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こちらメリヴェール王立探偵事務所 5 ~狩人は闇に潜む~  作者: 恵良陸引


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15/15

狩人は闇に潜む 15

Chapter 15


65


 それからは、目まぐるしいほど、いろいろなことがあった。


 何を差し置いても、まずはプライネスに戻ってからとメルルは考えを改め、3人でプライネス領へ入った。


プライネス領に足を踏み入れたときは陽がすっかり落ちてしまったが、赤い空が彼らの足もとをかろうじて闇から救っていた。


 プライネス領に入ると、メルルたちはすぐにプライネスの者たちと王国軍に保護された。

 領の境では、ペイピールの仲間である用心棒の何人かと、王国軍の兵士たちが集まっていたのだ。

 彼らは先に進軍したバートン大尉の連絡を受けて、まさにウルバッハ領へ進むところだった。


 ペイピールは、ウルバッハ領でのできごとや状況を報せて、カップは王国軍の医療班に預けられた。

 カップは回復術師の治療を受けることになったのだ。


 メルルは事情を話し、王国軍の兵士たちとともに、ウルバッハ領を目指すことにした。


 「元気だねぇ」

 ペイピールはメルルに手を振り、その場に残った。ペイピールもまた、後頭部に受けた傷を治してもらうことになったのだ。


 こうして、カップとペイピールに別れを告げたメルルは、王国軍の馬車に同乗させてもらい、ウルバッハ領へ戻ることになった。


 だが、馬車に乗り込む手前で、メルルは足を止めてしまった。

 ここ最近、馬車には良い記憶がない。

 どうしても、ためらいの気持ちが前に出る。


 しかし、このまま立ち止まっていられるものでもない。


 エイッと気合を入れて馬車に乗り込むと、おそるおそる座席に座る。


 メルルを乗せた馬車は滑るように走り出した。

 王国軍の馬車は車軸を支えるバネの性能が優れているらしく、地面からの振動が柔らかく、むしろ心地よいぐらいだった。


……やっぱり馬車は快適だ!


 メルルは、あっさりと馬車嫌いを克服してしまった。

 安心できたせいか、メルルは馬車の中で少し眠り、疲れを癒した。


 カイン・ウルバッハの屋敷でレトと再会し、互いの無事を喜び合ったのは、夜も更けたころのことだった。


 「本当に無茶です、レトさんは」


 メルルは胸がいっぱいになって、そう言うのが精いっぱいだった。


 レトの反応はあいまいだった。

 どこか恥ずかしそうに横を向き、「すまない」とだけ応えた。



 この屋敷に、カイン・ウルバッハは戻っていないという。


 ここへ向かうまでの道中に、カインはもちろん、誰の遺体も遭遇しなかった。

 当然、『厄獣』も。


 どこか途中の脇道でカインはそれていったようだ。


 『厄獣』に殺されたという報告は入っていないので、今もどこかをさまよい、逃げているのだろう。


 だが、現在、カインを逮捕するため、ウルバッハ領の周囲から王国軍が入り込んでいる。

 たとえ、『厄獣』から逃れられても、いずれ王国軍に捕まるに違いない。


 メルルは、カインの屋敷で、ケドルの部屋に入ることができた。


 メルルが大切にしていたカーラの杖は、ケドルが話していたとおり、ベッドの正面の壁に、ケドルが『戦利品』と称するさまざまな品とともに飾られていた。


 メルルは杖を取り戻すと、壁一面に飾られた『戦利品』を見つめた。

 『戦利品』――正確には、『罪の証』と呼ぶべき品々が数え切れないほど並べられていた。

 ケドルはこれほどの人びとを手にかけていたのだ。


 しばらくしてケドルの部屋から姿を現したメルルは、深刻に思えるほど顔が青ざめていた。こころなしか、わずかに震えているように見える。


 「どうかしましたか?」


 部屋の外で待っていたゴーゴリーがメルルの様子を心配して声をかけた。

 メルルを案じたルピーダのはからいで、彼をそばにつけていたのだ。


 メルルは小さく首を振った。「いいえ、大丈夫です……」


 メルルの様子に納得いかないものを感じてはいたが、ゴーゴリーはそれ以上尋ねることはせず、メルルをそっとしておいてくれた。



 ウルバッハ領は混とんとした状態だったが、これ以上できることがあるわけでもない。


 夜が明けると、レトとメルルは王国軍の馬車でカーペンタル村まで送ってもらうことになった。

 周囲の状況確認のために村へ寄る用事もあり、ついでではあるのだが。


 レトたちが村へ戻る準備をしているところにルピーダが現れると、新しい情報を教えてくれた。


 どこかの山道でカイン・ウルバッハの遺体が見つかったという。


 「熊さんに殺されたんですか?」とメルルが尋ねると、ルピーダは首を横に振った。


 「どうやら、乗っていた馬から振り落とされたらしい。

 落馬の衝撃で首の骨を折っていたようだと聞いている」


 カインは『厄獣』に追われていた。

 メルルは、馬で『厄獣』から逃げ去るカインを見ている。


 逃げる途中で、馬はカインのことを邪魔に思ったのだろうか。

 馬はあるじであるカインを自分の背から振り落とし、身軽になって逃げたようだ。


 何十年もの間、人びとを獣以下のように扱ってきた男が、自分の馬に裏切られて命を落としたのか……。


 メルルは奇妙な感慨を抱いた。


 これで、カイン・ウルバッハによる圧政の時代が終わる。


 しかし、カインとケドルという、虐殺の首謀者と主な実行者が世を去った以上、真相の究明は困難になってしまった。


 そのあたりだけが、この一連の出来事での心残りになりそうだった。


 一方、『厄獣』は王国軍の包囲を抜けたようだ。


 最新の目撃情報によれば、『厄獣』はウルバッハ領を横断し、ミルコ山地の南側に向かっているという。


 おそらく、『厄獣』が向かっているのは『ベルク・ホーフ山』だろう。

 それが報告を受けたバートン大尉の考えだった。


 「本来、魔獣は魔素の多い土地でないと生きづらいものなのです」

 バートン大尉は説明した。

 「その点、『ベルク・ホーフ山』は魔素が満ちた、理想の棲み処でしょう」


 そして、それは王国軍にとっても追跡の終わりを意味するという。


 「あの山は強力な魔獣たちが、山の魔素に魅かれて、数え切れないほど集まっているのです。

 あそこに入り込まれたら手の出しようがなくなります。

 まぁ、あそこに入った魔獣は、居心地がいいのか、めったに外へ出なくなりますから、放っておいても当面の危険はなくなるのですが……」


 それを聞いて、メルルは少しほっとしている自分に気づいた。


 『厄獣』は、人間を殺戮する危険極まりない存在だ。


 しかし、メルルは『厄獣』を「悪」の存在とは思えなかった。

 人間に対して攻撃的で「殺意」はあっても、「悪意」は感じられなかった。

 それは、人間を害する魔獣という存在だからこその行動であって、そこに人間の考える倫理や善悪など、まるで介入する余地などないと思える。

 そう。そもそも『厄獣』に人間の論理など初めから関係ないのだ。


 今回、メルルは人間の強烈な「悪意」を目の当たりにした。

 同じ人間を『獲物』とし、娯楽で殺そうとした。

 その行為はもちろん言語道断で「悪」だが、彼らは、ほかにも勝手な理屈で人びとを死に追いやっていた。

 自分たちの体制維持のため。いや、もっと範囲の狭い自己保身のため。

 ただそれだけのために罪のない人びとの命を奪い続けたのだ。


 『厄獣』は、そんな人間の「悪」も、簡単に蹂躙してしまった。

 厄介きわまりない存在ではあるが、『厄獣』を簡単に害あるものとして殺していいものか、メルルの中にためらいの気持ちが芽生えていたのだ。


 もちろん、そんなことは誰にも言うことはできない。


 「良かったです。これで、領内の方がたも安心ですね」

 メルルは本心を隠したまま、バートン大尉に安心した顔を見せるにとどめた。



 ルピーダたちとは、ここで別れることになった。

 彼らはプライネス領に戻り、もろもろの片づけごとにかかるという。

 いつの間にか、ルピーダはプライネスの領主と言ってよいほどの力を見せるようになっていた。メルルはルピーダを凛々しいと思うと同時に、そんなことも考えた。


 「お世話になりました」

 レトとメルルはルピーダに頭を下げた。


 ルピーダは手をひらひらと振った。


 「大した世話をした覚えはないね。

 ただ……、今回のことを恩に着るのであれば、こっちに何かあったらタダで助けてもらおうかね」


 ルピーダらしいと言えばルピーダらしい返しに、ふたりは顔を見合わせて苦笑を浮かべた。


 「覚えておきましょう」レトはそう答えた。


 メルルは少し気になっていることがあった。

 「『魔獣狩り』は続けられるんですか?」


 ルピーダは一瞬、目を丸くしたが、すぐ笑顔に戻った。


 「当たり前さ。

 この間も言っただろ?

 あたしはお上品で堅苦しいご領主夫人は向いてないって」


 「別に、ご領主夫人でなくてよくありませんか?

 ルピーダさん自身がご領主様をすればいいと思います。

 結婚相手だって、好きに選べばいいじゃないですか」


 メルルの返しに、ルピーダは再び言葉を失ったが、手を伸ばしてメルルの頭に乗せると、

 「言うじゃないか、探偵のお嬢ちゃん。

 でも、そうだね。

 あんな腰抜け親父なんか、さっさと隠居させて、私がご領主様をやるのも悪くないかもね」

 と、笑顔で答えながらメルルの頭をくしゃくしゃさせた。


 多少は事情の見えてきたレトは、カルロスは腰抜けではなく、むしろ、利口で判断力に富んだ人物ではないかと考えていたが、そこで自分の考えは口にしなかった。


 ルピーダとゴーゴリーは姿が見えなくなるまで見送ってくれた。

 メルルは馬車の窓から、懸命に手を振って別れを告げた。


 カーペンタル村には昼前に到着した。


 送ってくれた兵士によれば、少し状況が落ち着けば、明日にでもさらにスファクスまで送ってもらえるそうだ。

 そこからであれば、王都への駅馬車が走っているという。


 「ようやく、王都へ戻れるか……」

 レトは肩を回しながらつぶやいた。

 『厄獣』との死闘を繰り広げ、さらにウルバッハ家を徹夜で捜査した疲れがレトの身体に溜まっていた。

 宿泊所で少し眠るとのことだった。


 それはメルルも同様だ。

 メルルも教会で休むことにしたが……。


――その前にやるべきことがある……。


 メルルはレトの後ろ姿を見送りながら思った。



 アルキオネはレトの肩から飛び立つと、宿泊所の屋根にとまった。

 まるで、屋根からレトを見守るかのようだ。


 メルルはレトが宿泊所に入るのを見届けると、自分は教会へ向かわず、村の細道へと歩いていった。


 やがて、メルルはひとつの小屋の前に着いた。レオの作業場だ。


 「なんだ、お前。また来たのか」


 レオがメルルを見つけて不機嫌そうな表情を見せた。

 この間見たときと同じ場所で、粘土の成型をしているようだ。


 メルルはレオの言葉に答えず、レオの向かいに回って腰を下ろした。


 レオは不機嫌に鼻を鳴らすと、それ以上相手をすることなく自分の作業に戻った。


 メルルは無言でポケットに手を突っ込むと、そこから小さなものを取り出した。

 やはり無言のまま、それをレオの正面にある作業台に置く。


 レオは作業台に置かれた物を目にすると、作業していた手が止まった。


 食い入るように、『それ』を見つめる。


 「これに見覚えがありますか?」


 メルルは『それ』を指さした。


 それは赤い色をした、小さな櫛だった。アージャ族の女性が身につける、独特の意匠をした櫛だった。


66


 小屋の中はしばらく沈黙に包まれた。


 やがて、沈黙を破ったのはレオだった。


 「……これを、どこで見つけた?」


 「カイン・ウルバッハの屋敷の中です。


 用心棒のひとり、ケドルという人物の部屋で、それは壁に飾られていました。


 ケドルが言うには、それは『戦利品』とのことでした」


 「戦利品……」


 「ウルバッハ家は、自分に逆らう人びとを『狩り』と称して殺し続けていました。

 殺していたのは領内のひとだけではありません。


 たまたま、あるいは誤ってウルバッハ領に足を踏み入れた者も、ウルバッハ家は殺していたのです。

 それには例外はない、とのことでした。


 ケドルは、こうして命を奪った人びとの持ち物を、記念として壁に飾っていたのです」


 レオは、目の前に置かれた櫛から視線をそらさなかった。


 ただ、ぼそりと、「あいつはウルバッハ領まで行っていたのか。しかし、なぜ……」とつぶやいた。


 「これを探していたのだと思います」


 メルルはさらにポケットから一本の草を取り出し、櫛の隣に置いた。


 「『クマギライ』。この国では本来、ここよりも南方で育つ植物です。

 これはウルバッハ領で見つけました。

 どういうわけか、緩衝地帯とその近辺でも採れるのです。

 独特の芳香があって、熊除けに使われます。

 実は、それ以外にも効能があって、煎じれば熱冷ましによく効く薬になるそうです」


 「熱冷まし……。まさか……」


 「ルトラナさんは、ここでの暮らしを嫌って出て行ったんじゃないんです。

 熱を出して苦しんでいる、大切な我が子のため、自分で薬草を摘みに出かけたんです。

 ルトラナさんは、どこかでこの薬草のうわさを耳にしたのだと思います。

 自分が生まれ育った故郷ではなじみの薬草だけに、自分で子どもを救えると考えたのでしょう。

 そして、この薬草を探しているうち、ルトラナさんは誤ってウルバッハ領に足を踏み入れてしまい……」


 「そこで、やつらに見つかった……」


 メルルは暗い表情でうなずいた。

 正直、この残酷な真実を報せるべきか悩んだのだ。

 しかし、黙っているのは良くないと思った。


 もともと人付き合いは好まない性格のようだが、妻に捨てられたと思い込み、息子に心を閉ざし、人とのつながりを避け続けているレオを、そのままにはしておけなかった。


 自分が恨まれるのはかまわない。

 でも、せめてルトラナを信じる心は取り戻させてあげたい……。


 メルルはそう決心したのだ。


 「正直なところ、その経緯について詳しいところはわかりません。

 その櫛を持っていたケドルは、先日、『厄獣』に食い殺されました。

 報いを受けたと言えますが、真相を聞き出すことが不可能になりました。

 ですから、確かなことは永遠にわからないでしょう。

 でも、これだけは間違いないと断言できます。


 ルトラナさんは、あなたを……、家族を捨てなかった!」


 レオは顔を覆った。

 うつむくような姿勢で「ルトラナ……」とつぶやく。


 「ですぎた真似をして申し訳ありません。

 ですから、ここから先のことは、あなたがすべてを決めればと思います。

 レトさんにこのことを話すことも……」


 レオは顔をあげた。「あいつには話していないのか?」


 メルルはうなずいた。

 「あなたの口からのほうがいいでしょう」


 「そうか……」

 レオは再び作業台に視線を戻した。


 作業台の上で、一本の草がそよ風に揺られて櫛をなでている。


 何でもない光景だが、メルルは胸が締め付けられそうになった。


 その光景から顔をそむけるように、メルルは立ち上がった。自分の役目は終わった。もう、ここに自分がいるべき理由はないのだ。


 「行くのか……」

 レオはメルルには視線を向けずに尋ねた。あの櫛から視線をそらすことができないようだ。


 「ええ」メルルはうなずいた。


 「すまないが、ひとつ頼まれてくれないか」

 「何でしょう」


 「……あいつに……。レトに、あとで俺を訪ねるよう伝えてもらえないか。

 大事な話があると……」


 メルルは再びうなずいた。「伝えます。必ず」


 メルルは向きを変えると、そのままレオの小屋から立ち去った。


 レオはそれ以上メルルに声をかけることもなく、作業台の前でうなだれていた。


67


 メルルがレオのもとを訪ねてから数時間後。


 レトはレオとふたりきりで向かい合い、テーブルをはさんで座っていた。


 久しぶりの我が家だった。


 小さく、小汚い。レトがいなくなってからも、この家は何も変わってはいない。


 ただ、この家で暮らす、あるいは暮らしてきた父と子には変化があった。

 家の中では、こうして向かい合って座ったことなど、これまで一度もなかったのだ。


 「そうでしたか……。母さんは……」


 レトはうつむいた。それ以上の言葉は出てこない。


 レオはルトラナの櫛をレトの前に押し出した。


 「母さんの形見だ。お前が持っておけ」


 レトは顔をあげた。

 「でも、それは父さんにとっても……」


 レオは首を振った。

 「俺はいい。

 俺には、あいつと暮らした記憶がある。

 それだけでいい。


 だが、お前にはあいつの記憶がない。

 だから、せめて、これだけはお前に持っておいてほしいんだ」


 レトは櫛をじっと見つめていたが、それに手を伸ばした。

 「大事に、持っておきます」


 レオは横を向いた。「ところで……」


 「何です?」


 「お前はまた王都へ行くのか? 王都の仕事とやらをするために」


 レトはうなずいた。「ええ」


 「なぜだ?

 お前の居場所はここじゃないのか?

 戦争はもう終わったんだ。

 いくさの手柄を土産に、兵士になるという夢は破れてしまった。

 もう、お前があそこにいる理由はないだろうが」


 レトは一瞬、口をつぐんだが、どこか諦めた表情で口を開いた。


 「……たしかに、僕の夢は破れてしまいました。

 でも、まだ終わっていないんです。

 僕にとっての戦争は。

 それに……、僕はもう、レンガ職人はできません」


 「だから、なぜだと聞いている。

 終わっていないとは、何だ?」


 レトは深く息を吐いた。

 しばらく、ためらいの表情を浮かべていたが、やがて、自分の左肩に手をかけた。


 がちり。


 どこか金属部品の外れる音がすると、レトはするすると左腕を覆う鎧を脱ぎ始めた。


 すっかり鎧を外すと、父親の前に自分の左手をさらした。



 それは非常に大きな手だった。


 赤黒い肌、獣のような鋭い爪、全体を這うように太い血管が浮き上がり、まるでそれだけ別の生き物のように脈打っていた。


 レトの人間らしい右手とはまるで異なる、禍々しい異形の手だった。


 「戦争で受けた傷です」


 レトは説明した。


 「呪いのようなものです。

 僕の左手は、魔族と同じものとなりました。

 凶悪な魔族の手です。

 この手は、僕の腕を侵食し、やがては僕自身に取って代わろうとしています。

 幸い、手首に巻いてあるアミュレットの力によって、その浸食は抑えられていますが。

 それでも、わずかずつではありますが、浸食は進行しています」


 レオは息子の左手を見つめる。

 「どうにもできないのか」

 レオは何の感情も見せず、冷静な反応だった。


 「今のところは、というところです。

 無理やり、この呪いを剝ぎ取ろうとすると、今度はあたり構わず攻撃する危険があるそうです。

 おかげで、たとえ高位の術師にも、それをお願いすることができません。

 ですから、今は無理やり剝がそうとせず、安全に解除する方法を模索しているところです。

 僕は、これを抑えるため、特別性の鎧を王国から頂戴しました。

 これは耐久性をあげる術式がこめられた魔法の鎧ですが、左手に巻いたアミュレットを同時に保護し、さらにアミュレットの力を増幅するものでもあります。

 もし、アミュレットが破壊されたら、僕は一気に危険な魔族へと変貌することになるでしょう」


 「王国は知っているのか、お前の手のことを」


 「このことを知っているのは王太子殿下のほか、わずかです。

 ほとんどの者には、これは秘密です。

 職場の仲間にも秘密にしています。

 職場で知っているのは所長だけです」


 「じゃあ、あの娘にも秘密にしているのか」


 「彼女を信用していないわけではありません。

 ですが、知らないよりも、知っているほうが危険になるかもしれないんです。

 ですから、父さんも、このことは絶対の秘密にしてください」


 レオは鼻を鳴らした。


 「余計な心配だ。

 そんなことを言いふらす趣味はない。

 第一、話す相手がいない」


 レオの自嘲気味な言葉に、レトは笑みを浮かべた。


 「秘密は守っていただきたいですが、普段の話し相手は見つけておいてください」


 「放っておけ。それより話は戻すが、その手のために、お前は王国に縛られているのか?」


 「それは正しくありません。

 たしかに、僕が左手に飲み込まれて魔族と成り果てたら、王国は僕を討伐します。

 ですが、王太子殿下は厚意で僕を秘密ごと守ってくれているのです。

 僕は、この秘密を守っていただき、この呪いを解除する方法を探す協力を得るため、王国への奉仕をしています。

 ただ、これは僕のやるべきことだからしているのではありません。

 僕がそうしたいと、心の底から思っているからなのです。

 僕は、その思いに『責任』を持ちたいと思っています」


 「それがレンガ職人をやらない……、いや、できない理由か」


 レトはゆっくりとうなずいた。


 本当はもうひとつ、父にも、友でもある王太子にさえも言えない、大事な理由があった。

 それは現在、レトの家の屋根で羽繕いをしているところだ。


 「そうか……」

 レオは立ち上がると、窓ぎわまで歩いていった。

 レトに背中を向けながら外の景色を眺める。


 「お前がもし、まだ強情を張るつもりだったら、俺はあることを告げるつもりだった。

 これから、お前にそれを言う」

 レオはくるりと身体を向けた。


 「お前は正式に破門だ、レト。

 二度とあの作業場に足を踏み入れるな」


 レトは驚いたような表情を浮かべたが、すぐ真顔に戻った。

 やがて、口のはしに笑みがこぼれる。


 「……ありがとう、父さん」


68


 「……それで、レトさんは破門されたってことなんですか?」


 メルルは呆れた声をあげた。

 明くる朝、ふたりは村のはずれで迎えの馬車を待っているところだった。


 アルキオネは近くの梢でふたりの様子を眺めている。


 メルルは、レトが父親とどんな会話をしたのか気になって仕方がなかった。


 でも、他人である自分が、親子のことに首を突っ込むことなどできない。


 レトが戻って来たとき、無言だが真剣な表情でレトを見つめてしまっていた。


 レトはメルルの表情を見ると、呆れたようにため息をつき、『秘密』の部分は省いて説明したのだった。


 「あの頑固者! 説教してやります!」


 本当に走り出そうとするメルルを、レトは慌てて押さえた。


 「大丈夫だよ。

 父さんは『作業場には足を踏み入れるな』って言ったけど、家に入るなとは言わなかった。職人として扱うことはないけど、息子として、家族としては受け入れてくれるようだよ。

 それに……、あれは『今の仕事を頑張れ』という気持ちの裏返しだと思うんだ」


 メルルは完全に納得はできず、頬をふくらませた。


 「でも、それって、すっごくひねくれています。すっごく!」


 「そうかもしれないね。

 でも、父さんにしてはけっこう頑張ったと思う。

 だって、今まで父さんとはまともに会話したことなんてなかった。

 たいてい二言三言話して、それで終わりだったんだ。

 あんなに時間をかけて話したのは初めてだったよ」


 メルルは諦めたようにうなだれた。


 「本当に、レトさんの親子関係は面倒くさいですぅ……」


 「返す言葉もない」レトは笑いながら言った。


 メルルが不思議そうにレトの顔を見上げているので、レトは笑うのをやめた。


 「どうかした?」


 「いえ……。そんなに笑うレトさんを見るのは初めてなので……」


 レトは自分の口のあたりに手を当てた。

 メルルに指摘されて、自分でも驚いたようだ。


 「そうか……。僕にとっても、これはきっかけになったんだ……」


 レトはメルルと向き合った。メルルは少しどきりとして姿勢を正す。


 レトはさきほどとは打って変わって、真剣なまなざしをメルルに向けた。


 「メルル。君にはきちんと礼を言わなきゃいけない。

 君は、僕ではできないことをしてくれた。

 君のおかげで、父さんと僕は……救われた」


 『救われた』のひと言に、メルルの両目から涙がぶわぁっとあふれ出した。

 明確に自覚していたわけではなかったが、メルルはメルルなりに、あの行動に対する葛藤があったのだ。

 メルルは、レトの言葉で葛藤から解放されて、どこかでまだ抑えられていた感情の堰が完全に切れてしまった。

 その場に立ち尽くしたまま泣きじゃくる。


 レトはメルルの泣きじゃくる姿に困惑した表情を浮かべ、気まずそうに横を向いた。


 「どうして、君が涙を流す」


 メルルはなおも泣きじゃくりながら、

 「だって……、レトさんが泣かないから、私が代わりに泣いてあげてるんですぅ!」

 と抗議するように答えた。


……本当に、本当に、レトさんってひとは!


 メルルは涙がこぼれるのを抑えることができなかった。


 そんなメルルを、レトは静かに見下ろしていた。

 やがて、口のはしに笑みを浮かべる。


 これまで誰も見たことのない、優しい微笑みだった。




 「ありがとう」

『こちらメリヴェール王立探偵事務所』のストーリーをいくつか考えたとき、プロットとしてまとめておいたが、プロットとは呼べないメモ程度のものも存在する。

この『狩人は闇に潜む』も、「レトが魔獣と戦う話」の一行だけだった。

当然、アイデアがあっても実現が難しいもの、話のまとまらないものはボツになって日の目を見ることはなくなる。『狩人は闇に潜む』もそうなる見込みだった。

『Ragnarok of braves』を始めたとき、ボツ企画だった『狩人は闇に潜む』のエピソードを流用することにし、それは70~72話『少年時代』として形になっている。

『魔法の杖は真実を語らない』を公開したとき、正直、続きをどう進めるか悩んでいた。

時間稼ぎのように、まったく関係のない短編を2つ発表したが、そのあと、唐突にボツ企画だった『狩人は闇に潜む』のストーリーが頭に浮かんできた。ふいに降りてきたという感じだ。

話がまとまると後はけっこう早い。ひと月ほどで原稿の大部分ができあがった。

今回は本格推理の部分はないが、広義のミステリと言っていいと思う。

このシリーズを読んでいただいている方がたにはどのように感じる作品になっただろうか。

ただ、相変らずの拙作を読んでいただいている皆さんへ。この機会に、


ありがとうございます。

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