第一話 空っぽの烙印
2026/8/23 初投稿
本日中に5話まで予約投稿します。
5時現在から一時間に一話です。
完結まで構想済みです、ごゆっくりお付き合いください。
自分に価値がないと知ること自体は、案外痛みを伴わない。
痛いのは、それを他人の口から大勢の前で丁寧に説明されるときだ。
「レイ・ヴァンフォード。あなたとの婚約を、正式に破棄いたします」
春の叙任式。学院の大広間。天井から吊るされた無数のシャンデリアが、着飾った生徒たちを金色に照らしていた。数百の視線が一斉に俺へと集まる。
その中心で、セリア・ドラモンド侯爵令嬢はよく通る声でそう告げた。
俺は驚かなかった。むしろ、ようやくかと思った。
「理由は……言わなくてもおわかりですわね」
セリアの唇がわずかに歪む。憐れみと、それ以上の軽蔑を含んだ笑みだった。
「あなたは魔法適性ゼロ。学院始まって以来の《落第》。三年間ただの一度も魔法を発動できず、測定器はあなたに触れても何一つ示さない」
周囲からくすくすと笑いが漏れた。それは波紋のように広がり、やがて広間全体を嘲りの空気で満たしていく。
「魔法の使えぬ貴族に価値などありません。ましてや、爵位だけが残った没落男爵家の三男ともなれば」
その通りだ。
反論の余地はどこにもない。
俺とセリアの婚約は四年前、まだヴァンフォード家にわずかばかりの領地が残っていた頃に結ばれたものだった。
覚えている。初めて顔を合わせたあの日、まだ幼かったセリアは俺を見てはにかむように笑った。
「これからよろしくお願いしますね、レイ様」と。
あの頃は確かに何かがあった気がする。淡い、けれど温かい何かが。
だがヴァンフォード家は領地を失い、家が傾いた。そして俺が「落第」の烙印を押された。
その瞬間温かさは綺麗さっぱり消え失せた。
侯爵家にとって俺は、格下の家の、魔法も使えない三男という、ただの負債でしかなくなった。
当然の成り行きだ。俺だって逆の立場ならそうする。
俺はこの三年間、あらゆる努力をした。
夜通し術式を書き写し、指がインクで真っ黒になり、ペンだこが潰れて血が滲むまで続けた。詠唱を一日に千回、喉が潰れて声が出なくなるまで繰り返した。
指導教官のモラン先生に、何度も膝をついて頼み込んだ。
俺のどこが悪いのか教えてくれ、と。
先生は困ったように目を逸らし、こう言った。
「レイ。努力の方向を変えることも勇気だ」と。
つまり、諦めろということだった。
それでも俺は食い下がった。
魔力を持たずに魔法を使う方法がどこかに書かれていないかと、図書館の古い文献を灯りが尽きるまで漁った。
結果はいつも同じだ。
――何も起きない。
俺が呪文を唱えても大気は震えない。光は走らない。
魔力が「出ていかない」のだ。まるで、蛇口をひねってもそもそも水が来ていないように。
授業で当てられ、詠唱を披露させられたこともあった。
俺が術式を組み、呪文を唱え終えたあとの静寂。
何も起きない数秒の沈黙。
そして教室中に弾けた笑い声。
「見ろよ、また不発だ」
「よくやるよな、毎回」。
あの笑い声を、俺は今でも夢に見る。
その日の放課後、俺は誰もいなくなった教室に一人残った。
そしてもう一度、震える手で同じ詠唱を試した。
今度こそと。誰にも見られないところで。
やっぱり何も起きなかった。
窓の外はもうとっぷりと暮れていて、がらんとした教室に俺の影だけが夕闇に長く伸びていた。
あの静けさを俺は忘れない。
教室中の笑い声よりも、そのあとに訪れた誰もいない静けさの方が、ずっとこたえた。
二年目の途中で俺は理解した。三年目には諦めた。
そして今、こうして人前で婚約を破棄されても、心のどこかが静かに頷いている。
――そうだよな。当然だよな。俺は空っぽなんだから。
「セリア様の新たな婚約者は、この私だ」
彼女の背後から一人の青年が進み出た。アレク・フォンティス。学院首席にして王国宰相の嫡男。完璧に整えられた金髪と、勝ち誇った笑み。
アレクは俺の肩にぽんと手を置いた。まるで道端の犬でも慰めるように。
「落第。貴様も内心では安堵しているのだろう? 身の丈に合わぬ婚約から解放されたのだからな」
「安心しろ。セリア嬢は私が幸せにする。貴様はせいぜい、身の程に合った生き方を探すことだ。魔法の使えぬ貴族にできることがあればな」
どっと笑いが起きた。かつて俺に話しかけてくれた数少ない同級生も、今は気まずそうに目を逸らし、その笑いの中にいた。
俺は肩の手を払いのけたい衝動を飲み込んだ。反応すれば、それが娯楽になる。三年間で嫌というほど学んだことだ。
「ドラモンド侯爵家、ならびにフォンティス宰相家のご意向、承りました」
俺は頭を下げた。屈辱にというより、この茶番を一秒でも早く終わらせたい一心で。
「異論はございません」
その言葉にセリアは満足げに頷き、アレクの腕を取った。二人が優雅に踵を返す。
それを合図に、生徒たちも潮が引くように散り始めた。
誰ももう俺を見なかった。まるで、そこに人など立っていないかのように。
ただ一人。広間の隅に、指導教官のモラン先生が立っていた。
三年間、俺の無茶な頼みに何度も付き合ってくれた人。
最後には「諦めろ」と言った、けれど、それでも他の誰よりは俺に心を砕いてくれた人。
先生は俺と目が合うと、何か言いたげに口を開きかけた。だが、周囲に居並ぶ貴族たちの視線に気圧されたように、その口を閉じ、ゆっくりと目を伏せた。
落第生を庇う。それはこの身分の場所では、教官一人の立場を危うくすることなのだ。
わかっている。先生を責める気はない。
むしろ、あの一瞬、口を開こうとしてくれただけで十分だ。
それでも、先生の伏せられた目が、俺にはもうここに居場所がないのだと、何よりも雄弁に告げていた。
空っぽ。
彼女の言葉が頭の中で静かに反響する。
器だけがあって、中身が何もない。そのとおりなんだ。
俺はのろのろと広間を出た。
誰もいない回廊を歩きながら、俺はふと三年前のことを思い出していた。
初めての魔力測定の日のことだ。
俺が水晶球に触れた瞬間、それは割れた。
ぴしりと乾いた音を立て、蜘蛛の巣状のひびが走り、真紅の光を一瞬だけ放って砕けた。
教官たちは慌てふためいた。あの水晶球は学院で最も古く、最も精度の高い測定具――《真理の水晶》と呼ばれる、百年間ただの一度も壊れたことのない魔導具だったらしい。
それが、俺が触れた瞬間に砕けた。
俺はずっと、それを恥じてきた。
測定器すら壊す不吉な存在。魔力がないどころか、触れるものを狂わせる疫病神のような何か。
周りはそう囁いたし、俺自身もそう思うようになった。
次に用意された新しい測定器は、俺が触れてもうんともすんとも言わなかった。
針は微動だにせず、光は宿らない。
そうして俺の記録には、冷たく「適性ゼロ」と刻まれた。
それでいいと思った。
あの水晶が割れたのは事故か、俺の呪われた体質のせい。
二度目の測定こそが正しい俺の姿だ。空っぽのゼロ。考えたって仕方がない。
俺は落第だ。三年間、何一つ発動できなかった。
それが動かぬ答えだった。
忘れもしない、二年前の冬の夜のことだ。
俺は図書館の禁書庫の隅で、一冊の古い書物を見つけた。
分厚い埃を被った表紙には、『眠れる才の目覚めについて』とあった。
魔力を持たぬ者にも、ただ眠っているだけの才があるかもしれない。
それを呼び覚ます古の儀式があるのだと、そう書かれていた。
俺は飛びついた。藁にもすがる思いで。
その夜、俺は寮の裏の森へ忍び込んだ。
書物のとおりに凍えた地面へ魔法陣を描き、指先を小刀で切って血を一滴ずつ垂らし、半日かけて暗記した長い詠唱を、白い息を吐きながら震える声で唱えた。
これで駄目なら本当に諦める、二度と期待しない。そう心に決めて。
最後の一節を唱え終えた。
何も起きなかった。
魔法陣は光らず、風も吹かない。
星は冷たく瞬くばかりで、俺の流した血の鉄錆びた匂いと、冬の凍える寒さだけがそこに残った。
俺はその場に膝をつき、声を殺して泣いた。誰にも見られない暗い森の奥で、子供みたいにしゃくり上げて。
あの夜、俺は本当に諦めたんだ。
俺には何もない。呼び覚ますべき眠れる才すらない。
俺は正真正銘の空っぽなんだと、骨の髄まで思い知った。
だから、もう期待なんてしない。もういいんだ。
寮への道を歩きながら、ふと足が止まった。
理由は自分でもわからない。
ただ、回廊の奥――もう何十年も使われていない、北の旧棟の方角へ、視線が吸い寄せられた。
暗く、冷たく、誰も近寄らない一角だ。
何を見ているんだ、俺は。
苦笑して、また歩き出した。
疲れているんだろう。
婚約を破棄され、大勢に嗤われた日だ。
おかしな気の迷いくらい、起きて当然だった。
そう結論づけて、俺はその夜、泥のように深い眠りに落ちた。
明日もまた、空っぽの落第として目を覚ますのだと。
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