外伝Ⅱ もう一人の坊ちゃまの求婚 それから(後編)
長い年月、直に会っていなかった分。
カサンドラとアリメアは、お互いに手紙では書ききれなかった近況報告をしていたら、瞬く間に時間が過ぎた。
楽しい時間はあっという間に、日も暮れさせてしまう。
夕餐の約束まではしていなかったので、カサンドラは名残惜しげに帰り支度をしていた。
アリメアを目の当たりにすると、猫にマタタビ状態のカサンドラは弟に構っている暇などない。
婚約者であるはずのチェルトでも。
沈黙は金。
この家の主なのに、いる事を忘れていた程。
聞き役に徹していた我が弟は、お客様の帰り際になってやっとの事で口を開いた。
アリメアはお土産にと、本日のお客様へ準備した焼き菓子を厨房へと取りに行っている。
「アリメアの事が心配なら、いつでもおいでくださって結構ですよ」
常識の範囲内の訪問なら。
と、婚約者殿には聞こえていそうだなとチェルトは思った。
――弟には勿論、他意はない。
「私も仕事柄、家を留守がちにしてしまいそうですから。アリメアも寂しい思いをしてしまいますからね」
言われたカサンドラは、何故それをお前が言うんだとちょっとご立腹である。
アリメアと会うのには、お前の許可が必要なのかと。
「そう、貴方は私に会いたくないって事ね」
さらに、言外に「自分の留守中に来てくれ」と言われているように感じたようだ。
「…………」
弟は、顔には出さないが戸惑っている。
なぜそうなるんです? 的な事を考えていると兄には分かった。
弟の事を理解していて、カサンドラの事も読みやすいチェルトから見ると、面白い程二人はかみ合わない。
「ちょっと、何で何も言わないのよ!」
「いえ、私が何か言うと貴女を怒らせてしまうだけでしょうから」
「ちょっと、だからっ、アリメアの親友のこの私に、認められようとかいう気概はないわけ?」
「貴女はアリメアの大切な人です。認めてもらいたいとは思いますが……それは無理強いするものではないでしょう?」
――弟らしい、理由だ。
人にはどうしても相性の悪い人間がいる。
分ってもらえないのなら仕方ない。
弟にとっては、嫌いな人間……つまりは弟と会話する相手の苦痛を慮った譲歩だ。
しかしそれは、大方の人間にとっては突き放されたように……貴方がどう思おうと歯牙にかけていないと、傲慢に受け止められる。
本当なら、土下座してまでも結婚の許しを自分に乞うべきだと思ってるカサンドラと、そんな考えの我が弟の相性は最悪だ。
水と油といってもいい。
弟の気遣いはどこまでもカラ回る。
アリメアか、潤滑油の僕がいて冷静に話せるだろうが、僕は今回はあえて何もしない。
――本当に大事な事は……自分でどうにかする事が肝心だ。
決して二人が、仲良くなってもらいたくないという訳でも、意地悪している訳でもない。
という事で、僕は二人を傍観する。
「やっぱり、貴方とは敵よ! 認めないわよ!」
「アリメアと幸せになりますから……認めるとか認めないとかは別として、彼女の親友として、見ていてください」
カサンドラの突然の宣言に、内心は動揺しているが、外から見ると涼しい顔をして弟は返事をする。
「ふん! 内心は、部外者が口出すなとか思ってるんでしょう?」
「そんな事は思いませんよ、貴方はアリメアの事を思って私に言っているのでしょうから」
「嘘おっしゃい!」
「貴女はアリメアの親友というよりは、家族のようなものでしょう? 貴方の言葉は、全てアリメアの事を考えての事ですから、どのような事であれ私が聞かないわけにはいかないと思っています」
――完敗だ。
これほどまでに、アリメアの事を考えている男がいるだろうか。
本来ならアリメアに対して、親戚でもないカサンドラが何か言う筋合いはない。
彼女も心の奥底では、痛感している事実だ。
夫と親友。
その差は歴然としている。
それなのに、カサンドラの立ち位置を尊重しつつ、それ毎受け止めると弟は宣言したのだ。
カサンドラが求める完璧な答えを、弟は言ってのけた。
「それに私も兄の結婚を見守っていますから、兄をよろしくお願いします」
「貴方の方が認めてほしいはずなのに、なんで私がっ……貴方に認めてもらわないといけないの!」
言葉はともかくカサンドラの勢いは、削がれている。
「貴女がアリメアを気にしているように、私も兄が心配なんですよ」
まるで僕たちの結婚の真意を、見透かされたような言い回しだ。
正直言って、弟がそんな事を考えていた事にはびっくりだった。
僕たちは家族としての絆が、一般家庭に比べると希薄だ。
実家の家業の為に、一緒に過ごした時間は、親しい親戚程度に短いだろう。
僕が弟の事を気に掛けるほどには、弟は僕の事を気にかけていないと思っていた。
僕は自分が一般的な兄と違って、ひねくれているのは重々承知しているし、僕の一方的な家族愛としてもいいと思っていたのに。
――ほらね、二人を見守っていたのは正解だった。
お兄ちゃんは不覚にも、グッと来てしまったよ。
アメリアは本当に、弟にもいい影響を与えているようだ。
逆に、カサンドラはこの結婚の秘密を知られてないかと、気まずくなる。
弟に知られることが怖いんじゃない、アリメアに知られることだけは避けたいはずだ。
「あなた何を……」
知ってるの?
カサンドラが、言いかけた瞬間に。
「お待たせしました」
アリメアがにこにこしながら焼き菓子入りのバスケットを持って戻ってきたので、弟への追及も、怒りもどこへやら、カサンドラはアリメアにまっしぐらだ。相手が弟なだけに、会話を中断させるという不作法なんて気にしない。
「どうかしましたか?」
「いいえ、なんでもないの、アリメア。おいしそうだわ本当に貰っていいの?」
「ええ、チェルトさまとそのご婚約者さまの為に作った物だから……クランベリーの焼き菓子がお好きだってチェルトさまから伺っていたの」
「大事に食べるわね」
――これも一つの、僕の婚約者はカサンドラだと言うヒントだった。
バスケットを覗き込もうとして、触るなとばかりにパチンと手を叩かれた。
大事な大事なアリメアお手製の焼き菓子。
残念な事だけど、僕には一つも貰えないだろう。
チラリと見えたのは、お茶を飲みに来た時に、チェルトにも出されたことのある茶菓子。
カサンドラはベリー系のお菓子に目がないので、何かご婚約者様にリクエストは? と聞いてくれるアリメアに、これがいいとお願いしていたのだが。
ココアをまぶしているせいなのだろうか、見かけは控えめにいってもあまり良くないが、味は不思議なほど美味しい。ソル家の厨房のコックも、アリメアのことは気に入っていて、気が向けば教えてくれていたからだろう。残念ながら、味と違って形成のセンスは磨かれなかったようだ。主に食べる事になる弟も、味が良ければ見た目は問わないとなれば、なおさら改善は難しいだろう。
普通の貴族の令嬢ならば、見て眉をひそめるような見た目でも、カサンドラには全く気にもとめずに大事そうにバスケットを受け取った。
――もし世にも奇妙な味だったとしても、愛ゆえに完食するカサンドラが目に浮かぶ。
「とにかくっ! 私だって幸せになりますし。幸せにして見せるわよ、ねぇ、チェルト様」
「ああ、心配しなくても。僕たちも大丈夫だよ、二人とも」
どうやら弟の事を忘れた訳ではなかったらしい。
急にカサンドラは弟に宣言する。
心からの笑顔で僕はそう弟に答えると、本音はどうあれ笑顔を見せるカサンドラに便乗して、彼女の肩を抱き弟たちに見せつける。
それを弟は納得したように、アリメアはほほえましそうに見ていた。
――彼女の肩は、調子に乗るなと怒りに震えていたけどね。
「意外と穏やかに今日は終わったね、下手すると僕の弟は殺されるんじゃないかとおもっていたんだけど」
「……絞め殺したいのを、ぐっとこらえたんだけれども、褒めてくれる?」
「ああ、素晴らしかったよ」
帰りの馬車の中ではアリメアからもらったバスケットを大事に抱えてる姿はほほえましい可愛さだったのだが、屋敷に帰り、来客用の居間に二人きりになって僕が弟の話題をだすと、一気に不機嫌な顔になった。
「まさか、貴方の弟にこの結婚の真実は話したの?」
「いいや、まさか」
「そうよね」
「あれだけ早く結婚してたいって、熱烈に返事してくれたのに……引き延ばされてるから、心配なだけだろう?」
「熱烈? ああそうね」
「僕たちが先に結婚して、弟達の人生の先輩になってもいいと思うんだけどね」
プロポーズした時は「今すぐに貴方と結婚したくなるぐらい」と言われたが、いざそうなるとアメリアと弟が結婚する迄は、僕達も婚約期間を延長すると言われている。
弟たちはアリメアの心構えができるまでに、まだまだ時間がかかりそうだった。
「まぁ、私も冷静になって考えてみたのよね。もし、もしもよ? あの二人が結婚しなかったら無駄な結婚じゃない、離婚するの面倒くさいでしょ?」
曲がりなりにも伯爵令嬢。
結婚するにも王の許可がいるので、色々と手続きが煩雑だ。
僕とカサンドラの場合は下手に貴族同士の政治的思惑が無い分、許可は殆ど取れたも同然だが。貧富としての階級の差はあれど、一般人同士の弟カップルとは違い、面倒な事には変わりない。
そして結婚と同じほど、いやそれ以上に離婚には様々な厄介が待っている。
離婚を回避する手立てはいくらでもあり、離婚する気ははなはだ無いが。
彼女の中では離婚一択しかないのが、チェルトは少し寂しい。
「それに、無事に二人が結婚したとしても、もし離婚って事になったらあなたとはすぐに離婚よ! 離婚ですからね!」
そのセリフに、僕は思わず笑ってしまう。
「なに笑ってるのよ!」
「いや、だって……」
「本当にわけわかんない男ね」
――本当に君は優しいな。
それは僕に弟夫婦が離婚しないように――といっても、まだ結婚もしていないが――頼んでいるのと同義じゃないか。
弟の事を少しは認めたのだろう、カサンドラの優しさは本当に分かりにくい。
――でも君の望みを叶えるよ、それが僕の愛の証だから。
自然と笑いが収まらない僕の状態に呆れたようになりながらも、何を思ったのかカサンドラはまるで本当の婚約者のように、僕の隣に腰かけた。
「本当に、あなたと結婚しようと思って良かったわ」
「そうだろう? アリメアと義姉妹になれたんだから」
「ええ、それは前提としてよ」
不本意、という顔から真剣な表情へと変化する。
「こんなにワガママ聞いてくれてありがとう。今日だって忙しいのに付き合ってくれて助かったわ」
驚いた。
怒りではなく、くるくると恥ずかしげに回る金の瞳で僕をじっと見つめている。
確かに、僕は暇じゃない。
ソル家の次期当主となるように、父や母と同様の商談を抱えている。
好きな女性に恰好つけたいのは、僕も世間一般の恋する男達と同じだ。
今日もこの彼女との時間を作るためにどれだけ無理したかは、悟らせないようにしている。
「あなたじゃなきゃこうはいかない。貴方は本当に私の理想の理解者だもの……それは感謝してるのよ?」
「大した問題じゃないよ」
「ほんっと、貴方憎たらしいわね、人が折角、真剣に褒めてるのに涼しい顔して」
僕の気のない返事で気がそがれたみたいで、あっさりと彼女は僕の隣から立ち上がって僕から離れる。
「一つなら、食べていいわよ?」
大事な大事なアリメアの作った焼き菓子。
それを僕に一つだけ手渡して、その残りをメイドには託さずに、厨房に直々に持って行くために、部屋を出ていく。
――不意打ちだった。
アリメアの義兄としての価値以外で僕が認められる不思議な心地に、涼しい顔を作るのは限界だ。
彼女は僕を好きではない。
アリメアへ向ける気持ちと比べると、雲泥の差。
しかし、カサンドラの気持ちが絆されていくのを少しでも実感すると――僕は。
傍観者の立ち位置が好きで、常にそうあろうと思っているつもりなのに、装わない心をあっさりと引きずり出される。
もらった大事な大事なアリメアのお菓子をかじる。
甘くて、そしてほろ苦い。
涼しい顔をしてると僕を詰った婚約者殿は、僕が彼女の些細な言動であっさりと耳まで真っ赤になってしまう事に、まだ気付かない。