第36章:食堂大改造(前編)
第36章:食堂大改造(前編)
朝の澄み切った光が、石畳の路地に差し込む頃。カロンが暮らすアパートの一階にある食堂の扉が開き、地鳴りのような足音とともに筋骨隆々たる集団が雪崩れ込んできた。
「おはようございます、女将さん!」
「腹が減りました! 今日も美味い飯をお願いします!」
先頭を歩くカロンの後ろには、昨日ガロニアからやってきた十二名の若き留学生たちが、元気いっぱいに整列していた。全員が分厚い胸板と逞しい腕を持ち、頭一つ分ほど小柄ながら横幅と威圧感は人並み外れている。
「はいはい、おはよう! みんな席に着いておくれ!」
女将さんは笑顔で迎えてくれたものの、十数席ほどしかないこぢんまりとした食堂のテーブル席は、総勢十三名のドワーフたちによって一瞬で埋め尽くされてしまった。
その直後、ガラリと扉が開き、朝食を食べにやってきた馴染みの人間の商人や近隣の住民たちが顔を覗かせた。
「おや、女将さん、おはよう……って、うわっ!?」
店内にびっしりと並ぶ髭面の屈強なドワーフたちの姿を見るなり、客たちはぎょっとして足を止め、目を白黒させた。
「あ、あら、ごめんなさいね! 今ちょうど満席になっちゃって……少し外で待ってもらえるかい?」
女将さんが申し訳なさそうに手を合わせると、客たちは「あ、ああ、また出直すよ……」とおっかなびっくり後ずさりし、すごすごと扉を閉めて立ち去ってしまった。
その様子をカウンターの端から見ていたカロンは、たまらなく肩身の狭い思いに駆られた。
(……これは、実に申し訳ないことをしてしまったな)
昨日買い取った向かいのアパートは寝泊まりするだけの寮であり、炊事場は最低限のものしかない。そのため、朝と夜の面倒をこの食堂にお願いしたのだが、これでは一般の常連客がまったく入れず、店の営業を妨害しているようなものだった。
留学生たちが女将さんの作った山盛りのベーコンエッグと焼きたてパンを「美味い!」「最高です!」と平らげていく横で、カロンは温かいスープを啜りながら、眉間に深い皺を寄せて考え込んでいた。
朝食を終えたカロンと十二名の留学生たちは、路面電車に乗って中央通りを抜け、大聖堂の工房へと移動した。
広大なメインホールに足を踏み入れると、天井クレーンや整然と並ぶ工作機械の威容に、留学生たちの目が再び輝きを取り戻す。
「さあ、みんな。今日からガロニア中央学舎ルーセン分校としての本格的な講義と実習を始めるぞ」
「「「はいっ!!」」」
カロンは南側の特別実験講義室に留学生たちを集め、教壇に立った。
前世である「中山教授」の時代から数え切れないほどの講義を受け持ってきたカロンにとって、教壇に立つことは息を吸うのと同じくらい自然な行為だった。
午前中は、基礎工学の講義が行われた。
黒板に数式と図形を淀みなく書き殴りながら、カロンは熱弁を振るう。
「ガロニアでは、鉄を叩く強さや焼き入れの温度を『肌の感覚』や『鉄の色』で判断してきたね。だが、この工房で学ぶのは、それをすべて数値化・理論化する『材料力学』と『熱力学』だ」
金属内部の結晶構造、応力と歪みの関係、熱膨張係数、そして電気と磁気が生み出す力の法則――。
曖昧な経験則を明快な物理法則として解き明かしていくカロンの淀みない講義に、エリート留学生たちは誰一人として私語を交わさず、手元のノートへ猛烈な勢いでペンを走らせていた。
「す、すげえ……! 焼き入れの硬度が、炭素の割合と冷却速度の計算式で全部説明できるのか……!」
「感覚でしか分からなかった鉄の粘りが、数値で見えるぞ!」
留学生たちの瞳に、知の歓喜が燃え盛る。
午後を過ぎると、講義はメインホールでの実機を用いた研究実習へと移行した。
カロンが広場の中央に運んできたのは、自身が試作したあの銀色の電気自動車(EV)だった。
「さて、午後はこの電気自動車の構造解説と、今後の研究課題の設定についてだ」
カロンは車体をジャッキアップし、下回りのサスペンションとダンパー(ショックアブソーバー)を留学生たちに見せた。
「これは、路面のデコボコから伝わる振動を吸収するための『独立懸架式ダブルウィッシュボーン・サスペンション』だ。スプリングのバネ定数と、内部の魔導オイルがオリフィス(細孔)を通過する際の粘性抵抗を利用して、衝撃を一瞬で減衰させている。……だが、現在の試作機はまだ私の手作業による一点物だ」
カロンは留学生たちを見渡した。
「君たちに課す最初の研究課題は、このダンパーとサスペンションアームを、ガロニアから届く規格鋼材を使って、誰もが同じ性能で作れるように『標準化・モジュール化』することだ。どのように公差を設定し、どのような治具を作れば量産できるか。……各自、仮説を立てて実験計画書を作成しなさい」
課題の提示、仮説検証のプロセス、実験の進め方とデータ収集の手法。
まさに大学の先端研究室そのものの指導スタイルに、留学生たちは圧倒されながらも、「やってやるぞ!」と闘志を燃え上がらせて図面を取り囲んだ。
夕方前になると、大聖堂の正面扉から元気な足音が響いてきた。
「カロン先生ーっ!」
カイとミミルを先頭に、孤児院の子供たちや貧困区の子供たちがやってきた。
カロンは留学生たちに個別作業を指示すると、子供たちを特別実験講義室へと招き入れた。
「みんな、いらっしゃい。今日は、昨日の約束通り『電磁石の実験』をやろう!」
鉄心にエナメル銅線を巻き、電池(蓄電魔石)を繋ぐと、ただの鉄の棒が釘を吸い付ける磁石へと早変わりする。スイッチを切ればパラリと釘が落ちる。
「わああっ! くっついた!」「離れた!」と歓声を上げて実験キットに群がる子供たち。
カロンは優しく原理を解説し、子供たちが暗い夜道で危険に遭わないよう、夕暮れの鐘が鳴る前に宿題の計算プリントを配って笑顔で見送った。
夕闇が町を包む頃、カロンと十二名の留学生たちは、再びアパートの一階の食堂へと戻ってきた。
昼間の激しい講義と実習で腹を空かせたドワーフたちは、今夜も食堂の席を完全に占領してしまった。女将さんは笑顔で大鍋のシチューを振る舞ってくれたが、やはり途中でやってきた近所の住人が、満席の店内を見て残念そうに帰っていく姿があった。
カロンはスプーンを止め、深い溜息をついた。
(……ダメだ。やはりこのままではいけない。女将さんは気を使って歓迎してくれるが、これでは地域に愛されてきたこの食堂の常連客を奪ってしまうことになる。何より、自分たちが肩身の狭い思いをしながら飯を食うのは、精神衛生上よろしくない)
どうにかして席数を増やせないか。
カロンの頭の中に、ひとつの大胆な計画が閃いた。
(そうだ……いっそのこと、この食堂を何倍もの広さに大拡張してしまえばいいのではないか?)
幸いなことに、このアパートのすぐ隣に建っている木造二階建ての長屋アパートは、以前から住人がおらず、完全に空き家となって放置されている「廃アパート」だった。
食後、カロンはすぐさま中央通りのゲオル商会へと足を運んだ。
夜間事務を執っていたマリアベル(ゲオル)に隣の廃アパートの権利関係を尋ねると、まさに渡りに船の答えが返ってきた。
「ああ、あのアパートでしたら、以前の持ち主が手放して我が商会で差し押さえている物件です。取り壊す予定でしたが、カロン殿がお買い取りいただけるのでしたら、土地と建物の権利一式、金貨百枚でお譲りいたしますよ」
「買います。今すぐ契約書を作ってください」
カロンは迷わず即金で金貨を支払い、隣の廃アパートの完全な所有権を手に入れた。
アパートへ戻ったカロンは、片付けを終えて厨房で一息ついていた女将さんと娘に、手に入れた権利証を見せながら計画を打ち明けた。
「女将さん、実はね……隣の空き家のアパートを買い取ったんだ。あそこの一階の壁をぶち抜いて、この食堂と一体化させ、席数を今の三倍以上に広げる大改修工事をやりたいと思っているんだ」
「ええっ!? お、隣と繋げるのかい!?」
女将さんが目を丸くして飛び上がった。
「それだけじゃない。厨房も完全に作り替える。前回のプチ改修どころじゃないぞ。井戸ポンプからの冷水と、大型電気温水器からの熱湯が両方出る『多機能ダブルシンク』、大量の食材や飲み物を保存できる『特大業務用冷蔵庫』、火を使わず安全で超強力な『多口IH魔導コンロ』、精密な温度管理ができる『大型電気オーブン』、皿を自動でピカピカに洗って熱風乾燥させる『魔導食器洗浄機』、大容量の調味料・食器棚、そして煙と油を一瞬で排出する『静音大型換気扇』……世界で最も先進的で使いやすい、最高峰の最新鋭キッチンを造る!」
カロンが熱弁を振るうと、女将さんと娘はあんぐりと口を開けたまま絶句し、やがて大粒の涙をポロポロとこぼし始めた。
「カロンさん……! あ、あたしゃ夢を見てるんじゃないだろうね……? そんな魔法のような台所、王宮の料理長だって使ったことがないよ……! 席が増えれば、昔からの常連さんにも迷惑をかけないで済むし……本当に、本当にありがとうねぇ……!」
女将さんはカロンの手を両手で握りしめ、何度も何度も頭を下げた。
「よし、決まりだ。明日、工房で精密な設計図を引き、必要な厨房機器を一気に製作する。そして明後日の早朝から、留学生たち全員を動員して一気に改装工事を終わらせよう!」
向かいの寮に戻り、十二名の留学生たちにこの計画を伝えると、彼らは「大家さんの食堂のためなら喜んで!」「俺たちの腕の見せ所ですね!」と拳を握りしめて快諾してくれた。
翌朝、大聖堂の工房は、昨日とはまた違った熱気に包まれていた。
カロンは午前中の講義を兼ねて、メインホールの大型工作機械をフル稼働させ、食堂に導入する最新鋭機器のパーツを一括生成していった。
「『マテリアル・トランスミュート』――ステンレス鋼材超精密成形、魔導回路一括インストール!」
カロンの両手から放たれる眩い光のシャワーの中で、前世の最新システムキッチンの粋を集めた機材が次々と姿を現す。
耐食性に優れた美しいヘアライン仕上げの『大型ステンレス・ダブルシンク』(冷水・温水混合レバー水栓付き)。
庫内温度をマイナス二十度からプラス五度までブロックごとに精密制御できる『四扉式特大業務用冷蔵・冷凍庫』。
高周波の渦電流で鍋底そのものを直接発熱させる、火を使わない超高火力『四口IH魔導コンロユニット』。
熱風を強制循環させて焼きムラを完全にゼロにする『大容量コンベクション電気オーブン』。
高圧温水ジェットと超音波振動で油汚れを秒速で分解し、乾燥まで行う『魔導全自動食器洗浄機』。
遠心ファンと油煙分離フィルターを内蔵した『シロッコファン型静音大型レンジフード(換気扇)』。
耐震ラッチとスライドレールを備えた、大容量の『壁面システム収納棚』。
「みんな、よく見なさい。これが流体力学、電磁気学、そして熱工学を厨房設備へと応用した具体例だ」
カロンは留学生たちに、IHコンロの磁界発生コイルの巻き方や、食洗機の高圧ノズルの噴射角度の計算、換気扇のダクト圧損の計算法を一つひとつ丁寧に解説していった。
学生たちは感嘆の声を上げながら、部品の寸法をノギスで測り、内部の魔導配線を食い入るようにスケッチしていた。
午後の研究時間には、隣の廃アパートと既存の食堂をドッキングさせるための詳細な建築構造図と、厨房の動線レイアウト図が完成した。
夕方には教会の子供たちへ算術の講義を行い、夜には再び全員で食堂へと戻って温かい夕食を共にした。
「いよいよ明日だな。みんな、怪我のないよう気合いを入れていくぞ!」
「「「おうっ!!」」」
留学生たちの力強い返事を聞き届け、カロンは明日の一大リフォーム作戦の成功を確信しながら、心地よい高揚感の中で深い眠りへと就いた。




