望まぬ邂逅 後編
前回の続きです。
「……チェルシー……?」
言葉を失った街人の中、最初に声を漏らしたのはアンバーだった。
彼女の周囲の住民たちも次第にざわめき始める。これから探しに行こうとしていたチェルシーと、まさかこのような形で再開することになるなど、誰が予想しただろう。
チェルシーの姿は昨日までとは明らかに変わり果てていた。
質素な衣服は破れてぼろぼろになっており、半分裸とも言える状態。幼い身体のあちこちには大きなみみず腫れや火傷の跡がついており、美しかった青緑色の羽根は目も当てられないほど無残に毟られている。
生気のない瞳には流れ出す涙すらもはや残っておらず、彼女はまともに声も出ないほど潰した喉で「ごめんなさい……ごめんなさい……」と繰り返すだけだった。
「チェルシー……ッ! おい、しっかりしやがれ! わかるか? 俺だ……!」
状況の把握など何もできてはいなかったが、ひとまずアーロンは地面に転がったチェルシーを咄嗟に腕に抱きかかえた。
しかし、彼が何と呼びかけようとも、チェルシーは「ごめんなさい……」としか答えようとはしなかった。
「残念ながら今回は"言いがかり"などではない。ここが多くの物の怪の潜伏する危険地域であることは、すべて"それ"が証言した。害獣に人語を解させたことが裏目に出たな、アーロン」
何の慈悲も持ち合わせていないような冷徹な声で、サリバンが淡々と語り続ける。
彼の前に膝をついた状態のアーロンは、チェルシーを腕に抱えたまま、ただ黙って俯いていた。
「まさか、あいつらにやられたってのか?」
「酷え……なんて酷えことを……!」
街人たちが憤慨する中、アンバーは震える手を握り合わせて後退っていた。
傷ついたチェルシーを目の当たりにし、彼女の脳裏には故郷での悪夢――妖狐駆逐作戦の光景が思い起こされていたのだ。
怖い、怖い、怖い、怖い――
助けてくれ……主様……ッ!
目の前の人間たちが、恐ろしくてたまらない。
しばらく忘れていた人間の残忍な一面が、今目の前で牙を剥いている。
そのようなときに、彼女の震える手をいつも握ってくれた愛しき者が隣にいないことが、この上ないほどにアンバーの恐怖心を煽ったのだった。
「実のところ、あの公文書も建前のようなものなのだ。あれに記してある"異端思想家"とはすなわち、アルスアルテに潜伏する害獣どものことを指している。カピタラ近郊に存在する物の怪は、ディーノ様の命により一匹残らず排除することが決定して――」
「――その臭っせえ口を閉じろ、サリバン」
ようやく口を開いたアーロンが、サリバンの言葉を遮った。
アーロンはそのまま近くの仲間にチェルシーを預けると、立ち上がってサリバンの前に立った。
「てめえ、自分が何をしたかわかってんのか? アルスアルテに尾人がいる根拠なんか何も持ってなかったくせに、憶測だけで適当なガキ攫って殴ってみたら"当たり"でしたってか。首都の誇り高き衛兵様が、聞いて呆れる下衆野郎っぷりだな。あぁ?」
「"ウェーバ"……? ああ、この街では害獣どものことをそう呼ぶのか」
鼻と鼻が当たりそうな距離で睨み合いとなったアーロンとサリバン。
しかし、明らかに非人道的な行為を非難されたはずのサリバンが焦燥する様子はなく、涼しい表情のままであるのは実に不気味であった。
「何の確証もなく作戦を実行したと、本気で思っているのか? 我々とて、民を守る誇りを持った兵だ。そのような無謀で低能な作戦を行うことはありえない。我々を、誰彼構わず噛みつくような害獣どもと一緒にしないでもらおう」
「それ以上言うなッ!!」
不意に、アンバーの近くにいた男がサリバンを指差して大声をあげた。
それに続いて、下がっていたアルスアルテの男たちが一人、また一人と前に出てくる。
しかし、彼らの攻撃的な視線にもサリバンは冷静な態度を崩さず、彼はただ「ほう」と呟いたのだった。
「尾人のことなんか何も知らねえくせに、いきなりやってきて好き勝手言いやがって……!」
「お前らがチェルシーをこんなにぼろぼろに……許さねえぞ……!」
敵意を剥き出しにした男たちがサリバンににじり寄っていく。
その中には尾人も数人混じっていて、彼らは牙やら爪やらをあらわにして威嚇し始めていた。
「要求が飲めないのなら、我々にも手がある。ただ行進をするためだけに彼らを連れてきたわけではないからな」
そう言ってサリバンが左手を上げると、後ろに控える兵たちが一斉に槍を構えた。
それでも、仲間を傷つけられたアルスアルテの男たちはまったく怯む様子を見せない。
一触即発の空気の中、吐き気すらもよおすような緊張感の沈黙が、長く長く続いた気がした。
「――騒ぐな、てめえら」
最初に動きを見せたのは、意外なことにアーロンだった。
彼はサリバンと睨み合う姿勢のままで、背後の仲間たちが見せる殺気を一喝してみせた。
「町長!?」
「だが、コイツらはチェルシーを――」
「――今ここで手を出せば、全部衛兵の思う壺だぞ」
アーロンの言葉の意味を察した仲間たちは、徐々に冷静さを取り戻していった。
ここで衛兵部隊と衝突すれば、それはカピタラが尾人を排除する理由を与えてしまうことになるのだ。
いや、むしろそのためにサリバンはこれほどの部隊を率いてきたのだと言っても過言ではない。
チェルシーに尾人の存在を自白させ、さらには傷ついた彼女をアルスアルテに見せつける。
サリバンはこうして街の尾人たちを逆上させ、彼らによって衛兵部隊が襲撃を受けたという既成事実を用意するつもりなのだ。
そうすればカピタラはアルスアルテに対し、害獣駆除という名目で遠慮なく危険生物を掃討する作戦を決行することができる。そうなれば次に衛兵部隊がやってくるときには、"退去命令"ではなく"駆逐命令"の公文書を手にしていることだろう。
そのためこの部隊は、文書を持ってくるだけの簡単な任務にこれほどの大人数で、それに完全武装までしてやってきたのだ。何とも姑息な手段を使うものだと、アーロンは大きな舌打ちをしてみせた。
どうすればよいかわからず、アーロンの背後で仲間たちは戸惑いを見せていた。
彼らはただ、サリバンと睨み合ったまま動かないアーロンの背中を見つめ、自身の長の導き出す答えを待った。
「……わかってたさあ。遅かれ早かれ誤魔化しきれなくなることは、最初からな……」
そう呟いたアーロンが、サリバンから一歩距離をとる。
そして彼はそのままゆっくりと両膝を下ろすと、サリバンに向けて両手をつき、頭を下げたのだった。
「町長!?」
「何してんだよ町長ッ!!」
「顔を上げてくれ!」
取り乱した仲間たちが背後で喚く。
しかしアーロンは彼らの言葉を無視するように、冷酷な目で見下ろすサリバンの前で地に額をつけ続けた。
「……首都の要求については最大限努力する。だから頼む。これ以上、うちの連中に手を上げねえでくれ……。変人どもに違えねえが、それでも俺の大事な家族なんだ……」
下手に出てそう語ったアーロンだったが、噛みしめられた彼の唇からは血が流れ出ていた。
本当は今すぐ殴りかかってやりたい。しかしそのような手段に出れば、カピタラは尾人だけではなく、アルスアルテの人間たちまでも異端として粛清対象とするだろう。
そのような口実を作るわけにはいかない。アーロンが今取れる最善の手段としては、これが限界だった。
サリバンは目下のアーロンを見下ろしたまま、面白くないとでも言いたげにふんと鼻を鳴らした。
そして先程突き返された文書をアーロンの前にひらりと投げ捨てると、背を向けて歩き出したのだった。
「我々の指導者も鬼ではない。生誕祭が終わるまで待つ。次に我々が訪れたときに物の怪が一匹たりとも残っていなければ、異端思想からの改心を認め、ここでの人間の生活だけは保証してやろう。だがそうでなかったときは、覚悟を決めてもらう」
そう言い残して、サリバンと衛兵部隊は去っていった。
規則正しい調子で聞こえる鎧の音が遠ざかり、部隊が街の外に出るまでアーロンは一度たりとも顔を上げることなく、歯をぎりぎりと食いしばっていた。
今回で回想は終わりです。次回は本編に戻ります。