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移送車の少女

五話 移送車の少女


 まだ終わっていなかった。


 唸り声はひとつじゃない。

 低く、湿っていて、獣の喉の奥で何か別のものが擦れてるみたいな嫌な音だった。


 道の先、木立の影が揺れる。


 護衛の男が剣を抜いた。

 もう一人は沈んだ車輪の横から立ち上がりきれず、舌打ちだけを漏らす。


「またかよ……!」


 また、という言い方だった。


 つまり、さっきので終わっていない。

 この移送車は、ここに来るまでにも何かに追われていたんだろう。


 俺は息を殺したまま前を見る。


 白布。

 封印箱。

 杖を持った病人みたいな少女。

 それに、獣。


 関わらない方がいい。

 頭のどこかでは、そう結論が出ていた。


 でも、もう遅かった。


 左手の茂みが割れて、黒い影が飛び出す。


 狼に似ている。

 でも似ているだけだ。

 脚が長すぎる。首が細い。目だけが妙に白く浮いて見える。


 護衛の男が反応する。

 剣を振る。浅い。

 影は刃を避けるんじゃなく、滑るみたいにずれた。


「っ、普通の獣じゃ――」


 言い終わる前に、もう一匹が別の角度から来た。


 まずい。


 俺は反射で茂みから半歩出る。

 隣で少女が息を呑む。


「おい!」


 護衛がこっちに気づいて怒鳴る。

 その声は「来るな」に近かった。

 でも、その直後には目の前の黒い影に意識を戻さざるを得なくなる。


 車輪の横で膝をついていた男が、立ち上がろうとして転ぶ。

 もう駄目だ。このままだと荷台側に抜ける。


 白布の方へ行く。


 その瞬間、荷台の奥から小さな声がした。


「……下がって」


 弱い声。

 でも妙に静かだった。


 杖の先が、ほんの少しだけ持ち上がる。


 深い青の目が、獣の動きをまっすぐ捉えた。


「小さく」


 それだけだった。


 次の瞬間、飛びかかった黒い影の輪郭が、ぐにゃりと歪む。


 爆ぜるとか、砕けるとか、そういう派手な変化じゃない。

 もっと嫌な感じだった。

 大きかったはずの骨格が、一瞬で内側へ押し込まれて、縮んだ。


 着地したそれは、さっきまでの半分以下の大きさしかなかった。

 牙も脚も、そのまま不格好に小さくなっている。


「……は?」


 声が漏れた。


 護衛の男も目を見開いている。


 でも、驚いてる暇はなかった。

 縮んだ獣は転げるみたいに地面へ落ち、そのまま別の護衛が蹴り飛ばして道脇へ弾き飛ばす。


 もう一匹が止まった。

 獣ですら、一瞬だけ何が起きたかわからなかったみたいに。


 その隙は十分だった。


 俺は足元の石を拾い、知能四の感覚のまま投げる。

 狙いは頭じゃない。目線の先、鼻先の少し前。


 石が地面を弾き、獣の足元で土を跳ね上げる。


 白い目が一瞬だけそっちを追う。


 護衛の男の剣が、今度は浅くない角度で入った。


 黒い影は低く鳴いて、木立の奥へ逃げる。

 追わない。

 全員、その余裕がなかった。


 静かになった。


 いや、静かじゃない。

 荒い息。軋む車輪。夜風。

 でも、さっきまでの“死にそうな動き”だけが止まった。


 そこで、荷台の奥の少女が大きく咳き込んだ。


「っ、げほ……っ、ごほ」


 杖を持つ手が震えている。

 顔色が、さっきよりさらに悪い。


 あの一言でやったのか。

 あれだけのことを。


 護衛の男が車体に手をついて、忌々しそうに息を吐く。


「だから喋るなって言っただろ……」


「言わなくても、来た」


 少女は咳の合間にそう返した。

 声は弱いのに、内容だけは妙に冷静だった。


 もう一人の護衛がようやく立ち上がる。

 膝を押さえながら、こっちを見る目が露骨に警戒へ変わる。


「誰だ、お前ら」


 少女がびくっと肩を揺らした。

 俺も身構える。


「通りすがりだ」


 そう答えると、護衛の目が細くなった。


「それで夜道の茂みに隠れてたのか」


 たしかに怪しい。

 言ったあとで自分でもそう思った。


 横で少女――さっきまで名前も知らなかった、村から逃げてきた子――が小さく口を開く。


「わ、わたしたち……村から逃げてきて」


 護衛の男の視線がそっちへ移る。

 ほんの少しだけ空気が和らぐ。


「逃げてきた?」


「うん……」


 その間に、俺は荷台の少女を見る。


 杖。

 白い指。

 淡い水色の髪。夜の中でも少しだけ光を拾ってるみたいに見える。

 でも一番印象に残るのはやっぱり目だった。

 深い青。宝石みたいというより、夜の水面みたいな色。


 護衛の男が舌打ちする。


「面倒が重なるな……」


 それから、こちらを睨む。


「助かったのは事実だ。

 だが、勝手な真似はするな。これ以上獣が寄ったら厄介だ」


「こっちだって好きで寄ってない」


 俺が言うと、男は一瞬だけ嫌そうな顔をした。

 たぶん言い方が良くない。自覚はある。

 でも今はそこまで整えてる余裕がない。


 沈んだ車輪の近くで、もう一人の男が低く言う。


「車輪が完全にいってる。今夜は無理だ」


「村に戻るわけにもいかねえ」


「戻ったら追いつかれる」


 その最後の一言だけ、妙に重かった。


 俺は眉を寄せる。


「何に追われてる」


 二人の護衛は、すぐには答えなかった。

 代わりに荷台の少女が目を伏せる。


「……移送だから」


 移送。


 その言葉が、白布と封印箱とこの硬い車体全部を一気にまとめて嫌な意味にした。


「どこへ」


 俺が聞くと、今度は少女が少しだけこちらを見る。


「王都」


 横で、村の少女が小さく息を呑んだ。

 俺も内心では同じだった。


 王都。

 またその名だ。


 護衛の男が苛立ったように言う。


「質問はあとだ。まずは――」


 言いかけたところで、奥の白布がまた動いた。


 今度は咳じゃない。

 もっと弱い、息みたいな音。


 布の下にも誰かいる。


 俺は反射でそっちを見た。

 護衛の男がすぐ前に出る。


「見るな」


「人か?」


「見るな」


 否定しない。


 夜気が、また少し冷たくなった気がした。


 水色の髪の少女が小さく言う。


「今は、そっちじゃない」


 咳をこらえながら、それでも声は妙に落ち着いていた。


「車輪と、匂い。

 ここ、また来る」


 また来る。

 つまりさっきの獣だけじゃない。


 護衛二人も、それは否定しなかった。


 沈んだ車輪。

 動けない移送車。

 白布の中の誰か。

 杖を持った病弱な少女。

 逃げてきた俺たち。


 最悪の組み合わせだった。


「どうする」


 俺が聞くと、護衛の男は苦い顔で移送車を見た。


「歩いて進むしかない」


「そいつ、歩けるのか」


 言ってから、杖の少女に視線が行く。

 細い。顔色も悪い。

 明らかにきつそうだった。


 少女は俺の視線を受けて、少しだけ目を細めた。


「歩ける」


「その声で?」


「歩ける、はず」


 その“はず”が、すでに危ない。


 村の少女が小さく言う。


「わたし、肩貸せる」


「お前はまず自分の足で立て」


 思わずそう返すと、隣の少女は少しだけむっとした顔をした。


「立てるし」


「さっき転びかけてただろ」


「それは……」


 言い返せなくなっている。

 そこで、荷台の少女がほんの少しだけ笑った気がした。

 気のせいかもしれないくらい、小さい変化だった。


 護衛の男がこちらを見回す。


「お前ら、王都に向かうんだったな」


「そうだ」


 正確には“王都へ行けば何かわかるかもしれない”くらいだけど、今は十分だ。


「なら途中まで一緒に動く。

 単独で獣に追われるより、まだましだ」


 その提案は、助けというより現実だった。

 でも今は、その現実で十分だった。


 俺は頷く。


「わかった」


「名前は」


 短く聞かれて、一瞬だけ詰まる。

 その前に、隣の少女が言った。


「セナ」


 あっさりだった。


 俺はそっちを見る。

 少女――セナは、ちょっとだけ気まずそうに視線を逸らす。


「今さら隠しても意味ないし」


「……ユウ」


 俺も名乗る。


 護衛はうなずいて、それから荷台の少女を見る。


 少女は少しだけ間を置いたあと、静かに答えた。


「シュオン」


 名前だけで、なぜか少しだけしっくりきた。

 冷たい水みたいな響きだった。


「動けるか、シュオン」


 護衛が聞く。


 シュオンは杖を持ち直す。

 立ち上がろうとして、一瞬だけ体が揺れた。

 でも、そのまま無理やり足をつく。


「……倒れたら、その時考える」


「良くない前提だな」


 俺が言うと、シュオンは咳をひとつ押し殺したあと、小さく返した。


「良くないのは知ってる」


 そこでまた、遠くから低い唸りが聞こえた。


 全員の空気が一瞬で変わる。


 護衛の男が剣を握る。


「話は歩きながらだ。

 白布の方は俺たちが持つ。箱は触るな」


「なんで」


 セナが聞く。


 男は答えない。

 ただ、答えないこと自体が嫌な意味を持っていた。


 移送車は捨てるしかない。

 片輪の沈んだ車体は、そのまま夜道に置き去りになる。


 護衛二人が白布の“荷”を慎重に持ち上げる。

 やっぱり人の重さに見えた。


 シュオンは杖をつきながら荷台から降りた。

 着地の瞬間だけ、顔が少し歪む。

 それでも声は出さない。


 俺はその横に立つ。


「平気か」


「平気じゃないけど、死んでない」


 その返しは妙に冷静だった。

 ちょっと変で、少しだけ面白い。


 セナが小さく言う。


「今、笑いそうになった」


「俺も」


 シュオンが一瞬だけこっちを見る。

 その目は相変わらず深い青で、でもさっきよりほんの少しだけ、人間っぽく見えた。


「……変な人たち」


「そっちもな」


 俺が返すと、護衛の男が苛立ったように振り返る。


「私語は減らせ。来るぞ」


 来る。


 その一言で十分だった。


 俺たちは壊れた移送車を後ろに残し、王都へ向かう夜道をまた歩き始めた。


 前には封印箱。

 横にはセナ。

 少し先には白布の“荷”。

 そしてすぐ隣に、杖をつくシュオンがいる。


 変な夜だった。


 でも、たぶんここから先、もっと変なことが続く。

 そう思わせるには十分すぎる始まりだった。


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