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第10章:カロン、外の世界を見たい

第10章:カロン、外の世界を見たい


地底都市ガロニアに「第一号水力発電所」が建設され、街中に電気と光が満ちてから、早いもので四か月が過ぎていた。

この四か月の間に、カロン(中山実)がガロニアにもたらした変革は、もはや産業や工房の枠組みを完全に飛び越え、ドワーフたちの「日々の生活様式そのもの」を根底から塗り替えつつあった。


カロンは持ち前の材料工学・電磁気学の知識と、神から授かった【元素魔法】、そして製図技術をフル稼働させ、次々と新たな「民生用電気機械(家電製品)」の設計図を引き、工房区の職人たちにその製造法を伝授していったのだ。


高効率白熱電球・蛍光灯:タングステンフィラメントの熱処理を最適化し、長寿命かつ低消費電力を実現した照明。薄暗かった洞窟の住宅を、文字通り昼間のような明るさへと変えた。


軸流送風機・首振り扇風機:小型交流モーターを用いた送風装置。夏場に熱気がこもりやすい地底住宅の換気効率を劇的に改善した。


ペルチェ素子&コンプレッサー式小型冷蔵庫:冷媒ガス(フロンの代替となる無害な炭化水素系ガス)の断熱膨張を利用し、肉や乳製品の長期保存を可能にした魔法のような保冷庫。


遠心式サイクロン掃除機:木製・薄板鉄板のボディに高回転モーターとファンを内蔵し、岩肌の床に積もる煤や細かい岩粉を一瞬で吸い上げる吸引機。


パルセーター式自動洗濯機:正逆反転するモーターの回転水流で、油と煤でギトギトになった分厚い作業着を、手洗いの何分の一もの時間で洗い落とす攪拌型洗濯機。


これらの中でも、特に「洗濯機」と「掃除機」がガロニアの社会に巻き起こした衝撃は凄まじかった。


「カロン親方様! これ、うちで漬けた特製の木の実の砂糖漬けよ! 食べてちょうだい!」

「カロン様、こっちの干し肉も持っていって! あの子ったら、洗濯機のおかげで毎日の水仕事で手がアカギレだらけにならなくなったって、娘と一緒に泣いて喜んでるのよ!」


中央住宅区の通りを歩くだけで、すれ違うドワーフの女性たちから次々と黄色い歓声が上がり、カロンの小さな腕の中はあっという間に手土産の包みで埋め尽くされてしまう。


後から母フラウに聞いて納得したのだが――ドワーフの男性という生き物は、良くも悪くも「鍛冶と採掘と酒」にしか興味がない。

前世の人間の男性以上に家事労働というものを一切顧みず、「服の煤汚れは手でゴシゴシ擦って落とすもの」「部屋の岩粉は箒(ほうき)で半日かけて掃き出すもの」と決めつけ、家事の重労働の百パーセントを女性たちに丸投げしていたのだ。重い革や鉄鱗の作業着を冷たい地底水で何時間も手洗いする作業は、ドワーフ女性たちの腰と指先を長年痛めつけ続けていたのである。


そこへ忽然と現れたのが、スイッチ一つで頑固な油汚れを洗い流す「洗濯機」であり、粉塵を瞬時に吸い取る「掃除機」だった。

過酷な家事労働から解放されたドワーフの主婦層、そして若い娘たちにとって、カロンはもはや単なる技術者ではなく「全女性の救世主」に等しい存在だった。


その結果――

九歳にして、カロンは「ガロニアで最も結婚したいドワーフ男性ナンバーワン」の座を不動のものにしてしまっていた。


「……前世では工学部のむさ苦しい研究室で、男子学生と油まみれの金属片ばかり眺めていた私が……異世界で九歳のドワーフの少年に転生して、主婦層から絶大なアイドル的人気を得ることになるとはな……」


カロンは抱えきれないお菓子や果物の籠を【無限収納(アイテムボックス)】に放り込みながら、苦笑交じりに呟いた。


しかし、カロンがもたらした技術の波紋は、閉ざされた地底都市の中だけに留まるはずがなかった。


ガロニアは元来、自給自足の農業を持たない「工業特化都市」である。

住民たちが口にする穀物、野菜、肉、果物、そしてエールの原料となる大麦は、すべて地上の他種族――主に人間の商人たちが率いる交易キャラバンから買い付けることで成り立っていた。


ここ数か月、ガロニアを訪れた地上の商人たちは、洞窟の入口をくぐった瞬間に腰を抜かさんばかりに仰天することになった。

かつては薄暗く、松明の煙が立ち込め、手作業のハンマー音が響いていた地底都市が――

白昼のように明るい電灯で照らされ、巨大な換気ダクトから清涼な風が吹き抜け、職人たちが自動旋盤やプレス機を操って、人間界の最高峰の鍛冶師すら舌を巻く超精密な鋼鉄製品を山のように量産していたからだ。


そして何より、商人たちの目を釘付けにしたのが、住宅区で実用化されていた「家電製品」の数々だった。


「な、なんだあの箱は……?! 氷の魔導具でもないのに、中に入れた肉が何日も冷え冷えのまま腐らないだと……?!」

「あの回る樽は何だ?! 服を入れただけで泥水が抜けて真っ白になって出てきたぞ!」

「売ってくれ! 金貨ならいくらでも積む! 我が国の貴族や王侯に見せれば、城が一つ買えるほどの値がつくぞ!!」


商人たちは血眼になって家電の買い取りを要求した。

しかし、ドワーフの役人たちはその要求を冷たく突っぱねるしかなかった。


「売ったところで、お前たちの町じゃただの鉄の箱(ゴミ)にしかならんぞ。ありゃあ『電気』という天雷の力が流れてこなきゃ動かんのじゃ。お前たちの町に、地底川を堰き止めた水力発電所や送電線があるのか?」


そう説明された商人たちは、諦めるどころか、さらに狂乱した。


『ならば、我が町にもその「発電所」とやらを作ってくれ!』

『技師を派遣してくれ! 工事費も資材費も、我が商会が金貨数千枚を全額前払いで用意する!!』


連日、ガロニアの倉庫・交易区の会頭室には、地上の大商隊からの懇願と巨額の契約書が山積みにされる事態となっていた。


放課後のガロニア中央学舎、静まり返った職員室。

カロンは、書類の山を前にして深くため息をついていたボルト先生の机の前に立っていた。


「ボルト先生。交易区で人間たちの商人が大騒ぎしていると聞きました。具体的には、どなたが発電所の建設を求めてきているのですか?」


カロンが尋ねると、ボルト先生は片眼鏡を指先で押し上げ、苦い顔をして一枚の豪奢な羊皮紙の書状を差し出した。


「うむ……。このガロニアから北へ三十キロほど離れた平原にある、人間族の交易都市『ルーセン』じゃ。そこを取り仕切る最大手商人組織――『ゲオル商会』の会頭、ゲオル・ルーセン殿から直々の親書が届いておる」


「ゲオル商会……」

カロンは書状に目を走らせた。

流麗な人間の共通語で書かれた文章には、ガロニアの急速な近代化に対する惜しみない賛辞と、ルーセン市街地への水力発電所および送電網の敷設プロジェクトに対する全面的な資金援助の申し出が、破格の好条件とともに記されていた。


「これほど好意的な提案なのに……ガロニアの長老会や親方会は、色好い返事を出していないようですね?」


カロンの問いに、ボルト先生は重々しく顎髭を撫で、視線を落とした。


「……正直に言えばな、カロン。長老たちも、バログ大親方も、全員が激しく迷っておるのじゃ」


「迷っている、というのは……技術流出への懸念ですか?」


「その通りじゃ」

ボルト先生は身を乗り出し、声を潜めた。


「カロン、お前はまだ九歳で、しかも事故のせいで昔のことを忘れておるから無理もないが……ドワーフ族と人間族の歴史は、決して平穏な取引ばかりではなかったのじゃ。

人間という種族は、好奇心と欲望が極めて強い。もしワシらが人間の町へ赴き、発電所やタービン、モーターの仕組みを教えてみろ。彼らは瞬く間にその構造を解剖し、模倣(コピー)品を作り始めるじゃろう」


ボルト先生は拳を握りしめ、言葉を続けた。


「それだけならまだ商売の競合で済む。じゃが……あの莫大な電気の力、モーターの高回転の力を、人間たちが『戦争の兵器』として悪用したらどうなる? 高速で矢を連射する機械弓や、城壁を一撃で粉砕する電動破城槌を作られたら……? その刃が、いつか我がガロニアに向けられないという保証が、どこにあるのじゃ」


老教師の言葉には、何百年にもわたって他種族の侵略や裏切りを警戒し、地底に立て籠もって身を守ってきたドワーフ族の、根深い歴史的トラウマが滲み出ていた。


(……なるほどな)

カロンは深く納得していた。

技術の軍事転用とリバースエンジニアリング(模倣)のリスク。前世の地球の歴史を見ても、産業革命の技術は常に軍拡と覇権争いに直結してきた。ドワーフたちが警戒するのは、地底都市の安全保障の観点から見れば極めて理に適った判断だった。


しかし――

客観的なリスクを理解しつつも、カロンの胸の奥には、抑えきれない「別の感情」が強く渦巻いていた。


(……外の世界に、行きたい)


カロン――元・工学部教授の中山実は、この異世界に転生してからというもの、ただの一度も地底都市ガロニアの外に出たことがなかった。

見上げる空は常に黒い岩肌。吸い込む空気は常に石炭と鉄の匂い。

前世で生まれ育った青い空、流れる白い雲、緑豊かな山々、広大な海、そして何より――同じ「人間」たちが築く社会と街並みが、今この異世界でどうなっているのかを、一人の研究者として、そして一人の元人間として、どうしても自分の目で確かめてみたかったのだ。


さらに、カロンにはもう一つ、外に出なければならない「個人的な理由」があった。


(ステータスウィンドウ……オープン)

カロンが心の中で念じると、視界に青い半透明の画面が浮かび上がる。



名前:カロン(中山 実) 種族:ドワーフ族

年齢:9歳 職業:親方(ガロニア最年少)

レベル:1


体力:22 知力:78

腕力:24 魔力:24

守備力:18 精神力:22

素早さ:8


(……これだ)

カロンは眉をひそめた。


水力プラントを設計し、旋盤を一から作り上げ、全属性魔法を自在に操り、街中に電気を通したというのに――カロンの【レベル】は、転生初日からピクリとも動かず、依然として「レベル1」のままだったのだ。


(駄女神メリスは『レベル1の段階でこれだけのステータスはチートよ』と言っていたが……ということは、レベルが上がればさらに知力や魔力の最大値が跳ね上がるということか?

だが、いくら安全な地底で知恵を絞って機械を作っても、経験値(EXP)という概念は蓄積されないらしい。ゲームの法則に則るならば、外の世界に出て、荒野を徘徊する『魔物』と交戦・討伐することによってしか、魂のレベルアップは果たせないのではないか?)


今後、さらに高度な化学合成や超伝導、大規模送電網などの技術を展開していくにあたり、自身の魔力容量や元素魔法のスペック拡張は喉から手が出るほど欲しかった。そのためにも、一度実戦を経験し、この世界の「戦闘と経験値システム」を検証しておく必要があったのだ。


カロンは呼吸を整え、ボルト先生の目をまっすぐに見つめた。


「ボルト先生。親方衆や長老会の懸念はもっともです。ですが……だからこそ、私が直接ルーセンへ赴き、ゲオル会頭と会談すべきだと思います」


「な……ッ?! お、お前が自ら人間の町へ行くと申すのか、カロン?!」

ボルト先生が目を丸くして立ち上がった。


「はい。理由は三つあります」

カロンは五十代の教授時代、学会や企業との共同研究の折衝で培った理路整然としたプレゼンテーションを開始した。


「第一に、水力タービンと同期発電機の技術的障壁(ブラックボックス性)です。

先生、水力タービンのランナー(羽根車)の三次元曲面や、発電機内部の高密度エナメルコイル、珪素鋼板の積層構造は、私が【元素魔法】と近代工学理論を組み合わせて初めて成立した極めて高度な精密機器です。

単に外見をスケッチして鉄を叩いた程度では、人間側の鍛冶師が数か月やそこらで模倣・複製することは物理的に不可能です。真似をしようとしても、渦電流による異常発熱でコイルが焼き切れるか、キャビテーション(壊食)でタービン翼がへし折れるのがオチです」


「む……そ、そうなのか……?」

ボルト先生がたじろぐ。


「第二に、外交的・経済的な主導権(イニシアチブ)の確保です。

もし人間たちが『ドワーフは頑なに技術を独占し、対話を拒否している』と受け取れば、将来的に力づくで技術者を拉致したり、食料の輸出制限という経済制裁を仕掛けてくるリスクがあります。

こちらから高位の技術責任者――すなわち私が直接出向き、安全な規格と利用規約(ライセンス)をこちら主導で提示し、人間側の電力インフラをガロニアの規格に依存させる形を作れば、むしろ人間側を経済的に手玉に取ることができます」


「……ぐ、ぐうの音も出んほどの国家戦略的思考……! 本当にお前は九歳なのか……?」

ボルト先生は額の汗を拭った。


「そして第三に……何より、人間という種族が今、何を考え、何を求め、どのような倫理観で社会を動かしているのかを、私自身の目で直接見て判断したいのです」


(元・人間としての私の目で、この世界の人間たちが技術を託すに値する存在かどうかを見極める――)

その後半の言葉は胸の内に留めたが、カロンの瞳に宿る真摯な熱量は、老教師の心を強く揺さぶるのに十分だった。


「……相分かった」

ボルト先生は深々と息を吐き出し、重厚に頷いた。


「カロン、お前の言う通りじゃ。部屋に閉じこもって怯えているだけでは、真の繁栄は掴めん。ワシから長老会とバログ大親方に掛け合い、お前のルーセン市への公式視察を承認させよう。……ただし!」


ボルト先生は人差し指をピシッと立て、厳格な表情を作った。


「お前は今や、ガロニアの全産業の心臓部じゃ。万が一にも人間の悪党に攫われたり、街道の魔物に喰い殺されたりしては、街の未来が灰燼に帰す! 万全を期すため、工房区と警備隊から最強の護衛を何名か同行させる。これを受け入れることが絶対条件じゃぞ!」


「ありがとうございます、ボルト先生! 護衛の件、喜んでお受けします!」


カロンは満面の笑みを浮かべ、深々と一礼した。


三日後。

ガロニアの最上層に位置する「第一大昇降機(リフト)広場」には、見送りのために大勢のドワーフ市民と親方衆が集まっていた。


「カロン! これ、道中で食べるフライドポテトと特製干し肉のサンドイッチよ! お腹を壊さないようにね!」

「人間の女に誑かされたら承知しないわよ、カロン様!」

「カロン親方、地上の人間どもにドワーフの技術の恐ろしさを骨の髄まで思い知らせてやってくだせえ!」


母フラウをはじめとする女性陣からの大量の食糧の差し入れと、工房の職人たちからの熱い声援を受け、カロンは苦笑いしながら手を振り返した。


そして、カロンの前に、今回の護衛任務を引き受けてくれた「三人の屈強なドワーフ」が整列した。


「カロン、お前の護衛隊長は……この俺が務める!」

大槌を背負い、ピカピカに磨き上げられた焼き入れ鋼の胸当てを装着した父ガイルが、大髭を揺らして胸をドンと叩いた。息子の初の大仕事を親として見守るため、工房の仕事を一時休職して志願してくれたのだ。


「そして、警備隊からはワシら二人が同行するぞ、カロン親方!」

名乗りを上げたのは、ガロニア都市警備隊の隊長を務める歴戦の戦士・ドランドと、俊敏な動きで鉱山警備をこなす若手戦士・バルクだった。二人とも、カロンが開発した超硬合金(ハイス鋼)製の鋭利な戦斧と頑丈な盾を構え、全身から歴戦の気迫を放っている。


「父さん、ドランド隊長、バルクさん。よろしくお願いします!」

「おう! 俺たちの命に代えても、お前の髪の毛一本傷つけさせやしねえよ!」


ガイルが頼もしく笑った。


「――昇降機、上昇開始!!」


係員の号令とともに、水力モーターで巻き上げられる太い鋼鉄ワイヤーが軋んだ音を立て、巨大な木鉄製のリフトがゆっくりと上昇を始めた。


ガタガタと揺れながら、数百メートルにおよぶ垂直な岩盤のシャフトを登っていく。

下界で見送るフラウやバログ大親方、ボルト先生たちの姿が、アーク灯の光の中に小さく小さく遠ざかっていく。


やがて――

リフトの頭上を塞いでいた巨大な防衛鉄門が、重々しい金属音を立てて左右へと開かれた。


――サァァァァッ……!


吹き込んできたのは、地底のそれとは根本的に異なる、どこまでも瑞々しく、草木の香りと土の温もりを含んだ「外の風」だった。


そして、カロンの視界を、強烈な光が埋め尽くした。


「……あ……」


カロンは思わず手すりに駆け寄り、息を呑んだ。


見渡す限りの、どこまでも果てしなく広がるエメラルドグリーンの大草原。

遥か地平線の彼方にそびえ立つ、雪を戴いた雄大な山脈。

そして――何百メートルもの岩の天井ではなく、どこまでも高く、深く、吸い込まれそうなほどに澄み渡った「本物の青空」と、黄金色に輝く太陽の光。


「これが……この世界の、外の世界……!」


元・大学教授の中山実として命を落とし、地底の暗闇の中で目覚めてから数か月。

少年の姿をした元老教授の胸に、かつてないほどの熱い感動と、未知の世界への探究心が激しく込み上げていた。


「さあ行くぞ、カロン! 目指すは人間の交易都市・ルーセンじゃ!」


父ガイルの豪快な号令とともに、四人のドワーフたちは、太陽の光が降り注ぐ地上の大地へと力強く一歩を踏み出したのだった。

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