乂阿戦記6 エピローグ 変身ヒーローの勇者様と歌って戦う魔法少女はキャノンボールに出場する
――戦いは終わった。
失われたものも、
取り戻したものもある。
だが――
世界は、まだ終わらない。
そして彼らは、再び走り出す。
第6部、エピローグ。
エピローグ:世界が笑う日
吹雪が、やんだ。
――戦いは終わった。
氷世界ニブルヘイムに、ようやく本来の「音」が戻ってくる。
爆音でもなければ、悲鳴でもない。
誰かが安堵の息を吐く音。再会した仲間へ笑いかける声。そして、帰ってきた者へ「おかえり」と告げる声。
そんな当たり前の音が、激戦の残骸が横たわる白銀の大地を、ゆっくりと満たしていった。
魔法戦艦アルゴー号は、損傷だらけの船体を軋ませながらも、なおニブルヘイムの空を航行している。
甲板では整備班と医療班が忙しく走り回り、傷ついた機械神の向こうでは、生還した者たちが泣きながら笑っていた。
勝った――という言葉だけでは、少し違う気がした。
彼らはただ敵を倒したのではない。
失いかけていたものを――取り返したのだ。
⸻
救いの、その後
アルゴー号、医療区画。
薄暗い照明の下で、ベッドに横たわっていた雷華の指先が微かに動いた。
「……あ……れ……?」
掠れた声。
ゆっくりと目を開いた雷華の視界いっぱいに、最初に飛び込んできたのは一人の少女だった。
「……雷華」
聖羅。
雷華は何度かぼんやりと瞬きをした後、ようやく目の前にいる少女が誰なのかを理解した。
「あ……聖羅……」
そして心の奥では、ずっと言えなかった言葉が浮かぶ。
(……お姉ちゃん……)
次の瞬間。
雷華は泣いた。
子供のように、何一つ隠すことなく泣いた。
聖羅も何も言わず、その身体を強く抱き締める。
いつもの強がりも、舞台の上で見せる笑顔も、今だけは必要なかった。
生きて戻ってきた。
それだけで十分だった。
そこへ、低い声が届く。
「……よく戻ってきたな」
雷華が顔を上げる。
阿門が立っていた。
普段と変わらぬ鋭い眼差し。
だが、その声だけはどうしようもなく優しかった。
その隣から紅茜も歩み寄り、雷華の額へそっと手を当てる。
「……よく耐えたでござるな。偉い子でござる」
「……阿門おじさん……茜師匠……」
雷華は二人を見上げ、再び泣き笑いする。
「……ただいま」
そして胸の奥で。
誰にも聞こえない声で、もう一度告げた。
(……ただいま、お父さん。お母さん。お姉ちゃん)
阿門は静かに頷いた。
「……ああ。おかえり」
その一言だけで、雷華はまた泣いた。
⸻
別の区画。
《ベリアルハスター》のコックピットから降りてきたシュリは、まだ手の震えが止まらないまま、通路の壁へ身体を預けていた。
怖かった。
本当は何度も泣きたかった。
何度も逃げたかった。
それでも――やった。
自分は逃げなかった。
そんなシュリの前に、一人の男が立つ。
風牙麓。
いつもの教師のような穏やかな笑みを浮かべている。
ただ、その瞳の奥には激戦の疲労と、それでも確かにそこへ戻ってきた「生」が宿っていた。
「シュリ」
「……お父様」
名前を呼んだだけで、喉の奥が熱くなる。
風牙は一歩近づき、娘の頭へ優しく手を置いた。
「こんな厳しいところまで、よく来たね」
「……来ちゃだめって……言ったのに」
「そうだね」
「でも……」
シュリの声が震える。
風牙は静かに息を吐き、微笑んだ。
「君が来なかったら、私は戻れなかった」
その瞬間、堪えていた涙がシュリの頬を伝った。
「お父様……私、怖かったです」
「うん」
「ずっと……逃げたかった」
「うん」
「でも、逃げたら……お父様が、本当にいなくなる気がして……!」
風牙は娘の言葉を遮らなかった。
ただ何度も頷き、最後まで聞いた。
そして。
「ありがとう、シュリ」
そう告げる。
シュリは涙を拭いながら、それでも少しだけ笑った。
「……今夜は、私がお父様のごはんを作ります」
「……それは、それで怖いね」
「ひどいです!」
二人は思わず同時に笑った。
泣きながら笑い、笑いながら泣き、最後には何も言わず抱き合った。
少し離れた場所では、オームが腕を組んで二人を見ていた。
珍しく気まずそうに視線を逸らしていたものの、その口元だけは確かに緩んでいた。
⸻
指令室。
戦術盤はすでに片付けられていたが、破損したモニターの周辺にはまだ焦げ臭さが残っている。
パピリオは椅子に腰掛けて脚を組み、煙草の代わりに飴を口の中で転がしていた。
「……あの子、やっぱり似てるわねぇ」
レッドは何も答えなかった。
その視線の先では、紅茜が黙々と通信ログを整理している。
彼女自身も気づいていた。
レッドが、自分に何かを感じ始めていることに。
そして、いつか気づかれてしまうかもしれないということにも。
それが怖かった。
だが。
今だけは。
仲間として。
母として。
戦いを終えた一人の紅茜として、ここにいたかった。
レッドが小さく呟く。
「……変なんだよな。髪の色も違う。雰囲気も違う。でも……」
パピリオが肩をすくめる。
「人生なんて、そういう偶然もあるものよ」
紅茜の肩が、ほんの一瞬だけ揺れた。
(気づかないで)
(今は……まだ)
(今度こそ、守るから)
その心の声が誰かへ届くことはない。
それでも。
彼女の背中が、確かに「誰かのため」にそこへ立っていることだけは疑いようがなかった。
⸻
やがて。
アルゴー号の艦橋に、久しぶりとなる明るい映像が流れた。
『――緊急特番! キャノンボール大会、再開決定!!』
ニュースキャスターが満面の笑みで叫ぶ。
『各地の復旧状況と安全確認を踏まえ、開催地域は順次公開される予定です!』
画面が切り替わり、スポンサー映像が流れる。
そして最後に映し出されたのは、誰もが見慣れたロゴだった。
CANNONBALL RACE
その文字が画面いっぱいに表示された瞬間、艦橋が一気にざわめいた。
「やっとかよ!」
「待ってましたァ!」
「生き残った甲斐があるってもんだ!」
ミスティルは腕を組み、満足そうに頷く。
「よし。興行再開だ。今度は――本物の熱狂を取り戻す」
塵芥鏖が鼻で笑った。
「次は観客席でポップコーンでも食いながら見てぇもんだな」
「無理だね。お前も出る」
「……は?」
「出る」
即答だった。
塵芥はしばらくミスティルを睨んだ後、深々とため息をつく。
「……だと思ったぜ」
その横で漢児が拳を突き上げた。
「っしゃああああああ!! レースだレース!!」
絵里洲が即座に叫び返す。
「やめて! 次はもうちょい安全なコースにしてよ! 私、死にたくない!!」
「おい絵里洲!」
アキンドがすかさず突っ込む。
「お前、俺たちに借金返済させるために危険なレースコースを走らせまくったこと、もう忘れたのか!?」
「それとこれとは別!」
「別じゃねぇ!」
漢児が豪快に笑った。
「細けぇリスクなんか気にすんな! 祭りだ祭り! 次は観光気分で行こうぜ!」
「「観光で死にかけるのが嫌だっつってんの!!」」
アキンドと絵里洲の息の合ったツッコミが炸裂する。
そして。
艦橋が笑いに包まれた。
その笑いが、どれほど尊いものなのか。
誰も口にはしなかった。
だが。
全員が知っていた。
⸻
翌朝。
復旧した中継回線が繋がり、世界中の画面にアルゴー号の姿が映し出された。
『今回のキャノンボール大会には――あの英雄たちも参戦予定です!』
カメラが切り替わる。
アルゴー号の甲板。
修復作業中の機械神たちが並ぶ整備フレームを背に、見慣れた顔ぶれが並んでいた。
聖羅は《ブリューナク》のメンバーたちと肩を並べている。
ブリュンヒルデはいつものアイドルスマイルで手を振り、迦楼羅すももは元気よく敬礼する。
紅茜は控えめに微笑んだ後、ほんの少しだけ目を伏せた。
雷華もまだ完全回復とはいかなかったが、それでも胸を張って立っていた。
もう、その頬に涙の跡はない。
その隣では、雷音が笑いながら獅鳳の肩を叩く。
「なぁ、次は真面目にやろうぜ」
獅鳳は即答した。
「お前が言うな」
「ひでぇ!」
そこへミリルが腕を組んで割り込む。
「男相手に浮気したらダメなのだ!」
「しねぇよ!」
「……本当に?」
「しねぇって! あれは作戦だから!」
そのやり取りに、テレビの向こうからも笑い声が起こる。
世界が笑っていた。
それは。
生き延びた者たちだけが見ることのできる景色だった。
⸻
そして、その日の昼。
キャノンボールレースは再開された。
『――さぁ、再び始まります!』
『キャノンボールレース――折り返しスタート、開幕です!!』
カウントダウンが始まる。
ブザーが鳴る。
無数のエンジンが咆哮し、光の軌跡が大空へ走った。
アルゴー号の甲板からその光景を見つめながら、雷牙尊が小さく呟く。
「……因果の芽は、まだ生きている」
その声は誰にも届かない。
「だからこそ、次も勝たなければならない」
視線を落とす。
モニターの片隅には、消去されずに残された三つのデータが表示されていた。
シルマリルリオン――三基完成。
時空大鍵――現世顕現。
三聖の塔――未解放。
戦いは終わっていない。
そして。
彼らもまた、終わらせるつもりはなかった。
だが――今だけは、それでいい。
今だけは走ろう。
笑いながら。
叫びながら。
この世界へ――自分たちはまだ生きていると見せつけるように。
氷世界ニブルヘイムに、春が訪れることはない。
永遠の雪と氷に閉ざされた世界。
それでも。
人の心には、何度でも春が来る。
遠ざかっていくキャノンボールの轟音が、その何よりの証明だった。
そして物語は――次なるスタートラインへ向かう。
《三聖の塔》。
その閉ざされた扉が開く時。
彼らはまだ知らない。
そこで待ち受けるものこそが――
次なる戦いの始まりであることを。




