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翡翠と琥珀  作者: ヤマキ ヒサト
アルスアルテ編
115/126

交渉開始

 大理石の廊下を歩き、建物の奥へと進んでいく。

 ジェードとアーロンをまだ警戒している様子の衛兵たちは、ディーノを護衛すると言ってどこまでもついてきた。

 なんとも感じが悪いなとため息をつくジェードの前方で、ディーノは衛兵のうちの一人に何か小声で指示を出す。

 その指示を受けた衛兵がどこかへ去っていくと、残り二人の衛兵が廊下の途中にある部屋の戸を開けた。


「さあ、どうぞ中へ。私が普段使わせていただいている部屋です」


 そう言ってディーノは先に部屋に入っていく。

 衛兵たちがそれに続き、ジェードとアーロンは最後に入室した。


 部屋の中は真新しい革の匂いが充満している。

 床の上には真っ赤な絨毯が敷かれていて、その真ん中には背の低いテーブル。その両脇には傷一つない艶やかな黒いソファが備え付けられていた。

 部屋の最奥にはディーノが執務に使っているものと思われる書斎机があり、綺麗に重ねられた書類が寸分のずれもなく積まれている。

 埃一つ落ちていないような清潔感溢れる室内は、役人の部屋というより貴族の屋敷のような雰囲気だった。


「どうぞ、掛けてお待ちください。お茶でも淹れましょう」


 ソファを指してそう言ったディーノはコートを脱ぐと、壁際の棚からティーセットを取り出してきた。

 護衛の兵たちの冷ややかな視線に気が散りそうにはなるが、ジェードとアーロンは言われた通りソファに腰を下ろしてディーノと向き合った。


「貴方たちは下がって結構ですよ。ご苦労様でした」


「なっ!? ディーノ様!?」


「護衛もなしになど、危険すぎます!」


 テーブルに並べた四つのティーカップに紅茶を注ぎながら、ディーノは背後に控える衛兵にそう告げた。

 しかし衛兵たちは危険だなんだと言い張って食い下がる。なんとも失礼極まりないとジェードも呆れ返りそうになった。


「何度も申しませんよ。私の後ろに武装した兵が控えている状況では、対等な会合などできないでしょう。相手に武器を見せつけていたのでは、それは"交渉"ではなく"脅迫"と同じ。武器で相手を脅さなければまともに交渉もできない男だと、そのような汚名を私に着せるおつもりですか?」


 ディーノは紅茶を淹れる手を休めることなく、その穏やかな声色も変えることなく、背後の衛兵たちにそう諭してみせた。

 衛兵たちは青ざめて言葉を失っていたが、それでも部屋を去ろうとはしなかった。なるほど、例えこれがきっかけで首を切られることになろうとも指導者を守ってみせるという心意気は評価に値するかもしれない。


 そのとき、部屋の戸が二度叩かれる音がした。

 一斉に視線が動き、ディーノが「どうぞ」と述べると、戸を開けて一人の男性が入ってきた。


「失礼致します。お呼びでしょうか、ディーノ様」


「あっ! てめえ、サリバンッ!!」


 ソファから立ち上がったアーロンが吠える。

 そう、部屋にやってきたのは、昨日アルスアルテに部隊を率いて退去命令を伝えに来た、衛兵隊長のサリバンその人であったのだ。

 アーロンの方を一瞥したサリバンは、敵意剥き出しのアーロンを無視してディーノのもとを歩み寄る。

 そしてディーノが自分の隣に座るよう示すと、サリバンはぺこりと頭を下げて腰を下ろした。


「彼も関係者ですから、会合には共に参加していただきます。これならば問題はないでしょう?」


 ジェードはここでようやく、ディーノが用意したティーカップが四つであった意味を理解した。

 どうやらディーノは部屋に到着する前に、護衛の一人にサリバンを呼ぶよう指示していたらしい。

 確かにサリバンは、アルスアルテとカピタラの関係を語る上で非常に重要な人物だ。

 鎧を脱ぎ、武装を完全に解いた状態の彼を会合の参加者兼護衛役とするあたり、ディーノという男は頭がまわると同時に一本筋の通った人間である印象を受けた。


 これにはさすがに衛兵たちも引き下がるしかない。

 街の指導者だけでなく直属の上司まで現れた彼らは、青かった顔をさらに青ざめて「……失礼致します」と部屋を出ていった。


「手荒なお出迎えをしてしまい、申し訳ありません。私などの謝罪でよければ、衛兵(かれ)らの無礼は水に流していただきたい」


「いや、こちらこそ、突然押し掛けて申し訳なかったと思っているよ」


 紅茶を淹れ終えたディーノはソファから一度立ち上がり、ゆっくりと頭を下げた。

 ジェードはそれにつられて立ち上がり頭を下げたが、アーロンはどっかりとソファに腰かけたままサリバンを睨んでいた。


「そういうのはいい。さっさと本題に入らねえかあ?」


「はい。ではまず、簡単に自己紹介でも」


 サリバンの登場であからさまに機嫌を悪くしてしまったアーロンの態度は先が思いやられるようだ。

 しかしディーノは顔色一つ変えることなく、穏やかな口調のままで再び腰かけた。


「私は半年ほど前からカピタラの首長の任を賜っております、ディーノと申します。隣は衛兵部隊のサリバン隊長です。彼とは既にお知り合いのようですが、念のため」


 ディーノに紹介されたサリバンは小さく頭を下げていた。

 昔からアーロンと馬が合わない男だと話には聞いていたが、ジェードが彼と対面するのは初めてである。

 無口で物静かなサリバンの印象は、アーロンとはまるで正反対だった。


「俺はアーロン。アルスアルテの町長だ」


「僕はジェード。各地を放浪する旅の絵描きだけれど、今はアーロンさんと同じアルスアルテの代表の者と認識してもらって構わない」


 アーロンの雑な態度の尻拭いをするように、ジェードは丁寧に挨拶してみせた。

 「アーロン殿に、ジェード殿ですね」と名前を復唱して確かめたディーノは、どうぞよろしくお願いいたします、と改めて頭を下げた。


「それでは本題に入りましょう。ご用件は確か、先程ジェード殿が少し仰っていたように思いますが」


「ああ、その通りだ、ディーノさん。昨日あなたがアルスアルテに下した退去命令について話があって、僕らはここへ来た」


 ジェードの話を聞いたディーノは、紅茶を一口すすってふむふむと頷いた。


「あんな馬鹿げた命令に従う意志なんか、俺たちにはねえ。だからさっさと取り下げにしてもらおうか、ってことを言いに来たわけだ、ディーノ様とやら」


「ちょっとアーロンさん! どうしてそんなに棘のある言い方をするんだい……」


「私は構いませんので、お気遣いなく。先程の無礼のあとでお気分を悪くされるのも仕方のないことです。衛兵(かれら)の不始末は、私の責任でもありますから」


 どこまでも温厚な対応をしてみせるディーノには、ジェードも思わず感心してしまった。

 カピタラの指導者とはどのような人物なのだろうと思っていたが、想像していたものとかなり違う。

 彼の一言一言には誠意がこもっていて、敵対している立場であるはずのジェードらが突然押し掛けてきてもこうして掛け合ってくれる。

 ディーノが本当にあのような冷酷な命令を下した張本人であるのか、ジェードにはそのことのほうが疑わしく思えてくるほどだった。


「ディーノ様もこう仰っておられる。貴様らに対して部下が働いた無礼については、私からも謝罪しよう。しかし、彼らが間違ったことをしたとは微塵も思わない。このカピタラを守るため、そして指導者を守るために当然のことをしたまでだ。勘違いはしないように」


「ケッ、ああ言えばこう言う。てめえは昔っからそうだったよなあ、サリバン」


 目一杯の敵意の眼差しでサリバンを睨むアーロン。

 表情一つ変えないサリバンもまた、向かい合って座るアーロンを睨み返している。

 どうしてこうなった、とさすがのジェードも半ば呆れ返っていた。この場にいる四人の中では年長であるはずの二人が、まるで子供の喧嘩のような有様だ。

 この際彼らは放っておいて、自分とディーノの二人だけで話を進めた方が都合がよいのではないか、とすら思えた。


「珍しいこともあるものですね、サリバン隊長? それほどまでに冷静を欠くなど、貴方らしくないですよ」


「……申し訳ございません、ディーノ様」


 ディーノに諭されたサリバンは、自分の前に置かれた紅茶を一口飲んで小さく深呼吸をしていた。

 ジェードからすればサリバンは十分落ち着いて見える気がしたが、それはアーロンと比較しているからだったのだろうか。ディーノから見れば彼も随分気が立っていたらしい。

 しかし、アーロンとサリバンの険悪な雰囲気は想像以上だ。この先の交渉は自分がしっかりせねばなるまいと、ジェードは気を引き締めなおした。

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