第22章: 街道を駆ける電柱と黄色の安全帽
第22章: 街道を駆ける電柱と黄色の安全帽
東の空が白み始め、朝露を含んだ澄んだ風が川面を撫でる頃、カロンは町外れの水力発電所へと向かった。
昨日完成したばかりの発電所の重厚な石造りの建屋は、朝日に照らされて堂々たる威容を誇っている。その前には、すでに十二名のドワーフ職人団――父とバログ大親方をはじめとするガロニアの精鋭たちが、気合い十分に腕組みをして勢揃いしていた。
「おう、カロン! 待ちくたびれたぞ!」
バログ大親方が野太い声で笑い、豊かに蓄えた白銀の髭を揺らす。
「昨夜宿で飲んだエールも悪くなかったが、やっぱり現場で体を動かさねえと血が巡らねえ。今日の段取りを教えてくれ!」
十二人の視線が一斉にカロンに集まる。ドワーフ特有の爛々とした職人の眼光だ。カロンは頷き、懐から一枚の大きな羊皮紙の図面を広げた。
「皆さん、おはようございます。本日の工事目標は一つです。この水力発電所から、町の中心部にある領主様の屋敷まで、電力を送るための送電幹線――すなわち『電柱の設置』と『電線の架線工事』を行います」
「いよいよ町の中に未知のエネルギーを通すわけだな!」
父が逞しい拳を握りしめる。
「はい。事前に領主様から領主令として、町の各所にある掲示板にお触れを出してもらっています。『本日、ドワーフの技術団による大規模な送電工事を行うため、指定ルートの通行に注意されたし』と周知済みです。ですが、町中での工事となると、住民や馬車の往来があります。そこで――昨日渡し忘れていた、もっとも重要な装備を配ります」
「装備? ミスリルの作業着か何かか?」
親方衆の一人が首を傾げる中、カロンは魔力を込めて空間収納を発動させた。
「『マテリアル・クリエイション』」
光の粒子とともに地面に現れたのは、鮮やかな黄色に塗装された強化樹脂製のヘルメット十二個だった。前頭部には緑色の十字マークがくっきりと刻印されている。現代日本の工事現場ではお馴染みの、あの安全ヘルメットであった。
「な、なんじゃこりゃあ……? 黄色い鉄鍋か?」
バログ大親方が怪訝そうにつまみ上げる。
「これは『安全ヘルメット』です。頭上からの落下物や転倒時の衝撃から頭部を守るための防具です。現場の安全は何よりも最優先。これを全員着用してください」
「ほほう……見た目は奇抜だが、持ってみると羽のように軽くて、叩くと鋼鉄並みに硬えな!」
大親方が頭に乗せ、顎紐をキュッと締めると、髭面の厳ついドワーフと鮮烈な黄色いヘルメットという、なんともアンバランスで愛嬌のある姿が完成した。
他の親方たちも面白がりながら次々と被り、「どうだ似合うか?」「お前、黄色いキノコみたいだぞ!」と互いに笑い合っている。
「よし、全員装備完了だな! では、資材の生成に移ります」
カロンは両手を広げ、地面に魔力を流し込んだ。
「『アース・クリエイション&フォージ』――コンクリート電柱、一括生成!」
ズズズ……と地響きが鳴り、河原の広場に数十本もの均一なコンクリート製電柱が瞬時に削り出されるように立ち並んだ。先端には絶縁ガイシと腕金が完璧な角度で取り付けられている。さらに、耐候性・絶縁被覆を施した高純度銅の電線ロールが何十巻きも生成され、荷車へと整然と積み込まれた。
「すげえな、相変わらず……! よし野郎ども、安全ヘルメットをしっかり締めて、町へ繰り出すぞ!」
「「「おうっ!!」」」
黄色いヘルメットを輝かせた十三人のドワーフ技術団が、電柱を満載した荷車を引き、町へと進軍を開始した。
東門を抜けて町に入ると、街道沿いにはすでに多くの町民たちが集まり、何事かと物珍しそうに遠巻きに眺めていた。昨日の領主令を見て集まった者、ドワーフの集団に驚く者など様々だ。
カロンは工事区間の安全を確保するため、すぐさま手配を整えた。
「まずは現場の区画整理と安全対策だ」
カロンが収納から取り出したのは、ピンクのウサギや緑のカメの形をした可愛らしい樹脂製の単管バリケード支柱と、黄色と黒のトラ柄バーだった。それらを等間隔に配置して歩行者の侵入を防ぐ防護柵を一瞬で構築する。
さらに工事区間の先頭と末尾には、特注の看板を立てかけた。そこには、黄色いヘルメットを被ったデフォルメ調の可愛らしいドワーフのアニメキャラクターが深々と頭を下げているイラストとともに、大きな文字でこう記されていた。
『工事中 ご迷惑をおかけします ――領主邸電線敷設工事』
「ぷっ……! 見てよあの看板、可愛い!」
「ウサギとカメの柵だって! あんなの初めて見たわ」
「看板のドワーフ、あの黄色い帽子のおじさんたちにそっくりじゃない!」
集まった町の人々や子供たちから、どっと笑いと歓声が沸き起こる。物々しい工事の雰囲気が、カロンの前世仕込みの安全演出によって、一気に親しみやすく安全なイベントへと塗り替えられた。
「よし、安全確保完了。工事を開始します!」
カロンの号令とともに、驚異的な連携作業が幕を開けた。
工程は極めてシステマチックだった。
まず、カロンが先頭に立ち、等間隔に指定したポイントの地面に手をかざす。
「生活魔法『アース・オーガー』」
ボコッと音を立てて、直径五十センチ、深さ二メートルの垂直な穴が、周囲の石畳を一切傷つけることなく瞬時に穿たれる。
そこへ、黄色いヘルメットを被った親方衆が三人がかりで電柱を担ぎ上げ、掛け声を合わせて穴へと滑り込ませる。
「せーの、ドンッ!」
「垂直計、良し!」
電柱がピタリと垂直に立った瞬間、すかさずカロンが追撃の魔法を唱える。
「『アース・コンパクション&ストーン・セメント』」
穴と電柱の隙間に砂利と魔法セメントが瞬時に充填され、岩盤以上の硬度で完全に硬化する。わずか一分足らずで、ビクともしない一本の電柱が街道沿いに屹立した。
「次行くぞ、次!」
「穴掘り完了!」
「電柱投入!」
「固定完了!」
リズミカルで無駄のないドワーフたちの職人技と、カロンの精密な土木魔法の融合。その猛烈な施工スピードに、見守っていた町民たちや巡回中の警備兵たちは目を丸くして息を呑んでいた。
「な、なんだあの早さは……!?」
「穴掘って柱立てて固めるまで、あっという間じゃないか!」
「ドワーフってあんなに力持ちなのかよ……!」
街道を歩く人々に危害が及ばぬよう、カロンが配備したウサギとカメのバリケードの内側で、電柱の列がまるで生き物のように町の中央通りを駆け抜けていく。午前中が終わる前には、発電所から領主邸へと続くメインストリートの全区間――三十本以上に及ぶ電柱の建て込み作業が、狂いなく完全に終了していた。
昼の短い休憩を取り、食堂の女将さんが持たせてくれた握り飯を頬張った後、午後からは「架線工事」が始まった。
「さあ、ここからは高所作業だ。命綱と安全帯を忘れないように!」
カロンは親方たちに安全帯を配り、電柱の足場ボルトを使って登らせた。
ドワーフたちは小柄ながら驚くべき身軽さとバランス感覚で電柱をスルスルと登り、ガイシに電線を固定していく。
地上ではカロンと父が電線ドラムを回転させ、適切なテンションを保ちながら電線を送り出していく。
「おーい、引っ張れー!」
「たるみ具合、規定値オーライ!」
「ガイシ固定完了!」
青空を背景に、黄色いヘルメットのドワーフたちが器用に電柱の上で作業を進めていく。一本、また一本と、黒く美しい絶縁電線が空中にピンと張られ、町外れの発電所と領主邸を直線で結ぶエネルギーの道が空に描かれていく。
見上げる町の人々からは、拍手や歓声が上がっていた。
子供たちは電柱の根元に駆け寄り、看板のアニメドワーフと同じポーズをしてはしゃいでいる。
そして夕方前――西日が町の建物を赤く染め始める頃。
親方団はついに、領主邸の重厚な鉄門の前に到達した。
「大親方、最後のガイシ固定、終わりました!」
「おう! 発電所からの本線、領主邸の引き込みポールまで接続完了だ!」
バログ大親方が電柱の上から威勢よく叫び、地上へと軽やかに飛び降りてきた。
発電所から延々と続いてきた三本の電線が、領主邸の門前に据え付けられた頑丈な変圧器付き引き込み柱へとガッチリと接続された瞬間だった。
「ふう……全員、怪我はないな?」
カロンが見回すと、十二人のドワーフたちは黄色いヘルメットを脱ぎ、爽やかな汗を拭いながら満面の笑みを浮かべた。
「怪我どころか、こんなに安全でやりやすい現場は初めてだったぜ!」
「あのウサギの柵も看板も最高だったな。町の連中が笑顔で見ててくれて、やりがいがあったわい」
カロンは一同に深々と頭を下げた。
「皆さん、素晴らしい仕事を本当にありがとうございました。本日の外線架線工事はこれにて完了です。明日は、いよいよ屋敷の中へ配線を引き込み、ガロニアから運んできた扇風機や冷蔵庫、洗濯機などの魔導家電を設置して、初の通電テストを行います」
「おお! いよいよあの家電とやらが動くんだな!」
「楽しみにしてるぜ、カロン坊主!」
親方団は誇らしげに胸を張り、道具を片付けると、今夜も美味い酒を飲むべく意気揚々と宿へと引き上げていった。
親方団を見送ったカロンは、心地よい疲労感を覚えながら、いつもの日課であるメリス教の教会へと向かった。
夕暮れの街並みを歩くと、今日張り巡らせた電線が頭上を通っているのが見える。明日、この線に電気が通れば、この町は歴史的な一歩を踏み出すことになるのだ。
白亜の教会に到着し、裏手の教室の扉を開けると、そこは昨日以上の熱気に満ちていた。
「あ! カロン先生!」
「先生、こんばんは!」
カイとミミルが最前列で元気に手を挙げ、その後ろには孤児たち、そして昨日から参加し始めた貧困区の子供たちが、今日はさらに数名仲間を連れて座っていた。
部屋は完全に満員御礼で、子供たちは肩を寄せ合い、隙間なく机に座っている。
「先生! 今日、町の中に立派な柱がたくさん立つの見たよ!」
「黄色い帽子のおじさんたち、すっごくかっこよかった!」
子供たちが口々に今日の工事の話題で盛り上がる。
「みんな、見ていてくれたんだね。あれは町を明るくするための大切な工事なんだよ。……さあ、今日も勉強を始めよう!」
カロンが教壇に立つと、子供たちは一斉に静まり返り、真剣な眼差しで黒板を見つめた。
文字の書き取り、生活に役立つ実用的な計算問題。子供たちは狭い机に身を寄せ合いながらも、一言一句聞き漏らすまいと懸命に鉛筆を走らせていた。
カロンは淀みなく授業を進めながら、改めて心に誓っていた。
(この教室も、もう限界の狭さだな……。電線工事と屋敷への家電設置が終わったら、真っ先にこの教会の増築に取り掛かろう。もっと広くて、明るくて、何十人でも快適に学べる素晴らしい学校を造ってやる)
鐘の音が鳴り、授業が終わると、子供たちは満足そうにノートを抱え、笑顔で挨拶をして帰っていった。神父もまた、満面の感謝をたたえてカロンを見送ってくれた。
教会を出た頃には、夜の帳がすっかり下りていた。
冷たい夜風に吹かれながら、カロンはいつものアパートへと戻り、一階の食堂の扉を開けた。
「いらっしゃい、カロンさん!」
中に入ると、女将さんと娘が満面の笑顔で出迎えてくれた。
カロンが昨日リノベーションした新型かまどは今夜も絶好調のようで、厨房からは心地よい薪の燃える音と、食欲を刺激するたまらない香りが漂っていた。
「お疲れ様! 今日も町中で大仕事をしてたんだってね! さあさあ、カウンターへどうぞ!」
席に着くと、女将さんが手際よく大皿を運んできてくれた。
「今夜はね、新しいかまどのとろ火でじっくり煮込んだ特製トマトソースと、厚切りベーコンのパスタだよ!」
深皿に盛られたパスタからは、立ち上る湯気とともに芳醇なニンニクとトマトの香りが溢れていた。アルデンテに仕上がった麺に濃厚な深紅のソースがたっぷりと絡み、こんがりと香ばしく焼き色がついた大ぶりの自家製ベーコンが贅沢に乗せられている。
「いただきます」
フォークで麺を巻き取り、口へと運ぶ。
「――っ! ……美味い!」
完熟トマトの爽やかな酸味と深いコク、そして噛むほどに溢れ出す燻製ベーコンのジューシーな脂の旨味。火力が完璧に安定した新かまどのおかげで、ソースと麺が一体となり、昨日とはまた一段と深みを増した極上の味わいだった。
「どうだい、カロンさん?」
「最高です、女将さん。毎日こんなに美味しいものが食べられて幸せですよ」
「ふふっ、昨日のお礼に言った通り、もちろん今夜もお代はタダだからね! お腹いっぱい食べていって!」
女将さんの温かい心遣いに感謝しながら、カロンはパスタを一心不乱に平らげ、冷えたエールで喉を潤した。
心もお腹も満たされ、食堂を後にしたカロンは二階の自室へと戻った。
部屋の鍵を開け、ランプを灯す。
静まり返った部屋で上着を脱ぎ、椅子に腰掛けて静かに息を吐いた。
今日引いた電線、明日の屋敷への家電導入と通電テスト、そしてこれからの教会の学校改修計画。
前世の中山教授としての工学知識と、この世界で手に入れた魔導の力。それらが一つひとつの形となり、着実に人々の暮らしを豊かに変え始めている。
「……よし、明日も頑張ろう」
カロンはベッドに体を横たえ、心地よい疲労感に身を委ねた。
柔らかな毛布に包まれると、まもなく深い安らぎが訪れ、穏やかな眠りの中へと落ちていった。




