第47章:迫るスタンピードの影と森の洞窟ダンジョン
第47章:迫るスタンピードの影と森の洞窟ダンジョン
地上三十階建ての先端研究棟兼レジデンスメガタワーが完成し、二十階建て校舎タワーと四本の連絡空中ブリッジで結ばれてから、およそ三ヶ月の月日が流れていた。
ルーセン工科大学の運営は極めて順調であり、第一期生たちの知識と技術の習得スピードは目を見張るものがあった。人造蓄電魔石(全固体バッテリー)の開発プロジェクトも、基礎配合実験の段階を着実に進めている。
初冬の冷たく澄んだ朝。校舎タワー二階の学長室で、カロンは温かいハーブティーを口に含みながら、午後の講義用レジュメの最終チェックを行っていた。
ドンドンッ! ドンドンッ!
重厚なオーク材の扉が、遠慮のない荒々しい力で叩かれた。
「カロン殿! ギルバートだ、入るぞ!」
返事をする間もなく扉が勢いよく開け放たれ、入ってきたのは冒険者ギルド長のギルバートだった。
普段の豪放磊落な笑みは消え失せ、眉間に深い皺を刻んだ険しい表情をしている。手には羊皮紙の報告書が固く握りしめられていた。
「ギルバートさん、どうされました? そんなに血相を変えて」
カロンがカップを置いて促すと、ギルバートは太い足音を響かせてデスクの前まで歩み寄り、ドカリと椅子に腰を下ろした。
「非常事態だ、カロン殿。……単刀直入に言う。この町から東へ、通常の徒歩なら半日ほどかかる原生林の奥深くに、地下へと続く自然洞窟のダンジョンがあるのは知っているな?」
「ええ。以前、採取依頼の地図で見かけたことがありますね。確か『緑苔の地下洞窟』と呼ばれている低中層の迷宮だったはずですが」
「ああ、普段ならせいぜいゴブリンやコボルト、大コウモリ程度しか湧かねえ初心者の狩場だ。……だが、ここ数日の偵察隊の報告によれば、洞窟の周囲で魔物の数が異常な勢いで急増している」
ギルバートは手元の報告書を机の上に広げた。
「魔力濃度の急激な上昇、洞窟周辺の小動物の大量逃走、そして洞窟内部から溢れ出し始めている魔物の群れ……。この兆候は間違いねえ。ダンジョンの主が変異したか、あるいは深層の魔力溜まりが決壊した。このまま放置すれば、数日と経たずに魔物の大氾濫――『スタンピード』が起きるぞ」
「スタンピード……!」
カロンの表情が一気に引き締まった。
スタンピードが発生すれば、数千匹もの凶暴化した魔物の群れが森を飛び出し、街道を埋め尽くしてこのルーセンへと押し寄せてくる。
新しく築いた新外壁や新北門があるとはいえ、外郭の農村や中州の果樹園、そして街道を行き交う商隊に壊滅的な被害が出るのは明白だった。
「すぐにギルドから大規模な討伐隊を編成して、発生源を叩くべきでは?」
カロンが問うと、ギルバートは苦々しそうに頭を掻いた。
「それが……今、戦力の手当てが致命的に間に合わねえんだ。現在、ルーセンに所属する高ランク冒険者パーティのほとんどが、王都からの大型護衛任務や、カロン殿の出した『雷魔石の採取依頼』で遠方の山脈や湿地帯に出払っちまっていてな。町に残っているのは、DランクやEランクの駆け出しばかりだ」
ギルバートは真剣な眼差しをカロンへと向け、太い指を三本立てた。
「今、この町で即座に動ける実質的な高ランク戦闘員は、たったの三人しかいねえ。現役Bランク冒険者のリアリス、引退したとはいえ元Aランク冒険者の俺……そして、ワイトキングを一撃で粉砕した現役Aランク冒険者――あんただ、カロン殿」
「私、ですか……」
「そうだ。相手は膨大な数の魔物だ。迷宮の奥深くへ電撃突入し、ボスの首を落としてスタンピードの発生源を断つには、少数精鋭の突破力が不可欠だ。特に、広範囲を一網打尽にする強力な『攻撃魔法』、不測の事態に対応できる『回復魔法(生魔法)』、そして大量の予備物資や魔石を運べる『収納魔法』のすべてを一人で高次元に使いこなすカロン殿の力は、どうしても必要なんだ」
ギルバートは立ち上がり、巨大な頭を深く下げた。
「頼む、カロン殿。ルーセンの町を、そしてこの大学の生徒たちを守るため、俺たちと一緒に洞窟へ潜ってくれ!」
元ギルド長がここまで頭を下げ、町の危機を訴えているのだ。
(……やれやれ。これは、どう見ても断れる雰囲気ではないな)
カロンは小さく苦笑し、手元の書類をトントンと整えた。
自分はこの町の領主からも町民からも絶大な恩義を受けており、何より愛する弟子たちや子供たちの学び舎が脅かされるのを見過ごすわけにはいかない。
「分かりました、ギルバートさん。Aランク冒険者カロン、討伐要請を受託します」
「おおっ! 受けてくれるか! 恩に着るぜ!」
カロンは立ち上がり、引き出しから一枚の厚紙を取り出して、さらさらとペンを走らせた。
『しばらくダンジョンに出張します。不在中の学務はボルト副学長へ。――学長 カロン』
その札を学長室の扉の外側にパチンと貼り付けると、カロンは作業着の上からミスリル補強の革鎧を羽織り、腰に魔導ツールベルトを装着した。
「よし、行きましょう!」
学長タワーの一階へ降りると、すでに完全武装したリアリスが待機していた。
緑色の革鎧に身を包み、背中には長弓と矢筒、腰には二振りの鋭利なミスリル短剣を佩いている。
「カロン、話は聞いたわよ。まさか大学の学長様を引っ張り出す羽目になるなんてね」
リアリスは肩をすくめつつも、その瞳には歴戦の冒険者としての鋭い光が宿っていた。
「私の本業は職人兼教師ですが、町の一大事とあれば致し方ありません。……さて、徒歩だと半日かかるそうですが、私の車で行きましょう」
カロンが案内したのは、先端研究棟の一階ガレージに停めてあった、先日完成したばかりの「新型モジュール化雷魔石バッテリーパック」を搭載した銀色の電気自動車(EV)であった。
「うわっ、これがあの噂の新型車ね! 乗ってみたかったのよ!」
リアリスが目を輝かせて助手席に乗り込み、ギルバートが巨躯を窮屈そうに後部座席へと押し込んだ。
車は静かにガレージを出ると、まずはギルド近くの商業区へと向かった。
冒険者御用達の道具屋や中央生鮮市場の露店へ立ち寄り、ダンジョン探索用の予備ロープ、解毒薬、煙幕弾、そして女将さんの食堂の支店で焼きたての厚切り肉パンや干し肉、水筒の果実水を大量に買い込んだ。購入した物資はすべて、カロンの空間収納の中へと瞬時に吸い込まれていく。
「荷物の重量を一切気にしなくていい収納魔法……やっぱり反則級に便利ね」
リアリスが感心する中、車は東門へと向かった。
東門の詰所前に到着すると、跳ね橋の上でガース隊長が待機していた。
「カロン殿! ギルマスから急報を受け取りましたぞ! 森の洞窟のスタンピード前兆を叩きに行ってくださるとか!」
「ええ、隊長。大ごとになる前に元凶を仕留めてきます」
カロンがサムズアップを返すと、ガース隊長は敬礼をビシッと決めて叫んだ。
「東門警備隊一同、皆さんの武運と無事のご帰還を祈っております! 開門ーッ!」
重厚な鉄格子が上がり、銀色の車体が東門を通過した。
街道に出た瞬間、カロンはドライブモードを「ハイパワー・オフロード」へと切り替え、アクセルペダルを床まで踏み込んだ。
キィィィィィンッ――!!
雷魔石バッテリーから大電流が四輪の独立モーターへと流れ込み、爆発的なトルクが車体を押し出す。
舗装された街道を猛スピードで疾走し、やがて未舗装の深い原生林のダートコースへと突入した。
路面の大きな窪みや木の根も、カロンが設計した長ストロークのダブルウィッシュボーン・サスペンションが軽々と衝撃を吸収していく。
時速六十キロの超高速で木々の間を縫うように爆走する車内で、ギルバートとリアリスは手すりを握りしめながら叫んだ。
「お、おいおいカロン殿! 速えええっ! 馬車どころか駿馬より遥かに速いぞ!?」
「きゃああっ! 木にぶつかるーっ……て、曲がった! すごいハンドリング!」
通常の冒険者が息を切らしながら半日かけて歩く険しい森の道のりを、カロンの電気自動車はわずか一時間足らずで踏破してしまった。
原生林の最深部。鬱蒼とした巨木が生い茂る薄暗い谷間に、苔むした小高い岩山がそびえ立っていた。
その山肌の根元に、大人の背丈の二倍ほどもある巨大な漆黒の空洞が、まるで怪物の口のようにぽっかりと口を開けていた。
『緑苔の地下洞窟』の入り口である。
カロンは車を近くの茂みに停めてカモフラージュネットを被せると、キーを抜いて腰のホルスターに収めた。
三人が車を降りて洞窟の前に立つと、冷湿な風とともに、獣の腐敗臭とツンと鼻を刺す嫌な魔力の匂いが洞窟の奥から吹き抜けてきた。
「……間違いねえな」
ギルバートが大剣の柄に手をかけ、周囲の地面を指差した。
「見てみろ。洞窟の入り口の土が、無数の魔物の足跡でグチャグチャに荒らされてる。外へ這い出そうとしては、中の何かに押し戻されているような気配だ。奥で異常な繁殖が起きてやがるぞ」
「急ぎましょう。スタンピードが始まってからでは手遅れです」
リアリスが弓に銀の矢をつがえる。
カロンは右手を掲げ、魔力を灯した。
「『トーチ(魔導光源)』」
カロンの頭上に、サッカーボール大の純白の光球がふわりと浮かび上がり、漆黒の洞窟内部を昼間のように明るく照らし出した。
光に照らされた洞窟の通路は、湿った岩肌が緩やかな下り勾配となって地下深くへと続いていた。
三人は隊列を組み、慎重に足を踏み入れた。
前衛に大剣を構えた巨漢のギルバート、中衛に的確な索敵と遠距離支援を行うリアリス、そして後衛兼司令塔として全体を把握するカロン。歴戦の手練れによる完璧な布陣である。
下り勾配の洞窟を百メートルほど進んだところで、通路の奥からカサカサと無数の足音と、下品な濁声が響いてきた。
「ギギャッ! ギギッ!」
「グギャアアァァッ!」
闇の中から現れたのは、緑色の醜悪な肌を持ち、粗末な棍棒や錆びた短剣を手にした小型の魔物――『ゴブリン』の群れであった。
通常なら二、三匹で徘徊しているはずの低級モンスターだが、角を曲がるごとに五匹、十匹と次々に姿を現し、目を血走らせて襲いかかってくる。
「チッ、やっぱり異常な数だ! 蹴散らすぞ!」
ギルバートが吼え、身の丈ほどもある大剣を一閃させた。
ドバシュッ!
踏み込み一撃で先頭のゴブリン二匹が胴体ごと両断され、血飛沫とともに吹き飛ぶ。元Aランク冒険者の剛腕は健在だった。
ビュンッ! ビュンッ!
間髪を入れず、後方からリアリスの弓が唸りを上げた。
放たれた二本の矢が、正確無比に奥から回り込もうとしていたゴブリン二匹の眉間を同時に撃ち抜く。
さらにカロンが指先を向けた。
「『ウィンドカッター』」
不可視の真空の刃が通路を薙ぎ払い、残りのゴブリン三匹の足を刈り取って戦闘不能に追い込む。
しかし――倒しても倒しても、通路の奥から「ギギャギャッ!」「グオオオッ!」と喚き声が続き、さらに十数匹のゴブリン、そして体格の大きな上位種『ゴブリンリーダー』までもが押し寄せてきた。
洞窟内の空気は、倒したゴブリンの青黒い返り血と、魔物特有の脂ぎった悪臭――いわゆる「ゴブリン臭」で充満し、息をするのも不快なほどになっていた。
リアリスが顔をしかめ、鼻をつまむ。
「うぐっ……! くさい、くさすぎるわ! なんでこんなに湧いてくるのよ!」
ギルバートも大剣を振るいながら舌打ちした。
「クソッ、通路が狭くてキリがねえ! これじゃ奥のボス部屋に着く前にこっちがスタミナ切れになっちまうぞ!」
通路の奥を見据えるカロンの眉が、ピクリと動いた。
このまま一匹ずつ剣や弓で相手をしていては、時間も体力も無駄に消耗するだけである。工学者として、最も効率的かつ合理的な解決策を選択すべき局面だった。
カロンは足元の岩場を見下ろした。
洞窟の床は、奥へ向かって一直線に続く滑らかな「下り勾配」になっている。
(……濡れた岩肌、下り坂、そして狭い閉鎖空間。条件は完全に揃っているな)
カロンはぽつりと呟いた。
「……ええい、一匹ずつ相手にするのは、もう面倒じゃな」
「あん? カロン殿、何を――」
ギルバートが振り返った瞬間、カロンはすでに両手を前方の通路へと突き出していた。
「水流よ、大地を穿ち奔流となれ――『ウォータースプレー(高圧大量噴流)』!!」
ドババババババッ!!!
カロンの手のひらから、消防ホース数十本分に匹敵する超大量の激流が轟音とともに噴射された。
下り勾配の岩肌を滝のような奔流となって水が駆け下り、押し寄せてきていた数十匹のゴブリンたちの足元を一瞬で水浸しにし、膝下まで濁流で満たしていく。
「ギギャッ!?」「グバッ!?」
突然の鉄砲水にゴブリンたちが足を滑らせ、もみくちゃになって将棋倒しになる。
通路全体が一本の「水路」と化したその瞬間――カロンは間髪を入れずに右手を天へと掲げ、最大級の雷系魔法を叩き込んだ。
「電気伝導の物理法則を味わうがいい――『サンダーボルト・レベル5』――拡散高圧放電ッ!!」
バチバチバチィィィィィッ!!!
目も眩むような青白い雷光の槍が、水浸しの床へと突き刺さった。
水という最高の導電体を伝わり、数万ボルトの超高圧電流が下り坂の濁流を一瞬で駆け抜けた。
「「「ギャババババババババッッ!!!!」」」
通路を埋め尽くしていたゴブリンたち、そして通路の遥か奥に潜んでいた後続の群れに至るまで、全身を青白い電撃に包まれて激しく痙攣した。
凄まじい絶叫と悲鳴が洞窟全体に反響し、わずか数秒の後――ジュウジュウと焦げた煙を上げながら、数十匹の魔物たちが一匹残らず白目を剥いて床へと崩れ落ち、完全沈黙したのである。
立ち込める水蒸気と静寂。
通路の先には、ピクピクと指先を震わせるだけのゴブリンの死屍累々たる山が築かれていた。
カロンはフーッと指先に息を吹きかけ、何事もなかったかのように作業用手袋の位置を直した。
「ふむ。計算通り、水の導電率と勾配を利用すれば最小の魔力消費で全滅させられるな」
その横で、大剣を構えたまま固まっていたギルバートが、引きつった顔でカロンを見下ろした。
「……おいおいおい、カロン殿。そりゃねえだろ……」
ギルバートは頬を引き攣らせながら、額の汗を拭った。
「戦術としては完璧すぎるが……豪快すぎて冒険者の戦い方じゃねえぞ! 一網打尽にも程があるわ!」
リアリスも弓を下ろし、尖った長い耳をピクピクと震わせながら呆然と呟いた。
「……私、もう何年も冒険者やってるけど……いまだに信じられないわ。ドワーフが水魔法でウォータータワーを作ったかと思ったら、高位の雷魔法で一瞬で感電死させるなんて……。あんた、本当にドワーフなの? 頭の中に魔導大百科でも詰まってるんじゃないの?」
「ははは、工学とは自然の法則を効率よく利用する学問ですからね」
カロンが快活に笑うと、二人は深くため息をつき、しかしその表情にはカロンへの絶対的な信頼と頼もしさが浮かんでいた。
「まあいい、おかげで一気に道が開けたぜ。行くぞ!」
三人は足元に転がる大量のゴブリンの残骸を飛び越えながら、さらに洞窟の奥へと進んでいった。
濡れた岩肌の通路を数百メートルほど下り切ると、開けた空間の突き当たりに、明らかに自然物ではない人工的な石造りの構造物が現れた。
冷たい湿気と、より濃密な邪悪な魔力を放ちながら、地下の深層へと口を開けている――頑丈な石造りの螺旋階段であった。
カロン、ギルバート、リアリスの三人は顔を見合わせ、無言で頷き合った。
この階段の先こそが、魔物たちの異常増殖を引き起こしているスタンピードの発生源――ダンジョンの真の深層である。
三人は武器を構え直し、静かにその暗き階段へと足を踏み出していった。




