水掛け論
「では、お話を戻しましょう。貴方がたがいらっしゃった理由は、昨日私からサリバン隊長を通じてアルスアルテに勧告した退去命令に対して抗議するため、という解釈でよろしいですか?」
「ああ、その通りだ」
場を仕切りなおしたディーノの問いにジェードが答える。
しかしジェードの胸の内には、これほどまでに誠実で人望のある人物が本当にあの命令を下したのだとは信じたくないという思いがあった。
何かの間違いであって欲しかった。
彼のような人物があれほどの大胆な命令を下すくらいだ。考えなしに行動したとは思えない。
きっと彼が下した命令には大きな意図と野心があり、そして彼にはそれに伴う責任を背負う覚悟もあるのだろう。こういう相手は非常に手強い。
「これまでアルスアルテは確かに、尾人――一般的に物の怪と呼ばれる者たちを街に受け入れていることを隠してきた。けれどそれは、決して異端な思想や邪な意図があってのことでないことをわかって欲しい」
目の前の碧眼をじっと見据え、ジェードは訴える。
ディーノもまた一瞬たりとも目を逸らすことなく、ジェードの熱意に耳を傾け続けた。
「尾人らは人間といがみ合うことなんて望んでいない。尾人らは人間という存在に憧れ、人間らしく生きてみたいと願っただけなんだ。だけれど、尾人の存在を公表したりすれば、昨日のようなことがもっと早く起こっていたに違いない。だからアルスアルテが尾人を守るには、隠蔽しか方法がなかった、というわけなんだ……」
ジェードの話を聞き、ふむと息をついたディーノは、再び紅茶を一口すすった。
今の話でどのくらい思いが通じたのかはわからないが、どうにか尾人が危険でないことは伝えなければならない。
ジェードは膝の上に置いた両手を祈るように握り、カピタラ側の返答を待った。
「その話を信じろ、と?」
先に口を開いたのはディーノではなく、衛兵隊長のサリバンだった。
彼はじっとアーロンと睨み合って黙り込んでいたが、いつの間にか無表情のままでジェードの方へ視線を向けていた。
「あれは害獣だ。口では何とでも言えるが、腹の中で何を考えているかなど誰にもわからん。憧れるふりをして近づき、じっくりと時間をかけて信用を得てから人間を陥れようとしているとしたら? そうでない証拠などどこにある?」
「サリバン。てめえいい加減にしとけよ? 俺はもう何十年もあの街で尾人と一緒に暮らしてきてんだ。そんな考えを持ってるヤツなんかいねえってのは、俺が一番よく知ってんだよ」
「貴様らのために言っているのだぞ。この状況を放置すれば、ヤツらが本性を見せたときに真っ先に牙を剥かれるのは貴様らなのだ。得体の知れない害獣は、手遅れになる前に排除しなければならない」
アーロンと再び論争になったサリバンだったが、ディーノがそっと制止した手を見て口を閉じた。
「サリバン隊長の申した通りです。あの命令を下したのはカピタラを守るためであると同時に、アルスアルテを守るためでもあるのです。物の怪――いえ、貴方がたは尾人と仰っていましたか。あれは私たちにとって未知な部分が多すぎます。一度徹底的な管理下に置き、本当に無害な存在であるかを立証する必要があるというのが、私たちの見解です」
「だから街の尾人をとりあえず追い出して、その立証とやらができるまで待ってろってのかあ? そいつは何年後だ? 何十年後だ? んなの待ってられっか」
ふんぞり返って足を組み、アーロンはそう反論してみせた。
そしてさらに言葉を続けようとする彼がディーノを指差すと、サリバンの眉が苛立ちでぴくりと動いた。
「それに"管理"ってなんだ。それは尾人を利用した奴隷制のことを言ってんのかあ? だとしたら俺はてめえのその綺麗な面ァぶん殴るのを我慢できる自信はねえぞ」
アーロンの発言に思わずサリバンは腰を上げた。
しかしディーノはそれを手で制し、アーロンを見据えて問いに答えた。
「奴隷など、そのような悪しき制度を立ち上げるつもりは毛頭ございません。物の怪――尾人の知能は他の動物と比較して優れている部分が多々見受けられます。人間に擬態する力も持っているとなれば、訓練次第でよき労働力になりえますので、その可能性も模索していこうと考えているまでです」
「ふん。奴隷じゃなくて家畜にしようってか。どのみち俺には賛同できねえ方針だな。尾人はしばらく人間と暮らせば社会性を身につけることもできる。職権を与えて人間と同等の水準で雇用するべきだ」
「いいや、社会性を身につけさせることそのものが問題だ。あの害獣どもの身体能力は人間のそれを上回っている。足場の高さが同じになれば、ヤツらは必ず人間に対して牙を剥く。そうならぬよう、主従関係ははっきりと理解させなければならない。要は犬に留守の番をさせたり、馬に車を引かせたりするのと同じ要領で躾をする必要がある、ということだ」
アーロンの主張にサリバンが反論する。
ついに堪忍袋の緒が切れたのか、大きな舌打ちをして立ち上がったアーロン。
しかしそのとき、ジェードは「ちょっといいかい」と手を上げ、部屋は再びしんと静まり返った。
「尾人のことについてなら、カピタラよりもアルスアルテの方がよく理解しているつもりだ。少し嫌な言い方かもしれないけれど、ディーノさんもサリバンさんも、尾人について無知なだけなんだと、僕は思う。責任のある立場だからこそ、あなたたちは実態のわからない尾人に対して過剰な警戒をせざるを得ないんだ。だったら、まずは尾人を知ることから始めてみてはくれないかい?」
「尾人を知る、ですか……」
ジェードの言葉をディーノが復唱する。
顎に手を当ててふむふむと頷くディーノの様子は、ジェードにとってまずまずの手応えだった。
「そのためにも人間が徹底的に管理するという話が出ただろう。貴様は何を聞いていたのだ」
「その考え方自体が、そもそも尾人を理解しようとしていないと言っているんだよ、僕は」
サリバンの言葉にジェードも凛として反論する。
ここで下手に出てはだめだ。攻め時には強気で向き合わなければ押し切られてしまう。
まだ若い自分がこの場にいるのは似つかわしくないが、相手が首都の指導者であろうと誰であろうと、怯むわけにはいかないのだ。
「尾人がどうして人の姿を真似るのか、考えたことはあるかい? きっとそれは、賢くて理性的で感性に富んだ人間の姿に憧れを抱いた彼らが、少しでも人間のようになりたいと願ったからだ。敵として人間を欺くためなんかじゃない。そうさせているのはむしろ人間の方だ」
立ち上がっていたアーロンが再びソファに腰を下ろす。
興味深そうに見つめるディーノとやや不満げな表情のサリバンも、ジェードの話に無言で聞き耳を立てていた。
感性に富み、知恵を持った人間だからこそ、他の生き物には真似できないような文明を作り上げることができた。
しかしその文明はときに、尾人の存在を脅かしてきた。
迫りくる人間の脅威から逃れ、自らの身を守るために、尾人は人間の姿を真似て正体を隠すしかなかった。
尾人が人間を騙し、敵対しなければならない理由を作ったのは、間違いなく人間の方だ。
それをまるで自分が被害者であるかのように都合よくとらえてしまうのも人間らしさかもしれない。
しかしそれは、尾人を虐げていい理由には決してならない。
「一緒にいればいるほど実感する。尾人は人間と何も変わらない。誰かと笑い合うことが好きで、誰かに理解されることを望んでいて、誰かと愛し合うことが何より幸せな、ただそれだけの存在なんだ」
他の三人の視線がジェードに集まる。
知らぬ間に熱が入っていたジェードは、ソファに腰かけたまま前のめりになって語っていることに自分で気がついていなかった。
得体の知れないものを恐れる気持ちはジェードにもわかる。
しかしこの場にいるのは全員同じ人間だ。ジェードやアーロンにできたのなら、ディーノやサリバンにだってきっとできる。
ジェードはそう信じて、ただただ胸の奥底から湧き上がる思いを吐き出し続けていた。
「今すぐ受け入れてくれとは言わない。時間がかかることも十分わかっている。それでもどうか、尾人が人間と共に生きるという選択肢だけは奪わないで欲しい。そのためなら、カピタラが尾人に対して抱えている問題について、アルスアルテは全面協力を約束する。尾人と共に生きる者の責任として、どんな努力も支援も惜しむつもりはない。だから、どうか……!」
「俺からも頼む。尾人には、人間は所詮こんなもんだなんて失望して欲しくねえんだ……!」
テーブルに頭がつきそうなほど、ジェードは深々と頭を下げる。
それに続いてアーロンもまた頭を下げた。
本当はアーロンが言うはずだったことを、いつの間にかジェードがすべて語ってしまった。
しかしこの際それはどうでもいいことだ。アルスアルテの主張をカピタラに届けることさえできれば、それが誰の口からであっても大した問題ではない。
「……貴方がたの主張はわかりました」
ティーカップの紅茶を飲み干したディーノが、一言そう答えた。
ジェードとアーロンが顔を上げると、ディーノは少しの間を空けて何かを考える素振りを見せ、さらに言葉を続けた。
「ならばジェード殿。貴方の熱意に敬意を表して、私から一つ提案がございます」
部屋の空気が一気に重くなったような気がした。
提案とは一体なんだろうか。緊張感に心臓が高鳴るのを感じたジェードはごくりと唾を飲み込んだ。