第6章:引き戻されなかった者
第6章:引き戻されなかった者
その男は、足音ひとつ残さず、都市の中心部から歩み出てきた。
カエルは、姿を見るより先にその男の存在を感じ取った。
それは心臓の鼓動でも、呼吸でもなかった。
ただ、男と共に歩む「静寂」だった。
その静寂は、道に存在するあらゆる音を呑み込んでいた。
男はカエルから数歩離れたところで立ち止まった。
灰色の外套は左肩が裂け、裾には焼け焦げた跡が走っている。
いまだに灰が舞い落ちている。
だが、地面に触れるより先に、それは赤い光となって消えていった。
カエルは目の前の男の顔を見つめた。
琥珀色の瞳。
左手首にある、弧を描くような傷跡。
耳を澄ますためにわずかに首を傾ける仕草さえ、自分とまったく同じだった。
ただ一つ違っていたのは、その疲労の色だった。
それは戦いを終えたばかりの者が見せる疲れではない。
あまりにも長い間、答えのない問いを抱えて生きてきた者の、果てしない疲弊だった。
「あなたは誰だ?」
カエルが尋ねた。
男はカエルの腕の中にいる子供を見た。
「その質問は、本来なら君がされるべきものだ」
「じゃあ、俺は誰なんだ?」
「連れ戻された者だ」
その声を聞いた瞬間、カエルの手首の傷跡が焼けるように熱くなった。
背後では、ミラが身体を起こそうとしていた。
脇腹から流れた血が服に染み込み、ガラスの床へ黒い雫となって落ちている。
「カエル」
彼女は言った。
「その男の話を聞かないで」
男はミラへ振り向いた。
「まだ生きていたのか」
「残念?」
「いや。ただ、君がまだ彼の前に立つだけの勇気を残しているとは思わなかった」
ミラはナイフを強く握りしめた。
カエルは二人を見比べた。
ミラの心臓が速く、重く鼓動しているのが聞こえる。
だが、あの男には心臓の鼓動がなかった。
死んでいるからではない。
胸の中で鼓動しているものが、一つの身体に属していないのだ。
何百もの鼓動が重なり合い、弱々しく、そして不規則に鳴っている。
まるで何百人もの子供たちが、同時に内側から一つの扉を叩いているかのようだった。
「俺を連れ出したのは、何のためだ?」
カエルが尋ねる。
「私が君を連れ出したんじゃない」
男は微笑んだ。
だが、その笑みは目には届いていなかった。
「君自身が扉を開けたんだ」
「扉は、一人しか通れないと言っていた」
「その通りだ」
「じゃあ、その一人は誰だ?」
男はカエルの手首の傷跡を見た。
「十年前に死んだ者だ」
廊下全体が静まり返った。
腕の中の子供が突然、カエルの襟を掴んだ。
「それ以上、あの人に話させないで」
「なぜ?」
「だって、思い出したら……あなたは、もうあなたじゃなくなるから」
男は静かに身を屈め、子供を見つめた。
「まだ彼を守るのか?」
子供は答えなかった。
「君は、彼が俺たちに何をしたのか知っているだろう」
「彼は覚えていない」
「覚えていないことは、やっていないことにはならない」
カエルの目の前で、一つの光景が閃いた。
真っ白な部屋。
ガラス越しに置かれた、小さな手。
その向こうには、今よりずっと幼いミラが立っていた。
目は赤く腫れている。
彼女の手には、黒い鍵が握られていた。
何かを話している。
だが、声は歪められて聞き取れない。
彼女の背後では、一つの扉が閉じようとしていた。
その扉の向こうには、何十人もの子供たちの顔があった。
別の手がカエルの手を掴んだ。
「見ないで!」
ミラの叫び声。
そして、光景は消えた。
カエルはよろめいた。
子供が彼の首にしがみつく。
ミラが近づこうとしたが、カエルは手を上げて彼女を制した。
「あなたは、あそこにいたんだな」
ミラは立ち止まった。
「そう」
「俺を知っている」
「そう」
「俺が何をしたのかも知っている」
ミラはすぐには答えなかった。
都市の最深部から、一度だけ音が響いた。
コン。
すべてのガラスの檻の中にいる子供たちが、一斉に男の方へ振り向いた。
男は目を閉じた。
「彼らは私に、ここにいてほしくないらしい」
「それなのに、どうして出てきた?」
カエルが尋ねた。
「君が、誰か一人を消すことを選んだからだ」
カエルは背後の赤い扉を見た。
「誰も消えていない」
「本当にそう思うか?」
男が手を上げた。
首に走る赤い光の線が、一斉に分離する。
それらは赤い扉へ向かって伸びていった。
透明な光の向こうに、カエルは一人の人影を見た。
部屋の中で、誰かが膝をついている。
追跡者だった。
まだ生きている。
だが鎧はほとんど壊れ、一条の赤い槍が肩を貫き、彼を床へ縫い止めていた。
周囲には顔のない兵士たちがいる。
彼らは一歩ずつ近づいていた。
「彼はまだ通っていない」
ミラが言った。
「違う」
男が答える。
「彼は選ばれたんだ」
カエルが勢いよく振り返る。
「誰に?」
「第一の次元にいる者たちに」
「奴らは、俺の代わりに彼を選んだのか?」
「違う。彼らが欲しいのは、帰還への道を開ける者だ」
赤い扉の向こうで、追跡者が顔を上げた。
まるで、異なる次元の隔たりを越えてカエルの声を聞いたかのようだった。
「扉を開けるな!」
彼が叫んだ。
一人の兵士が槍を突き下ろす。
カエルには、金属が鎧を貫く音が聞こえた。
ミラが駆け寄り、カエルの手を掴んだ。
「もう見ないで」
「彼があそこにいる」
「あなたが扉を開ければ、子供たちまで第一の次元へ引き込まれる」
「それでも、彼は死ぬ」
「彼は、そこに残った時からそれを知っていた」
カエルはミラの手を見た。
血が指を伝って流れている。
それでも彼女は手を離さない。
「あなたはいつも、他人の死を計算式みたいに話す」
「計算しなければ、私はとっくに死んでいた」
「じゃあ、子供たちは?」
ミラはカエルの肩越しに、何百ものガラスの檻を見つめた。
「彼らは、私たちが望む方法で救われる必要はない」
腕の中の子供が顔を上げた。
「僕たちに必要なのは、もう一度置き去りにされないことだけ」
その言葉はあまりにも小さく、ほとんど空気に溶けてしまいそうだった。
それでもカエルには聞こえた。
彼は子供を床へ下ろした。
「君の名前は?」
子供は長い間、カエルを見つめた。
「あなたは昔、僕を『ゼロ』と呼んでいた」
「今まで聞かなかった」
「今さら聞いて、どうするの?」
「今度は、誰か別の人間の名前で君を呼ばないためだ」
子供は俯いた。
赤い涙が裸足へ落ちる。
「リオ」
カエルはその名前を繰り返した。
「リオ」
周囲のガラスの檻が一斉に震えた。
何人かの子供たちは壁へ手を押し当てる。
別の子供たちは暗闇の中へ後退した。
まるで、一つの名前を与えられるだけで、それほどの痛みを感じるかのように。
男はカエルを見つめた。
その顔から、初めて平静が消えた。
「彼らに名前をつけてはいけない」
「どうして?」
「名前は、彼らをそれぞれ独立した個体にしてしまう」
「彼らは最初から、それぞれ別の人間だ」
「違う。彼らは『可能性』だ」
カエルは一歩前へ出た。
「誰の可能性だ?」
男は答えなかった。
カエルには、都市の奥底から答えが聞こえた。
機械のものではない。
第三の次元のものでもない。
自分自身のものだった。
ガラスの檻の中にいる子供たちは、それぞれカエルがかつて選べたかもしれない人生だった。
一度、嘘をついた自分。
一度、逃げた自分。
一度、誰かを救うために手を伸ばした自分。
一度、振り返らなかった自分。
そして、目の前にいる男は、その最初の選択だった。
戻らなかったカエル。
「あなたは、俺だ」
カエルが言った。
「違う」
「俺から捨てられた部分だ」
「それも違う」
男はカエルを見つめた。
その瞳には、あまりにも古い悲しみが宿っていた。
「私は、君の代わりに生きてきた者だ」
背後の赤い扉が閉じ始めた。
向こう側では、追跡者が片膝をついている。
兵士たちは扉へ振り向いた。
消えようとしている道に気づいたのだ。
カエルには、彼の最後の呼吸が聞こえた。
そして、掠れた笑い声。
「ようやく、俺が選ぶ番か」
追跡者は肩から槍を引き抜いた。
残された力をすべて振り絞り、兵士たちの背後にある機械へ向かって投げつける。
赤い光が爆発した。
扉が大きく揺れる。
男が振り返った。
「今すぐ決めろ」
「何を?」
「扉を開いたままにして、一人を救うか。それとも扉を閉じて、子供たちをここで安全に残すか」
カエルはミラを見る。
彼女は何も言わない。
初めて、彼女は嘘の言葉で道を示すことなく、カエル自身に選ばせた。
カエルはリオを見た。
子供はもう泣いていなかった。
「俺は、どちらも選ばない」
カエルが言った。
男はわずかに眉をひそめる。
「全員を救うことなどできない」
「なら、俺が救うんじゃない」
カエルはガラスの檻へ振り返った。
「彼ら自身に、何を望むのか聞く」
彼は都市の床へ手を置いた。
その瞬間、音が頭の中へ一気に流れ込んできた。
何百もの声。
何百もの記憶。
何百もの恐怖。
一度も成長することを許されなかった身体の中に、押し込められていたもの。
最初に聞こえたのは、リオの声だった。
「僕たちを第一の次元へ連れていかないで」
別の声が響く。
「扉を閉じないで」
三つ目の声。
「あの人を一人で残さないで」
そして、すべての声が一つになった。
もう混乱してはいない。
一つの鼓動となって響いていた。
彼らは第一の次元へ戻りたくない。
だが、この都市に閉じ込められ続けることも望んでいない。
彼らが望んでいるのは、ただ「見られる」こと。
名前を呼ばれること。
そして、自分が何になるのかを、自分自身で決める権利だった。
カエルは目を閉じた。
都市のさらに深く。
都市の心臓よりも深い場所から、別の扉の音が聞こえた。
それは第一の次元へも、第三の次元へも通じていない。
一度も名前を与えられたことのない場所へ続く扉だった。
カエルは目を開いた。
「別の道がある」
男が一歩後退した。
「駄目だ」
「どこにあるのか、あなたは知っている」
「開けてはいけない」
「なぜ?」
「そこは、俺たちが始まった場所だからだ」
ミラが男を見た。
「それとも、あなたが逃げた場所?」
男が彼女を振り返る。
首に走る赤い光が激しく燃え上がった。
「お前に何が分かる!」
「なら、彼に知らせればいい」
赤い扉は、あとわずかな隙間を残すだけになっていた。
追跡者の声は、もう聞こえない。
時間がなかった。
カエルはリオの手を握った。
今度は、その小さな手は冷たくなかった。
震えている。
それでも、生きている。
「俺と来い」
リオは、まだ名前のない扉を見つめた。
「向こうに何があるか、知ってるの?」
「知らない」
「じゃあ、また僕たちを置いていったら?」
カエルはその手を強く握った。
「約束はしない」
リオが顔を上げる。
「どうして?」
「俺の約束を待って、あまりにも多くの人が長い間待ち続けたからだ」
カエルはミラへ振り返った。
「歩けるか?」
ミラは脇腹の傷を見て、それから血に濡れた自分の手を見た。
「速くは無理」
「速くなくていい」
「何をするつもり?」
カエルは灰色の外套を着た男を見た。
「誰にも代わりに選ばれない場所へ、俺たち全員を連れていく」
男は笑った。
乾いた笑い声が廊下に響き渡る。
「お前は相変わらず、そんなに世間知らずなんだな」
「そうかもしれない」
カエルは左手をガラスの床の下にある、見えない扉へ置いた。
「でも少なくとも、それは俺自身が選んだ無知だ」
手首の傷跡が輝いた。
赤でもない。
白でもない。
カエルがこれまで一度も耳にしたことのない色だった。
ガラスの檻が、一つずつひび割れていく。
しかし、子供たちは誰一人として外へ出なかった。
ただ一人ずつ、カエルを見つめた。
そして、それぞれの檻のひび割れた壁へ、自分の手を置いた。
都市全体が、開き始めた。
その上空では、ヴェイラが激しく揺れ始めた。
建物が逆さまに生え、空から傾いていく。
広場に、住宅の中に、燃え盛る道路の真ん中に、空間の扉が一斉に現れた。
すべての通信スピーカーから、一つの声が響く。
「警告。個体カエルは認識限界を超過しました」
セランの声だった。
「警告。この個体を、名前のない次元へ接触させてはなりません」
カエルは顔を上げた。
「セラン」
どこか上の方から、返事のように音が響いた。
コン。
コン。
コン。
三度の、聞き慣れたノック。
だが今回は、扉の向こう側からではなかった。
カエル自身の胸の内側から響いていた。
男はカエルを見つめた。
その顔に、初めて明確な恐怖が浮かんだ。
「思い出したんだな」
カエルは男を見る。
「まだだ」
彼はリオを立ち上がらせ、それからミラに手を差し伸べた。
「でも、もうすぐ思い出す」
ガラスの床の下にある、見えない扉が開いた。
光は上へ溢れ出さなかった。
そこにあったのは、都市の遥か下に広がる黒い空だった。
その中で、無数の星々が逆方向へ動いている。
その黒い空の中から、巨大な光る手がゆっくりと伸びてきた。
その掌には、一つの赤い目があった。
目が開く。
そして、最初の夢の中でカエルを呼んでいた声が響いた。
「彼らに、お前を連れ戻させるな」
その瞬間、カエルはその声の正体に気づいた。
それは――
自分自身の声だった。




