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第9章:魔法と電気

第9章:魔法と電気


工房区の一角に、息の詰まるような沈黙が支配していた。

十数人の屈強な親方衆が、作業台を囲んでカロンを凝視している。バログ大親方の片目は鋭く細められ、父ガイルは心配そうに眉尻を下げていた。


カロン(中山実)は、作業台の上に置かれた親方槌を握りしめ、頭の中で瞬時に状況を分析した。


(ここで『実は魔法で作りました』と安直に言えば、魔法を持たないドワーフ社会に無用な混乱を招くかもしれない。しかし、『機械で作った』という嘘は、工作機械の専門家である彼らには一瞬で見抜かれる。……ならば、取るべき道は一つしかない)


カロンはスッと背筋を伸ばし、五十代の大学教授としての威厳を全身に纏って、澄んだ瞳でバログ大親方を真っ直ぐに見据えた。


「――バログ大親方、そして親方衆のみなさん。隠すつもりはありませんでした。……昨夜、私の夢枕に、大地の祖神トール様の使者が再び現れたのです」


「な……ッ?! トール様の使者が……?!」

親方たちがざわりと身を震わせた。


「はい。使者様は私にこう告げられました。『ガロニアのドワーフたちは、水車によって大地の力を借りる第一歩を踏み出した。ならば次は、天の雷(いかずち)の力を金属に宿し、見えない力を回す知恵を授けよう』と。

そして使者様は、私に物質を原子の理(ことわり)に従って変形させる『神聖なる加工の秘術』……すなわち、この絶縁銅線を生成する力を授けてくださったのです」


「祖神の……秘術……!」

バログ大親方が息を呑んだ。


カロンはさらに畳み掛けるように、左手を前に差し出した。

頭の中に、光魔法と風魔法の紋章を浮かべる。


「――【ピュリファイ】」

フワリと、カロンの手のひらから聖なる純白の光が溢れ出し、煤で汚れていた作業台の鉄板が一瞬にして鏡のように清浄化された。


「――【ウインドカッター】」

シュッ! と鋭い風の刃が走り、足元に落ちていた親指大の木片が寸分の狂いもなく真っ二つに切断された。


「ひ……っ?!」

「な、なんじゃとおおおおおっ?!!」


親方たちが腰を抜かさんばかりに飛び退いた。

ドワーフの常識において、「光魔法」は神聖なる神官や聖職者、「風魔法」や「水魔法」は森深くに住まうエルフ族の専売特許であり、土と岩の民であるドワーフが扱えるなど、数千年の歴史上ただの一度も記録されていない神話の領域だったからだ。


「ド、ドワーフが……光と風の魔法を操るじゃと……?!」

「ありえん……! エルフの長老ですら、これほど淀みない無詠唱の魔力行使はできんぞ……!」


バログ大親方は、震える膝をついて床に両手をついた。

そして、深々と額を床に擦り付けた。


「おお……おおおっ! やはりカロン親方は……祖神トール様の御意志を地上に具現化するために遣わされた、我がドワーフ族の『大導師(マハト)』であられたか……!!」


「大導師様……!」「神の御使いよ……!!」

バログに倣い、ガイルを含む全親方衆が一斉に膝を折り、カロンに向かって平伏した。


「あ、あの……みなさん、頭を上げてください! 私はあくまでガロニアの一職人、カロン親方です! 崇める暇があったら、この神の知恵を形にする作業を手伝ってください!」


カロンが苦笑いしながら叫ぶと、親方たちは「ハハッ!」と畏まりながら、しかしその瞳に信仰にも似た凄まじい熱狂を宿して立ち上がった。


「よし、親方衆! トール様が授けてくださったこの『天雷の回転機(モーター)』の最終テストを行います!」


カロンは作業台の上に、先ほど組み立てた「試作直流モーター一号機」を据え付けた。

手のひらに収まるほどの、真鍮と珪素鋼板で組まれた小さな機械。回転軸の先端には、テスト用の小さな木製プロペラが取り付けられている。


「カロン親方、その機械は一体どうやって動かすんじゃ? 水車のベルトも繋がっておらんが……」

バログが固唾を呑んで見つめる。


「この機械は、水車のような直接の力ではなく……『雷の力(電気)』を流すことで回ります。お見せしましょう」


カロンは深呼吸をし、右手の二本の指をモーターから伸びる二本の給電端子(リード線)へと添えた。

頭の中に<雷魔法>の紋章を展開する。


(出力を最大警戒……! 電圧は直流十二ボルト、電流は二アンペア相当に精密変圧制御……!)


「――【サンダーボルト・微弱出力(パルス給電)】」


カロンの指先から、バチッ! と淡い青紫色の火花が散り、電流がモーター内部のブラシと整流子を通じて三極コイルへと流れ込んだ。


その瞬間――


――キュイィィィィィィィィィィンッ!!!!


鼓膜を劈くような超高周波の回転音が、工房区の空間に鳴り響いた。

モーター内部の回転子が目にも留まらぬ速度で加速し、先端に取り付けられた木製プロペラが完全に不可視の残像へと消え去った。

作業台から猛烈な突風が巻き起こり、親方たちの大髭を激しく吹き上げる!


「な……ッ?!」

「ひゃああっ?! 風が……猛烈な風が吹き荒れておる!!」


「毎分およそ八千回転……! 整流子の火花も最小限、磁気回路の飽和も問題なし!」

カロンは回転計代わりに目視でストロボ効果を確認しながら、確かな手応えに叫んだ。


親方たちは完全に言葉を失い、口をあんぐりと開けて作業台を取り囲んでいた。

水車のような巨大な設備も、何十人ものドワーフの筋力も、石炭の炎も一切ない。

ただ、少年の指先から放たれた微かな火花だけで、手のひらサイズの鉄の塊が、水車の百倍以上の超高速で回転し続けているのだ。


「……信じられん」

父ガイルが、震える声で呟いた。

「こんな小さな鉄の塊が……どうして勝手に回るんだ……? 中に小さな火の精霊でも閉じ込めてあるのか……?」


「いいえ、父さん。これは精霊の力ではありません」

カロンは魔力の供給を止め、モーターの回転をゆっくりと停止させた。プロペラが惰性で回転し、カチリと止まる。


「これは『電気と磁気』の物理法則です。電流が流れると磁場が生まれ、磁石同士が引き合い、反発し合う力を利用して回転を生み出しているのです。

そして――ここからが最も重要なポイントです」


カロンは親方衆をぐるりと見渡した。


「このモーターは、私の雷魔法がなければ動かない『魔法の道具』ではありません。

仕組みを逆にすれば……水車の力でこの機械の軸を外から無理やり回してやることで、逆にここから『電気』を取り出すことができるのです!」


「――な、なんじゃと……?!」

バログ大親方が身を乗り出した。


「はい。つまり、地底川に『発電機』を設置し、そこから銅線を街中に張り巡らせれば……私の魔法を一切使わずとも、遠く離れた鉱山の奥深くや、狭い家庭の作業場、天井シャフトの届かない地下深くの作業場でも、電線一本繋ぐだけでこの猛烈な回転力をいつでも、誰でも使えるようになるのです!」


「「「うおおおおおおおおっ!!!!」」」


親方たちから、もはや歓声を超えた咆哮が上がった。

工場のレイアウトを縛っていた「シャフトと革ベルト」の物理的限界が、電気という見えないエネルギーによって完全に破壊されたことを、職人としての本能が直感したのだ。


「直ちに『ガロニア第一号水力発電所』の建設にかかるぞ!」

バログ大親方の号令のもと、プロジェクトは第2フェーズへと突入した。


しかし、カロンは前回の「外輪水車」の設計図をそのまま使うつもりは毛頭なかった。

「バログ大親方、発電機を回すためには、前回の外輪水車のような『低速・高トルク』の水車では効率が足りません。発電機には『高速回転』が必要です。ですから今回は、最新鋭の『高効率・反動水力タービン(フランシス水車・ペルトン水車複合型)』を鋳造します!」


カロンは徹夜で新たな三面図を引き上げた。


【地底川水力発電プラント&小型水力タービン構造】


[ 地底川・取水ダム(圧力水圧鉄管:ペンストック)]

│ (落差15メートルの高圧水流)

▼

[ スパイラルケーシング(渦巻き状鋳鉄ケーシング)]

│

├─► [ ガイドベーン(可変案内羽根:流量制御)]

│ │

│ ▼

│ [ ランナー(精密三次元翼・ステンレス調高張力鋼)] ──► 【毎分1200回転】

│ │

│ ▼

└─► [ 吸出管(ドラフトチューブ:放水路へ)]

│

▼

[ 増速ギヤボックス(1:3増速)] ──► 【毎分3600回転】

│

▼

[ 三相交流同期発電機(ブラシレス励磁式)]

│

├─► [ 銅製送電線(碍子絶縁支持)] ──► 各工房・鉱山へ

└─► [ 集中変電・整流盤 ] ────────► 直流モーター群へ

落差十五メートルの天然の岩壁を利用し、鉄パイプ(ペンストック)で水を一気に絞り込んでノズルから噴射。三次元曲面を持つ高強度ランナー(羽根車)に衝突させることで、水流のエネルギーを余すことなく高速回転へと変換する近代タービン構造である。


「この羽根のカーブ……信じられんほど滑らかじゃ……」

鋳造親方が、カロンが木型から削り出したランナーのプロポーションを見て息を呑む。


発電機本体の製作も急速に進んだ。

カロンが【加工】魔法で量産した絶縁エナメル銅線を用い、工房区の若手職人たちが手分けして何百回、何千回とコイルを鉄心に巻き込んでいく。

軸受けには、旋盤で削り出された炭素鋼シャフトと、真鍮削り出しの精密ボールベアリングが組み込まれた。


数日後。

地底川の落差部において、轟音とともに水門が開かれた。


――ズババババババッッ!!


高圧ノズルから放たれた水流がスパイラルケーシングへと吸い込まれ、密閉されたタービンランナーを凄まじい速度で旋回させる。


――キィィィィィィィィン……!


増速ギヤを経て、直結された大型発電機のシャフトが毎分三千六百回転に到達した。

発電機の出力端子に接続された二本の太い送電線。その先には――工房区の中央広場に特設された、五基の大型モーターと、炭素棒を用いた十基の「アーク灯(放電照明)」が繋がれていた。


ガロニアの中央広場には、何百人ものドワーフ市民が集まり、固唾を呑んで特設ステージを見上げていた。

薄暗い松明の明かりの中、ステージの中央に立つカロンが、真鍮製の大型ナイフスイッチのレバーに手をかけた。


「ガロニアの皆さん! 大地の水流が、今、天の雷へと生まれ変わりました! ――送電開始!」


ガチャンッ!!


カロンがレバーを一気に押し込んだ。


次の瞬間――


――バチチチチッ……ピカァァァァァァァァッッ!!!!


広場を埋め尽くすドワーフたちの視界が、純白の閃光によって完全に真っ白に染まった。

十基のアーク灯から放たれた強烈無比な電弧光が、数千年間、薄暗いランプの火しか知らなかった地底都市の天井を、まるで地上の白昼のように照らし出したのだ。


「う……うわああああああっ?!」

「眩しい! 昼じゃ……! 洞窟の中に太陽が昇ったぞおおおっ!!」


市民たちが目を手で覆いながら、驚愕と感動の絶叫を上げる。

さらに、広場に据え付けられた五基の大型モーターが一斉に唸りを上げ、接続された巨大な送風機が轟音とともに回転を開始。鉱山から工房区へと、清涼な新鮮な空気が凄まじい勢いで送り込まれ始めた!


「回っておる……! 川から何キロも離れたこの広場で、太い針金を繋いだだけで巨大な風車が勝手に回っておるぞ……!」

長老会の老人たちが杖を取り落とし、涙を流しながら光の柱を見上げた。


「カロン親方万歳!!」「トール様の奇跡じゃ!!」「ガロニアに太陽が来たぞ――!!」


鳴り止まない拍手と歓声、打ち鳴らされる金槌の音。

地底都市ガロニアは今、数千年の闇を切り裂き、歴史上いかなる国家も到達したことのない「電気文明」の領域へと完全なる飛翔を果たしたのだった。


その夜、ガロニア中が未曾有の祝祭の熱気に包まれた。

街中の主要通路にはアーク灯と小型の白熱電球が灯され、酒場からは陽気なドワーフ民謡とエール樽の乾杯の音が絶え間なく響き渡っていた。


そして、中央住宅区のカロンの自宅。

今夜の食卓は、いつもとは決定的に違っていた。


「さあさあ! 今夜はガロニアの歴史が変わった日よ! お祝いのご馳走よ!」


母フラウが誇らしげにテーブルに運んできたのは――

アーク灯の明るい光に照らされた、見たこともない豪華な皿だった。


大皿の中央には、前回のフライドポテトをさらに進化させ、電気オーブン(カロンが電熱線で作った試作品)で表面をカリッと香ばしく焼き上げた「ポテトと地底キノコのチーズグラタン風」。

そして、交易商人から特別に買い付けたという、新鮮な「地上の豚肉(ポークチョップ)」が、ハーブと塩で豪快にソテーされて湯気を立てていた。


「母さん……! 肉だ……! それにチーズまで……!」

カロン(中山実)は感涙で目を潤ませた。

芋尽くしの包囲網が、ついに肉と乳製品によって完全に突破されたのだ。


「カロン親方が電気を通したおかげでね、外の商人たちが『こんな明るく進んだ街は見たことがない!』って、最高級の食材を山ほど格安で売ってくれたのよ!」

フラウが嬉しそうにカロンの頭を抱きしめた。


「ガハハハ! 食え、カロン! お前の知恵が、俺たちの暮らしを、そしてこの飯を最高に美味くしてくれたんじゃ!」

ガイルが冷たいエールを喉に流し込み、豪快に肉にかぶりつく。


カロンはフォークで熱々の肉を切り、口に運んだ。

――ジュワリと広がる、本物の肉汁の旨味と脂の甘み。

続いてチーズの乗ったポテトを口に含むと、濃厚なコクと香ばしさが全身の細胞に染み渡っていく。


(……美味い。本当に……生きていてよかった……!)


中山実として理不尽に命を奪われ、神のミスで放り込まれた異世界。

しかし、自らの手で理論を紡ぎ、技術を興し、仲間たちとともに世界を切り拓いた先にあるこの一口の味は、前世のどんな高級料理よりも遥かに尊く、輝いていた。


電球の温かな光に照らされた食卓で、カロンは家族とともに笑い合いながら、さらなる未来――地上の大国との本格的な通商、そして世界を繋ぐ鉄道網の建設へと、静かに思いを馳せていたのだった。

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