第十三話 特別になった日
中学一年生の頃、私は普段つるんでいるグループで一人だけ浮いていた。
傍から見ればいわゆる「イケてる」グループだった。入学当初の私には彼女たちがキラキラして見えて、声をかけられたときは嬉しかった。
それがどうしてこうなってしまったのか、私には分からなかった。ただただ彼女たちをイラつかせないように、嫌われないように、毎日を怯えて過ごした。
その日も、私の席は占領されていた。机に一人、椅子に一人座っていて、その前に二人立っていた。
私は少しはずれで必死に相槌を打つ。誰も私のことなど見ていなかったのだけれど。
時計を見る。給食を食べ終えてから、かれこれニ十分くらい席に戻れていない。
「……月。紗月」
「あ、ごめん。何?」
「聞いてなかったの?」
「……ごめん」
「ほんと、紗月ってマイペースっていうかなんて言うか」
「のろまなだけでしょ?」
彼女たちはクスクスと笑う。
「スカートさ、もっと短くしなよ。あとアイプチでもすれば?
芋っぽさが多少はマシになるんじゃない」
「えー無理でしょ。芋はどうあがいても芋だよ」
「……芋なりに、努力してみるね」
唇が引きつるのを必死に抑えて、笑って見せる。うまく笑えているだろうか。引きつっていないだろうか。機嫌を損ねていないだろうか。
「トイレ行こ」
椅子に座っていた彼女がそう言うと、他の子たちもそれに続いた。
「あ、私も」
「紗月はいいよ。芋らしくじっとしてな」
彼女たちは固まって廊下に出て行く。また何かを言ってクスクス笑っている。
何も聞こえない。聞こえないけれど、分かる。
きもい。うざい。だるい。彼女たちが何気なく吐くその言葉が、少しずつ、確実に、私の心をえぐっていく。
「紗月ちゃん」
顔を上げると、同じクラスの子が目の前に立っていた。
相変わらずの脚の長さと顔の小ささだ。羨ましい。
私もこの子みたいに綺麗だったら、可愛かったら、あの子たちは認めてくれたのだろうか。
私にも、居場所があったのだろうか。
「次の移動教室、一緒に行こうよ」
彼女は明るくて、優しくて、クラスの誰とでも仲が良い。だから、そんなに親しくもない私にも、こうして声をかけて。
「なんで、私なんかに構うの?」
「なんでって?」
「だって私、のろまだし、ダサいし、芋っぽいし……可愛くないし」
「そうやって、あの子たちに言われてるの?」
――ああ。どうして、そんなこと言うのだろう。
「私のこと、みじめに思ったの? 可愛くなくて、馬鹿にされて、笑われる私を」
「違うよ」
彼女は優しい顔のまま、きっぱりと強い口調で否定した。
「じゃあ、どうして?」
「私もね、否定ばっかりされてた時期があったの。
仲の良かったはずの子たちが、いつのまにか罵倒の言葉を浴びせてくるようになって。
こんな私にはもう居場所なんてないんだって、そう思ったこともあった」
私の知る彼女は、強い子だった。誰とでも仲が良いけれど、どのグループにも属さない。グループに属さなくても、一人でも平気な、とても強い子だった。
だから、彼女が語る過去の彼女を、私には想像することもできなかった。
「そんな中、いつも声をかけてくれて、側にいてくれる人がいてね。それだけで、すごく救われたの。
だから私は、そういう人になりたいの」
「……信じられない」
「ん?」
「美咲ちゃんは私と違って、こんなに可愛くて優しくて素敵な人なのに……それなのに、否定する人とかいるんだね」
「紗月ちゃんは可愛いよ」
言われ慣れないその言葉に耳を疑った。
――可愛い……? 私が?
「だから、あの子たちのことなんて気にしないで、もっと顔上げて、堂々と生きてればいいんだよ」
「そんなの……無理だよ、今さら。私、友達いないし」
「私は? 友達って、私じゃダメなの?」
驚いた。私なんかの友達になろうとしてくれるだなんて。嬉しくて泣きそうになった。
けれどやはり、あの子たちから離れるのが怖かった。私がいないところで、何を言われるのだろう。どんな言葉が飛び交うのだろう。
「大丈夫。私が側にいてあげる」
彼女は自分の髪から一つヘアピンをとって、私の長い前髪をすくい取った。視界が開けて、彼女の綺麗な顔がよく見えた。
その瞳はキラキラと輝いていた。
「やっぱり可愛いね、紗月ちゃん」
彼女は、美咲ちゃんは、太陽のように笑った。
ああ、大丈夫だ。この人がいれば何も怖くない。彼女さえいれば、他の誰になんと言われようと、構わない。
そう思えるほど、彼女のその笑顔には安心感があった。
聞き慣れた騒ぎ声が、廊下の方から聞こえてきた。どんどん近づいてくる。
「紗月~」
肩を組まれた私は、思わず体を強張らせた。
「次の授業、教科書貸してよ。友達でしょ?」
いつもこうだ。都合のいいときだけ、この子たちは私をうまく使おうとする。「友達」という言葉を使えば、私がいいなりになると思って。
「……できない。私が使うから」
「他クラスからでも借りてくればいいじゃん」
「……たまには、自分で借りてきてみてもいいんじゃない?」
「は?」
顔を上げる。彼女の目は怒りと殺気に満ちていた。
身体が震える。怖い、怖い、怖い――
「私の、使う?」
突然、目の前に教科書が差し出された。いや、これはいまにも怒りを爆発させそうな彼女に対して、差し出されている。
「……美咲ちゃん?」
「いいよ。私の使いなよ」
美咲ちゃんは私の声に一つも反応せず、ただただ私の横の彼女を見つめていた。いや、睨んでいたと言う方が正しいのかもしれない。
普段穏やかな美咲ちゃんのその気迫に、彼女はたじろいでいるように感じた。
「……いらない」
彼女は私の方から腕を下ろし、後ろにいる仲間のもとへ駆けていった。
美咲ちゃんは、いつのまにかいつもの穏やかな表情に戻っている。
「やっぱり、怖い?」
美咲ちゃんは、私の表情をうかがった。
後方から、あの子たちがコソコソと何かを話す音が聞こえる。私のことだろうか、美咲ちゃんのことだろうか。
きもい。うざい。だるい。聞こえないはずのその声が、また聞こえてくる。
でも、だからなんだ。
「怖いけど、平気」
――だって、あなたが隣にいてくれるから。
「そっか、よかった」
「……みーちゃん」
「ん? みーちゃん?」
「みーちゃんって……呼んでもいい?」
彼女は目を丸くして、それから嬉しそうに笑った。
「いいよ」
眩しいほどに輝いた笑顔だった。その笑顔があれば、他のことなんてどうでもいいと思えた。
その日から、みーちゃんは私の特別になった。