羊羹と魔界からの引き抜き
イルとレスペクトの様子は監視花というスターサーベイランスを通して魔界の城の中にある魔王の執務室にまで届いていた。
魔王としての職務中は常に水晶に映し出されるイルの自宅前。
元は人間についての勉強をしなさいとデジールの父である前魔王に言われたため、たまたま凶暴なカトブレパスを従魔にしたイルの存在を知り、好奇心とどうやって手なずけたのかを解明するため、研究もとい監視を始めたのだが、最近では彼女の作るスイーツを食べることしか頭にない日々だった。
出来ることなら毎日イルが作ったスイーツを食べたい。
でも、毎度人間の地へ足を運ぶのはなかなかに大変なのと、イルも毎日はさすがに困ると言うので我慢が嫌いな魔王様は辛抱を覚えるが、どうしても魔界では味わえないイルの作るスイーツが毎日食べたいというその欲望だけは消えなかった。
ならば彼女を自分専属のパティシエとして雇うのはどうだと考えた魔王デジールは側近のアドラシオンと共に契約内容を考え、いよいよ次回の訪問時にスカウトするぞと意気込んでいたところだった。
タイミングがいいのか悪いのか、イルが働き口を見つけたのだとレスペクトに報告しているのを水晶で見てしまったのだ。
「ア、アド! イルの奴め仕事先を見つけおったぞ!」
「ふむ。あまりにも突然ですね。これは予想外です」
わたわた慌てる魔族の王とは対照的に側近は非常に冷静であった。まるで大した問題ではないと言いたげに。
「お前でも予想外だと言うのかっ? これではせっかく練った契約も意味ないではないか!」
「デジール様。私が予想外と言ったのは突然就職が決まったということです。カトブレパスに相談してから仕事を探すのかと思っていたのですが順序が逆でしたね。まぁ、イルさんが新たな仕事を請け負うくらいは予想の範囲内です」
「な、なら問題はないのだな?」
「当然です。引き抜けばいいだけなのですから。彼女が勤める仕事先よりも高給、高待遇であればいいのです」
「なるほど。確かにそうすればイルも乗り換えるであろう!」
それならば何も心配ないな。そう口にしようとしたデジールだが、ふと考えた。
「……しかし、万が一だぞ? イルがそれでも拒んだらどうする?」
「おや? あなた様にしても消極的な発言ですね」
「そりゃあ、イルのバックにはカトブレパスだけでなく、人間にしては妙に恐ろしいリリーフという娘もおるのだぞ? あやつが邪魔したり、余計なことを吹き込んだら、あの娘の友であるイルも考えを変えてしまうだろう……」
デジールはリリーフに苦手意識を持っているため、イルに無理やり契約を結ばせようとしたら絶対に彼女が飛んで来るだろうし、恐ろしいほど叱られると思っている。
だから無理強いだけは出来ない。我儘も言えない。
(なぜ、人間の小娘如きに余は恐れておるのか……! 余の方が地位も力も圧倒的に上だと言うのに! 父上とアド以外の皆は余の言うこと聞いてくれるのになぜあの小娘だけ! あやつさえいなければイルは余の言うことだって聞いてくれたのだぞ!)
胸の内ではリリーフへの憤りが湧き上がるものの、本人を前にすると萎縮してしまう。
睨んでも睨み返され、文句を言えばその倍の文句を返され、魔王の名に劣らない魔力量を見せつけても動じない。
本当に人間なのか? と何度も疑い、アドラシオンに頼んで調査をしたくらいデジールにとってリリーフは恐怖の対象である。
頬を引っぱたかれたり、拳で頭部をぐりぐりと攻撃されたり、リリーフにされたお仕置きを思い出すと身震いをしてしまうほど。
「デジール様。その場合はイルさんを魅了させてしまえばいいのですよ。お忘れですか? 魔族の中で高い魅了スキルを持つインキュバス族である私のことを」
口端を上げて含み笑いを浮かべるアドラシオンは紛れもなくインキュバスである。
魔族の中で魅了スキルの高い夢魔であるインキュバス、またはサキュバス達は生まれながらにして容姿が良く、どの種族であろうと彼らが本気を出せば骨抜きにされてしまう。
そんな側近の生体を思い出したデジールは歓喜の声を上げて興奮気味に口を開いた。
「なるほどな! 人間と魔族の戦争の最中、女兵士や女騎士達を惑わせて身体を重ね、言葉巧みに機密情報を手に入れたアドの功績はなかなかのものだったからな! さすが女たらし!」
「……あなた様にそう仰られると馬鹿にされてるようにしか聞こえませんが、聞き流しておきましょう。とにかく、拒否された場合は私にお任せください。私に靡けば例え親友であろうと他者の言葉は耳に入りませんので」
「おぉ! 頼もしいぞ、アド! さすが余の側近である!」
こうして、イルの手作りスイーツを毎日食べるために何としてもイルを自身の専属パティシエにしたいデジールと、魔王の職務効率化、もとい集中力を切らさないためにデジール好みのスイーツを用意するイルが必要と判断したアドラシオンはイルを雇用するための準備を着々と続けた。
そして翌日、二人はイルの自宅へ足を運んだ。時刻はおやつの時間。
魔族であるデジール達の存在に気づいたレスペクトが不機嫌なオーラを放ちながら監視のため、二人の背後に立って警戒心を高める。
カトブレパスそのものは二人の敵ではないのだが、相手
は普通のカトブレパスよりも強い力を持つ魔物だ。
そんな彼の邪視を受けるとおそらく危険だろうと勘が働くので出来るだけ怒りを買いたくはないが、過去に何度も衝突をしているのも事実。
互いに本気を出しても勝率は五分五分かもしれないだろう。
「イルー! 余が来たぞ!」
ドンドンと扉を叩き、訪問したことを告げる。しばらくしてから家の主が姿を現した。
「デジール、アド。いらっしゃい。今日はいつもより遅めなんだね」
『……イル。いい加減こやつらを迎え入れるのはやめておけ。前みたいにいつ迷惑をかけるかわからんぞ』
「ぐっ、だからそれは反省したと言うてるのに……」
「うん、そうだね。最近は私の言うことも理解してくれるから大丈夫だよ、レスペクト。心配してくれてありがとう」
レスペクトの意見を聞き入れないことを読んでいたのか、彼は溜め息混じりにフンと鼻を鳴らし、イルの家に足を踏み入れる魔族二人を睨みながら見送った。
「レイヤとプニーは訓練所に行ってる日だからいないの。最近レイヤ達に会えてないよね?」
「あぁ、構わん。余はイルのスイーツを食いに来てるのだから他の奴がいようがいまいが気にせん」
元より、引き抜きのためにやって来たのでイル以外の者達がいないのを見計らっての訪問だ。
余計な者達がいては邪魔をされる恐れがあるから。
「でも、せっかく来てもらったのに申し訳ないんだけど、今日のスイーツはもう決まってるの。ちょうどさっき出来たばかりだから……」
「あー……構わん。クッキーでもプリンでもいいぞ」
「羊羹なの」
「よ……?」
聞いたことのない名前にデジールは疑問符を浮かべる。それはアドラシオンも同じようで興味深そうな表情をしていた。
「以前頂いた草餅もそうですが、聞き慣れない名前ですね」
「私も知らなかったんだけど、レイヤの故郷では有名なスイーツなんだって。待っててね、用意するから」
デジールを椅子に座らせ、アドラシオンは彼女の後ろに立って待っていると、すぐにイルは切り分けた羊羹を二人の元へ持ってきた。
小豆を煮て、プニーのブレンダーで攪拌してもらい、前にレイヤと共に入手した棒寒天を使って作った羊羹液はパウンド型に流して冷やしていた。
デジール達が訪問する数分前に一足先に口にしたイルは小豆がぎゅっと凝縮した赤みのある紫黒色を美味しく頬張り、火魔法であるインフェルノを扱うことが出来るようになるも、その名前の物騒さと説明文にて「業火を起こすことが出来る」と表示されてまたとんでもない魔法を覚えたものだと頭を抱えていた。
「色的にチョコレートに見えなくはないが……チョコレートは使ってないのか?」
「そうだね。この前食べた草餅の中に入ってたあんこを使ったものだよ」
「あぁ、あの豆の甘煮を潰したようなやつか。……それをこのムースのようなプリンのようなものになったと?」
「うん、甘くて美味しかったよ」
「……。アド」
「もう食べてます。確かに美味しいですよ」
側近に毒味がてら味見をしてもらおうと声をかけたが、アドラシオンはにっこりと微笑みながらすでにフォークを手にして食べていた。
「本当にお前という奴は余の命令もなしにっ! ……いや、もういい。緑色をしたあれよりは美味いだろう」
依然食べたよもぎ入りの草餅はよほどお気に召さなかったようで、いまだ記憶に新しく苦々しい表情をしながらも一口食べてみる。
しばらくして目は星のように輝き、次々に手と口を動かしてあっという間にデジールの羊羹はなくなった。
「美味いではないか!」
「だから言ったでしょう?」
「良かった。喜んでもらえて何よりだよ」
イルも嬉しそうに笑い、スイーツを食すことも出来て一段落ついたところで、デジールとアドラシオンは互いに目を合わせ、こくりと頷いて作戦始動の合図を送った。
「ところでイル。相談なのだが、そなたの腕を見込んで頼みがある」
「頼み? 私で出来ることなら」
「もちろん、出来るからそなたに頼むのだ! イル、そなたを余の専属パティシエとして我が魔界で住み込みながら働いてもらいたい!」
ビシッとフォークをイルに向けて差すデジールに「行儀が悪いですよ」と小声でそのフォークを側近が奪った。
「え、えっと……? 専属パティシエ? 住み込み? 私が?」
突然の依頼にイルは驚きながら瞬きを繰り返すが、すぐに困り顔に変わり彼女は言いづらそうに口を開いた。
「ご、ごめんね。私、新しい仕事が決まったばかりで専属パティシエはもちろんのこと、さすがに住み込みはちょっと出来ないかな……」
「そなたの言い分ももっともだが、もちろんそなたを不自由な思いはさせんぞ! その職場よりも二倍の、いや三倍の賃金は出すし、イルが住むいい部屋もすでに城にて用意しておる!」
「お城に!?」
「派手な内装にしたかったが、アドに止められて少し質素かもしれぬが、要望があればどんな内装でも変更するし、家具も用意する! どうだっ? いい条件だとは思わぬか!?」
テーブルの上に身を乗り出すように詰め寄るデジールにイルはたじろぐが、首を横にしか振らなかった。
「そこまで準備をしてもらっておいて申し訳ないんだけど、私は仕事先を変えるつもりはないの」
「ぐぬぬ……」
こんなにも好条件だというのにそれでも引き抜けないのが悔しくもあるが、デジール達にとっては想定内。
こうなったらあの手だなと魔王が側近へ目配せすると、アドラシオンは静かに頷いた。




