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一話 未完のゲーム

「……さま、お嬢さま! お目覚めになられたのですか!?」

「うーん」


 ゆっくりと開く目に、こちらを覗きこむ人影がぼんやりと映った。


「え?」

「ああ、よかった。早くお嬢さまが目を覚まされたことを伝えないと!」

「あ、ま、待って」


 弱々しい声は閉じゆく扉の音にかき消されてしまった。


 ――今の、メイド服じゃなかった?


 意識が覚醒し、脳が違和感を認識し始める。


 天蓋付きのベッド、アンティークな家具や調度品の数々。高級ホテルよりもはるかに高貴で、漫画やゲームに出てくるようなお屋敷の一室だった。


「まさか」


 ベッドから飛び降りて、目についた鏡を食い入るように見る。


「そんな」


 腰まで伸びた青みがかった銀色の髪、宝石のような翡翠の目。鏡に映る自分の顔立ちは日本人離れしていて、まるで別人だ。


「夢?」


 頬をつねってみるが、痛みを感じる。陶器のように白い肌に小さな赤みが残ってしまった。


「う、そ……嘘、嘘だ。これは夢……夢、じゃないと」


 目の前が真っ白になり、めまいがした。


「この姿……どう見てもアリステア・ベルジックの幼少期!」


 『愛されたい皇女さまの野望』。それが、自分が転生したと思われるフリーゲームのタイトルだ。しかもかなり、賛否両論が激しいタイプの内容の。


 最近流行りの悪役令嬢が主人公で、愛される公女に嫉妬した愛されない皇女が、公女を取り巻く男性を篭絡していくという筋書きである。


 悪役令嬢が主人公なだけに、ヒロインであるアリステアは皇女に篭絡された男性たちの手によってあっけなく殺されてしまう。


 愛されたいという野望を持つ皇女だが、そんな彼女もそう簡単に幸せにはなれない。エンディングまでに一人でもヒロインへの好感度が高い攻略対象がいれば、その人に皇女も殺されてしまうのだ。


 攻略対象を刺激しすぎず、けれど徹底的にヒロインを追いつめなければならないのである。


「問題は……」


 攻略対象も攻略対象で、そのほとんどが闇を抱えているらしい。どうしてそんな闇を抱えさせるのかと叫びたくなるほど重たい内容を用意していると作者は概要で明言していた。


 そう、賛否両論が激しいのは設定を盛りすぎているからである。フリーゲームだからなのか、作者の性癖が盛りこまれているからなのか、攻略対象は同情してしまうほど悲痛な運命を背負わされていた。


 序盤でもそれが垣間見える『愛されたい皇女さまの野望』は、最高で最悪の鬱ゲーと評されているのだ。


「私は、どうして」


 転生してしまったのか。そう考えた瞬間、ずきりと頭が痛んだ。無意識のうちに呼吸が荒くなり、アリステアは頭を抱えたまま膝をついていた。


「そうだ、私は」


 ――死んだんだ。


 声にしたくない言葉を、心のなかで引き継いだ。


 脳裏によぎる景色は、まだ日本人であった自分に大きななにかが倒れてくる光景。


「近くでアンティーク展が開かれていることを知って、出かけて……地面が、大きく揺れて」


 地震が発生し、そのせいで倒れた展示物にきっと押しつぶされたのだ。


 ――悪役令嬢に転生するならまだしも、なんで生存ルートがないヒロインなの!?


 些細なことでヒロインは殺される。悪役令嬢の視点で進むゲームだったから、ヒロインの情報はあまりない。


 ただ、今はまだ、公爵家の人からは愛されているということだけ。


 でもそれは、その愛情は一過性のものにすぎない。物語が進行し、皇女が攻略対象たちをそそのかしたら、いとも簡単に手を離される。


「また、死ぬの?」


 ぽたぽたと涙が床に落ちた。


「いやだ、殺されるなんて……死ぬなんていや!」


 ぼろぼろと涙が溢れるアリステアは、もう前世の自分が薄れていることに気づかない。名前も、容姿も、おぼろげにしか残っていない。


「わけもわからず異世界に転生して、皇女の気分でいたずらに殺される!? 私がなにをしたの!?」


 は、は、と短い息をこぼす。


「どうしたら、いいの……こんな世界で、生きていけない。いつ死ぬかもわからない、味方がいるかもわからない世界で……一人、ぼっち。――もとの世界に、帰りたい」


 大学生活も順調で、家族や友人にも恵まれていた。不満などなに一つなかった。だというのに。


 ――でも、帰る場所は、もう。


 前世で死を迎えたのなら、この魂の帰る場所はない。


「ああああっ」


 アリステアは額を床につけ、わんわんと声を上げて泣いた。


 そこから先のことはよく覚えていない。おそらく、人を呼びにいったメイドが戻ってきて、優しく抱きしめてくれたということだけはなんとなく記憶に残っている。


 アリステア・ベルジックは庭でつまずき、運悪く石に頭をぶつけてしまったようだ。付き従っていた執事兼護衛が応急処置をし、すぐに医者を呼んだことで大事には至らなかった。とはいえ、三日間も眠り続けた末の大号泣。ちょっとした騒ぎになった。


「――」


 皇女が動き出すのは、ヒロインであるアリステア・ベルジックがもっとも注目を浴びる日。


 ――アリステアの、社交界デビューの日。


 二十歳になる令嬢が一堂に会し、社交界に進出したことを祝うデビュタントだ。奇しくも、皇女とは同い年である。


 ――ええと、エンディングは……。


 薄れゆく記憶を思い出しながら、アリステアは息を詰める。


「『愛されたい皇女さまの野望』って、完結してなくない?」


 フリーゲーム。特大の風呂敷を広げてしまった作者が失踪してもおかしくはない。


 前世の自分がこのゲームの存在を知ったのは、ゲーム実況の動画を視聴したからだ。実況者の読み上げが聞きやすく、引っかかるところがあったら忖度せずに容赦なくツッコミを入れるところが面白くて、一時期は夢中になって動画投稿を追っていた。


 だが、ある日を境に『愛されたい皇女さまの野望』の実況シリーズは投稿されなくなった。そう、新章の供給が途絶えたのだ。


 何章というようにチャプターごとに定期的に進んでいたのだが、制作が難航しているのかめっきり公開されなくなった。


「主人公でもない私はどうやって攻略したらいいの? そもそも、悪役令嬢が主人公のゲームでヒロインが生き残るルートは想定されているの?」


 あれだけ闇深い設定をキャラクターに付与する作者だ。


 ――絶対にない。ヒロインとは名ばかりで、主人公のために蹴散らされる軽い命なんだ!


「うん、逃げよう」


 すん、と心が急激に落ち着いた。


 皇女の目に入り、目障りに思われるから殺されるのだ。それならば、目の届かない場所に逃げて、閉じこもってしまえばいい。


 ――攻略しようにもエンディングが開示されていない未完のゲーム。


 六歳の初夏、アリステア・ベルジックは役目を早々に放棄し、生きるために逃げ出した。


 父である公爵に頼みこみ、許しを得るまで泣き喚き、ついに領地内にある別邸に移り住む許可を勝ち取ったのだ。


 温暖で爽やかな風が吹くこの別邸で、アリスティアは人知れずエンディングを迎えよう。皇女に認識されぬまま生き抜いて、ほどほどの幸せを迎えられたらそれでいい。


「せっかく第二の人生を歩むのに、死亡スチルになってたまるもんですか!」


 皇女が好みの伴侶を見つけてから、ゆっくり動き出せばいい。このときは愚かで浅はかにも、そう楽観的に考えていた。

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