第一章 処刑台への降伏
最後の竜は、夜明け前の王都へ翼をたたんで降りた。
見張り塔の鐘が一打目を鳴らしたとき、黒い影は城壁を越えていた。二打目で弓兵が矢をつがえ、三打目で影は刑場の中央に伏した。石畳が沈み、処刑台の柱が一本折れた。それでも竜は火を吐かなかった。
「撃つな」
検察官レオン・ヴァイスは叫びながら階段を駆け下りた。自分がなぜ止めたのか、そのときは分からなかった。十七年間、夢の中で何度もこの竜の喉を切ってきた。妻エルナと七歳の娘リアを灰にした口が、目の前で静かに閉じている。
竜は巨大だった。鼻先から尾まで、白石法院の大広間より長い。夜露に濡れた鱗は古い鉄のように黒く、翼膜には穴がいくつもあいている。左の角は半ばから折れていた。
近衛兵が鎖を運び出すと、竜は自分から前脚をそろえた。
「名を告げろ」レオンは言った。
金色の目が彼を見た。
「オルヴァス。赤き峰で最後に孵った者。おまえたちの言葉では、最後の竜だ」
声は低いが、王都じゅうの窓硝子をかすかに震わせた。
「降伏するのか」
「処刑されに来た」
レオンの指が剣の柄へ動いた。竜の瞳に、灰鐘市の火が重なった。鐘楼の青銅が熱で溶け、人の形をした黒いものが道に倒れていた。十七年前、若い書記官だった彼が到着したとき、妻子を見分けるものはリアの銀の靴留めしか残っていなかった。
「なら、望みどおりにしてやる」
「処刑の前に、裁判をしてほしい」
兵たちがざわめいた。レオンは笑いかけ、笑えなかった。
オルヴァスは折れた処刑柱の脇へ顎を置いた。
「火冠盟約、第九節。王の土地で言葉をもって降伏した火の民は、罪名を聞き、証拠に答え、判決を受ける権利を持つ」
「盟約は竜討ち戦争で失効した」
「王国年代記はそう書いた。盟約そのものは、王と竜の双方が絶えぬ限り続くと書いてある。おまえの王は生き、私は生きている」
法の文言は正しかった。レオンはそれを知っていた。百九十年前の条約で、法院の学生なら最初の年に読まされる。竜を家畜でなく交戦国として扱った、王国史上もっとも屈辱的な文書だと教わった。
「裁判を引き延ばす気か」
「判決を受けるまでは死なない。飢えでも、刃でも、私を殺せぬ。判決の後は抵抗しない」
竜は首を少し傾けた。鎖が石をこすった。
「急げ、検察官。私が死ねば、鱗にいる死者も消える」
レオンは目を細めた。
竜の鱗が死者の最期を宿すという伝承は知っていた。竜炎に焼かれた者の最後の一分が、一枚ずつ鱗へ移る。迷信として禁じられ、戦後には読む者も絶えたはずだった。
「おまえが殺した者の記憶か」
「竜の火で死んだ者すべてだ。私の火とは限らない。火は血族を巡り、最後に生きる者へ集まる」
刑場にいた誰も、すぐには言葉を返せなかった。
オルヴァスが息を吐くと、鼻孔から白い湯気だけが出た。
「私を早く殺したい者にも、殺さずにおきたい者にも、それは都合が悪いだろう」
夜が明けるころ、大法官エステル・ラウが刑場に到着した。白髪をきつく結った小柄な女で、竜を見ても歩調を変えなかった。盟約の原本を持ってこさせ、濡れた石畳の上で第九節を読んだ。
「法院を開く」と彼女は言った。「被告人オルヴァスの身柄は王国ではなく、法の管理下に置く。鱗一枚たりとも、許可なく剥がしてはならない」
レオンは異議を唱えた。
「被告は王都の全住民を一息で殺せます」
「だから法を急いで捨てるのか。捨てた法を、判決のときだけ拾うつもりか」
大法官は鎖に法院の封蝋をつけた。
「主任検察官はあなたです、ヴァイス。三日以内に訴因を特定しなさい。戦争全部を一頭へ背負わせるような起訴状なら、私が破り捨てます」
レオンは竜を見た。オルヴァスも彼を見ていた。
「灰鐘市三百十二名の殺害。ケルン渡り九十七名の殺害。白谷停戦地六十四名の殺害。まず、この三件です」
「認否は審理で述べる」と竜は答えた。
レオンはその平静さが憎かった。憎しみだけなら、十七年かけて十分に育てた。だが起訴状を書き始めた彼の耳には、竜の言葉が針のように残った。
私の火とは限らない。
灰鐘市で見つけた王冠印の金具を、レオンは誰にも提出していなかった。




