その八
逃げ惑う生徒と教師達の中、屋根裏の窓から屋根へとおっかなびっくりへっぴり腰でオドオドと屋根瓦を踏み締めて今にも泣き出しそうなくらいに体を震わせて、誰が見ているわけでもなく、誰が望んだ訳でもない、だと言うのにアルフレッド・カラスはそこに居た。
もしも見ている者が居たなら先程の教師に比べればなんと情けない事だろうと嘆いただろう、無理をするなと、お前では無理だと声をかけただろう。
或いは感謝したかもしれない、彼が無謀にも屋根に上ったおかげであの竜の腹は僅かに満たされる、ほんの僅かに逃げるための時間が稼げると。
彼が何者かなんてそこには全く含まれず都合良く考える、剣の腕はこの数年で磨かれたとは言え教師陣には遠く及ばず、手に持った剣は店の入り口辺りに無造作に置かれた中古品と変わらぬ数打ちと目される安物で素材もそれなり、鍛練もそれなり、初心者の冒険者くらいしか買わない、下手をすれば中古品の方が良いものがあるかもしれないくらいの代物。
堂々した立ち姿とは言いがたく、その姿は無謀にも程がある、これならまだ初心者の冒険者や騎士見習いが熊に挑んでいる方が様になり勝機もあるというくらいに酷い。
それでも見た、逃げ惑う中で廊下の窓から、木陰や物陰から、そのへっぴり腰と無謀な男の姿を。
ほんの僅かでも勝機を見出だすためか半ばでへし折れた名剣の柄を拾い、おっかなびっくりへっぴり腰で屋根の上に立ち、一歩ずつ確かめるように慎重に歩みを進めて、睥睨する竜の瞳を見つめながら一歩ずつ近付いていく。
その姿は英雄とは程遠く、吟遊詩人の詩にある勇猛果敢な豪傑ではない、まるで初めて剣を握ったかのようにも思える程に弱々しい。
そんな男を食う必要もないと判断したのか、単に鬱陶しいと思ったのか、竜が大きく息を吸い込んだのを見て、誰ともなく『あぁ』と溜め息とも憐憫とも取れる吐息が出た。
空を駆ける飛竜から地中に住まう地竜、海を縄張りとする水竜に至るまで、おおよそ竜という生物で、巣立ちを終えているなら放てる必殺必倒の一撃、すなわち『ブレス』ある竜は炎をある竜は風を、毒を水を氷を、個体によって変わるその一撃が放たれた。
濃い霧のようなブレスはグズグズと屋根を溶かし窓を溶かし、ドロドロに溶かして溶かして。
この竜は酸のブレスを吐くと見ていた誰もが理解して、かの英雄はやはり英雄ではないと誰もが理解した、体の悪いプロパガンダか何かのために作られた存在だろうと、そのプロパガンダに利用されただけなのだろうがその事に何かしらの責任感は有ったのだろう、でなければあんな蛮勇にも劣る行動は取らないだろう。
或いは国王から何かしらの密命を帯びていたのかもしれないが、どちらにしても無謀な突撃に終わった。