恋愛脳女神様と選ばれた青年
都会のコンクリートジャングルで生活するのは便利ではあったが、慌ただしくて仕事仕事の毎日である。
だからなのか、その日は酷く疲れていたのだろう。
仕事帰り、横断歩道の信号は赤だったのにも関わらず頭がぼーっとしていた俺は、何も疑うことなく歩道を歩く。
クラクションの音と急ブレーキの音が響いたときには遅くて、俺は強く跳ね飛ばされた。
あぁ、これは死んだなと他人事のように思いながら俺の意識は途切れる。
水篠 怜也、享年二十五歳だった。
「……あれ?」
ふと目覚めた場所は見知らぬ所だった。柱が立ち並び、何か神聖な場に立っているみたいで、まるで古代の神殿の中にいるようだ。
見たところ白亜の神殿、といったところだろうか。
「お目覚めね、水篠 怜也さん」
俺以外には誰もいないはずなのに女性の声が響いた。
念のために辺りを見回すがやはり誰もいない。すると突然目の前に光が出現し、それが弾けるように今度は女性が現れた。
青緑色系の長い髪で王室のパーティーに出席するような落ち着いたドレスの女性だが、日本人離れした相手の非現実的な登場の仕方に目を丸くする。
しかし、自分が事故に遭ったことを思い出し、その後辿り着く場所といえばあの世以外にないだろう。
つまり、この人が死後の世界の案内人なのかもしれない。または神様のような存在だろう。
「あなたは?」
「私はイストワール。とある世界の創造主よ。まぁ、平たくいえば女神様ってところね」
「そうですか。……しかし、死んだのにこんなにも意識がはっきりするんですね。俺はこのあとどうなるんですか? 天国か地獄かに向かうんです?」
「いいえ。あなたには私の世界の住人になっていただきたいの」
「……はい?」
どういうことかわからなかった。いや、恐らく次に生まれ変わる先の話なのだろう。死んでもあの世でゆっくり出来ないまま生まれ変わるのか。死してもなお忙しないとはな。
「実はね、私の世界ですっごく運のない子がいるの。私が助力してあげなきゃいけないくらい可哀想でね、あなたにはその子の手助けをしてほしいのよ」
「……はぁ」
「そしてゆくゆくは二人に恋に落ちてもらって幸せに過ごしてほしいのー」
「え、なんですかそれっ!?」
よくわからない発言に声を荒らげた。なんだその無理やりお見合いさせるような言葉は。
「だってああいう子には支える相手がいなきゃいけないのよ」
頬に手を当てながら恍惚とした表情を浮かべる様子がまるで恋バナ好きの女のようだ。っつーか、誰だよああいう子って。勝手に俺をあてがうな。
「いや、なんで俺……? ていうか、生まれ変わる話をしてるんですよねっ?」
「生まれ変わるってより第二の人生ってことかしら。だって今から転生したら成長を待たなきゃいけないじゃない? 今がちょうどいいからこのまま転移するってことなの」
「そんなめちゃくちゃな……。普通に生まれ変わらせてください。なんで誰かも知らない相手に恋だのなんだのしなきゃいけないんだ」
「んー。私が二人の恋愛を見たいから」
あ、ダメだ。頭が恋愛脳の奴だ。面倒臭い上に嫌な予感しかない。
「俺以外にしてください。今度は自由でゆったりした生涯を迎えたいんです」
「怜也さん以外っていうのはダメ。だって私があなたじゃなきゃ困るのよ。見た目が私の好みだから」
完全に女神の趣味によって選ばれたのか俺は。頭が痛くなる。
「それに役立つ能力もあなたにプレゼントしたから沢山活用してちょうだい」
「いや、だから俺は」
「はい、テレポート」
勝手に話を進める女神に拒否をし続けようとしたところ、実に楽しそうな声と共に相手が消えた。
いや、消えたというより景色が変わったという方が正しい。
神殿らしき場所にいたのに、いつの間にか目の前は青い空と白い雲が見えた。
それよりもなんだこの浮遊感は……。
「は……?」
浮遊感の正体がわかった。俺……宙に浮いてる。そう気づいた瞬間、重力に逆らっていたはずの身体はまるで糸が切れたかのように真っ逆さまに落ちていく。
「わっ、ちょっ!? うわあああーーっ!?」
高さは十メートル。いや、二十メートルか? とにかくそんな高さから落下して無事ではすまない。しかも落ちていく先が民家。
「……嘘だろッ!?」
このままだと民家に突っ込んでしまう。しかし、落ちていくだけの俺にはどうすることも出来ずに、そのまま屋根を突き破った。
そのおかげか落下速度が落ちたといえども身体に与えられる衝撃は大きく、さらに床に叩きつけられてしまい、あちこちに走る痛みのせいで意識があやふやになる。
俺また死ぬのかもしれない。まぁ、あの頭のおかしい女神の思い通りにならなかっただけでも救いかもな。
薄れる意識の中、これで良かったのだろうと自身の第二の死を受け入れると遠くで女と思わしき驚きと戸惑いの声が聞こえた。
「ん……」
ゆっくり目を開けば、穴の空いた天井とそこから覗く青空が見えた。
「あ、良かった。目覚めたんですね」
その視界を遮るように黄褐の髪色をした女の顔が割り込んできた。知らない顔である。
「……俺は、確か……」
意識がはっきりして、自分が今どんな状況なのか確認しようと身体を起こす。
「急に天井から降ってきたみたいですけど、大丈夫です、か……っ」
俺の容態を尋ねようとした女が急に言葉を詰まらせ、今度は彼女の方が意識を失い、倒れ込んだ。
「は? ちょっと、大丈夫ですかっ!?」
彼女を抱き起こして呼びかけるも返事はない。なんで相手が倒れるのかわからないが、辺りを見渡してみれば俺が天井を突き破った残骸が散らばっている。
……もしかしたらこれらに当たってしまったのか?
その可能性が高いと思い、血の気が引いてしまう。これはまずい。器物損壊だけでなく傷害まで起こしてしまったのか!?
焦りながらも怪我がないか見える範囲で確認してみるがこれといった怪我はなさそうである。しかし顔色が悪い様子なので一先ず彼女を寝かせる場所を探すことにした。
いくつか部屋を開けてあの子の部屋らしき場所を見つけた俺は彼女を抱きかかえてとりあえずベッドで寝かせることに成功する。
しかし、この子以外の人はこの家にいないのだろうか。一人で住むには広い家なのに。もしかしたら家を出ているとか? そうだとしたらなんて説明をしたらいいんだ? そもそも寝かせるより病院に連れて行くべきなのでは?
正直俺も混乱しているのでどうしたらいいかわからない。だっていきなり空から落ちたんだぞ、こっちは。
「……そういえば、痛くないし、怪我もしていない」
そうだ、俺は確かに屋根を突き破って落ちた身だ。全身痛かったのも覚えているのに痛みはおろか怪我すらない。
「どうなってんだ……?」
もしかして目の前の彼女が手当てをしたのか? だとしても傷の痕がないのはおかしい。そもそもここはどこだ?
「……んん」
するとベッドで眠る彼女が声を漏らし、静かに目覚めた。
「あ、大丈夫ですかっ? いきなり倒れたんですけどどこか痛みますか?」
「……えっと、大丈夫です。すみません……多分魔力切れで貧血を起こしてしまって」
魔力……? なんだそのファンタジーな単語は。
「俺、怪我してませんでした?」
「私がヒールで回復させました」
「えっ……?」
ヒール……って、ファンタジーゲームとかでよく聞く単語ではあるが、そんな魔法みたいなことが出来るわけ……いや、待て。あの女神と名乗った奴も突然現れたり、テレポートだとか言ってたな……。
それにあいつ、私の世界の住人になれとかも言っていたし、まさか魔法だとかそんなものが使える世界ってことか!?
「……あの、ここは日本ですか?」
「ニホン? いえ、ここはスタービレの町外れですけど……」
「スター、ビレ?」
「はい」
「……ちなみに、回復をしてくれたそうですけど、どうやって……?」
「私が手を当ててヒールの魔法を使っただけです」
言った。魔法って言った! マジかよ! 死後にそんなゲームみたいな異世界へ連れてこられたのかよ俺は!
「はぁーー……」
顔を覆いながら項垂れるしかなかった。死んだのなら何もかも忘れて一から生まれ育ちたかったのになんでこんな仕打ちを受けなければならないのか。
「あの……まだどこか痛みますか? 回復が足りないならもう一度かけますよ?」
「あ、いえ、大丈夫です。それに魔力切れ? で倒れたんですから無理しないでください」
「あはは……すみません。私、レベルが低いのですぐ魔力が切れるんです。なのでそこまで心配されるほどじゃないんですよ」
申し訳なさそうに話す彼女だったが、この世界のことを何も知らない初心者の俺にとってはどういうことかよくわからない。
「そうだ。名前、なんですか? 私、イルって言います」
「あ、俺は……み、いや……怜也。怜也だ」
相手が日本人らしくない名前なので恐らく名字で名乗るより下の名前のほうがいいだろう。
「レイヤさんですね。あの、ところでレイヤさんはなぜ上から降ってきたんですか?」
「あ……」
そうか。そうだ。このイルという相手からすれば俺は空から落ちてきた怪しい奴だ。なんて説明をしたらいいんだ? 女神のせいで違う世界から来ましたなんて言って通じるのか? むしろ怪しさ満載だろ?
「……あの、多分信じてはもらえないと思うんですけど、なんか女神って名乗る奴が……いきなり俺をここに落としてきたんです……」
「女神様が落とす?」
ほら、ほら、訝しげな顔をしてる! そうだよな、信じらんねぇよな! 俺だってまだ信じられねぇよ! 死んだと思ったら知らない世界に連れてこられたなんてよ!
「女神様ってイストワール様ですよね?」
「あ、あぁ、確かそういう名前だったような……」
「凄い! レイヤさんも女神様に会ったんですね!」
レイヤさん、も? ということは俺以外にも会ってる人間がいるんだな。っつーか、この世界は簡単に神と会えるシステムなのか?
「この間、私が溺れていたところをイストワール様に助けてくださったんです。本来ならば見えない存在である彼女がわざわざ姿を現してくれて、さらに恩恵まで授かりました」
あの自分勝手な女神が助けただと? 俺には瞬間移動させて空から落としたくせに。
「恩恵って?」
「えーと……実は私ステータスを見ると運が-100もあるみたいで、それでイストワール様が不憫に思い、少しずつレベルアップが出来るレシピブックを頂いたんです」
照れくさそうに言ったが、思わず聞き返したくなる単語が耳に入る。レベルアップ出来るレシピブック?
それに運が-100ってなんだ? この世界は本当にゲームみたくステータスが数値化して本人にわかる仕様になっているのか!?
しかし、俺はそこでハッと思い出した。あの自分勝手な女神の言葉を。
『実はね、私の世界ですっごく運のない子がいるの。私が助力してあげなきゃいけないくらい可哀想でね、あなたにはその子の手助けをしてほしいのよ』
まさか、あの女神の言っていた相手はこのイルという子なのか。そうか、合点がいった。だから彼女の家の真上から落としたんだな、あの少女漫画脳女神。
誰があんな奴の思い通りになるかってんだ。そうとわかったらさっさとここから離れる方がいいな。
「レイヤさん? 難しい顔してますが大丈夫ですか?」
「あ、あぁ、大丈夫。えーと、回復させてくれてありがとうございます。それじゃあ、俺は迷惑になるんで帰らせていただきますね」
「そうですか? 怪我もしていたからもう少しゆっくりしてもいいですよ?」
「いえいえ、本当に大丈夫です」
まぁ、相手は無事だったし女神がにやけながら様子を見てるかもしれないと思うと虫唾が走る。あいつをぎゃふんと言わせるなら俺はとっとと去った方がいい。
彼女の部屋を出て、すぐにでも外に出ようとしたが、俺は部屋の前で固まってしまう。
そういえば俺……屋根を壊したんだった。不可抗力とはいえ、このままさようならをするのはさすがに良心が痛む。
「……すみません。屋根壊した責任取ります」
「え、あ、大丈夫ですよ! これも私の運が悪いだけなのでレイヤさんもわざと壊したわけじゃないですし!」
「いや、弁償するか直すかさせてください」
このまま出て行くのはさすがに申し訳ないし、俺もそこまで薄情にはなれない。それなりの人の心くらいはある。
「じゃ、じゃあ、お願いしてもいいですか?」
「はい」
……とは言ったものの、弁償するにしても自力で直すにしても金がない。財布もないし、あったとしても通貨が違うだろうし、一文無しだ。
「……重ね重ね申し訳ないのですが、一文無しの状態で女神に連れて来させられたので資金集めをしますから時間を頂けますか?」
「私は別に構わないんですけど……」
「ありがとうございます。暫くは不便をおかけすると思いますが、すぐに直すようにしますので」
しかし、見知らぬ世界でちゃんと金を稼ぐことが出来るだろうか。そもそもこの世界の知識もなければ常識すら知らない状態だ。
そう思うと一気に不安になる。知らない世界で俺は生きていかなければならないし、職につけるのかもわからない。
向こうの世界でも仕事に人生を縛られて大変だったのに、ここでも同じ目に遭うのはごめんである。
ていうか、冷静になったら俺一文無しで家もないのにどうやって暮らせって言うんだ?
「レイヤさん!」
「あ、はいっ」
「まずは一息つきませんか? 多分、レイヤさんも色々あったように思えるのでまずはゆっくりしましょう」
ね? と言われてしまい、相手の厚意を無下には出来ないので「はい……」としか返せなかった。