首都の指導者
ジェードとアーロンがカピタラに到着する頃には、あたりはすっかり暗くなっていた。
街に入ると、ジェードを先導するアーロンは迷うことなく足早に歩いていく。
そして二人が辿り着いたのは、周囲を頑丈な壁で囲った立派な建物だった。
建造物の足元は壁に遮られて見えないが、その奥には円柱型の塔のような形の棟がいくつもの廊下で繋がっているのが見える。
まだ執務中の役人が所々にいるのか、灯りがついたままの窓から漏れ出た光が建造物の外壁を上品に照らしていた。
既に夜になっているというのに、輝いて見える、というのがもはや比喩ではない気がしてくるほど美しい外観。その雰囲気はまるで王族の住まう巨大な城を彷彿とさせる印象だ。
首都の建造物のほとんどは大きく豪華な作りになっているが、アーロンに連れられてやってきたこの場所はその中でも頭一つ抜けていた。
「アーロンさん、ここは……?」
「カピタラの議院だ。首都の指導者は、執務のために大抵の時間はここにいるらしい」
ぐずぐずすんなよ、とアーロンがまた歩き出す。
既に日が暮れてしまっているが、指導者はまだこの場所にいるだろうか。
それに、首都の指導者ということは役人――つまりは政治家である。そのような相手に何の書簡も送らず突然面会などできるのだろうか。
今更になって不安要素が込み上げてきたような気がするジェードだったが、アーロンは躊躇うことなく議院の正門の前に立つ若い衛兵に声をかけた。
「おぅい、すまねえ。カピタラの指導者とやらに会いに来たんだが、入れちゃあもらえねえか」
「誰だ、貴様は。このような時間に会合の予定などなかったはずだぞ」
「急ぎの要件なんだ、前もって約束する暇なんかねえよお。俺はアルスアルテの町長アーロン。ちっとだけでいいから、指導者と話をさせてくれ」
「"奇人の隠れ家"の、だと……? ふざけるな。尚更入れられるか」
自分にはもう長の資格はないと語っていたアーロンだが、この場では便宜上町長を名乗っていた。
しかしそれが裏目に出たのか、アルスアルテの人間というだけで衛兵にはひどく警戒されてしまったようだった。
槍を向けられ、両手を上げて敵意がないことを示すアーロン。
普段なら癇癪を起こしていそうな場面だが、彼はそれをぐっとこらえて引き攣った笑みを浮かべていた。
「そこをなんとか頼む。街の指導者同士で話し合いたい大事な要件があんだよお」
「奇人の言うことなど信用できるか。昨日の件の逆恨みでディーノ様の命を狙っていないとも限らないんだ。通せるわけがないだろう」
アーロンは「んな物騒なことしねえっての!」なんて言って喚いていたが、ジェードは衛兵が口にした言葉に嫌な引っ掛かりを覚えた。
ジェードらは決して逆恨みでやってきたわけではない。しかし衛兵がそのようなことを口走るということは、カピタラは少なくとも例の命令をアルスアルテが好く思っていないことを認識しているということだ。
解せないというか、どうにもすっきりしない。
相手の反対を無視して、自分らの都合だけで強引に押し通してよい政策などあるはずがない。
一体何のために議会という話し合いの場が設けられているのか。アルスアルテを守るためならば、町長としてアーロンは何度でも召喚に応じたことであろうに。
しかし、これが首都から見たアルスアルテという街の現状なのだ。
彼らからすればアルスアルテの住人は、不幸をばらまく害獣とそれに誑かされた異端者という認識なのである。
尾人への差別意識が強いこの街で、アルスアルテが"人の街"として扱われることなど、期待できるとも思えなかった。
「じゃあ俺の名前を出すだけでもいいから、考えてくれって」
「黙れ。後ろにいる青髪の男も仲間か? ……というか貴様、よく見たら昨日街から追い出したイカれ男じゃないか!」
ジェードはぎくりと心臓が飛び跳ねたような気がした。
昨日カピタラで騒ぎを起こしたときに、完全に顔を覚えられてしまっていたようだ。
気づかれる折としてはまさに最悪。これでは信用などされるはずがない。
すぐに数人の衛兵たちがやってきて、ジェードとアーロンは取り囲まれてしまった。
槍の切っ先に四方八方を塞がれ、万事休す。今まさに捕らえられようとしている状況で、何か打開策はないかと頭を巡らせたが、焦りが先行して思考がまとまらなかった。
「――何の騒ぎですか。もう夜ですよ」
絶体絶命と思われたそのとき、議院の正門から一人の男が外へ出てきた。
金髪碧眼。細めの八頭身に丈の長いコートを着こなしたその男からは、威厳ともいえる堂々とした雰囲気が感じ取れる。
彼が手に持っていたハットを被りながら落ち着いた一声を発すると、衛兵たちはびくりと肩を震わせた。
「ディーノ様、お下がりください! 貴方様のお命を狙う賊を、今捕らえますので!」
「だからそんなんじゃねえってさっきから言ってんだろうが!」
さらににじり寄ってくる衛兵たちに、さすがに苛立ちを見せ始めたアーロンが吠える。
そんな中でジェードは、突然目の前に現れた金髪の男に視線を向けていた。
「ディーノ……彼が、首都の指導者……」
その名は昨日、ジェードが酒場の主人から聞いたカピタラの指導者のものに間違いなかった。
しかし、彼の男は想像していたよりも随分若い。
一つの街の長というくらいだから、アーロンのような年配の男だとばかり思っていたが、ディーノと呼ばれたこの男は三十代くらいであるように見える。
それに、魔猪の駆除作戦やアルスアルテへの過激な干渉を指揮した人物であるにしては、雰囲気がかなり落ち着いているように思えた。
「あなたがカピタラの指導者かい!? 僕らはアルスアルテの代表の者だ! あなたがアルスアルテに対して下した退去命令について話があって来た!」
「その口を閉じろ、イカれ男め! ……無視してくだされ、ディーノ様。アルスアルテの奇人どもめ、何を企んでいるかわかりません故」
一人の衛兵が、ディーノを庇うように槍を構える。
その後ろでディーノはふむふむと頷きながら、興味深そうにジェードのほうを見ていた。
「てめえ何すんだあ! 離しやがれ!」
「大人しくしろ、異端者ども!」
「――待ちなさい」
ついにジェードとアーロンが衛兵に取り押さえられてしまったそのとき、ディーノは一言そう言って歩み寄ってきた。
衛兵たちが口々に「ディーノ様!?」「危険です! お下がりください!」と喚いていたが、ディーノは構うことなく地面に組み伏せられた二人の前までやってきたのだった。
「お二人を解放して差し上げてください。どうやら私の客人のようですから」
「ディーノ様!? よろしいのですか?」
「構いません。本日の執務でしたら既に終えました。来客のお相手をするくらいの時間ならありますから」
ディーノの指示に衛兵たちは困惑していたが、彼らは互いに顔を見合わせたあとで渋々ジェードとアーロンを解放した。
無理矢理押さえつけられて痛む肩をジェードが回している横で、アーロンは衛兵をじろじろと睨みつけている。
その様子を見て何が可笑しかったのか、ディーノはふふっと穏やかに笑って議院の方へ戻り始めた。
「どうぞ、こちらへ。ご案内します」
なんだかよくわからないが、カピタラの指導者が直々に面会の許可を出してくれたようだ。
突然押し掛けたにも関わらずこれは運がよかったというべきだろう。
原則として役人や衛兵しか中に入ることが許されないカピタラの議院。その内部へ足を踏み入れる緊張感に心臓の鼓動が早まるのを感じながらも、ジェードはアーロンと共にディーノのあとに続いたのだった。