第二十四話 まがいものの聖戦
クラリスの審浄は、翌日の午後、大講堂で公然と執り行われることになった。
聖導騎士団のやり方だ。禁忌の罪を衆目の前で暴き、断罪する。そうすることで、民に恐怖と信仰を同時に刻み込む。長きにわたり繰り返されてきた、聖なる見世物だった。
俺は傍聴席の中ほどに座り、息を潜めていた。懐には何も持っていない。武器も、力も、見せるつもりはなかった。今日、俺が振るうのは言葉だけだ。それだけで、あの狂信の巨塔を、内側から崩してみせる。
壇上のクラリスは憔悴していた。だが、その眼は死んでいない。俺の姿を見つけると、彼女はほんの微かに顎を引いた。信じている。その仕草が、そう告げていた。俺は応えるように、深く息を吸った。
ザルムが手を挙げると、講堂の空気が凍りついた。両脇に控えた騎士たちが、篝火に薪をくべ始める。審浄とは名ばかりの、公開処刑の支度だった。炎の照り返しが、クラリスの青ざめた頬を赤く染める。彼女はそれでも顔を上げていた。恐怖に呑まれまいと、必死で背筋を伸ばしている。その気丈さが、かえって俺の胸を締めつけた。
まだだ。まだ、動くな。俺は自分に言い聞かせた。飛び出すのは、最後の最後。すべての言葉を尽くし、それでも届かなかったときだけだ。
講堂には、生徒と教官が押し込められるように集められていた。壇上には審浄官ザルム。その足元に、両手を戒められたクラリスが、それでも背筋を伸ばして立たされている。
「クラリス・オルセン」ザルムの声が講堂に響いた。「そなたは封じの道具に関する禁じられた知識を蓄え、この地の数々の怪事に関与した。これはまぎれもない、禁忌への傾倒である。悔い改め、共犯者の名を吐くならば慈悲を与えよう。さもなくば、浄化あるのみ」
「悔い改める?」クラリスは顔を上げた。「私は法に則って宰相家の犯罪を暴いた。その過程で封じの道具を調べた。それのどこが罪だというの。証拠を示しなさい。証拠を」
「禁忌に、証拠など不要」ザルムは傲然と言い放った。「匂うのだ。そなたからは禁忌の匂いがする。それが我が信仰の――」
「――なるほど。匂いで人を裁くと」
俺は傍聴席から立ち上がった。
全員の視線が一斉に俺へ集まる。無力な落第が聖導騎士団に口を挟む。その異様さに、講堂がどよめいた。ザルムの赤い眼が俺を射抜く。
その瞬間、傍聴席の隅で、デュランがわずかに眉を上げたのを、俺は視界の端で捉えていた。あの査問官は、俺がなぜ、この危険な場に自ら飛び込んできたのかを、測りかねている。だが、それでいい。俺の狙いは、あの男に獲物の在り処を悟らせることだった。じきに、あの猟犬は自分の役回りに気づく。そして、喜んでそれを演じるだろう。
「何者だ、貴様」
「ただの落第生ですよ」俺は努めて気の抜けた声を出した。「でも一つ、教えてほしいことがある。審浄官殿。あなたはクラリス・オルセンを、封じの道具に通じているから禁忌だと仰った。間違いありませんね」
「その通りだ。だから何だ」
「では質問を変えます」俺は講堂を見渡した。「この国でいちばん、封じの道具を大量に抱え込んでいるのは、誰でしょうね」
ザルムの赤い眼が、揺れた。
「代を継いで、封じの道具を狩り集め、蔵の奥に溜め込んできた組織が、一つあります」俺は続けた。「あなたのその論理でいくなら、この世でいちばん禁忌に通じ、いちばん禁忌の匂いをまとった集団は、聖導騎士団そのものだ。違いますか」
「……黙れ」ザルムの声が低く震えた。「聖導騎士団は禁忌を封じる、聖なる番人だ。狩る側と狩られる側を同一に語るなど――」
「同じ理屈ですよ」俺は一歩踏み出した。「触れれば匂うと、あなたは言った。ならば長年、封じの道具に触れ続けてきたあなたたちは、この娘の何千倍も匂うはずだ。あなたの論理は、あなた自身を真っ先に断罪する」
講堂がざわめきに包まれた。狂信の論理の、致命的な矛盾。それが白日の下に引きずり出されていく。
「詭弁だ!」ザルムが吠えた。「言葉遊びで、聖なる使命を汚すか!」
「言葉遊びをしているのは、どちらでしょうね」俺は引かなかった。「あなたは『匂う』の一言で、証拠もなく人を火にくべようとしている。それこそ言葉遊びだ。ならば、同じ物差しをあなた自身に当ててみせてください。それができないなら、あなたの物差しは初めから壊れている」
傍聴席から、小さなどよめきが起きた。生徒たちの目に、初めて疑問の色が宿る。聖なる番人と、無力な落第。その力関係が、言葉の応酬の中で、少しずつぐらつき始めていた。
「答えられないのですか、審浄官殿」俺はたたみかけた。「あなたが聖なる番人なら、身の潔白を示すのはたやすいはずだ。聖導騎士団が抱える封じの道具の目録を、いますぐ、この場で読み上げてください。何一つ後ろ暗いものがないのなら」
ザルムは答えられなかった。目録などあるはずがない。あったとしても、それこそが聖導騎士団の最大の秘密なのだから。読み上げれば、自らの首を絞める。黙れば、俺の言い分を認めることになる。狂信者は、初めて進退窮まった顔をした。
「戯言を」ザルムは青筋を立てた。「我らが道具を扱うのは、封じるためだ。禁忌に耽溺する者とは、根本から――」
「では、証明できますか」俺は遮った。「聖導騎士団がいま、いくつの封じの道具を、どこに、どういう名目で保管しているのか。すべて記録し、王家に開示していますか」
ザルムは答えなかった。答えられなかった。
その沈黙こそが答えだった。聖導騎士団は、その膨大な回収品を、王家にすら詳らかにしていない。長年、闇に溜め込み続けてきた。それはフォンティス家の腐敗と何ら変わらぬ、いや、規模において比べ物にならぬほどの禁制品の秘匿だった。
そして、その時。
傍聴席の奥から、穏やかな声が割って入った。
「――いや、実に興味深い話だ」
王室査問官デュラン・ヴァイスが歩み出た。その手には、一綴りの書類。
「審浄官殿。ちょうどよかった。私もそれを、ずっと気にしておりましてね」デュランはにこやかに笑った。だがその眼は、少しも笑っていない。「フォンティス家から漏れた封じの道具の、その一部が、どうやら貴団の蔵へ流れ込んだ痕跡があるのですよ。王室査問局として、聖導騎士団の保管目録を一度、精査させていただく必要がありそうだ」
デュランは、書類を掲げてみせた。フォンティスの一件で押収した、道具の流通記録。その一部が、確かに聖導騎士団の蔵を指していた。俺が中庭に撒いた餌を、この猟犬は寸分違わず嗅ぎ当てていた。しかも、それを己の手柄として、最も効く場面で切ってきた。恐ろしいまでの嗅覚だった。
これで、形勢は完全に逆転した。もはや裁かれているのは、クラリスではない。聖導騎士団そのものだった。傍聴席の生徒たちの目から恐怖が消え、代わりに、疑いと軽蔑が浮かび始めている。絶対の権威が、たった数分の言葉のやり取りで、音を立てて崩れていく。人の心とは、そういうものだ。一度ひびが入れば、堰を切ったようになだれ込む。ザルムの副官たちさえ、主君の顔色を窺い、身じろぎしていた。
ザルムの顔が蒼白になった。
査問局と騎士団。長年反目してきた二つの権力。その片方が、いま確かな証拠を手に、もう片方の喉元へ刃を突きつけた。狂信の聖戦は、一介の落第生の問いから綻び、王家の権力闘争の格好の獲物へと姿を変えていた。
「この娘の審浄は、根拠を欠く」デュランは淡々と告げた。「彼女が集めた封じの道具の記録は、王室査問局の正式な捜査資料の一部です。それを禁忌と断ずるなら、その資料を扱う我々査問局も、まとめて禁忌だと? 審浄官殿。いささか勇み足が過ぎたようだ」
その瞬間だった。
追い詰められたザルムの眼が血走り、《浄眼》へと伸びた。宝玉が赤く輝きを増す。
『レイ、まずい――!』アイシャの声が悲鳴のように飛んだ。『あの男、破れかぶれだ! 講堂ごと《浄眼》で炙り、力ずくで禁忌を炙り出す気だ! お前の器も、この距離では――!』
宝玉の光が講堂中に拡散する。俺の内側の底へ、その探査の光が突き刺さってくる。押し沈めきれない。閉じ切れない。ほんの一片、熱が漏れかける。
その刹那。
クラリスが動いた。戒められた両手で、足元に落ちていた副官の剣の柄を蹴り上げ、その切っ先を宝玉へと跳ね飛ばしたのだ。金属が宝玉を鋭く弾く。《浄眼》の光が大きく乱れた。
その一瞬の隙に、アイシャが、俺の漏れかけた熱を外からねじ伏せる。二つの動きが、奇跡のように噛み合った。宝玉の探査は、俺の底に届かなかった。
「審浄官殿!」デュランの副官たちが殺到する。「王命の捜査を妨げ、あまつさえ禁具を無許可で振るうか! これ以上は、貴殿こそが罪に問われますぞ!」
ザルムは《浄眼》を握りしめたまま立ち尽くしていた。その赤い眼から、狂信の炎が、みるみる行き場を失っていく。
だが、それで終わりではなかった。追い詰められた獣は、最も危うい。ザルムは、震える手でなおも《浄眼》を握りしめていた。その唇が、呪詛のように動く。
「……いる。ここに、いるはずだ。禁忌は、この講堂のどこかに」
男の眼が、傍聴席を一人ずつ舐めていく。そして、その視線が俺の上でほんの一瞬、止まった。心臓が跳ねる。気取られたか。だが男の眼は、確信を掴めぬまままた泳ぎ出した。俺の器は、なおも底知れぬ無を保っていた。かろうじて。
ザルムがなおも《浄眼》を掲げようとしたその時、デュランの副官の一人が、その腕を掴んだ。
「審浄官殿。それ以上は、明確な越権行為です。この場は、王室査問局が引き継ぎます」
「離せ! 禁忌が、そこにいるのだ! 私には、分かる!」ザルムは喚いた。だが、その叫びは、もはや誰の耳にも狂人の世迷い言としか響かなかった。追い詰められ、証拠もなく喚き散らす男。ついさっきまでの聖なる威厳は、跡形もなく消えていた。狩人が、その手の獲物を取り逃がした。いや、獲物などいなかったのだと、この場の誰もがそう信じ込んだ。
狩る者が、狩られる者に。番人が、罪人に。まがいものの聖戦は、その手を血に染める前に、あっけなく崩れ去った。
クラリスの戒めが解かれる。彼女は乱れた髪のまま、俺の方を見た。その眼には、驚きと、問いと、そして確信の色が宿っていた。
あの一瞬。彼女が剣を弾いたのは、偶然ではない。彼女は見ていた。俺の内側から何かが漏れかけた、その気配を。そしてとっさに、それを庇うように動いたのだ。
彼女はもう気づいている。俺が、ただの落第でないことに。
だが、彼女の眼に、恐れはなかった。糾弾の色もない。あるのは、ただ深い驚きと、そして、穏やかな受容だった。命を懸けて自分を守った相手の正体を、彼女はそのまま、丸ごと呑み込もうとしている。そんな眼だった。
俺は、彼女から目を逸らした。見られている。俺の、いちばん深いところまで。それは、あの《浄眼》に覗かれるのとは、まるで違う感覚だった。恐ろしくはない。ただ、どうしようもなく、こそばゆかった。
講堂の外では、聖導騎士団が王室査問局の役人に囲まれ、粛々と武装を解かれ始めていた。まがいものの聖戦は、こうして血の一滴も流さぬまま、終わりを告げた。
クラリスがゆっくりと壇を降りてくる。両脇の騎士は、もう彼女を止めなかった。彼女はまっすぐ俺の前まで歩いてきて、足を止めた。何か言いたげに口を開き、けれど言葉は出てこない。俺たちの間に、奇妙な沈黙が落ちた。
結局、彼女は何も言わなかった。ただ、深く一度だけ頷いた。ありがとう、とも、あなたは何者、とも取れる頷きだった。俺も同じように頷き返した。それでじゅうぶんだった。言葉にすれば、こぼれ落ちてしまうものが、確かにそこにあった。
傍聴席の生徒たちが、ざわめきながら散っていく。誰も、この決着の本当の立役者が、あの無力な落第だとは思っていない。それでいい。俺は影のままでいい。
だが、たった一人だけ、俺の影を見抜いた者がいる。壇上から俺を見つめる、あの娘だ。その眼差しを背に受けながら、俺は講堂を後にした。次に彼女と向き合うとき、何を話せばいいのか。まだ、見当もつかなかった。




