第48章:迷宮の風と地底川のゴムボート
第48章:迷宮の風と地底川のゴムボート
薄暗い石造りの螺旋階段を一段ずつ踏みしめながら、カロン、ギルバート、リアリスの三人は地下深くへと降りていった。
上層でカロンが放った「ウォータースプレー+サンダーボルト」の余波である焦げ臭い匂いは徐々に薄れ、代わりに冷たく湿った、より濃密な魔力の匂いが鼻腔をついてくる。
階段を降りきった瞬間、目の前に広がっていたのは、自然洞窟の荒々しい岩肌とは一変した、人工的な石組みの巨大な迷路であった。
左右前後に無数の通路が分岐し、どこまでも暗闇が続いている。
その時、カロンの視界の隅で、半透明の淡い光がパチパチと瞬いた。
先ほどの一撃で数十匹ものゴブリンとゴブリンリーダーを一網打尽にしたことによる、大幅な経験値の清算が行われたのだ。
(おや……これは、一気に上がったな)
カロンは前世の工学者らしい冷静な眼差しで、網膜上に浮かび上がった自身のステータスログを確認した。
【レベルアップ!】
カロン(中山 実)
レベル:7 ────► レベル:14 (+7上昇!)
体力:38 ────► 56 (+18)
腕力:42 ────► 54 (+12)
守備力:32 ───► 44 (+12)
素早さ:15 ─────► 18 (+3)
知力:122 ────► 156 (+34)
魔力:56 ────► 84 (+28)
精神力:50 ───► 74 (+24)
【新スキル・派生魔法の獲得】
<火魔法>
ファイヤーボール LV6
トーチ
ファイアランス LV2 (New)
<水魔法>
ウォータースプレー LV6
アイスボール LV6
フローズンウインド LV1 (New)
<雷魔法>
サンダーボルト LV7
サンダーストレージ LV3
スパーク LV1 (New)
<風魔法>
ウインドカッター LV7
ストーム LV4
ウインドディテクション LV2 (New)
<土魔法>
ロックボルト LV6
ゴーレム LV4
ディグルート LV2 (New)
<光魔法>
ヒール LV6
ピュリファイ LV5
キュアポイズン LV5
キュアパラライズ LV3
キュアディジーズ LV2 (New)
ターンアンデッド LV4
リザレクション LV1 (New)
ホーリーシャイン LV2 (New)
<闇魔法>
アナライズダーク LV5
シャドーブレア LV1 (New)
(知力が150を突破し、魔力と精神力も大幅に強化されたか。派生魔法も実用的なものが揃っているな。……病気治療の『キュアディジーズ』に蘇生魔法の『リザレクション』まで入っているのは、工学者というより高位司祭の領域だが、安全マージンが増える分には大歓迎だ)
カロンは内心で満足げに頷き、新しく獲得した魔法の効果を素早くシミュレーションした。
「チッ、見事に入り組んだ迷路だな」
ギルバートが大剣の柄に手をかけたまま、左右に伸びる幾何学的な通路を見渡して唸った。
「普段のこのダンジョンは、階段を降りたら一本道で中層に抜けられたはずなんだが……。スタンピードの前兆でダンジョンの構造そのものが拡張・変形してやがる。下手に歩き回れば罠にかかるか、袋小路で囲まれるぞ」
リアリスも壁の石組みに手を当て、耳を澄ませる。
「空気の流れが複雑すぎるわね。風の通り道がいくつもあって、私の索敵スキルでも正解のルートを絞り込むのに時間がかかりそうだわ」
二人が慎重に方針を協議している横で、カロンは指先をすっと持ち上げた。
「では、新しく覚えた魔法を試してみましょう。――『ウインドディテクション(風脈探査)』」
カロンの指先から、淡い翠色の光の粒子がフワリと立ち上り、周囲の空間へと拡散していった。
すると、複雑に入り組んだ通路の奥から、目に見えないはずの微細な空気の対流が、淡い光の筋となってカロンの網膜に可視化された。
カロンは右手の通路を指差した。
「あちらです。行き止まりの空間からは風が返ってきませんが、奥へ続いている通路からは、地下の気圧差による明確な吸い込みの気流が発生しています。あの光の筋を追っていけば、最短で迷路を抜けられますよ」
事も無げに解説するカロンに、リアリスは目を見張り、エルフ特有の長い耳をピクピクと跳ねさせて詰め寄ってきた。
「ち、ちょっとカロン!? ウインドディテクションって、風系統の魔法を極めた上位スカウトや風魔導士が、何年も修行してようやく習得する高位の環境探査魔法よ!? 風属性が得意なはずのエルフの私だって、まだ覚えてないのに……なんでドワーフのあんたがサラッと使ってるのよ!」
「はは、理論さえ理解していれば、流体力学の気圧勾配の計算と同じですからね」
カロンが朗らかに笑うと、ギルバートは深くため息をつき、肩をすくめた。
「もうツッコミを入れるだけ無駄だ、リアリス。行くぞ、カロン殿の案内についていきゃ間違いねえ」
ウインドディテクションが示す光の気流に従い、三人は迷路の奥へと進んでいった。
しかし、正解のルートを進むにつれ、迷宮の防衛本能なのか、現れる魔物の質と量が目に見えて跳ね上がってきた。
曲がり角を抜けた先、体長二メートルを超える筋肉質の巨漢――『ホブゴブリン』が三匹、大鉈を振り上げて唸り声を上げた。
さらに天井の窪みからは、石造りの翼と鋭い爪を持つ『ガーゴイル』が二体滑空し、通路の奥からは豚の頭部を持つ獰猛な『オーク』の集団が雄叫びを上げて突進してくる。
「前衛は俺が引き受ける! リアリスは空のガーゴイルを――」
ギルバートが大剣を構え、筋骨隆々の腕に力を込めたその瞬間。
「いえ、お二人とも体力を温存してください。ここからは『自動化』で行きましょう」
カロンが前に進み出て、両手を床の石畳へと押し当てた。
「土よ、岩盤の結合を再編し、重機たる守護者となれ――『ゴーレム・レベル4』――スリー・ユニット・クリエイト!」
ズズズズズ……ッ!!
迷宮の床と壁の石材が一瞬で隆起し、カロンの魔力によって再結晶化された。
出現したのは、体長三メートル近くある、超高密度の花崗岩で構成された三体の巨大なストーンゴーレムであった。
その関節部には、カロンが先ほど覚えた土魔法の応用で滑らかなベアリング構造が組み込まれ、胸部には頑丈な装甲板が幾重にも重なっている。
「「「ゴオオオオォォォッ!!」」」
三体のゴーレムは地鳴りのような駆動音を響かせ、重戦車のような圧倒的な質量で突進を開始した。
ドゴォォォンッ! バキィッ!!
先頭のゴーレムの巨大な岩石の拳が、突っ込んできたオークの軍団を一撃で吹き飛ばし、壁へと叩きつける。
二体目のゴーレムは滑空してきたガーゴイルの翼を鷲掴みにし、そのまま床へと叩きつけて粉砕。
三体目のゴーレムはホブゴブリンたちの攻撃を胸当てでカンカンと弾き返しながら、重機のような両腕でまとめて薙ぎ払った。
三体のゴーレムが一列に並んで通路を制圧しながら進むため、カロンたちの前には指一本触れられる敵が存在しなかった。
剣を構えたまま完全に置き去りにされたギルバートが、大剣を下ろして呆然と呟いた。
「……何というか……まあ、『カロンだからな』」
リアリスもつがえた矢を脱力したように下ろし、ジト目を向けた。
「……そうね。もう驚くのも疲れたわ」
二人は諦めの境地に達し、のんびりとゴーレムの後ろをついて歩くことになった。
ゴーレムたちの圧倒的な暴力――もとい土木工学的制圧力によって魔物の群れを蹴散らし、迷路を突き進むこと二十分。
通路の最奥に、禍々しいレリーフが刻まれた巨大な両開きの石扉が現れた。
扉の前に立つと、奥から圧倒的な威圧感と、獣の荒い鼻息が響いてくる。
「……ボス部屋だな」
ギルバートが表情を引き締めた。
「だが、おかしいな。このダンジョンの中層に、これほどのプレッシャーを放つボスなんざ本来はいねえはずだ。やっぱりスタンピードの変異が起きてやがる」
「気を引き締めていきましょう。どんな化け物が出てくるか分からないわ」
リアリスが短剣を握り直す。
カロンは頷き、ゴーレム三体に扉を押し開けさせた。
ギギギギ……ドガァンッ!
重厚な扉が開かれた大広間の中央。
そこに君臨していたのは、漆黒の毛並みと筋骨隆々の巨躯を誇り、頭部に二本の鋭利な巨大角を生やした迷宮の狂獣――『ミノタウロス』であった。その手には、大人の胴体ほどもある巨大な両刃の戦斧が握られている。
「ブモオオオオォォォッ!!」
ミノタウロスが大地を揺るがす咆哮を上げ、巨大な戦斧を振りかざして突撃してきた。
「来るぞッ! カロン殿、散開――」
ギルバートが叫びかけたその時。
「ゴーレム全基、包囲タコ殴りモード・起動」
カロンが冷静に指を鳴らした。
ドガガガガッ!!
三体のゴーレムが瞬時にミノタウロスの左右と背後を取り、逃げ場を完全に塞いだ。
一体目がミノタウロスの戦斧を振り下ろした腕をガッチリとロックし、二体目が巨角を掴んで頭部を固定。
そして三体目が――
ドゴッ! ドカッ! バキバキッ!
超重量の岩石の拳を、ミノタウロスの顔面、脇腹、鳩尾へと間断なくピストン運動のように乱打した。
「ブモッ!? グギャッ!? ブヒィッ……!?」
迷宮の主であるはずのミノタウロスは、自慢の剛力を発揮する隙すら一切与えられず、わずか十数秒の集中打撃によって白目を剥き、ドスンと仰向けに倒れ伏して完全に沈黙した。
静寂が支配するボス部屋。
リアリスが引きつった笑顔で両手を広げた。
「……ねえ、ギルマス。私たちの存在意義って、一体何なのかしら?」
「聞くな、リアリス。俺は今、元Aランク冒険者としてのプライドをどこかの異次元に落としてきたところだ」
ギルバートは虚空を見つめながら乾いた笑いを漏らした。
ミノタウロスが光の粒子となって消滅すると、その場にカシャンと音を立てて豪奢な宝箱が出現した。
カロンが歩み寄り、罠がないことを確認して宝箱を開けると――中から現れたのは、黄金や宝石ではなく、冷気魔法の霧に包まれた、見事なサシの入った巨大な赤身肉の塊であった。
「……肉?」
リアリスが目を丸くして覗き込む。
ギルバートが髭を撫でながら頷いた。
「ミノタウロスだからな。まあ……牛の化け物だから、牛肉の最高級部位ってことだろう。ダンジョンの宝箱にはたまにこういう特産食材が出るんだ」
「ほう! これは素晴らしい『特上霜降り牛肉』ですね!」
カロンは目を輝かせ、即座に空間収納へと丁寧に格納した。
「大学の学食の女将さんに渡せば、極上のビーフステーキやビーフシチューにしてくれるはずです。楽しみが増えましたね」
ボス部屋の奥にあった通路を抜けると、空気が一気に冷涼なものへと変わり、轟々とした水音が響いてきた。
下り階段を降りきった三人の目の前に広がっていたのは、見渡す限りの広大な地下空洞と、そこを滔々と流れる幅三十メートルほどの『地底の地下大河』であった。
水面は青白く燐光を放ち、天井からは無数の鍾乳石が垂れ下がっている。
「なるほど……ダンジョンの最深部へ向かうルートは、この地底川の上流へと続いているわけか」
ギルバートが川岸の岩場を見下ろして腕を組んだ。
「だが、足場がねえぞ。水深もかなり深そうだ。泳いで渡るには流れが冷たすぎるし、水棲の魔物も潜んでいそうだな。木を切り倒して筏でも組むか?」
「いえ、筏を組む時間は惜しいですね。乗り物なら、今すぐ作りましょう」
カロンは作業着の袖をまくり上げ、川岸の平らな岩場に両手をかざした。
「『マテリアル・トランスミュート』――高強度多層ラバー成形、高出力魔導船外機一括生成!」
カロンの手から放たれた青白い光のシャワーの中で、鮮やかな黄色に塗装された、全長四メートルほどの『エンジン付きインフレータブル・ゴムボート』が瞬く間に実体化した。
船体は鋭利な岩肌に擦れても決して破れない特殊強化ゴムで二重に成形され、船尾にはスクリュープロペラと、先ほど新開発した雷魔石バッテリーで駆動する「魔導電動船外機」がガッチリと据え付けられている。
カロンはボートを軽々と持ち上げ、地底川の水面へと浮かべた。
チャプン……。
黄色いボートは抜群の浮力で安定して水面に浮かび上がった。川の流れは緩やかであり、手で岩場を押さえていれば流されることもない。
カロンは船尾の操舵席に乗り込み、手招きした。
「さあ、乗ってください。上流へ向かいますよ」
ギルバートとリアリスは、黄色い未知の乗り物を前にして完全に腰が引けていた。
「お、おいカロン殿……この黄色いプニプニした皮袋は本当に沈まねえのか?」
「大丈夫よギルマス、カロンの作ることだもの……た、多分……」
二人は恐る恐る、おっかなびっくり黄色いゴムボートの中へと乗り込み、左右のチューブにしっかりと掴まった。
「全員の乗船を確認。出航します」
カロンが船外機のスロットルレバーをクイッと捻った。
キィィィィン……!
水中で三枚羽根のスクリュープロペラが高回転を始め、白い水泡を巻き上げながら、黄色いゴムボートは地底川の流れを逆配して滑らかに加速した。
「うおおおっ!? 進んだ!」
「すごい、風を切って水の上を走ってるわ!」
ボートは安定した姿勢を保ちながら、鍾乳洞の幻想的な岩肌の間を猛スピードで遡行していった。
オールで漕ぐ必要もなく、静かなモーター音だけを響かせて進む快適なクルージング。
しかし、地底の川が平穏なはずはなかった。
ボートのスクリューが立てる水音と魔導の微弱な電磁波に引き寄せられ、水面下から無数の魚影が急速に接近してきたのだ。
バシャァッ!!
突如として水面を割り、銀色にギラつく鱗と、剃刀のような鋭利な牙をむき出しにした体長五十センチほどの獰猛な怪魚――『ジャイアント・キラーピラニア』が、大きく口を開けてボートの中へと飛び込んできた。
「きゃあっ!? ピラニアよ!」
リアリスが咄嗟に足を引っ込める。
しかし――飛び込んできたピラニアは、ボートの平らなゴム床の上に着地した瞬間、
ビチビチビチッ! バタバタバタッ!
ただ無様に跳ね回るだけで、誰かに噛みつくこともできずに床の上を転がるばかりだった。
続いて二匹、三匹と次々に勢い余ってボートの中へダイブしてくるが、全員が床の上でバタバタと痙攣するように跳ねているだけである。
カロンは片手で船外機の舵を握りながら、足元で跳ねるピラニアを一匹つまみ上げ、鑑定魔法で観察した。
「ふむ……毒性判定はゼロ。白身で脂が乗っており、実に美味そうですね。塩焼きやフライにすれば絶品でしょう。……よし、一応収納しておきましょうか」
カロンは跳ね回るピラニアたちを、次々と手際よく空間収納の中へポイポイと放り込んでいった。
飛び込んできた獲物がそのまま食材として無限に回収されていくシュールな光景に、ギルバートとリアリスは顔を見合わせ、もはや口を開くことすら諦めて、ただ遠い目をしていた。
ボートで地底川を遡ること約十五分。
前方の川岸に、水流が途切れた広大な岩場の陸地が見えてきた。
カロンはスロットルを戻し、ボートを滑らかに岩場の浅瀬へと接岸させた。
「到着しました。皆さん、足元に気をつけて降りてください」
三人がボートから陸地へと降り立つと、カロンはゴムボートを魔導分解して空間収納へと回収した。
陸地の奥をカロンのトーチの光が照らし出すと、そこには周囲の荒々しい岩肌とは明らかに異質な、漆黒の鉱石で組まれた巨大な下り階段が口を開けていた。
階段の奥からは、これまでの比ではない冷気と、肌をチクチクと刺すような強烈な高密度の魔力が、霧のように立ち上っている。
「……ここから先が、このダンジョンの最深層……スタンピードの真の発生源だな」
ギルバートが大剣を両手で握り直し、鋭い眼光で闇の底を睨み据えた。
リアリスも弓を引き絞り、静かに息を整える。
「ええ。何が待ち受けていようと、ここで元凶を断ち切るわよ」
カロンは二人の横に立ち、力強く頷いた。
「行きましょう。ルーセンの町と、皆さんの日常を守るために」
覚悟を新たにした三人は、静かに、そして確かな足取りで、深淵へと続く漆黒の階段へと足を踏み入れていった。




