第45章:学術の都と天を突く複合棟
第45章:学術の都と天を突く複合棟
ルーセン工科大学の開校から数ヶ月。秋の深まりとともに始まった第一期生の講義は軌道に乗り、キャンパスには連日、活気ある議論の声と金属や実験器具を扱う小気味よい音が満ちていた。
そして、二十階建ての鉄筋コンクリート(RC)キャンパスタワーの威容と、そこで教えられる「工学」という未知にして実践的な学問体系の噂は、瞬く間に近隣の諸都市、さらには王都や他国の領地にまで轟いていた。
「おい、聞いたか? ルーセンのあの塔では、身分に関係なく、試験に受かりさえすれば世界最先端の魔導と物理の法則を教えてくれるらしいぞ」
「王都の魔術学院を蹴ってルーセンへ向かった俊英がいるそうだ」
「職人だけじゃない。各地の貴族の子弟や、旧来の学問に行き詰まった高名な学者たちまで、教鞭を執りたい、あるいは一から学び直したいと押し寄せているらしい!」
街道を行き交う乗合馬車や商人たちの話題は、もっぱらルーセンの大学一色となっていた。
かつては「商業と流通の町」として知られていた交易都市ルーセンは、今や大陸全土から知を求める者たちが集う「学園都市ルーセン」という新たな二つ名を冠されるようになっていたのである。
東門や新北門からは、連日のように分厚い書物を抱えた若者たち、研究機材を携えた学者、そして我が子を学ばせようと付き添う家族連れが次々と足を踏み入れていた。
しかし、この急速な発展は、以前工房区を建設した際と同様に、極めて深刻な問題を引き起こしていた。
「大学関係者のための住居と研究スペースの絶対的不足」である。
第一期生の三百名に加え、第二期生の入学希望者はすでに数千名規模に膨れ上がっていた。さらに、各地から招聘した優秀な教授陣、研究助手、そしてガロニアから追加派遣されてくるドワーフ技術者たちの住まいが、新工房区のアパートをもってしても完全にパンク寸前に陥っていたのだ。
「学長! 王都から着任予定の構造力学の特任教授ご一家の宿がまだ確保できておりません!」
「第二期生向けの学生寮の希望倍率が十倍を超えました! 近隣の宿屋も長期滞在の学生で埋まり、悲鳴が上がっています!」
二階の学長室で、事務局の職員たちが汗をぬぐいながら書類の山を抱えて飛び込んでくる。
デスクで図面を引いていたカロンは、パイプを置き、穏やかに微笑みながら立ち上がった。
「慌てなくても大丈夫だよ。知を求めて集う者たちを野宿させるわけにはいかないからね。……すでに解決策の青写真はできている」
カロンが製図台の上に広げたのは、既存の二十階建て校舎タワーの隣にそびえ立つ、さらに巨大な建築物の図面であった。
大聖堂工房の敷地には、まだ西側に広大な未使用地が残されている。
その敷地に建設するのは、単なる学生寮でも、単なる追加の校舎でもない。教育、研究、そして居住を完全に一体化させた、異世界史上最大の超高層複合建築――『地上三十階建て・全高百二十メートル超メガ複合タワー(工房・研究棟 兼 教職員・学生寮)』であった。
カロンは隣の副学長室から呼んできたボルト教授、そして留学生のリーダーたちに図面を示しながら説明を始めた。
1階〜10階:『先端研究・大型実験・新工房フロア』
既存の校舎では手狭になっていた大型工作機械、風洞実験室、高圧材料試験機、大型魔導炉などを設置。1階から3階は大型車両や重機械を直接搬入できる大吹き抜け構造とし、路面電車の専用引き込み線とも直結。
11階〜25階:『学生寮フロア』
全室に電灯、小型冷蔵庫、冷暖房換気設備、学習用デスク、クローゼットを完備した快適な個室・二人部屋群。各階に共同の補食キッチンと自習ラウンジを設置。
26階〜30階:『教職員・研究者専用レジデンスフロア』
家族帯同の教授陣もゆったり暮らせる、二〜三部屋+リビングの広々としたファミリー向け住居。最上階には展望サロンと大学賓客用の迎賓室を配置。
『連絡空中ブリッジ(スカイウォーク)』
隣接する既存の二十階建て校舎タワーと新タワーを、「5階」「10階」「15階」「20階」の四箇所の空中回廊で連結。雨や風に一切晒されることなく、寮から講義室、実験室、学食へと瞬時に移動できる完全バリアフリー動線を構築。
「さ、三十階建てだと……!?」
ボルト副学長は眼鏡をずり下げ、目を白黒させた。
「カロン学長、二十階の校舎タワーでさえ神話の領域だというのに、それをさらに十階も上回る百メートル超の塔を建てるというのか!? 風圧や自重の計算は大丈夫なのかね!?」
「問題ありません、ボルト先生」
カロンは自信に満ちた笑みを浮かべた。
「ガロニアから届く極太の超高張力H鋼と、ルーセン産の高強度ポルトランドセメントを組み合わせた『RC造・S造ハイブリッド耐震コア構造』を採用します。さらに、建物の四隅をわずかに絞り込むセットバック形状にすることで、上空の強風を受け流す設計です。留学生のみんな、前回の校舎建設の経験を活かせば、必ず完璧にやり遂げられる。力を貸してくれるね?」
十二名のドワーフ留学生たちは、顔を見合わせると、地鳴りのような歓声を上げて拳を突き上げた。
「当たり前です、カロン先輩!」「三十階建ての巨塔なんて、腕が鳴りまくるぜ!」「俺たちの技術の粋を世界に見せつけてやりましょう!」
翌朝、大聖堂西側の更地で、未曾有の超大規模工事が幕を開けた。
「全工区、杭打ち開始! 支持層の花崗岩盤まで一気に打ち込め!」
カロンが開発した大型油圧重機群が唸りを上げる。
全高百二十メートルの巨躯を支えるため、地下十五メートルの深さまで直径一メートルの大口径RC杭が五十本以上も連続して打ち込まれ、厚さ三メートルの超重厚なベタ基礎マットスラブが敷地全体に打設された。
続いて、地上躯体の建設が始まった。
現場の中央には、前回のタワークレーンをさらに大型化・自力昇降できるように改良した「超高層用クライミング・ジブクレーン」が二基据え付けられた。
ガロニアから路面電車の貨物便で直送されてくる巨大な鋼鉄柱と、D25の極太異形鉄筋が、空へと次々と吊り上げられていく。
「留学生第一班、鉄骨の建て入れ直し、ミリ単位で垂直度測定!」
「第二班、外周フレームのシステム型枠建て込み開始!」
「コンクリート圧送ポンプ車、十階まで圧送圧力を上げろ!」
現場を指揮するのは、カロンだけではなかった。
前回の校舎建設と新工房区の施工で鍛え上げられた十二名の留学生たちが、それぞれ「鉄筋班」「型枠班」「コンクリート班」「設備配管班」の現場監督として、何十人もの人間の職人や弟子たちを手際よく統率していた。
さらに、大学の第一期生となったカイやミミル、ルーカスたちも、授業の合間や放課後の時間を使って現場実習として工事に参加した。
「カロン先生! 八階の配電盤用インサート金具、図面通りに埋め込み完了しました!」
「九階の給水管、水圧試験クリアです!」
知識を講義室で学び、その日のうちに本物の超高層ビルの建設現場で実践する。学生たちの目覚ましい成長スピードは、工事の進捗をさらに加速させていった。
五階、十階、十五階……。
タワーが立ち上がるにつれて、隣の校舎タワーとの間に鋼鉄製のトラス梁が架け渡され、頑丈なガラス張りの「連絡空中ブリッジ」が次々と連結されていった。
二十階を超え、二十五階、そしてついに最上階の三十階スラブのコンクリート打設が完了した時、現場には秋の心地よい風が吹き渡り、見上げるタワーの頂はルーセンの町全体を見下ろす圧倒的なランドマークとして青空にそびえ立っていた。
「全フロア躯体、打設完了ッ!!」
タワーの屋上に掲げられたルーセン工科大学の校旗が風にはためき、地上からも、工事現場の足場からも、町中の住民からも、割れんばかりの万雷の拍手と歓声が沸き起こった。
躯体の完成後、間髪を入れずに内装とインフラ設備の突貫工事が行われた。
ここでも、カロンが培ってきた「徹底した規格化とプレハブ工法」が威力を発揮した。
1階〜10階:『新工房・実験フロア』
耐荷重コンクリート床の上に、最新鋭の魔導旋盤、NCフライス盤、大型マテリアル試験機、風洞シミュレーターが整然と搬入された。壁面には防音・防振パネルが隙間なく施工され、階下や上階の居住エリアへ騒音が漏れないよう徹底した遮音設計が施された。
11階〜25階:『学生寮フロア(全五百室)』
各部屋には、工場であらかじめ配管・配線を組み込んだ「モジュール式ユニットルーム」を採用。
頑丈な木製デスク、本棚、ベッド、クローゼット、天井埋め込み調光LED(魔導電灯)、そして小型冷蔵庫が標準装備。各フロアの中央には、IHコンロと大型温水シンクを備えた「自炊用コモンキッチン」と、二十四時間利用可能な「静音自習ラウンジ」が設置された。
26階〜30階:『教職員レジデンス(全五十戸)』
家族連れのために、広々としたリビングダイニング、二つの寝室、独立した最新システムキッチン、水洗トイレ、そしてボタン一つで適温の湯が張れる大型電気温水器付き浴室を完備。
移動の動脈:『超高速魔導エレベーター(四基)』
三十階・高さ百二十メートルをわずか四十秒で昇降する、インバーター制御の最新鋭高速エレベーターを中央コアに配置。待ち時間を減らすための群管理システムが導入された。
着工からわずか四ヶ月。
冬の足音が近づき、初雪が舞う前の小春日和の日――
『ルーセン工科大学・先端研究棟 兼 学生・教職員レジデンスメガタワー』が、完全なる竣工を迎えたのである。
竣工の翌日から、待ちわびていた学生や教授陣による、大規模な一斉入居が始まった。
「うわああああっ……! なんだこの部屋は!?」
地方の都市からやってきた人間の男子学生が、割り当てられた十五階の寮室の扉を開け、荷物を放り出して歓声を上げた。
「壁が真っ白で綺麗だし、机もベッドも新品だ! それに見てくれよ、この窓からの景色! ルーセンの町並みどころか、遥か彼方の山脈まで一望できるぞ!」
同室となったドワーフの学生も、デスクの照明スイッチをパチパチと点滅させながら大興奮していた。
「おい、この蛇口を捻るといつでも冷たい水が出るぞ! いちいち井戸まで水を汲みに行かなくていいなんて、夢か魔法か何かか!?」
女子寮フロアでも、清潔な部屋と充実したセキュリティに、入居した女子学生たちが抱き合って喜んでいた。
一方、最上階近くの教職員レジデンスに入居した、王都から赴任してきた初老の数学教授は、リビングのふかふかのソファに腰掛け、温かいお風呂から立ち上る湯気を眺めながら感涙していた。
「素晴らしい……! 王都のいかなる高級貴族の屋敷でも、これほど清潔で、暖かく、快適な住まいはあり得ん。妻も子供も大喜びしておる。……カロン学長、私はこの大学のために、骨を埋める覚悟で研究と教育に尽くしますぞ!」
そして、このタワーの真価を発揮したのが、校舎タワーとを繋ぐ『連絡空中ブリッジ(スカイウォーク)』であった。
朝の通学時間帯。
地上に降りることなく、十五階の寮室を出た学生たちがエレベーターで十階へ降り、ガラス張りの空中回廊を渡ってそのまま校舎タワーの専門講義室や実験室へと吸い込まれていく。
空中回廊からは、眼下を行き交う路面電車や新工房区の賑わいがミニチュアのように見晴らせ、学生たちの恰好の憩いの場となっていた。
「おはよう、カイ! 今日の構造力学のレポート、やったか?」
「バッチリだよ! 昨夜、寮のコモンラウンジで留学生の先輩たちに教えてもらったんだ!」
教科書を抱えた若者たちが笑顔で行き交う空中回廊は、まさに未来の学園都市を象徴する光景そのものだった。
入居が一段落した夜、新メガタワーの最上階――三十階の展望サロンには、カロン、ボルト副学長、ハインリヒ侯爵、商会長マリアベル、ギルバート、ガース隊長、トーマス神父、そして留学生たちが集い、ささやかな落成祝賀会が開かれていた。
足元に広がる大きなガラス窓の外には、息を呑むような絶景が広がっていた。
新工房区の碁盤の目状の道路に沿って灯る、無数の温かな電灯の光。
二本の銀色のレールの上を、光の帯となって滑らかに走り抜ける路面電車。
そして、二十階の校舎タワーと三十階の新タワーの窓々から漏れ出る、夜遅くまで研究に没頭する学生たちの知の灯火。
「……美しいな」
ハインリヒ侯爵がワイングラスを傾け、深々とため息をついた。
「ほんの半年前まで、ここはただの静かな城壁の町に過ぎなかった。それが今や、天を突く二本の巨塔がそびえ、世界中から集まった数千の若者たちが未来を語り合っておる。……カロン殿、君は本当に世界を変えてしまったな」
「いいえ、侯爵閣下」
カロンは果実水を手に、穏やかに首を横に振った。
「変えたのは私一人ではありません。技術を信じてくれた閣下、資材を供給し続けてくれたガロニアの職人たち、寝食を忘れて施工に励んでくれた留学生や子供たち……ここにいる全員の情熱が、この街を、この大学を形作ったのです」
「カロン先輩!」
留学生たちがジョッキを掲げて駆け寄ってきた。
「俺たち、この三十階タワーを建てて確信しました! 工学の力に限界なんてないってことを! 俺たち、もっともっと勉強して、次はガロニアにも、世界中の町にも、こんな素晴らしい建物を建ててみせます!」
若いドワーフたちの瞳には、揺るぎない自信と誇りが満ち溢れていた。
かつては孤独な大学教授として、研究室で理論と向き合っていた前世の中山教授。
そして今、異世界にドワーフとして転生し、自らの手で生み出した知識と技術が、こうして多くの弟子たちへと受け継がれ、世界を豊かに前進させる巨大なうねりとなっている。
(……教育者として、技術者として、これ以上の幸せがあろうか)
胸の奥から湧き上がる熱い充足感を噛み締めながら、カロンは満面の笑みで果実水の入ったジョッキを掲げた。
「みんな、乾杯しよう! ルーセン工科大学の、そして我々が創り出す世界の未来に!」
「「「乾杯ッ!!!」」」
澄み渡る夜空高く、星々に手が届きそうな地上三十階のサロンに、若者たちと大人たちの歓喜の歌声がいつまでも響き渡っていた。
交易都市から学園都市へ。
天を突く巨塔の光は、暗闇を照らす希望の灯台のように、遥かなる未来へ向けて力強く輝き続けていたのであった。




