作戦会議 前編
再び前後編です。
「……さて、と」
窓の外は黄昏時の赤。床に散らばったあらゆる書類を片づけ、一段落したところでジェードが仕切りなおすようにそう呟く。
ジェードとアーロンは向かい合わせに置いた椅子に腰かけ、今後の対応について議論を始めるところであった。
アンバーはジェードの隣、ハーティはアーロンの隣に置かれた椅子にそれぞれ腰掛けて聞き耳を立てている。ちなみにハンナは飽き始めているのか、ハーティの膝の上で抱かれてこくりこくりと頭を揺らしていた。
「まず最初に確認しておきたい。どうして首都は、突然尾人の退去なんて要求してきたんだろう。それも、わざわざ指導者の正式な公文書まで用意して」
「別に突然ってわけじゃねえ。サリバンはこれまでに何度もアルスアルテにやってきては、尾人の証拠を探していろいろと嗅ぎまわってやがった」
サリバンが持ってきた公文書に目を通すジェードの疑問に意見してみせるアーロン。
彼はサリバンの顔を思い出しているのか、チッと舌打ちをして頭を掻いていた。
「バレたことは一度もなかったんだが、今回はチェルシーがあんなことになっちまったからな。疑念じゃなくて確信で動けるようになった分、指導者の後ろ盾も得やすくなったんだろうよお。ったく、吐かせるためにガキを脅したりいたぶったり、本当に腐った野郎だあ」
ジェードは隣で、アンバーがぎゅっと手を握りしめたのがわかった。
彼女も当然痛ましく思っているのだろう。いくら尾人の存在について確証が欲しかったとはいえ、チェルシーのような幼い少女を拉致して拷問にかけるなど、あまりにも非情だ。
「だが、妙だよなあ」
ふと、何か考え込んで顎に手を当てているアーロンがそう口にした。
「サリバンの野郎は、チェルシーが尾人だってことをわかった上で攫ったような口ぶりだった。だがてめえらも知っての通り、尾人の擬態は完璧だ。人間の目で見破れるはずがねえ」
「うむ、確かにそうじゃった。チェルシーは昨日、羽根を隠すのを忘れたまま水汲みに行ったということかの?」
「それはねえと思うなあ。アイツはちっとばかし臆病なとこがあるからよお。滅多なことでもなきゃあ擬態を解こうとしねえ性格なんだ。てめえらが最初に会ったときもそうだったろ」
アーロンにあっさり否定され、うーむと唸ったアンバーも黙り込んだ。
チェルシーは、ジェードとアンバーがアルスアルテにやってきて初めて接触した尾人だった。
そのときは赤旗があがっていたこともあって人間に擬態していたチェルシーは、アーロンに言われるまで決して正体を明かそうとはしなかった。
いつも背中を小さく丸め、ちょっと名前を呼ばれただけでも敏感に反応するほど臆病なチェルシー。
そんな彼女が、街はずれの溜め池までの近距離とはいえ、そのような不用心な失敗をおかすとは思えなかった。
「ではやはり、人間か尾人かわからぬまま一か八かで、ということかの?」
「サリバンは否定してたが、そうとしか考えられねえよなあ。反吐が出らあ」
確証もないまま博打に出て、もしも拉致したのが尾人でなく人間の子どもだったなら、いくら奇人の隠れ家と噂されるアルスアルテが相手であっても、首都で大問題になることは間違いない。
首都を守る誇り高き衛兵部隊の名には傷がつき、人攫い集団の看板を背負うこととなっても反論できないはずである。
彼らはそのような危険を冒してまで、これほど大胆な作戦を本当に決行するだろうか。だとすれば衛兵らもかなりの奇人っぷりだと、アーロンは不快そうに鼻を鳴らしていた。
「……魔猪……?」
そのとき、アーロンやアンバーの論点とずれた一言を、ジェードがぽつりと口走った。
何の話だと言いたげなアーロンは「あぁ?」と眉をひそめ、アンバーはすぐ隣のジェードの横顔を見て首を傾げていた。
「カピタラでは最近、駆除計画なんて言ってこの辺りに住む魔猪を積極的に捕獲しようとする動きがあるんだ。その光景を、この目で見てきた」
「ああ。だから行かせたくなかったんだ。気分のいいもんじゃなかったろうに。……で、それはさっきまでの話と何の関係があんだあ?」
突然すり替わった話題に困惑するアーロン。
しかしジェードの中では、先程までの議論と魔猪の駆除計画が、一本の線で結びついたように感じていた。
「……今日カピタラで、こんな話を聞いたんだ。駆除計画で捕まった魔猪の一部を労働力にできないか検討しているって。カピタラは、尾人が他の動物より知能が高いことを利用して、人間を虐げることなく奴隷制を成立させようとしているみたいなんだ」
「なんじゃと!?」
「んなことが許されてたまるかよッ!」
思わず立ち上がったアーロンの背後に、彼が座っていた椅子が転がる。
顔を真っ赤にして憤るアーロンだったが、ジェードやハーティに宥められて渋々椅子を立て直し、腰を下ろした。
「どうにもカピタラでは、まだ試験的にではあるみたいだけれど、その政策が実行されているみたいなんだ。これはあくまでも推測に過ぎないのだけれど、もしかしたら衛兵たちは、チェルシーが人間か尾人か、従えた魔猪に溜め池で見分けさせたのかもしれない」
そう考えればすべての辻褄が合った。
尾人の擬態を見破れるのは尾人だけ。ならばと彼らは、駆除作戦で手駒にした魔猪を利用し、人間に擬態した尾人を炙り出している可能性がある。
山から無理矢理連れてこられた魔猪たちが衛兵らに大人しく従うのかと言われれば疑問は残るが、チェルシーへの仕打ちを見る限り、暴力で強引に従わせている可能性も否めない。
何せ彼らにとっての尾人の認識は、忌まわしき害獣か利用価値のある奴隷のいずれかなのだ。"人間"として見ていない以上、チェルシーの一件のようにどんな非情なことでもやってのけるだろう。
「……だとしたら、いよいよまずい」
ジェードの推論を聞いたアーロンは、少しばかり表情を強張らせて頭を抱えた。
もしもカピタラに人間と尾人を識別する手段がないのなら、生誕祭が終わった後でアルスアルテにやってきたところで、退去命令の対象者とそうでない者を判別することはできないはずだ。
ならばこれまで通り人間への擬態を徹底していれば、言葉が不得手なハーティやハンナのような例を除き、尾人が尾人であると気づかれる要因は何一つないはずなのである。
しかし、現にチェルシーは尾人であることをカピタラに見抜かれている。
首都が尾人の擬態を見破る術を持っている可能性がある以上、これまでと同じように誤魔化すことは不可能であると考えるべきだろう。
「問題はそれだけじゃない。首都に捕まっている魔猪たちのことも、できればなんとかしてあげたいけれど……」
「ったりめえだあ。尾人をとっ捕まえて奴隷にしようなんて、これまでの迫害よりもよっぽど質が悪いぞ」
「……何か方法はないじゃろうか……?」
アンバーの一言を皮切りに、それぞれが頭を悩ませ方策を練った。
うんうんと唸りながら、頭を掻きむしりながら、アルスアルテも魔猪たちも救える手段を考え続けた。
しかしハーティはまるで何も思いつかずお手上げ状態で、その膝の上のハンナはいつの間にかすうすうと寝息を立てている。
アンバーも難しいことを考えるのは苦手であり、アーロンもまた、何も思いつかないもどかしさからか苛立ちを見せ始めたのだった。
「……やっぱ、抗議運動を起こすしかねえんじゃねえかあ?」
少しの間を空けて、最初にそう言ったのはアーロンだった。
「今朝は乱闘にならねえように収めたがよお。このまま黙って待ってたって粛清されるだけなんだ。だったら反乱の容疑で捕まったって大して変わんねえだろ。武器でも何でも持って、賭けに出るしかねえ」
「いやいや待つのじゃ! 主もあの衛兵部隊を見たじゃろう? 一般人が牙を剥いてどうこうなる相手ではないじゃろうに。それに暴力で解決しようなどという考えは――」
「――他に方法があんのかあ? 先に手ぇ出してきたのは首都だ。だったら俺たちだって噛みつこうが何しようが勝手だろ。少しでも可能性があるんなら、俺は街の男どもを連れて戦でも何でもしてやらあ!」
頭に血が昇っている様子のアーロンは、完全にその気になっているようだった。
今すぐにでも飛び出して戦の準備を始めそうな彼を落ち着かせようとするアンバーだが、彼を納得させられるような考えなど何も思い浮かばない。
それでも、暴力に訴えることだけはどうしても避けなければならない気がした。
それではカピタラのやり口と同じだ。自分の憧れである人間たちが、互いの残酷な一面を晒し、傷つけ合うところなど、アンバーは絶対に見たくはなかった。
「――それだと負けるよ。僕らは」
ぽつり、とジェードが呟いた声は、意外なほどに部屋に響いて聞こえた気がした。
立ち上がりかけていたアーロンは、ジェードの発した言葉を耳にすると「あぁ?」とまた凄んでみせた。
「今なんて言ったあ、ジェード? そんな弱気でこの街を救えると思ってんのかてめえはよおッ!?」
「アーロンッ! おちつくおねがい」
ハーティに言われて頭を冷やしたのか、アーロンは大きな舌打ちをすると、持ち上げようとしていた腰を再び椅子へと下ろした。
それでも彼の機嫌はさほど変わっていない。消極的なジェードの姿勢を非難するかのように、アーロンの細められた眼光はジェードを睨み続けていた。
「考えてもみてくれ。退去命令のせいで反乱が起きて首都に――特に住民や衛兵部隊に被害が出るとなれば、指導者はそれを防ぐために命令を取り下げてくれるかもしれない。でも、結果的にそれはただの引き延ばしにしかならないし、むしろそのあとの状況は悪化すると思う」
「どういうことじゃ、主様?」
アーロンとは対照的に、アンバーはジェードの考えのほうにこそ関心を示していた。
暴力に訴えない手段を望むアンバーからすればこれは当然のことだ。しかしそれ以上に、アンバーはこれまで旅の中で培ったジェードへの信頼に賭けている部分があったのだった。
「今僕らが敵対しているのはカピタラだけだ。でも、世間で奇人呼ばわりされている僕らが、尾人を巡って大規模な反乱を起こしたなんて話が広まったらどうだい? きっとアルスアルテの存在はあちこちで反感を買うことになる。そうなれば今度こそ、僕らに勝ち目はなくなってしまうよ」
ジェードの意見に納得したのか、アーロンは難しい顔をして押し黙った。
彼の言う通り、反乱を起こせば間違いなく今後に尾を引く結果となる。
カピタラだけでなく、あらゆる地域のあらゆる勢力が過激な武闘派集団を恐れ、一丸となって対抗してくるに決まっているのだ。
「……じゃあ、どうしろってんだよ……」
「……なんとも言えない。でも、力任せに正面からぶつかることだけは避けないと。だから――」
すっかり憔悴しきった様子のアーロンは、首を垂れて大きなため息を漏らしていた。
彼の問いの答えは、ジェードにもはっきりとはわからない。
それでもジェードは、今度こそ守りたい大切なものへ捧ぐ覚悟を、この場で吐露してみせたのだった。
「――だから僕らは、"歩み寄る"べきなんだと思う」
後編へ続きます。