていた渓谷へと力強く流れ落ちていった。


「ふう……これで、完全に元通りだな」

カロンが汗を拭って微笑む。


リアリスはその雄大な光景を見つめ、目頭を熱くしてカロンの手を握りしめた。

「……ありがとう、カロン。本当に……ありがとう」


三人は車に乗り込み、並々と流れるエレノア川の水流と並走しながら、ゆっくりと山を降りていった。


山を降りてエレノアの町へ戻ると、そこには昨日の絶望が嘘のような、奇跡に沸く光景が広がっていた。


町中を縦横無尽に巡る石造りの水路には、山から届いたばかりの澄み切った清流が勢いよく流れ込み、子供たちが歓声を上げて水しぶきを跳ね上げている。

そして、町の中央にそびえる大聖樹は、根から豊かな水源を存分に吸い上げ、茶色く枯れかけていた枝葉のすべてが、まるで命の炎を再点火されたかのように、鮮やかな深い緑色を取り戻して瑞々しい光を放っていた。


「水が戻ったぞォォォッ!!」

「川が……エレノア川が息を吹き返した!!」


町民たちの歓喜の歌声と祈りの鐘の音が、里全体に美しく反響していた。


その夜、カロンたちは再びリアリスの実家へと招かれた。


食卓には、昨日の乾いたパンと濁った水とは打って変わり、町の自治会から「里を救った奇跡の魔導士様へ」と特別に配給された、色鮮やかな輸入果物の盛り合わせ、極上の野鳥のロースト、香草で煮込んだスープ、そして焼きたてのふっくらとした白パンが豪華に並べられていた。


「魔導士様、本当に、何とお礼を申し上げてよいか……!」

四百八十五歳の若々しい母リリスは、何度も何度もカロンに頭を下げ、手ずから料理を取り分けてくれた。


「いえ、リアリスさんの故郷が無事に戻って何よりです。この水流であれば、今後数百年は干上がる心配はありませんよ」

カロンが笑うと、隣で果物を口いっぱいに詰め込んだメリスが「私のローゼン山のおかげね!」と自慢げに言ったが、カロンは素早くその口に大きなイチゴを押し込んで黙らせた。


その夜も、大満足したメリスはリアリスの部屋のベッドへと潜り込み、カロンは客間で心地よい静寂に包まれて眠りについた。


翌朝、澄み切った青空の下。

三人は旅の身支度を整え、実家の玄関先で母リリスと別れの挨拶を交わしていた。


「リアリス、身体に気をつけてね。たまには顔を見せるのよ」

「ええ、お母さんも元気でね」


リリスは娘を抱きしめた後、カロンへと向き直った。

その切れ長の美しい瞳に、慈愛と、どこか深い意味を込めた悪戯っぽい光を浮かべ、カロンの手を優しく包み込んだ。


「カロン様。……どうか、不器用なうちの娘を、よろしくお願いいたしますね」


「は、はい。冒険者パーティの頼もしい仲間として、これからも大切にいたします」

カロンが真面目に答えると、リリスはクスクスと上品に笑った。


車に乗り込み、町を出て国境へと向かう道中。

後部座席からメリスがニヤニヤしながら身を乗り出してきた。


「ねえねえリアリス〜! 『娘をよろしくね』だって! これって完全に『親公認の仲』ってやつじゃないの〜!?」


「なっ……!?」

助手席のリアリスの顔が、耳の先端までカッと林檎のように真っ赤に染まった。

「そ、そんなわけないでしょ馬鹿メリス!! 母はただ、冒険者の仲間として面倒を見てくれって言っただけよ!!」


必死に手を振って否定するリアリス。しかし、その視線はチラチラと運転席のカロンへと向けられ、まんざらでもなさそうな、照れくさそうな笑みを隠しきれていなかった。


カロンは前方を向いたまま、工学者らしい冷静さでポツリと現実を指摘した。


「ですがリアリスさん。私と付き合うということは、ルートリード皇国の法律で立ち入りを禁止されている『ドワーフと付き合う』ということになりますよ。いいのですか?」


「………………」


その一言に、リアリスの表情が一瞬で現実に引き戻され、少し暗い影を落とした。

「……そうね。うちの国、ドワーフに対してだけは本当に頑迷だから……」


「まあ、いずれ工学と産業の力で、国家の壁などいくらでも融解させてみせますよ。私の大学には、エルフの留学生を受け入れる準備も整っていますからね」

カロンが快活に笑うと、リアリスの瞳に再び明るい光が戻り、力強く頷いた。


昼過ぎ、ゲスハルト帝国との国境検問所に到着した。

国境を守るエルフの衛兵たちは、昨日までの張り詰めた険しい表情とは一変し、全員が朗らかな満面の笑顔で警備についていた。


検問の兵士が、リアリスと人間の姿のカロンを見て、親しげに手を挙げた。

「通ってよし! 旅の者たちよ、聞いたか? エレノアの川に水が戻り、大聖樹が蘇ったそうだ! 我が国の誇りが守られたのだ!」


「ええ、本当に良かったですね」

カロンが一礼して車を発進させると、兵士たちは笑顔で手を振って見送ってくれた。彼らがこれほど喜んでいる根本原因を作ったのが、目の前を通り過ぎた「人間の姿をしたドワーフ」だとは、夢にも思っていないだろう。


国境を越え、再びゲスハルト帝国の広大な平原へと躍り出た電気自動車は、アクセルを踏み込むとともに一気に時速七十キロまで加速した。


西の空が黄金から紫色の夕闇へと移り変わり、星々が瞬き始める頃――

前方の地平線に、夜空を突くようにそびえ立つ二十階と三十階の巨塔の光が、温かな灯台のように見えてきた。


「ただいま、ルーセン」


カロンが小さく呟くと、車は夜風を切り裂きながら、愛する弟子たちと最先端の工学が待つ我が家へと、滑らかに滑り込んでいったのであった。

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