インキュバスの魅了と魅了耐性
「イルさん。私からもお願いしたいのですが、どうか聞き入れてはもらえませんか?」
作戦通り、アドラシオンが動いた。イルの両手を取って自身の容姿を活かし、彼女の心を引きつけようとする。
魅了スキルを持っていると、黙っていても効果は発揮され相手から寄って来ることもあるが、余程のことでなければそう上手くはいかない。
アドラシオンから積極的に口説きにかかるなど意識してアクションを起こせば魅了スキルは大きく働く。
彼がターゲットと決めた相手はすぐに魅了されてしまいアドラシオンに夢中になるので、夢魔である彼に女性で困ることはなかった。
彼が問えばなんでも答えてくれるし、願えばなんだって聞いてくれる。諜報活動として何度も人間相手に使ってきたものだ。
今回も簡単に言うことを聞いてくれるだろうと信じて。
「ごめんね、私の考えは変わらないから」
しかし、イルは困り顔で断った。思わずアドラシオンの目が丸くなる。
「……。今、なんと?」
「えっ? だから、専属パティシエにはなれないよって……」
聞き間違いかと思い、聞き返してみるも先程よりはっきりした答えが返ってきたため、側近は信じられないというように額を押さえた。
「お、おい、アド! 全然効いていないではないかっ! ちゃんとやってるのか!?」
「?」
「……本気でやってますよ。なのになぜ……」
今まで意図的に魅了スキルを発揮して相手の心を奪えなかったことはなかった。
効果がないなんて有り得ない、そう考えていたアドラシオンはひとつの可能性に気がつき、ハッとした表情でイルへと目を向ける。
「イルさん……つかぬことを伺いますが、あなたはもしかして魅了耐性スキルをお持ちですか?」
「え? あ、そういえばあるよ。多分、私には不必要なスキルだろうけどないよりはマシなのかな」
イルの言葉を聞いてアドラシオンは深い溜め息を吐いた。
魅了を掻い潜る方法。それは魅了を受けつけない魅了耐性スキルを得ること。または強い意志ではあるが、後者はなかなか難しいもの。意志が強いと豪語する者に限って魅了を受けていることが多いくらいに。
魅了耐性を持っていてはアドラシオンの魅了が効かない。それならばと彼は別の方法を取ることに決めた。
「……本当はご迷惑になるかと考え、この想いを秘めていましたが、もう抑えられません。イルさん、あなたをお慕いしております。どうか、私と共に魔界へ来ていただけませんか?」
先程とはあまり変わらないが、自身の顔貌に自信のあるアドラシオンは自ら好意を寄せているとはっきり口にすることで相手に意識してもらう作戦に切り替える。
己の顔の良さで押してしまえば魅了耐性持ちだろうと見惚れてしまうと考えて。
「え、えぇっ?」
「もっとあなたの近くにいたいんです。もし、不安があれば私が払拭いたします。ですから、私の想いを受け取ってほしい」
(次から次へとよくそんな言葉が出てくるものだな……)
デジールがジト目で見守る中、突然の告白に戸惑うイルは躊躇いがちに口を開いた。
「えーと、ごめんね。私、好きな人がいるから」
「……。……そう、ですか」
監視花で観察した限り、恋人はいないだろうと考えていたし、想い人がいたとしても鞍替えすると思っていたアドラシオンにとっては想定外の返事で頭が痛くなった。
イルの言う好きな相手と言って思い浮かべるのは彼女と同棲しているレイヤである。
「……失礼ですが、お相手はどのような方ですか? もしかしてレイヤさん?」
「ううん。レイヤは友達だよ。私の好きな人は格好良くて、優しくて、強くて、すっごく頼もしい人でねっ」
「あー……すみません。写真などはありますか?」
頬を小さく染めながら想い人のことを話すイルだが、全く特徴が掴めない。
自分を差し置いてどんな相手がイルの心を掴んでいるのかと思いながら、彼女の好みを把握するため写真の有無を尋ねる。
「うん、あるよ。この間の料理大会でその他の部門で優勝して、翌日の新聞に写真が載ってたから購入したの」
ちょっと待ってて、と声をかけてイルは自室へ向かう。
しばらくして新聞を持ってきたイルはテーブルに広げて、各部門の優勝者が写っているモノクロ写真の中の一人を指差した。
そこには歯を見せて笑う体格の良い中年男性━━クラフトの姿があり、その相手を見た途端にアドラシオンは石のように固まってしまう。
「この方……ですか?」
「そうなの! もう見た目からして頼りがいがあって素敵なんだよね~」
まるで自分のことのように自慢するイルだが、アドラシオンにとっては衝撃的すぎることだった。
まさか自分が人間の中年男性に劣るとは……。そう項垂れながらぽつりと呟く。
「……まさか、おじ専とは」
「なんだそれは?」
「そんなことよりデジール様。作戦を練り直しましょう。今回は失敗です」
「ぐぬぬ……どうしても駄目なのか?」
「あまりしつこいと逆効果ですので」
「?」
二人でぼそぼそ話す様子をイルが見守りながら何を話してるんだろうと考えていると、不自然なほどににっこりと笑みを浮かべるアドラシオンがぺこりと頭を下げた。
「イルさん、本日はこの辺りで失礼いたします。ですが、私は諦めるつもりはございませんので、少しでもあなたに振り向いてもらえるように精進します」
「いや、それは……」
「では」
「ちょっ、アド……!」
「ふむ、仕方ない。また来るが、専属パティシエの件について興味が湧いたらいつでも言いに来るのだぞ」
「う、うん……」
どちらの件も断りを入れたはずなのに諦めない魔族二人は瞬間移動の魔法を使い、風に飲み込まれるように消え去った。
一人残されたイルは小さな溜め息をこぼし、一気に疲れてしまったので、ひとまずゆっくり休むことに決めた。
魔界にある城へと戻った二人も執務室にて盛大な溜め息を口から吐き出した。
執務机に座る魔王様はイルを手に入れられなかった事実に顔を突っ伏し、酷く落ち込む。
「なぜ、こんなにもいい条件だというのにイルの奴は引き受けてくれんのだ……」
「デジール様の性格に難があるのではないでしょうか?」
「それを言うなら貴様こそさっきまでの威勢はどうした!? イルは全く靡いておらんかったぞ!」
「……それは私としても予想外でした。魅了耐性スキル持ちな上に、彼女は私よりもあの男性の方が魅力的だと言うのですから。イルさんの中では私は好みのタイプですらないのでしょう」
魔王の側近も今まででは有り得ない事態に頭を悩ませた。
魅了の効かない相手はこれまでいなかったし、魅了耐性スキルを持つ人間にも出会ったことがなかったため、自分の持つスキルを過信していた。
魅了耐性さえなければ、例え好みの相手ではなかったとしても魅了させることが出来たのに、なんと厄介なスキルを持っているのかと思わずにはいられない。
「……うぐぐ、やはり無理やりにでも引っ張って連れて来るしかあるまい」
「あなた様が望むならそれもよろしいかと思いますが、リリーフさんだけでなくカトブレパスやその他諸々から反感を買う恐れがありますし、最悪イルさんはスイーツを振る舞ってくれないかと」
「ううぅぅ……なぜ人間であるあやつの周りはとんでもない奴らばかり控えておるのだ!」
「人柄でしょうかね」
「何か策はないのかっ!?」
「考えてはみますが、私の魅了さえ通じないので、その上をいく作戦が生まれるかどうか……。ひとまず、イルさんには口説き続けようかと。回数を重ねていけば少しずつその気になるでしょう。必ず私のことを夢中にさせてみせます」
「……そなた、本来の目的はわかっておるのか?」
「イルさんを堕とすことです」
「違う! 余の専属パティシエにさせることだ!」
バンッ! と机を叩き、訂正するデジールだが、アドラシオンは小さく頭を横に振った。
「いいえ、デジール様。これはインキュバスとしての使命です。狙った獲物は絶対に虜にする。それが私のポリシーです」
「ええい! そんなポリシー捨ててしまえ! 貴様は余の側近として働くのが使命であろう!」
「それはそれ、これはこれ、です」
「余の望みを叶えることを優先せんか!」
イルを虜に出来なかったのがよほど悔しいのか、いつもは冷静で何を考えているのかよくわからない笑みを浮かべる男が静かに燃えていた。
それがインキュバスとしてのプライドなのか、それともアドラシオン個人としての意地なのか。どちらにせよデジールにとっては本来の目的を遂行してもらいたい。
そのため、アドラシオンに強く言いつけると、彼はやれやれと口にする。
「一応、先程思いつきました」
「は、早いな。それなら早く言わんか」
「正直なところ、上手くいかない可能性の方が高いでしょうが、今はそれでも試すしかないと思いますけどよろしいですか?」
「勿体ぶるな。さっさと言え」
「本人にその気がないのならその気にさせるんです」
「それが出来るなら苦労せん。いい条件を提示しても惹かれんかったようだし」
腕を組み、椅子に身体を預けるデジールはイルとのやり取りを思い出す。
賃金は三倍も高く払うし、住む場所だって文句のつけようがないほどいい部屋を与える。なんなら他に望むことがあれば叶えるくらいの気前の良さもある。
誰でもこちらに乗り換えるはずだというのに、これ以上何をしたらその気になるのかわからない。
「イルさんはひとまず置いておいて周りから攻めていきましょう」
「周りから……?」
「そうです。彼女の周りにいる方達を先に引き抜く。あるいは手引きしてもらうように仕向けるんです」
「おぉ……なかなか悪どい感じがして面白そうだな!」
「彼女の周りさえ崩していけば、イルさんも頷くでしょう。例え何か引っ掛かりがあったとしても契約を交わしてしまえばこちらのものです」
(なかなかに見ないアドの悪い顔だ……)
くつくつと笑うアドラシオンの表情はイル達の前にも見せないほど悪意ある顔をしていた。
こうして、諦めの悪い魔族二人の企みは次の一手のために動き出すのだった。




