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第20話 ― その街は、準備すらできていなかった

ここから新章です。

物語は新たな舞台――ヴァルトラの街へ。

その朝、私はいつもより長く鏡の前に立っていた。

迷っていたわけでも、怖かったわけでもない。ただ、今日は特別な日だったから。

私は初めて《永遠の森》という安らぎの地を離れ、人間の領域へと足を踏み入れる。

目的はシンプル。アリスのためだ。あの子はこれまで、ダンジョンの暗闇と重苦しい過去の影しか知らない。私はあの子に見せてあげたかった。光を反射する噴水、焼きたてのパンの香り、そして人々が営む本当の世界の賑わいを。

私はシステムのクローゼットを開き、《キツネ装束》を取り出した。ダンジョンのレベル報酬で手に入れた衣装だ。布地は軽く、青みがかった紫色。肩のラインが覗く優雅なデザイン。身に纏った瞬間、私の身体の属性が自動的に変化する。

頭上には先端が白い紫の狐耳が、背中には九本の長い尾が現れ、呼吸に合わせてゆったりと揺れた。

別に変装しているわけじゃない。ただ、ありのままの自分でいたいだけ。

「……ずいぶん目立つ格好だな」

扉のところから、気だるそうな声が聞こえた。

ルーファスだ。彼女は扉の枠にもたれ、金色の瞳で私を観察している。深紅のドレスには金の刺繍が施され、長いイヤリングが動くたびに揺れていた。そしていつものように、フロスティーヌのぬいぐるみを抱いている。

「それで人間の街に行くつもりか?」

「何か問題ある?」

ルーファスは小さく鼻で笑った。

「いや、問題はない。ただ……お前を見たら、連中は息をすることさえ忘れるだろうな」

私は軽く笑い、右目にかかる前髪を整えた。「それならそれでいいよ」

玉座の間では、アリスがすでに待っていた。お気に入りの白いドレスを着て、まるで小さな天使のようだ。肩にはミニぬいぐるみの姿になったピップが乗り、隣には犬ほどの大きさになったリルが座っている。

私が階段を降りると、アリスの赤い瞳が大きく見開かれた。

「お姉ちゃん! お姉ちゃんに狐のお耳があります!」

私はしゃがみ込み、彼女の頬を優しく撫でた。

「どう? お姉ちゃん、きれいかな?」

「すっごくきれいです! アリス、大好き!」

アリスはぎゅっと抱きついてきた。そのせいで、私の尻尾が嬉しそうに揺れてしまう。

背後からルーファスが歩いてきた。「私も行く」

「ダンジョンは守らなくていいの?」

「退屈だ。それに、人間どもの間抜けな面を拝んでやりたい」

そう言いながら、彼女はローブのポケットからケーキを取り出して食べ始めた。

私はため息をついたが、内心では少し安心していた。リルが期待に満ちた目で近づいてきたが、私は首を振った。

「リル、あなたは本物のピップと一緒に留守番よ。ネズミ一匹だって入れちゃダメ」

リルは不満そうに唸り、本物のピップは部屋の隅でしょんぼりとしていた。

ヴァルトラの城門

ヴァルトラは、アウレリア王国の最前線を守る都市だ。高い石壁が街を囲み、その内側には活気に満ちた生活が広がっている。遠くからでも街の音が聞こえてきた。鍛冶屋のハンマーの音、商人の呼び声、子供たちの笑い声。

アリスは私の手を強く握った。その手は少し汗ばんでいる。

「お姉ちゃん……あれが街ですか?」

「そうだよ。行こう」

門では、老練な衛兵ゲルドが目を細めてこちらを見ていた。豪華な衣装、浮世離れした美しさ、そして――地面に触れていないかのような不思議な気配。

「目的は?」

「観光です。妹に初めて街を見せてあげたくて」

私はできるだけ丁寧に答えた。ゲルドの視線が私の耳と九本の尻尾に向く。

獣人ビーストキンか。奥地から来たのか?」

「ええ、かなり遠くから」

ゲルドはしばらく黙り込み、やがて通るよう合図した。

「入れ。だが騒ぎは起こすなよ」

私たちが通り過ぎたあと、若い衛兵がようやく息を吐いた。

「ゲルド……見ましたか、あの紫の目。まるで魂まで見透かされているような……」

「分かっている」ゲルドは低くつぶやいた。「だが、今のところルールは破っていない」

広場に着くと、アリスはマナ結晶の噴水を見て立ち止まった。水は光を放ち、青から緑、そして紫へと色を変え、街の中心に永遠の虹を作っていた。

「お姉ちゃん見て! お水が光ってる!」

年老いた商人が近づき、小さなカップを差し出した。銀の粉を振りかけると、水は黄金色に輝く。アリスはそれを飲み、目を輝かせた。

「おいしい! すっごく甘いです!」

「初めての旅の記念だ。お嬢ちゃんには無料だよ」

その時、ルーファスが手を差し出した。「私も」

私は眉を上げた。「ルーファスも願い事をするの?」

「甘さがこの退屈に勝てるか試すだけだ」

飲んだあと、彼女は小さく頷いた。「……悪くない」

その後、私たちはオリンの魔導書店へ入った。そこでは本がただ棚にあるのではない。宙を舞い、ささやき、逆さに置かれれば文句を言う。

「お姉ちゃん! 本がしゃべってる!」

店主のオリンは、アリスに光る植物図鑑を差し出した。

「読書は別の世界への扉ですよ、お嬢さん」

私はその本を買い、ルーファスは魔導理論の厚い本を七冊も抱えていた。「ダンジョンは退屈だ。重い本が必要だ」

ギルドの前は特に賑わっていた。銀ランクの冒険者がうっかりルーファスの肩にぶつかる。その瞬間、周囲の空気が凍りついた。金色の瞳と目が合った瞬間、男は竜の口を覗き込んだような恐怖に襲われ、青ざめて逃げ去った。

ルーファスはケーキを食べながら平然と言った。「私は何もしてない。オーラが少し漏れただけだ」

だがその頃、街の探知塔では、二人の魔導師が震えていた。

「ルナ、マナ量は測れるか?」

「無理です。装置がエラーを吐き続けています。あれはまるで……すべてのマナを飲み込むブラックホールです」

夕暮れ、アリスはルーファスの背中で眠りについた。門を出たとき、ルーファスが言った。

「あの街は私たちを忘れない。人間は、測れないものを恐れるから」

私は星の出始めた空を見上げた。「いいよ。今日はアリスが幸せだった。それで十分」

王国の誇りだったマナ探知塔の水晶に、細い亀裂が入る。

その街は最初から、私の到来に備えられてなどいなかった。

だが、今夜の私はただの姉だ。家族と一緒に家に帰る、それだけの存在だった。


ご来訪ありがとうございます。

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