第50章:氷壁の短絡路と深奥の神殿
第50章:氷壁の短絡路と深奥の神殿
灼熱の溶岩洞窟を急冷・制圧し、ファイアーバードの残した大量のルビーを回収した三人は、さらに奥へと続く石造りの階段を一段ずつ踏みしめて降りていった。
先ほどまで肌を焦がしていた熱気は、階段を半ばほど降りたあたりで完全に霧散した。代わりに肌を刺すような極寒の冷気が吹き上がり、吐く息があっという間に真っ白に凍りついていく。
階段を降りきったカロンたちの目の前に広がっていたのは――先ほどの赤く煮えたぎるマグマの地獄とは正反対の、見渡す限りの『白銀と蒼氷の世界』であった。
天井、床、そして入り組んだ迷路を形作る壁に至るまで、すべてが透き通るような分厚い永久凍土と氷塊で構成されている。青白い冷光が氷壁の内部で乱反射し、幻想的でありながらも、一歩足を踏み外せば永久に凍結されそうな冷徹な威圧感を放っていた。
「ううっ……! さっきの溶岩の次は、よりによって極寒の氷の世界ね……! ダンジョンの環境変化が極端すぎるわ!」
リアリスが革鎧の上から腕を抱え、白い息を吐きながら身を震わせた。
ギルバートも吐息で髭を白く凍らせながら、青く輝く氷の迷路を見渡して顔をしかめた。
「足元がつるつる滑りやがるな。氷の壁は光を反射して奥行きが掴みづれえ。正規のルートを探しながら歩いてちゃ、体力を奪われて凍傷にかかるぞ」
「では、ここでも風の流れを確認しましょう」
カロンは手袋を直すと、指先を軽く持ち上げて探査魔法を展開した。
「『ウインドディテクション』」
淡い翠色の光の粒子が立ち上り、氷の空間を満たす気流のベクトルを描き出す。
カロンはその光の奔流を目で追った。しかし、正面に伸びている正規の広い氷の通路よりも――右手の分厚い氷壁の足元にある、大人の拳ほどの小さな隙間穴から、不自然なほど強い勢いで風が吹き込んでいることに気がついた。
「ふむ……?」
カロンはその穴の前にしゃがみ込み、冷気の流速と気圧差を冷静に分析した。
(正面の通路は幾重にも曲がりくねり、流路抵抗が大きい。だが、この氷壁の向こう側は、巨大な空間に直結しているな。この壁の厚みはせいぜい二メートル程度か……)
工学者として、目的地への最短距離が存在するならば、わざわざ遠回りの迷路を踏破する理由などどこにもない。
カロンは立ち上がり、右手を氷壁へと向けた。
「土木工学の基本は、トンネルによる経路短縮です。――『ディグルート・レベル2(掘削貫通)』」
ボゥッ……!
新しく習得した土木掘削魔法の光が氷壁に照射された。
拳大だった小さな隙間穴が、瞬く間に滑らかな円筒形にくり抜かれ、大人が直立したまま余裕で通り抜けられる直径二メートルほどの頑丈な氷のトンネルへと拡張された。
ヒュオオオォォォ……!
拡張されたトンネルの奥から、さらに強い気流がゴウゴウと吹き抜けてくる。
カロンは満足そうにポンと氷の壁を叩き、振り返って言った。
「近道だ。ここを通りましょう」
「…………」
「…………」
ギルバートとリアリスは、開いた口が塞がらないまま、完全に無言で立ち尽くしていた。
迷宮の正規ルートを無視し、力技で壁に穴を開けてバイパス(短絡路)を自作する冒険者など、この世界の歴史のどこを探しても存在するはずがなかった。
二人は視線を交わし、乾いた笑いすら浮かべることなく、ただ無言でカロンの後に続いてくり抜かれたトンネルへと足を踏み入れた。
氷の階層は、本来であれば複雑怪奇な氷の迷路と滑る足場、そして待ち伏せする冷気モンスターによって探索者をじわじわと追い詰める難関エリアであった。
しかし、カロンの工学的アプローチの前には、迷宮のギミックなど何の意味もなさなかった。
通路を進むごとにウインドディテクションを展開し、強い風が吹き込む氷壁の窪みを見つけては、『ディグルート』でズドンと穴を開けて直線的にショートカットしていく。
道中、氷の身体を持つ頑強な『アイスゴーレム』や、鋭利な氷柱の羽根を飛ばしてくる『氷鳥』が奇襲を仕掛けてきたが、カロンが先行させているストーンゴーレムの鉄拳と、リアリスの正確な射撃、ギルバートの一撃によって瞬く間に粉砕されていった。
そして――。
「よし、このトンネルを抜ければ……目的地ですね」
カロンが三度目の氷壁掘削を終えて外へ出ると、そこには巨大な氷の彫刻が施された、荘厳なる両開きの氷結扉がそびえ立っていた。
この階層に足を踏み入れてから、時計の針にしてわずか三十分も経っていなかった。
「……信じられないわ」
リアリスが額を押さえ、深いため息をついた。
「普通なら丸一日かけて凍えながらマッピングする階層よ? それを壁をぶち抜きながら三十分でボス部屋に直行するなんて……ダンジョンを作った神様が泣いてるわよ」
「いや、泣くどころか怒り狂ってスタンピードを起こしたんじゃねえかと思えてきたぜ」
ギルバートがやれやれと首を振る。
カロンは気にする風もなく、氷結扉の取っ手に手をかけた。
「何はともあれ、迅速な進行は安全確保の第一歩です。さあ、この階層の元凶を排除しましょう」
ギギギ……パキパキッ!
凍りついた巨大な扉を押し開けると、中は天井がドーム状に吹き抜けた、広大な氷の神殿のような大広間であった。
部屋の中央、冷気と霜の霧が立ち込める玉座のような氷塊の上に、巨大な影がとぐろを巻いていた。
白銀に輝く硬質な鱗、氷柱のように鋭い巨大な牙、そして背中に広がる巨大な氷の翼――高位の魔物として名高い、冷気の支配者『アイスドラゴン(氷竜)』であった。
「グルルルル……!」
アイスドラゴンが青白く発光する眼窩をカロンたちに向け、地響きのような唸り声を上げた。
その全身から放たれる威圧感は、先ほどのミノタウロスやワイトキングを遥かに凌駕していた。
ギルバートが大剣を構え、油断なく腰を落とした。
「おいおい……マジかよ。いくらスタンピードの変異とはいえ、中層クラスのダンジョンで本物の『ドラゴン種』が湧くのかよ!?」
リアリスも弓を引き絞りながら、頬に冷や汗を伝わせた。
「そのようね……! 氷のブレスを吐かれたら一瞬で全員氷漬けよ! カロン、油断しないで――」
しかし、二人が戦闘態勢を整えるよりも早く、カロンはすでに両手を突き出し、冷静に魔導回路をトップギアへと引き上げていた。
「氷属性の大型生物……。熱力学的相殺を考慮すれば、最大熱量の火炎集中砲火が最適解ですね」
カロンの両手から、真紅と黄金の灼熱の魔力が渦を巻いて噴れ上がった。
「『ファイヤーボール・レベル6』! 並列起動――『ファイアランス・レベル2』――熱量収束三連放射ッ!!」
カッ……!!!
カロンが新しく習得した貫通火炎魔法『ファイアランス』と、極大火球『ファイヤーボール』が融合し、超高熱のプラズマの槍となって解き放たれた。
ドガァァァァァンッッ!!!
一発目の直撃で、アイスドラゴンの強固な氷の鱗が爆散し、神殿全体を揺るがす悲鳴が上がった。
「グギャオオオオォォォッ!?」
ドラゴンの咆哮が響く間もなく、カロンは指先を微塵もぶらすことなく、二発目、三発目を間断なく叩き込んだ。
ズドォォォォンッ!! ズガガガガガアンッ!!
至近距離からの三連続・極大火炎爆撃。
氷神殿の床が瞬時に融解して水蒸気が爆発し、アイスドラゴンは自慢の氷ブレスを一発たりとも放つ暇を与えられず、全身を業火に焼かれて床へと崩れ落ち、そのまま光の粒子となって消滅した。
戦闘時間、わずか十秒足らず。
立ち込める白い湯気の中、リアリスが弓を持ったまま力なく肩を落とし、ぽつりと呟いた。
「……何もできなかったアイスドラゴンに、心から同情するわ」
ギルバートも大剣の切っ先を床に落とし、深いため息をついた。
「……全くだ。ドラゴンが前座の雑魚敵みたいに瞬殺されちまったぞ」
ドラゴンの消滅した跡地に、カシャンと澄んだ金属音を立てて一本の長剣が転がり落ちた。
アイスドラゴンのドロップ品――『氷の魔剣』であった。
刀身全体が透き通るような青い魔導氷結晶で鍛造されており、周囲の空気中の水分が触れた瞬間に霜となって結晶化するほどの極低温を放っている。
カロンが歩み寄り、柄を慎重に持ち上げた。
「ほう……常に周囲の熱を奪い続ける、極めて強力な吸熱特性を持っていますね」
カロンは実験のため、指先に最弱の『ウォータースプレー』を発動し、チョロチョロと水滴を刀身の先端に垂らしてみた。
パキパキパキッ!
水滴が触れた瞬間、先端から瞬く間に氷が成長し、刀身の半分が一瞬で白く凍りついた。
カロンは眉をひそめ、至極真面目な顔で首を横に振った。
「これは危険ですね。不用意に触れれば一瞬で細胞が壊死し、重度の低温火傷(凍傷)を負ってしまう。現場作業における安全基準を満たしていません。間違って素手で触れてしまう事故を防ぐための、断熱シース(鞘)が必要ですな」
そう言うと、カロンは指先から『ウインドカッター』を放って刀身に凍りついた余分な氷をパリパリと削ぎ落とし、断熱加工を施した空間収納の中へと即座に仕舞い込んだ。
伝説級の魔剣を前にして、性能の凄さではなく「労働安全衛生法」のような安全管理の観点だけで評価して片付けるカロンの姿を、ギルバートとリアリスはただ黙って遠い目で見つめていた。
アイスドラゴンの部屋の奥にあった頑丈な下り階段を降りていくと、周囲の氷壁は次第に滑らかな白大理石の回廊へと移り変わっていった。
冷気は完全に収まり、代わりに厳かで神聖な、どこか浮世離れした静謐な空気が満ちてくる。
階段を降りきった三人の前に広がっていたのは――驚くべきことに、ギリシャ神殿を思わせる白亜の円柱が立ち並ぶ、広大な『光の神殿フロア』であった。
天井からは柔らかな黄金の光が降り注ぎ、空間のあちこちには、淡く光るエネルギーの塊(ウィル・オー・ウィスプのような光球)がフワフワと無数に浮遊している。
「……何だここは? 神殿……?」
ギルバートが周囲を見渡し、眉をひそめた。
「ダンジョンの最深部に、なんでこんな神聖な場所があるんだ?」
その時、神殿の奥からハープをつま弾くような清らかな音色とともに、背中に純白の翼を生やし、頭上に光の輪を浮かべた人型の存在――『天使』の群れが、十数体も宙を舞いながら現れた。
しかし、その手には光り輝く神聖な槍や弓が握られており、侵入者であるカロンたちを冷徹な無表情で見据え、一斉に殺気を放って襲いかかってきた。
「ちょっ、天使!? 神聖な魔物まで出てくるの!?」
リアリスが弓を構えて叫ぶ。
「光属性の聖域守護者ですね。……通常の火や水、あるいは聖属性魔法では耐性があって効果が薄いでしょう」
カロンは落ち着いて一歩前に出ると、これまであまり使う機会のなかった「闇系統」の魔導回路を右手に集約させた。
「これはいけませんな。……この新魔法が効くかな?」
カロンは右手を前方の天使の群れへと突き出した。
「闇よ、光を呑み込み万物を侵蝕せよ――『シャドーブレア・レベル1』!」
シュパァァァッ!!
カロンの指先から、黒曜石のように漆黒の魔力で編まれた無数の「闇の槍」が、高速で射出された。
闇の槍は空間を切り裂き、飛来していた天使たちの胸板を正確に貫いた。
光属性の存在にとって、相反する高純度の闇属性魔法はまさに劇薬である。
「「「ア……アァァァ……ッ!!」」」
天使たちは光の粒子となって激しく明滅し、闇の槍に浸食されながら、断末魔の祈りを残して次々と夜の闇の中へと溶けるように消滅していった。
光の塊たちも霧散し、神殿には再び静寂が戻った。
「ふむ……属性の相克関係通り、闇魔法の減衰率は極めて低く、効率的に中和消滅できましたね」
カロンが一人納得して頷いていると、背後からリアリスが恐る恐る、信じられないものを見るような目で話しかけてきた。
「ね、ねえカロン……? あんた、さっきは高位の聖光魔法でワイトキングを一撃で消し飛ばして、今度は闇魔法で天使を一瞬で消し去ったわよね……? ドワーフのくせに、一体どんな魔法適性を持ってるのよ? ……もしかして、王都の大神官よりも優れた光魔法が使えたりするの?」
「はい、そのようですね」
カロンはあっけらかんと答えた。
「先ほどのレベルアップで、光系統の最上位魔法である『リザレクション(蘇生魔法)』も覚えました。仮に探索中に万が一のことがあって命を落としてしまっても、この魔法を使えば細胞組織と魂を再結合させて生き返らせることができるようです。安全マージンが確保できて安心ですね」
「「………………は!?」」
ギルバートとリアリスの絶叫が、神殿の柱を激震させた。
リアリスが頭を抱えて叫ぶ。
「リ、リザレクションですってぇぇぇっ!? 伝説の、神話の時代に聖女だけが使えたっていう『人を生き返らせる究極の奇跡』よ!? それを『安全マージンが確保できて安心』って……あんた、自分が何を言ってるか分かってるの!?」
ギルバートも顔を覆い、天を仰いで深いため息をついた。
「……おいリアリス。今の話、俺たちは何も聞かなかった。いいな?」
「え?」
「ドワーフの大学学長が、単独で蘇生魔法を使えるなんざ王都の教皇庁や貴族どもに知れてみろ。国中の権力者がカロン殿を奪い合って戦争が起きるぞ。……このことは冒険者ギルドの記録にも一切残さん。どこにも報告しねえ。墓場まで持っていく。……はあー、胃が痛え……」
元Aランク冒険者のギルド長が、本気で胃を押さえながら項垂れていた。
カロンは二人の大慌てぶりに苦笑しつつ、神殿の最奥へと歩みを進めた。
神殿の突き当たりには、天高十メートルを超える、神聖な黄金と白大理石で組まれた巨大な神殿大扉が立ち塞がっていた。
扉の表面には、複雑な魔導結界と、巨大な怪物のレリーフが彫り込まれている。
扉の隙間からは、これまでのどの階層のボスとも次元の違う、ダンジョンそのものを支配する『真の最深部ボス(スタンピードの元凶)』が放つ、圧倒的な魔力の波動がドクンドクンと脈打つように漏れ出していた。
「……ここだな。この扉の向こうに、スタンピードを引き起こしている『ダンジョンの心臓』がいる」
ギルバートが気を取り直し、大剣を両手で握り直した。
リアリスも弓を構え、鋭い眼差しで扉を見据える。
「何が出てきても驚かないわよ。……まあ、一番規格外なのは隣にいるドワーフだけどね」
カロンは穏やかに微笑み、両手を扉へと向けた。
「開かない扉を前に悩む必要はありません。――『ゴーレム・レベル4』――剛力開放!」
カロンの呼びかけに応じ、先ほど召喚した三体のストーンゴーレムが歩み出た。
重機のような分厚い岩石の両腕を巨大な神殿大扉の縁へと潜り込ませ、地面を踏みしめて一気に力を込める。
メキメキメキ……ッ!! ゴゴゴゴゴゴッ……!!
頑丈な魔導結界で閉ざされていた巨大な大扉が、ゴーレムたちの圧倒的な怪力によって強引にこじ開けられ、重厚な地響きとともに左右へと開け放たれていった。
開かれた扉の奥から、目も眩むような光と、凄まじい風圧が吹き荒れる。
カロン、ギルバート、リアリスの三人は、決戦の覚悟を胸に、その光り輝く最深部の大広間へと堂々と足を踏み入れていった。




