第32章:異例の昇格と大聖堂の工房
第32章:異例の昇格と大聖堂の工房
昨夜の激闘から一夜が明け、交易都市ルーセンの街並みには澄み切った朝の光が降り注いでいた。
しかし、町中の空気は普段の穏やかな朝とは一変し、蜂の巣をつついたような大騒ぎとなっていた。
町の権威として君臨していたアストル教大聖堂の地下に広大なカタコンベが存在し、死霊術によってアンデッドが飼い慣らされていたこと。
大司教代行のバルガスをはじめとする神父たちが闇ギルドと結託し、子供たちを誘拐して人質に取っていたこと。
そして――それらの悪行を暴き、単身で大聖堂へ突入してアンデッドの軍勢を薙ぎ払い、子供たちを無傷で救出したのが、あのドワーフの魔導士カロンであったこと。
これらの衝撃的な事実が、東門警備隊の発表と救出された子供たちの証言によって、瞬く間に町中へ知れ渡っていたのである。
「おい、聞いたか!? アストル教の悪党どもを、あのカロンの旦那が一晩で叩き潰したんだとよ!」
「アンデッドの王を消滅させたって話だぜ! やっぱりカロンさんはただ者じゃねえ!」
路面電車の停留所でも、市場の露店でも、住民たちは口々にカロンの武勇伝を語り合っていた。
そんな町の喧騒をよそに、カロン自身が所有者となったアパートの自室で、彼はいつも通り電気温水器の朝風呂を浴び、清潔な作業着に着替えて温かいハーブティーを口にしていた。
コンコンコンッ! ドンドンドンッ!
突如として、自室の頑丈な木製ドアが激しく叩かれた。
「ちょっとカロン! 起きてるんでしょ!? 早くドアを開けなさいよ!」
外から響いてきたのは、どこか甲高く、しかし凛とした若い女性の声だった。
カロンがカップを置き、鍵を開けて扉を引くと――そこには、透き通るような銀髪を揺らし、尖った長い耳をピコピコと動かしたエルフの美少女が仁王立ちしていた。
昨夜、大聖堂の地下牢で救出したBランク冒険者――リアリスであった。
「やあ、リアリスさん。朝早くからどうしたんだい? そんなに大きな音で叩かなくても聞こえているよ」
カロンが穏やかに応じると、リアリスは胸の前で腕を組み、ジト目を向けてきた。
「どうしたの、じゃないわよ! あんたが昨夜あんな大立ち回りをしたせいで、冒険者ギルドは大混乱なんだから! ギルドマスターがあんたを首を長くして待ってるの。いいから、今すぐギルドに来て!」
「ギルバートさんが? ……まあ、昨夜の報告もあるだろうしね。分かった、すぐに行こう」
カロンは上着を羽織り、小走りで先を急ぐリアリスの後を追ってアパートを出た。
町の中央通りを歩く間も、行き交う町民や商人たちがカロンの姿を見つけるたびに「カロンさん、ありがとう!」「英雄様!」と歓声を上げ、手を振ってきた。カロンが照れくさそうに会釈を返している横で、リアリスは「まったく、有名人ね」と小さく呟いていた。
冒険者ギルドの扉を開けると、館内はすでに昨日の事件の話題で持ちきりだった。
受付を通ることなく、リアリスに案内されて最奥のギルドマスター執務室へと直行する。
重厚な扉を開けると、部屋の中では歴戦の巨漢・ギルバートが、葉巻を燻らせながら深くため息をついていた。机の上には、昨夜カロンが倒したワイトキングが残した、あの『黄金の王冠』が鎮座していた。
「おう、来たかカロン殿……そしてリアリス」
ギルバートは煙を吐き出し、頭を抱えるようにしてカロンをじっと見つめた。
「まったく……昨夜リアリスから報告を聞いた時は、耳を疑ったぜ。ドワーフが単身でアストル教の大聖堂をぶち破り、地下のカタコンベでアンデッドの群れを浄化して子供たちを救出しただと? ……おいおい、まさかドワーフが聖属性魔法を使えるとはな。それも高位の『ターンアンデッド』を一撃で使いこなすなんざ……前代未聞だぞ」
ギルバートは呆れ果てたように肩をすくめ、苦笑いを浮かべた。
「……まあ、『カロンだからな』。もうあんたのやることなら、太陽が青く光ったって驚かねえよ」
「私もよ!」
横からリアリスが割って入り、尖った耳を尖らせながら抗議するように言った。
「檻の中から見てて、このドワーフ何なのよ!?って目を疑ったわ! ドワーフといえば土魔法か怪力で武器を振るうのが相場じゃない! なんで聖職者顔負けの聖なる光を放ちながら、ド派手な火球を連射してるのよ! 常識がゲシュタルト崩壊しそうだったわ!」
「いやはや……使えるものは何でも使わないと、子供たちが危険でしたからね」
カロンがポリポリと頭を掻くと、ギルバートは机の上の黄金の王冠を指先で叩いた。
「これだよ、これ。間違いなく地下迷宮の主、『ワイトキング』の王冠だ。あいつは物理攻撃や生半可な属性魔法じゃ傷一つ負わねえ厄介な相手だ。生魔法と強力な炎魔法の直撃以外じゃ絶対に倒せねえ。……つまり、あんたは単独で正真正銘の『Aランク指定の魔物』を討伐したってことだ」
ギルバートは引き出しから、眩い黄金色の輝きを放つ真新しいギルドプレートを取り出し、机の上にパシンと置いた。
そこにはカロンの名とともに、大きく『A』の文字が刻印されていた。
「というわけで、これを受け取りな。Aランク冒険者登録証だ」
「ちょ、ちょっと待ってください、ギルバートさん!」
カロンは慌てて両手を挙げた。
「一昨日Bランクに登録されたばかりですよ? 私は何度も言っている通り、しがない職人であって、冒険者として名を馳せるつもりは……」
「問答無用だ!」
ギルバートが豪快に机を叩いて遮った。
「Aランクの魔物を単独討伐した奴をBランクに据え置いてみろ、ギルドの査定基準が疑われて王都の本部から監査が飛んでくるわ! それに、Aランク冒険者の資格があれば、国境の通行証も最高位の免除、世界中の希少素材の優先購入権、果ては各国の貴族と同等の発言権まで手に入るんだ。工房を構えて研究を続けるあんたにとっても、絶対に邪魔にはならんはずだ!」
有無を言わさぬギルバートの気迫と、隣で「観念しなさい、カロン」と腕を組むリアリスの視線に屈し、カロンは観念して金色のプレートを受け取った。
「……分かりました。謹んでお預かりします」
「よし! それと――これが今回の件の正当な報酬だ」
ギルバートが床から持ち上げたのは、ずっしりと革が張り裂けんばかりに膨らんだ巨大な麻袋が五つだった。
「領主であるハインリヒ侯爵閣下から直々に『緊急特務依頼・アストル教の闇調査および人質救出』の達成報酬として下賜されたものだ。しめて金貨五千枚。危険手当とアンデッド軍団討伐の懸賞金込みだ。正当なあんたの取り分だ、受け取りな!」
「金貨五千枚……!」
前回の三千枚に続き、またしても天文学的な巨額の富がカロンの手元に転がり込んできた。カロンは感謝を述べつつ、すべての金貨袋を涼しい顔で空間収納へと収めた。
「カロン殿、これからもこの町をよろしく頼むぜ」
ギルバートが太い手を差し出し、カロンはその手をしっかりと握り返した。
ギルドを出たカロンは、リアリスと「また後でね」と別れ、足早に西区のメリス教の教会へと向かった。
白亜の教会に足を踏み入れると、新しく広くなった教室には、昨夜救出されたルーカスたち三名を含む孤児たちと、カイ、ミミル、そして貧困区の子供たちが集まっていた。
子供たちはカロンの姿を見るなり、「カロン先生!」と一斉に駆け寄ってきた。
「ルーカス、エミリア、トビー。体の方はもう大丈夫かい?」
カロンが目線を合わせ、優しく問いかける。
「うん! 怪我はないよ! でも……」
ルーカスが少し伏し目がちに、小さな肩を震わせた。
「暗いところにいると、あのガイコツたちがまた出てくるんじゃないかって……少し怖くなるんだ」
その言葉を聞き、カロンは前世――中山教授時代の記憶を静かに手繰り寄せた。
(……前世の大学で、同僚に臨床心理学や児童発達心理学を専門とする教授がいたな。あの教授がよく言っていた。『大きなトラウマや事件に遭遇した子供の心は、身体の傷以上に丁寧にケアしなければならない。大人が安全と安心を実感させ、感情を吐き出させなければ、成長期の深い心の傷(PTSD)として一生残ってしまう』と)
子供たちの心の傷を放置することは、教育者として絶対に許されない。
カロンはルーカスたちの手を温かく包み込み、子供たち全員を輪にして座らせた。
「みんな、よく聞いてほしい。怖い思いをしたのは、決して恥ずかしいことじゃない。恐ろしい怪物を見れば、誰だって怖い。大人の私だって、昨日はびっくりしたんだからね」
「えっ? 先生も怖かったの?」
子供たちが驚いたように顔を上げる。
「そうだよ。だから、怖かった時は『怖かった』と口に出していいし、泣きたい時は思い切り泣いていいんだ。……でも、一つだけ絶対に覚えておいてほしい。あの悪いアンデッドも、悪巧みをしていた神父たちも、全員残らず私が完全にやっつけた。もう二度と、みんなの前に現れることはない」
カロンは教室の天井に灯る明るい電灯を指差した。
「この光がある限り、暗闇の怪物は絶対にここへは入ってこられない。そして、私やトーマス神父様、東門の兵士さんたち、カイやミミル……町の大人たち全員が、全力でみんなを守る。だから、何も心配いらないんだよ」
カロンの温かく力強い言葉に、ルーカスたちの瞳からポロポロと大粒の涙が零れ落ちた。
子供たちはカロンの胸に飛び込み、昨夜の恐怖をすべて吐き出すように大声で泣いた。カロンはその背中を優しく、何度も何度も撫で続けた。
やがて涙が収まると、子供たちの表情からは強張りが消え、元の明るい笑顔が戻っていた。
その様子を教室の隅から見守っていたトーマス神父が、胸の前で十字を切り、涙ぐみながらカロンに深々と頭を下げた。
「カロン先生……身体の救出だけでなく、この子らの傷ついた心までこれほど温かく包み込んでくださるとは……。なんと素晴らしい教育者であられるか。メリス教を代表し、心より御礼申し上げます」
「いえ、神父様。子供たちが健やかに育ってこその未来ですからね」
カロンが微笑むと、トーマス神父は町で起きている最新の動きを教えてくれた。
「領主閣下の迅速なご決断により、アストル教の悪徳神父たちは一人残らず捕縛され、王都の異端審問所へと護送されることになりました。そして……町の中央に聳え立つあの大聖堂は、宗教施設としての認可を取り消され、完全に解体・接収されることが決定したそうです」
「解体ですか……。あれだけの巨大な石造建築を取り壊すとなると、相当な手間と費用がかかりそうですね」
カロンが工学者としての感想を漏らしながら教会を出ると――教会の門前に、見慣れた一台の高級馬車と、燕尾服を隙なく着こなした初老の男性が静かに佇んでいた。
「カロン様。お待ちしておりました」
深々と優雅に一礼したのは、領主邸の執事長・セバスチャンであった。
「セバスチャンさん。どうしてここに?」
「冒険者ギルドへ伺いましたところ、ギルドマスターより『カロン殿ならメリス教会で子供たちの様子を見ているはずだ』と伺いまして、お迎えに上がった次第です」
セバスチャンは穏やかな笑みを浮かべ、侯爵からの伝言を切り出した。
「まずは、昨夜の子供たちの救出劇、そして街の癌であったアストル教の壊滅、誠に見事なお働きでございました。旦那様も深く感謝しておられます」
「いえ、無事に解決できて何よりでした。金貨五千枚という破格の報酬もいただき、恐縮しております」
カロンがお礼を述べると、セバスチャンは周囲を見回し、少し声を潜めて本題を切り出した。
「……カロン様。実は旦那様より、もう一つ特別なご提案がございまして。――先ほど接収が決まりました『旧アストル教大聖堂の建物と広大な敷地』を、カロン様の個人工房として丸ごと活用していただけないか、というお話でございます」
「……えっ? あの大聖堂を、私の工房に?」
思いがけない申し出に、カロンは目を丸くした。
「左様でございます。あの建物は町の一等地にあり、外壁も基礎も最高級の石材で組まれた堅牢な大建築でございます。しかし、宗教施設としての悪評がついてしまった以上、町としても買い手がおらず、解体するにも莫大な費用がかかるため、持て余していたところでして……。旦那様が『カロン殿の卓越した研究と、新たな魔導機械の開発拠点として使っていただけるならば、これ以上の活用法はない』と仰せなのです」
カロンの頭の中で、工学者としての計算が一瞬で展開された。
現在、カロンの研究・作業場は発電所脇の屋外スペースに限られており、天候に左右されやすいのが難点だった。
しかし、あの大聖堂があればどうだ?
天高十メートルを超える吹き抜けの大広間は、大型の路面電車や電気自動車の量産ライン、さらには新たな大型魔導機器の組み立て工場として完璧な広さを誇っている。
石造りの壁は頑丈で防音性・耐火性に優れ、敷地内には資材置き場や専用の引き込み線を通すスペースも潤沢にある。何より、地下のカタコンベを徹底的に浄化・改装すれば、温度が一定に保たれる最高の地下保管庫や実験室になる。
(これ以上ない、理想的な研究開発拠点ではないか……!)
「セバスチャンさん。領主閣下のそのご提案、喜んでお受けいたします。あの大聖堂を、この町の産業と未来を切り拓く最高の研究工房に作り替えてみせましょう」
「おお! 引き受けてくださいますか! 旦那様も大層お喜びになります!」
セバスチャンは満面の笑みで権利譲渡の書類を取り出し、カロンはその場でサインを交わした。
こうしてカロンは、広大な敷地と豪奢な石造建築を誇る「元大聖堂の特大個人工房」を正式に手に入れたのである。
セバスチャンを見送ったカロンは、自らの新たな城となった旧アストル大聖堂へと足を運んだ。
すでに東門警備隊による現場検証と封鎖は完了しており、悪徳神父たちやアンデッドの気配は綺麗さっぱり一掃されていた。
吹き抜けの巨大な礼拝堂の中央に立ち、カロンは腕を組んで建物の構造を見上げた。
「さて……やるべきことは山積みだな」
カロンの頭の中で、前世の工学部研究棟や最新鋭のファクトリーのレイアウトが次々と組み上がっていく。
メインホール(旧礼拝堂):宗教的な偶像や祭壇を撤去し、天井クレーンと大型作業台を設置した「重機械・車両組み立てライン」。
東側回廊:旋盤、フライス盤、魔導切削機を並べた「精密部品加工室」。
西側回廊:回路設計、魔導プログラミング、小型家電の開発を行う「電子・魔導工学研究室」。
地下エリア(旧カタコンベ):土木魔法と聖属性魔法で完全に浄化・リノベーションし、耐火・防爆仕様の「素材保管庫」兼「高圧実験室」。
前庭:東門からの路面電車のレールを引き込み、資材の直接搬入と完成車両の出荷が可能な「専用引き込み線」。
「ふふっ……中山教授時代にも持てなかった、夢のプライベート研究所の完成だな」
手に入れたばかりの金貨五千枚、そして前回の三千枚を合わせれば、どれだけ豪勢な工作機械や最高級の素材を買い集めても資金が尽きることはない。
カロンは満足そうに頷き、夕暮れに染まる大聖堂の扉にしっかりと魔導ロックをかけた。
夕暮れの町を歩き、自分がオーナーであるアパートへと戻る。
一階の食堂の扉を開けると、女将さんと娘が満面の笑顔で出迎えてくれた。
「おかえりなさい、大家さん! 町中の噂だよ、大家さんが大聖堂を工房にするんだってね!」
「ああ、これからもっと色々な便利なものを開発していくつもりですよ」
カウンター席に座り、冷えた果実水を一気に煽る。
運ばれてきたのは、新型オーブンでふっくらと焼き上げられたチキンパイと、新鮮な野菜サラダ、そして温かいポタージュスープだった。
美味しい食事を綺麗に平らげ、二階の自室へ戻る。
電気温水器からたっぷりと張られた四十一・五度のお風呂に肩まで浸かると、一日中駆け回った心地よい疲労が、温かいお湯の中にすーっと溶けていった。
意図せぬAランク冒険者への昇格、子供たちの心のケア、そして手に入れた広大な大聖堂工房。
前世の知識とこの世界の魔導技術が、カロンを中心にますます大きなうねりとなって、町を、そして世界を劇的に前進させようとしていた。
「……明日は、工房の大掃除と設備の搬入だな」
カロンは至福のため息を漏らし、温まった体で柔らかなベッドへと潜り込むと、満ち足りた静寂の中で穏やかな眠りへと落ちていった。




